開店準備
二千三十九年四月二十五日の月曜日。
一時限目の授業が始まる一時間前。
カフェオンライン部の朝は早い――といっても調理スタッフのという枕詞がつくが――
チリンチリン……。
ドアベルが微かになる。店の奥。厨房に控えめな証照明が灯っている。
そこに肩までの金髪を靡かせながら手慣れた動きでてきぱき動く人物。頭部のアホ毛が左右に揺れている。
「おーす。モカ。いつもすまないな」
不意に呼ばれたモカはいったん作業を中断し、入り口の方へと目線を向ける。
そこには、腰までに長い栗色の髪を一つに結わえたスレンダーな女性。その両手には彼女の家の近くにある二十四時間営業のスーパーのレジ袋がそれぞれ二つずつ。
まったく……。そんな枝のような腕と脚でどうやってそんな大きな袋四つ持っていられるんですか?
モカはその様なことを脳内で巡らしながら苦笑を浮かばせる。
「おはようございます。白雪姫さん。いえ、白雪姫さんの方がいつも大変でしょう?」
「だーかーらー! オレをその呼び方で呼ぶのはよせって、何回言ったらわかんだよ!」
鋭い眼光で睨み付ける。姫野に対し、モカは指を頬に当て首を傾げる。
「じゃ、Snow Whiteさん?」
「英語にしただけじゃねえか!? てかなんでお前そんな発音良いんだよ!」
「父がノルウェー人なものでして……」
「な、なるほどな……。ってあり? ノルウェーて母国語英語だっけか?」
「いえ、ノルウェー語です」
「だったら、関係ないじゃねえか!?」
姫野は、勝ってきた材料を取り出しやすいように冷蔵庫に入れながら、突っ込んだ。
「父は、昔ノルウェーで外交官の通訳をしてました。そんな父は『今の時代、英語くらい喋れないとこの先、生きるの難しくなるぞ。』それが口癖でして、家では英語をしゃべるんですよね」
「なるほどな……。って、やっぱり父親がノルウェー人なのと、まったく関係ないじゃねえか……。じゃぁ、母親も大変じゃねえの?」
型に流し込んだ生地をオーブンに入れたモカは、生クリームを作り出しながら、当たり前のように声。
「いえ、母も通訳をしていましたので、英語はペラペラですよ?」
「エリートじゃねえか!? って、していたって、じゃ、今はやってねえの?」
今日の天候、温度等を考慮して、適したコーヒーのブレンドを決め、コーヒー豆の選別をしている姫野が疑問をぶつけた。
刹那、モカは頷き返す。
「はい。なんでも、父はキレイな外人さんと結婚したくて、出逢いを求める為に外交官よ通訳に成り上がったようですし、母はケーキ屋を開きたくて、その資金を稼ぐために、 仕方なく五ヶ国語を覚え、通訳をしてたようですから」
「って、動機が不純な上に、それでなっちまうなんてすげーな……。に、しても、なるほどな。それで、ケーキ作り上手いのか……」
「本当ですか……。白雪姫さんにそう言って貰い光栄です」
「だから、オレをその呼び方するなって……」
ため息混じりに締め括ると、モカがオーブンから焼き上がったスポンジを取り出し、続けて第二段を投入しながら声。
「その方が可愛いですのに……」
「つくづく、人の黒歴史を抉ってくるな。オマエ……」
「そうですか?」
「ああ、そうだよ。というか、オマエ、いつの間にコーヒー豆の選別出来るようになったんだ?」
コーヒーを煎りながら声を掛けるも、間に生クリームと苺を挟んだ丸いスポンジケーキを十二等分に切り分けながら声。
「ああ、それは、あたしじゃなくてですね……」
モカが言葉を濁すと、ほぼ同時に着替え室兼備品置き場の扉がカララと微かな音を立て開く。
「掃除終わったよ~!」
そう元気に言いながら、そこからまず出てきたのは、白の車イスのフレーム。藍色のショートカットにオニキス色の左目の人物。
「お疲れ様です。椎菜さん」
モカに労いの言葉に椎菜は首を振りながら自身に対する嘲笑を顔に出す。
「ううん、ボクが出来ることはこれくらいしか出来ないから。だって、ボク開店してからずっとゲームしっぱなしじゃん。皆が頑張ってるのに、一人だけズルいよ……」
その言い草を聞き、姫野は思わず失笑。
「……。そんな事、気にしてたのか?」
