椎菜と姫乃の怒り
ここ、聖ブルーローズ学園は、入学やクラス替えが多い新年度初めにクラスや、学校、先輩後輩同級生などに慣れ浸しむのを目的として体育祭が行われている。
例年通りなら、聖ブルーローズ学園が誇る三大優良部活――より具体的には生徒会、風紀委員、報道部――を主軸に三つのチーム別れることとなっている。
と、まぁ。これが例年通りのやり方だ。
しかし、今回は理事長のはばかりごとにより例年とは違うやり方となっている。
「ええ……。というわけですね。今年の体育祭は、カフェオンライン部のファンクラブ会員対抗戦になります。組み合わせはそれぞれの能力を査定して、姫乃チーム、守晴チーム、三紅・モカ・椎菜チームになります……」
二千三十九年五月十六日の月曜日。
一年四組。姫乃と守晴の教室。
朝のホームルームの時間に、体育祭のプリントを配り、無気力そうに読み上げる五十代中頃の男性教員。
その説明に興奮沸き立つ四十人前後の生徒達。
その中で、ただ二人。興奮せずに聞いていたのは、カフェオンライン部の部員である姫乃と守晴だった。
姫乃と守晴はとある事情から隣合う席に座っている。
隣に守晴は礼儀正しく、背筋をピシャンっと伸ばし聞いているのに対し、姫乃は机を勢い良く叩き、立ち上がる。
「こらー。白雪。いきなり大きな音をたてるなー」
力なく指摘する教員に、鋭い剣幕で睨む。
「ぁん?」
「ヒッ!」
教員が情けないことに、怯んでいる隙に姫乃は、教室をあとにする。
姫乃が教室から出ていったその数秒後。
教員はまだあまりの恐怖き声が上手く出せなく、年甲斐もない涙を滲ませている目で、守晴を見て、教室の外にゆっくりと目線を送る。
守晴はそんな意図を悟り、ため息を一つ。
その後、おもむろに立ち上がり、教室をあとにする。
しばらくして、守晴は早歩きでどこかに向かう姫乃に追い付いた。
守晴が隣に並び立つと、それを見るでもなく姫乃の声。
「まぁた。担任の使いっぱしりにされてんのか?」
「そうだ」
怒りが抑えられない姫乃の問いに、感情が一切、表に出していない守晴は短く答える。
姫乃が吐き捨てるように言う。
「ケッ……! お前も大変だな」
「そう思ってくれるのであれば、もう少し真面目になったらありがたいのだが?」
「嫌だね。そんなめんどくせぇこと、誰がするか! 学校の授業なんざ卒業するための単位を稼げればどうたっていいんだよ」
「そうか。そういうものなのか……。それはおいといてどこへ行く?」
「ぁん? 決まってるだろが――」
そこで、目的地に付いたようで、ドアをノックもせずに、足蹴りで開け放つ姫乃。
「――邪魔します。おい、理事長いやがるんでしょ? 体育祭のあれはどういうことでやがりますで……」
姫乃が乱暴に開け放ったのは、理事長室である。
その部屋は相も変わらず、理事長でカフェオンライン部の顧問でもある、神坂詩野の趣味のもの……。といっても、高坂柚季の盗撮写真やら非公式グッズやらでごった返していた。
そんなカオスな部屋の最奥。
理事長机に座る、この下品で悪趣味な子供めいた部屋とは対称的な人物。
気品溢れ、大人の色気溢れる黒ずくめの服に身を染めた神坂に、怒声を浴びせる先客。
「ちょっと、これ、どういうこと!? 姉ちゃん!!!」
『姉ちゃん』。その言葉だけで、先客の正体が分かる。
神坂を姉ちゃんと呼ぶのは、この学園でただ一人。
彼女の実妹。藍色の髪を持ち、右目を常に眼帯で覆い隠しており、そのうえ白の車椅子に乗っている。そんな良くも悪くも個性の固まりである椎菜だ。
そんな椎菜に怒られているのにも関わらず、鼻の下を伸ばしている神坂。
「うんうん。やっぱり起こっている顔も可愛いわよ」
「姉ちゃん! ボクは本気で怒っているんだよ!? また皆を巻き込んじゃって!」
