第16話 決戦に向けて
フィスル殿は片膝を付いたまま語った。
「当初はロスカーンがどの程度の人物なのか知るために講和の使者として出向いた。まさか、三勇者に対してあんな事を言い出すとは思っていなかったけれど。でも、将軍とのやり取りで分った。あれは言うなれば盛大な自殺の前段階」
ギザイアと言う女に絡め取られ、逃げるに逃げ出せずに帝国を破壊していくだけの自分。
それにきっと嫌気がさしているのに、ギザイアからは逃げ出せない。
だから、あんな無体な事も言うし、抗議した私を追放するだけにとどめたと考えたのだそうだ。
実は、その考えに異論はない。
「心が弱い。バルハドリアの息子たちの中で一番心が弱い。そんな彼が生き残ってしまっているのがゾスの不幸」
「……」
思わず拳を握っていた。
分っている事だ、分っているんだ。
ロスカーンは馬鹿者だ。
ギザイアから逃れたいだけならやりようは幾らでもあるのに、ギザイアから離れられないのだ。
だったら、心から暗君となってしまえば良い物を、彼はそれにも徹しきれない。
イーレス様の教えや実兄であるレトゥルス殿下の振る舞いが彼の脳裏にこびり付いて離れないのだろう。
どれほど享楽に耽ろうとも、まるで呪のように自身を苛んでいる。
そこに苦悶があるから、それを知るからこそロギャーニ親衛隊も、カルーザスも裏切れない。
唯一、私だけが反旗を翻している訳だ。
「……主の不正をただすのが部下の道、例え内乱になってもそれを行うロガ将軍は」
「やはり、馬鹿者であろうよ……」
思いの外暗い声が出た。
「怒っているね」
「フィスル殿の言わんとしている事は事実だし、私は反旗を翻した。だが、何故だろうな、他者に指摘されると……腸が煮えくり返るんだ」
「そういう人物でなければ、ある種の自殺や国の後を任せたりしない。その点はロスカーンも人を見る目はあると言う事」
そう告げてニコリと笑みを浮かべてフィスル殿はさらに続けた。
「その様な性分であるからこそ盟を結ぶに足るんだ、ロガ将軍。いや、ロガ王ベルシス殿」
ナイトランドの中では私が王になると確定事項の様だ。
それはつまり……私が内戦の勝利者になると考えていると言う事でもある。
「何故?」
「魂語りのジャックが魔王様に言うんだ、将軍は必ずや王になるって。メルディスも言う、将軍はその程度の才覚はあるって。そしたらジャネスもあの戦い方を徹底するならば、確かに勝機はあるかもなってそれぞれ進言した」
「……君は私をどう見ている?」
「才覚だけで言えばゾスの新たな皇帝にだってなれるんじゃない? ただ、それを欲する人格では盟を結ぶことは勧めなかったけれど」
そいつを求めている訳じゃない事は分かって貰えている様で何よりだ。
私は大きく息を吸い込んで、それからゆっくり吐き出すと気持ちを切り替える。
「同盟を結ぶのに、どのような条件が必要なのだ?」
「それを決めるのは魔王様とロガ王でしょう。私が決める事でもないし、メルディスが決める事でもない」
「メルディスは私の才覚がどうとか言っていたが、それは条件ではないのか?」
「それはメルディスのある種の見栄だから気にしないで」
何か言いたげに口をパクパクさせているメルディスだったが、結局は言葉を挟んではこなかった。
ナイトランドの八部衆と言えども結構な差がある様だ。
つまり、この場ではフィスル殿が魔王の名代か。
そんな人物がすぐ間近に今までいたと言う事は冷や汗ものだが、正直それどころではなかったしなぁ。
「では、ナイトランドの兵は動かないと言うのはどうなる? 流石にその決断はメルディスの独断ではないだろう?」