「う、うん……」
しおらしく頷く椎菜。それに姫野は微笑で答える。
「良いんだよ。オレ達も好きなことやってんだから。それに、前にも言ったろ? この部の経営は、実質、お前にかかってんだ」
「で、でも……」
「まぁ、もし、お前がどうしても罪悪感が拭えないて言うんなら、夏休みに皆で楽しく旅行するために、あんま負けないでくれたらそれで良い。だって、お前は実質金庫番なんだからな」
「ほ、ボクが金庫番……?」
口を開けたまま固まっていると、姫野が不適な笑みを浮かべ、最後のだめ押しに入る。
「ああ、そうだ。万が一、お前が負け続けたら無料パスが大量に出回ることになる。そうすると、自ずと収入が減り、赤字になる。そうすると、旅行も行けなくなるだろ?」
「た、確かに……」
「だろ? だから、お前はしっかりと金庫番の任務をしておけ。良いな?」
「う、うん。わかった。ボク頑張ってみる」
はにかんだ笑みを浮かべる椎菜に、モカは「それに――」と、言葉を付け加える。
「――忙しいのはリニューアルオープンした最初の時だけです。おそらく、一ヶ月程度で対戦も一段落するでしょうから。その時はこき使いますから覚悟しておいてくださいね」
「それもそうだな」
「うん。任せてよ!」
椎菜はない胸を自信満々に力強く叩き言い切る。
その数秒後、姫野とモカは唐突に笑い出す。それにつられたのか、単に気恥ずかしくなっただけなのか、椎菜はおもむろに笑みが零れた。
数分に渡り笑い会った後に、姫野が椎菜に真剣な眼差しで聞く。
「なあ、椎菜。このコーヒー豆の選別、お前がしたのか?」
「え? あ。う、うん……。そうだけど、何か不味かったかな?」
椎菜は再度表情を曇らせる。
「い、いや、まずいというよりだな。そのあれだ――」
歯切れの悪い言葉を発しながら頭をかきむしる仕草をする姫野。やがて、拗ねたように口を尖らせる。
「――完璧、過ぎんだよ」
――そう、完璧過ぎるのだ。姫野は四段階に選別している。
まず、使い物にならない豆。これはある程度の慣れで分かる。現に一時期、ハマった三紅でさえ出来るようなくらいだ。
次に、コーヒーマニアの為の……。お得意様用の豆。これも、コツさえ解れば出来るようなる。現に、調理担当のモカはそのコツを教えたら、すぐに出来るようなった。
そして、最難関なのは、一般客に提供するコーヒー用の豆とカフェオレ用や調理に回す用の豆。これは、姫野のさじ加減だ。故に、姫野にしかわからない。
それなのに、椎菜はその四種類の餞別を完璧にしたのである――それを聞いた椎菜は天使のような笑みを浮かべる。
「え? ほんと!? だったら嬉しいな!」
体全体を使い喜ぶ椎菜に、姫野は悔しがりながら、それを押し込めて問い質す。
「な、なぁ……。椎菜?」
「なぁに?」
「一つ聞いて良いか?」
「うん!」
「椎菜、お前もコーヒー好きなのか?」
その質問に少し戸惑ったものの、苦笑しながら首を振った。縦ではなく横に……。
「ううん。コーヒーは嫌い。だって苦いんだもん」
「だったらなんでわかったんだ?」
姫野は鋭い眼を更に鋭くし、訝しげに聞くと、椎菜はそれに臆することなく「うーん」と、唸り声を何度か出し考える。
その後に椎菜が出した答え。それは……。
「なんとなく?」
「は?」
思いがけない答えに姫野は間抜けな声を出す。対し、聞き取れなかったのかと思いもう一度言う椎菜。
「だからさ。なんとなく?」
「オレは、この域まで辿り着くのに、五年はかかってんだ。それを勘で完璧に選別させられたら自信なくすぞ?」
「いや、ほら。ボク、ゲーマーじゃん? だから、そのクセとか法則性を見つけるの得意なんだよね……」
必死にフォローを入れようとするも、それは逆効果だったようで、
「な、なんだよ、それぇ……?」
という、姫野の情けない声が、部室内に木霊した。
そして、この日をさかいに、椎菜も、朝の準備に本格的に加わるようになった。
今日はここまでとなります♪
次回は、明日の夜10時になります!
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