第25話 ゴルゼイの教え子
クラー領の小競り合いは、既に内戦と呼んで良いほどまでに進行していた。
本来ならば帝国が軍を動かして治めるべき事案だ、それが私に不利な状況になるにしても。
他国と違い中央集権、皇帝の権力が強い帝国ではそれが当然の流れだ。
だと言うのに、クラー領の小競り合いが起きて早数カ月、その間に帝国が動いた痕跡はない。
前領主にしてクラー領の内戦の片棒を担ぐテランスが私に対して敵意を抱いていることくらいは知っているだろうに……。
私が帝国側ならば、話は簡単だ。
テランスを支援する兵を派兵して終わり。
より強大な敵がいるにしても足元のぼやをしっかり消さねば思わぬ所で綻びが出来る。
確かに私と言う敵がいるから多方面へ兵を派遣するのはまずいと考えたのかも知れない。
だが、それにしたって帝国の動きはあまりに鈍い。
結局、アルスター平原での戦いが終わると東方諸国の動きもきな臭くなり、より身動きが取りづらい状況に陥っている。
私に言わせれば自業自得だが……これは、どこまでロスカーンの意が及んでいるのか。
奴のやろうとしている事は盛大な自殺、ギザイアとの心中だ。
だから、帝国の動きが鈍くなるのは分からなくもない。
しかし、だ。
帝国の大多数が国の滅びを望んでいる訳じゃないだろう。
そうなればなんらかの動きを見せるはずなのだ。
皇帝に逆らっても兵を派兵したりする輩はいなかったのか?
私であれば……。
そこまで考えが至れば大きく息を吐き出さざる得ない。
「だから、国を追われる羽目になる、か」
そう、黙って従う方が簡単だし家族を守るのもその方が容易い。
余計な口出しをして問題を抱え込むよりも命令に従う方が容易いのだ。
だが、私はそれが出来なかった。
理想とかそう言った物の為ではなく、ただただ不快で我慢できなかったのだ。
圧政と言う物が。
自身は安全な所にいて平然と死を命じるが如きあり方が。
僅かな賃金を与えるだけで雇った者の全てを支配するが如きあり様が。
魂の根底に刻み込まれた傷が疼くかのように、私はそれらが不快に感じて大嫌いだった。
ゾス帝国は集権国家、だが先帝の時代はそう言う色は、つまりは圧政は少なかった。
先帝は自身の権力をどう行使すれば良いのかを熟知しており、無体な事をすると国に綻びが出る事も知っておられた。
国に綻びが生じれば、己の足元が危うい事も当然分かっておられたのだろう。
それ故に自身の節制に気を使われていたように今ならば思う。
それは統治が上手く行く秘訣でもあった訳だ。
だが、どれほど最良の政治を行っても不満を抱く者は出てくる。
それなのに不満を抱く者に対する苛立ちを律し、自身の欲をも律し続けてゾス帝国の体制を盤石な物にしていた。
立場が違えば違った見解もあるのだろうが、私はそう感じているしそうであるからこそ忠誠を捧ぐに値したのだ。
それを行っていたのは何も先帝ばかりではない。
歴代皇帝が責務として行っていた行為だ。
ファルマレウス殿下もまた、そのように振舞おうと努力されていたのが察せられた。
レトゥルス殿下もまた同じく。
だが、ロスカーンにはそれがない。
当初は見え隠れしていたが、最近では全く見る事はなくなった。
自身を律せぬ者が国政を我が物顔で操るなどゾス帝国には不幸でしかない。
今回の盛大な心中だって国にとっては良い迷惑、どころかとんでもない話だ。
どうして、誰も意見しないのか。
カルーザスは、セスティーは、パルドは、テンウは……。
何故諫めないのか。
彼らは私より優れた手腕を持つ将軍だ、カルーザスは元より他の将軍も成長著しい。
なのに、何故に主を諫めず諾々と従うのか。
それで死んでいく兵士が納得するとでも思っているのか?