「その辺は臨機応変に。魔王様も軍を動かした以上は相応の覚悟はしている」
「悪いがカナトス王国と待遇に差は付けないぞ。兵を派遣した以上は遠慮はしないぞ」
出来たら無傷で帰ってもらいたいんだけれども。
そんなのんきな事を言っていられる状況ではない。
「そりゃね、あちらはカナトス王自ら出陣している訳だし。それが分かっていたらもう少し段取りとか取ったんだけどね。ポンコツ女狐が勇み足で策を弄するから……」
メルディスの狐耳がピンと立ったかと思えば力なく垂れ下がった。
と言うか、フィスル殿も口調がいつも通りに変わっていく。
きっといつものが素なのだろう。
「ローラン王に挨拶伺いにもいかねばならないが、それは全て後回しだ。ナイトランド軍の騎兵はどの程度の規模だろうか?」
「三千。いつでも突っ込めるぜ?」
私の問いかけにジャネスがにやりと笑って応えた。
それは頼もしい事で……。
「それではシグリッド殿、カナトス王ローラン殿に伝令を願いたい。突撃ラッパの合図とともに我が方の騎兵全てで敵中央、セスティー将軍の本陣に強襲を掛ける。突貫した後は大きく旋回し包囲作戦に移行したい。その間にロガ軍は援護射撃の後に前進を開始する」
「打って出るのですね?」
「先ほど献策頂いたが、やはりその手で行こうと思う。敵が動揺している今がチャンスだ」
私がそう告げると、シグリッド殿は頷き天幕を後にした。
「俺たちはどうする? 馬に乗れなくはないが……」
「リウシス殿には歩兵の指揮を任せたい」
「やってみよう」
「ロガ王はどうするの?」
フィスル殿の問いかけに私は軽く肩を竦めて。
「馬に乗って先陣を担わないと。そうでなくば誰が私についてくるのか?」
「アタシは付いてくよ!」
今まで黙っていたコーデリア殿が右手をいっぱいに上げて、はいはいと声を張り上げた。
「コーデリアが行くんじゃ、私も行こうかな。久々にこの姿に成った訳だし」
「フィスルが行くのか? じゃあ、急いで戻って準備しないとな、手柄を全部持っていかれる」
コーデリア殿の言葉に反応したフィスル殿、そしてその言葉に応えるようにジャネスが慌てたように天幕を後にする。
「突撃の合図は――」
「ラッパだろう? 分かってるよ」
それだけ告げて来た時同様、慌ただしくジャネスは去っていった。
さて、そうなると……。
「んで、君はどうするんだ、メルディス?」
「どうしてこうなったんじゃ!」
「知らないよ……」
天を仰いで嘆くメルディスに肩を竦めて答えると、私も突撃の下知を飛ばすために天幕を出ようとする。
「将軍」
私の背にフィスル殿が声をかけて来た。
「何か?」
「同盟を結ぶには将軍が生きてないと駄目だよ」
「心得た。と言うか元より死ぬ気はない」
そう答えると、それはそうでしょうけどとフィスル殿は肩を竦める。
そして、コーデリア殿とフィスル殿が久々だとか和気あいあいと会話している様子を背中で聞きながら、私は天幕の外に出る。
平原での戦いは騎兵が物を言う。
騎兵の機動力と破壊力が全てと言っても過言ではない。
だからカナギシュ騎兵、ゾス帝国騎兵双方の利点を生かすための陣分けは済ませてあるが、果たして上手く行くだろうか……。
ただ、上手く行かずともナイトランド、カナトスともに騎兵が強い事で有名だ。
そうであれば、ここで三将軍を打ち破れる公算は高くなった。
高くなったが……決して油断はしない。
三将軍は誰もが成長している、私が知る彼らではない。
油断せずに戦わねばならない。
そう決意を新たにした私が、突撃ラッパを吹かせるのはそれから半刻もしないうちにだった。
そして、アルスター平原における最後の会戦が幕を開ける。