椎菜の天使特訓
二千三十九年六月七日の火曜日。
体育祭が二週間後の土曜日。つまり、六月十八日の土曜日へと迫っていたこの日の体育の授業。
だいぶ車椅子操作になれてきて、とうとう、本番に走る砂のトラックへと練習を移した五人。
姫乃と守晴はもちろん、モカと雪那も平坦な摩擦力が少ないフローリングな屋内の直線勝負だったら、椎菜といい線の勝負を繰り広げられるようになっていた。
――因みに残る三紅は、調子の良い時と、調子の悪い日が激しいので、ある意味のダークホース化していた――
のだが、いざ本番で走る砂のトラックへと、舞台を移すと、摩擦力が高くなりとたんに難しくなり、その力の差は圧倒的だった。
そのうえ、百メートル全力疾走ともなると、腕が持たなく、ラストには必ず失速してしまう。
「ハァ……、ハァ……、くっそ、どうしても椎菜に勝てねぇ……。それどころかモカにも負けちまう」
「ええ、そうね」
「ああ、そうだな。何かコツとかあるのか?」
守晴が唐突に椎菜に聞く。
その様子を見て、姫乃と雪那は苦笑。
「おいおい。守晴。椎菜がいくら指導役だからって、本番では敵になるんだぜ? そう軽々と、否決を教えると思うか? なぁ、雪那先輩」
「ええ、そうね。赤ずきんの言う通り、椎菜は敵なのよ。そうそう、自分の技術を明かすことなんて、ゲーマーの中ではあり得ないことだわ……。そうでしょ? 椎菜?」
椎菜は首を捻り、何を言ってるの? と言いたげな顔で答える。
「へ? 別にいいけど……」
「すまぬな。助かるよ」
「はぁ!? 本当に良いのかよ!?」
「そうよ。シンデレラの言う通り! あなた、それでもゲーマーなの!? 自分の技術をあっさりと渡すなんて!?」
姫乃と雪那の突っ込みに椎菜は、結託なき純真無垢な笑みで言う。
「うん。だって。みんなが強いほうが競い会いが出来て楽しいじゃん?」
「じゃ、じゃぁ、なんで今までは教えてくれなかったんだよ?」
珍しくやや、口を尖らせながら言う姫乃。本来、それは三紅の役割であるはずだが、姫乃は今回どうしても勝ちたいのだ。
普段は、汗臭いのは大の嫌いである姫乃だが、本人も言っていたように、商品や、賞金が掛かったとたん、彼女は負けず嫌いを発揮するのだ。
そんな感じで、ややいじけている姫乃に、椎菜が「え? だって――」と、前置きをして、答える。
「――聞かれなかったから。それにね。ゲームでもそう。教えてって言われたら、ボクは惜し気もなく教えるよ? ま、教えたからって、その技術が使えるかは謎だけどね。だって……」
雪那が引き継ぐように、奪い取る。
「やり方は人それぞれ、闘い方も人それぞれ。人生も人それぞれ。他人の意見を聞いたって、それが自分にあったやり方だとはわからない。強くなるのは、自分に合うやり方を見いだせたとき……。だったかしら?」
「うん! そういうこと!」
互いに笑みを交わし合っていると、姫乃が首を捻る。
「なんだそれ?」
雪那はあたかも常識のような態度で言う。
「あら、オーロラ? 知らないの? 《KAMAAGE》の開発者、【ツクヨミ】がどうしたら、強くなるかっていう質問に、ネットでの書き込みで答えた有名なコメントじゃない?」
「知るか!? ってか、さっきからなんなんだよ!!? 人の名前を海外の童話の姫さんみたいな間違いをして」
「あら、ごめんなさいね。人の名前を覚えるのが苦手で、たしか、海外の童話のお姫様の名前だって言うことはわかってるんだけど……」
姫乃の唸り声。
「おい。殺すぞ……!」
そんな姫乃の剣幕など、どこ吹く風と言わんばかりに、涼しい顔で椎菜に話を振る雪那。
「それで、椎菜。速くなる方法って?」
「って、スルーするな!! 第一、なんで椎菜だけは名前覚えてるんだよ? おまえは自分の利益になる相手しか覚えないんじゃなかったのか?」
「そ、それはね! ほ、ほら、あれだよ」
と、姫乃の指摘に、なぜか雪那ではなく、椎菜が慌てる。それを見ても、雪那は慌てることなく、冷静に対応する。
「教えを乞うものとしての当然の義務じゃないかしら?」
「ふーん。そう言うもんなのかね? というか、なんで、雪那先輩は椎菜と闘いたいんだ? あんたの執着は【W.C.S】しかねぇだろ? なのに、なんで、また椎菜と闘いたいんだ?」
――そう、桐谷雪那は《KAMAAGE》内でのナンバーツープレイヤー、【ヘカテー】である。
この事は、この学園の報道部により、おおっぴらに公表されたのである。
その発表のあと、雪那が正式に、発表したことにより、誹謗中傷はもちろんあったが、雪那の容姿や性格も相まって、今まで薄かった男性層のファン獲得にも繋がっている。
あまりの人気のせいか、《KAMAAGE》政策班から、公式的なプロゲーマー契約の打診が来ているとか、来ていないとか――
姫乃の指摘は最もである。雪那は、打倒【W.C.S】で動いている。それしか興味がない。と言っても過言ではない。
それなのに、なぜ、椎菜と闘いたかったのか……。
雪那はため息一つ。
「……。そんなの決まっているじゃない? 雪は闘いで脚を失った時に、魔法で車椅子を作って闘いを続行出来るように車椅子操作を習おうと思っただけのことよ」
「そ、そんな魔法があんのかよ?」
「ええ、あるわ。雪魔法と、氷魔法には、ね。そんなことより、あなたはなぜ、そんな名前の呼び方に……」
「さぁ。椎菜! 早く教えてくれ!」
自分にまずい流れになったと、感じた姫乃は無理やり椎菜に話を振り、それを回避。
「う、うん。わかった。あのね。車椅子は手を離すと何秒間かは加速していくんだ。だからね。何回か全力で漕いで、手を離して加速。スピードが落ちてきたって感じたら、何回か全力で漕いで、手を離して加速。その繰り返しだったら、疲れないよ?」
「なるほどな……」「「なるほど……」」
三人はまさに目から鱗の解説に、同時にそのような声を漏らした。
丁度、その時、試合が終わった三紅とモカが帰ってきた。
「し、椎菜、どうだった?」
「あー、ごめん。見てなかった」
「また!? 本当にあたしグレるよ!?」
小動物のように、頬を脹らませる三紅。
そんな三紅を放っておいて、姫乃、守晴、雪那はそそくさと、練習へと向かう。
そんな中、三紅と同様、帰ってきたモカはというと、三紅にもたれ掛かるようにバックハグしていた。
「で、何をしているのかな~? モカ」
「えー、疲れたから、ちっちゃくて可愛い、錦織さんせい……」
一本背負いの要領で投げ飛ばす三紅。
投げ飛ばされたモカは何事もなかったかのように立ち上がる。
というやり取りまでが、三紅とモカのワンセットである。
そして、姫乃、守晴、雪那の走りは、最後までスタミナ切れを起こすことなく、走りきったうえ、タイムも五秒ほど縮まった。
のは良いものの、向上した三人。それでも椎菜には一度も勝てることはなかった。