いや……反旗を翻した私自身が最も罪深いのは分かる。
分かるが……元同僚たちに対してどうしても怒りを禁じえないのは、私が身勝手なためだろうか。
……もし、コンラッド卿が生きておられたらどう言われただろうか。
或いは、引退されたゴルゼイ将軍ならば……。
この様に私が今後の方針を考えながら、次第に元同僚たちの在り方に怒りを抱き始めていた時に彼らの来訪が告げられた。
丁度、脳裏によぎったゴルゼイ将軍の懐刀であったギーラン殿と年若き娘の来訪を。
※ ※
「ロガ王にはご機嫌麗しゅう」
「おやめください、ギーラン殿。貴方にそう言われるのはこそばゆい所か気分が沈みます」
「ベルシス殿は相変わらずでございますな」
急遽作られた玉座の間で老人と若い娘二人に相対する。
その傍らには伯母上や叔父上、それに三勇者とその仲間たちが控えていた。
「ゴルゼイ殿はお怒りでしょうね」
「ええ、ベルシス殿を手放さざる得なかった帝国の無能さに歯噛みしておりますな」
「ゴルゼイ殿が私をそこまで高く評価していたとは存じ上げませんでしたが」
「ベルシス殿がカナギシュを抑え込んでいた時から高く評価しておりましたよ。でなければ、我らはここに来ておりません」
それは私が十代の話か?
であれば大分前から期待されていたのだな……。
「初めてお会いした時も申しましたでしょう? ダヌア卿は不器用ゆえ言葉が足らぬのです」
「ただ、貴方の言葉を聞きゴルゼイ殿の器の大きさに感嘆した物ですよ、臆さずに人を使うとはああ言うものかと」
「それを聞けば、ダヌア卿も喜びましょうな」
儀礼的とばかりではないと思うが、昔話に花を咲かせていたが不意にギーラン殿が真面目な表情になる。
私もつられて居住まいを正す。
「ダヌア卿よりロガ王即位に際して、祝いの言葉と品がございます。帝国の命運は付きかけている、そこにロガ王が起ったことは喜ばしい。老いた巨獣を仕留めればロガ王こそガト大陸に盤石な支配体制を築こう。わしもロガ王の手助けをするべく祝いの品を送る、そう申されました」
「帝国は……ゴルゼイ殿の目から見ても、そう映るのですね」
私の言葉にギーラン殿は一つ肩を竦め。
「祝いの品は我らが軍略、計略、調略の全てを叩きこみましたこちらの娘。サンドラ、挨拶せよ」
「お初にお目に掛かります、ロガ王ベルシス殿。私はサンドラ、ゴルゼイ先生、ギーラン先生より戦うすべを叩きこまれました。ロガ王が今の道を進むのであれば我が才を存分にお使いください」
そう告げて一礼しながらも、青い双眸を眇めて私を値踏みする若い娘。
一目見て感じるのは、こいつはヤバイと言う直観だ。
どこかカルーザスにも似ている雰囲気を感じるが、それ以上に剣呑さが肌にチクチクと感じる。
劇薬、か。
だが、王となる以上は人を使うに臆してはならない。
例え、己の寝首を掻こうとする輩であっても、使いこなしてこそゾスという強敵と戦えるのだ。
「……よろしく頼む。ゴルゼイ殿、ギーラン殿が認めるその才に早速聞きたい。クラー家の内紛にどうかかわるべきか。当然その辺りも調べてきているのだろう?」
彼女が調べていなくともギーラン殿ならば調べているだろうと質問すると、サンドラと言う名の娘はにこりと笑みを浮かべて。
「ただのお人よしではない様子で安堵しました、陛下。正直に言えば兵を動かすのは得策ではありません。クラー領まで軍を動かすとなると他領の領主を刺激します。一番得策なのは、ルダイに替え玉を置き、王と少数の人数でクラー領に向かいエタン殿の部隊を指揮する事です」
「なに?」
「以前もそうされたはずでは? ですが今回は勇者殿を一人は連れても良いでしょう」
澄まして告げる彼女の言葉に、周囲から微かなざわめきが起きた。
ローデンよりの援軍と合流するために使った方法を彼女が見破っているからだ。
「何故、それを?」
「クラー領付近までまとまって動き、警戒の対象であったローデンの兵士達。彼らは突如として霧散してしまい、いつの間にかルダイにいた。となれば、ロガ王が何かしらの策を用いたと考えるのは普通では?」
それはそうだが、何故私たちの取った手法まで分かったのか。
「言ったでありましょう、ベルシス殿。サンドラには軍略、計略、調略の全てを叩きこんだと」
私の驚きを感じ取ってかギーラン殿がそう笑った。
これは、もしかしたら、本当にとんでもない祝いの品かも知れない……。