「ああ。そのことなら問題ないわ。三紅さんも宮坂さんも面白そうだからって賛成だそうよ。他の生徒達もファンクラブ対抗だから今ごろ燃えている頃でしょう」
「そういう問題じゃない! ボク言ったよね!? ここに入学する条件としてボクを特別扱いしないで! って!!?」
「あら、別に特別扱いなんてしてないわ。この学園では私が着任する前から、そういう案が生徒会から上がっていたそうよ? なんなら議事録を確認して見る?」
そう言い終わると、机下からなんとも準備の良いことに、生徒会の五年分の議事録をまとめた分厚いファイルを二つ。系十年分を取り出した神坂。
「どうせ、それも偽装してるんでしょ!?」
そんな姉妹喧嘩を目の当たりにした姫乃は、怒りの熱がやや冷え、冷静さを取り戻した。
守晴とアイコンタクトを交わした後に、肩を竦め、ため息。
刹那。呆れ声を発しながら、言い争っている二人の元へと向かう。
「おいおい、オレも納得しちゃいねぇぞ?」
その声に反応し、満面の笑みで振り向く椎菜。
「姫乃! 守晴! 二人も体育祭の内容に講義を?」
「まぁな。オレはそうだが、こいつはオレのお目付け役として、な?」
椎菜と神坂の側まで来た姫乃が苦笑しながら、後ろを付いてくる守晴に話を振る。
「あたいも聞いていないな。その話……」
「お、言ってやれ言ってやれ」
守晴を囃し立てるように言った姫乃ではあるが、次の瞬間、守晴の口から出る言葉に囃し立てたことを公開することとなったのはいうまでもない。
「あたいは姫乃と闘えるのであれば構わないが」
「おい……」
唸るように突っ込む姫乃。
神坂は微笑みながら答える。
「ええ、もちろんよ。あなたとは姫乃さんと椎菜しか相手にならないでしょうから」
「うむ。それならあたいも合意しよう」
「おい! さっきから何勝手に話進めてんだよ!? オレはまだ、やるとは一言も……」
「じゃ、条件付きであなたが各種目で、一位を取る度、私のポケットマネーから好きなものを一つ買って上げる」
否定的な姫乃の口を封じるために、神坂はそういう条件を出す。
「す、好きなものって何でもか?」
「ええ、何でも……。といっても、家とか土地。企業、団体はさすがに無理だけどね」
「そんなものは頼まねえよ。金額の上限はねえの?」
「ひ、姫乃……。まさか?」
椎菜の動揺した声。
「そうね。先ほども例に上げたけど、家や土地といった大きいものはさすがに、ね? んー、規定は車の軽自動車のトランクに乗れるような大きさまでなら値段の上限はないわ。ただし、金塊はなし」
「だから、そんなもの頼まねえって! それよりウソじゃねぇだよな?」
「ええ、本当よ」
「で、その条件とは?」
「裏切り者!!」
椎菜はなんとも手のひら返しな姫乃に涙目で突っ込みを入れる。
「簡単な話よ。その勝負で椎菜が本気だったら。よ」
「おお! って、なんで椎菜?」
その答えは、神坂の口からではなく、椎菜の拗ねたように尖らせた口から告げられる。
「それはね。守晴と姫乃がボクと同じく車椅子で競技に参加するっていうこと」
すかさず、神坂が補足説明。
「そう。この学園では昔から、車椅子を体育祭の競技に取り入れようとしている動きがあった……」
「あー、そんなの興味はねぇよ。要するに、椎菜が棄権したらオレと理事長の約束も無しって言うことだろ?」
「ま、そうね……」
「椎菜が棄権するなら、姫乃は本気にならない。それで良いか?」
守晴の確認の声に、姫乃は首を捻りながら、答える。
「ん? ああ、そうなるか。賞品がないと、汗だくで走るのもアホらしいしな……。その場合、オレは適当に流して貰うぜ……」
守晴の苦笑。
「そうか。じゃぁ」
「ああ……」
二人は頷き合い、不適な笑みを浮かべ、椎菜を説得にかかる。
これには、椎菜も根負けするしかなかった。