第6話 二つの敵
三将軍の進軍は、一体どの程度の規模になるのか、いつ進軍して来るのか情報をかき集める日々が続いているが、私が今一番懸念しているのはアーリー将軍の存在だ。
トウラ卿がどのような意図で送り込んだのかは分からない。
だが、鳴り物入りで八大将軍になり、功績を上げんとロガの地に進んだが、五分の一の兵数であるロガ軍に敗北してしった彼女の焦りはどれ程の物だろう。
そう、この様に相手の立場になって考える事が戦では重要だ。
戦以外でも重要なことかもしれないが……。
そう教えてくれたのはカルーザスだった。
彼に一度問うたことがある、何故そうも敵将の動きを見極めることが出来るのかと。
すると、カルーザスは肩を竦めて答えた。
「逆に私から問うが、何故君はそれほどうまく補給路を構築して、物資を送り届けられるんだ?」
「……私は兵の動向を気にし、彼らがここで物資が届かないと困ると言う不安を読み取り、そうはならないように苦心している。補給線を叩く際は逆の……ああ、そう言う事か」
「そうだ。相手の状況を踏まえて自分ならばどうするのか、何をやられたら困るのかを考えるだけさ」
余りにも簡単な物言いに、なるほどと頷きを返したがよくよく考えればとんでもない事を言っていたと今では思う。
ともあれ、彼の言葉通りにアーリーと言う将がどう動くのか、何をやられたら一番困り、何をしたら喜ぶのかを考えた。
八大将軍に抜擢されたのが誰の意図かは不明ではあるが、当人は物怖じせずに就任した。そこには何か理由があり、ある種の期待があった筈だ。
それが最初の仕事で躓いたとなれば?
未だ、軍の立て直しが上手く行っていない状況で、撤退するでもなくロガの地を伺うカムン領の一角に軍を置き続けている事で、凡その見当はつく。
なまじ能力があり矜持があり、そして目的があるから戻るに戻れない状況なのだろう。
確かにアーリー将軍やその取り巻きの能力は高く侮れないが、主に戦うのは配下の兵士達だ。
如何に優秀な将であっても部下が言う事を聞かなければ、その優秀さは発揮できない。
新任で、兵士達とのコミュニケーションをとる時間も無く出陣し、敗北となれば、その求心力は低下する。
特に傷病兵を捕虜と共に帰陣させた事でその対処に労力が削られている状況だ、その心中はどれ程荒れてるのか。
極めつけは……。
「閣下、敵の輜重隊を撃滅いたしました」
「よくやった、物資は奪えたか?」
「六万弱の兵士の物資としては少ないですが、わが軍の兵数には十分な量は確保しました。ただ……」
「あの頻度でその量では図らずともアーリー軍団は飢えだしただろうな。しかし、物資は私たちが有効に使わせてもらおう」
帝都からの補給が滞りがちであり、なおかつ私が補給線を徹底的に叩いている事だ。
カムンの領民には可哀想な事をしているが、易々と滅ぼされる訳にはいかない。
それに……。
「ベルシス、それではアンジェリカ殿の働きかけと言う事でロガ領の食物をカムンに流しますよ?」
「領民にいきわたる様に神官たちには言い含めてください」
多少の援助はさせてもらう。
――さて、領民は飯が食えて軍隊が飯が食えない状況で何が起きるか私は良く知っている。
いきなり略奪はないだろう。
だが、軍とカムン領の間で軋轢が生じるのは目に見えている。
その時を待って、私はアーリー将軍が飛びつきたくなる餌を用意する予定だ。
起死回生の一手となる餌となれば、私の首以外にはないだろうから、命を掛けねばならないが。
どうも隻眼になってから、死の恐怖が薄らいでしまって碌なもんじゃない。
胃痛が恋しい訳じゃないが、自分を餌にする作戦を考えても嫌だなとすら思わなくなってきているのは、流石に不味い。
どこか壊れ始めているんだろうか……。
いつもと違った憂鬱を抱えながら、私は情報を集め続けた。
帝都より迫る三将軍の軍団と、カムン領に居座るアーリー軍団と言う二つの敵の情報を。
そして、一カ月と言う時間が流れた頃にアーリー軍団が駐屯している土地の領主に疎まれていると言う情報を手に入れた。
私ならば負けたと思えばこの距離なら帝都に戻り叱られる方を選んだだろうが……。
だが、敗軍の将を迎え入れられる程には、ロスカーンの怒りが収まっていないとも見受けられる。
アーリー将軍は戻って罷免されるだけでは済まないと言う恐れもあり帝都には戻れず、しかも補給は届かずでは兵士の心は一層離れる。
そこで、カムン領に補給の負担を強いた訳だ。
それがもう約一カ月も続くとなると、カムンの領主も悲鳴をあげざる得まい。
六万の前後の軍に飯を食わせるのは並大抵のことではない。
カムン領も貧乏ではないだろうが、その財政は圧迫されているのは火を見るより明らかだ。
そろそろ動くには頃合いだ。
これ以上待てばカムン領と帝国軍の間に埋める事の出来ない溝を作ってしまう可能性まで出てくる。
敵の敵は味方と言える状況でもない、余計な血は流れない方向で手早く済ませたい。
「そう言う訳で私はローデンの義勇兵を練兵すると言う名目でカムン領との境付近まで出向こうと思う」
軍議の席で私が皆に告げると、リウシス殿が肩を竦めて告げた。
「敵が困る状況を助けに行くのか?」
「領民を敵に回すのは得策じゃない。それに、二つの敵を抱えて戦えるほど戦力は潤沢じゃない。……確実に一つずつ叩く。それに……民に武器を向けるような軍隊を率いて来た訳じゃないし、そんな事はさせない」
最後のは長年帝国軍を率いて来た私の矜持、言い換えればエゴでしかないが。
それだけ告げれば異論はないようで、その案が採用された。
ただし、誰がアーリー将軍を釣り上げるかでは少し揉めた。
「少数で行くしかないなら、アタシが行くよ」
「大丈夫か? コーデリアはそそっかしい所があるからな。兵の指揮には興味がある、俺が行っても良いが」
「リウシスも指揮と言う意味では素人、ここは従軍経験がある私が赴き決着をつけるのが安全ではないでしょうか?」
「ええっ! アタシで大丈夫だよー」
何故か分からないがコーデリア殿がやたらと付いてきたがった。
練兵と言う表向きの理由がある以上は、カナトス騎兵であったシグリッド殿当りが適任かと思ったが……。
しかし、リウシス殿が兵の指揮に興味があるのは意外だった。
だが、確かに今後を考えればその辺りの能力の見極めをしておいた方が良いだろう。
少数戦闘の指揮と戦の指揮では意味合いがだいぶ違う。
レヌ川での戦いを鑑みるに、三人とも早々の能力はあるように思えるが……。
「気になる事がある。今回はコーデリア殿に頼めるだろうか?」
「アタシ? 良いよ、喜んで!」
ぐっとガッツポーズを取りながら喜びを露にするコーデリア殿を見やり、僅かに胸が痛んだ。
この様な明るく朗らかな娘まで戦に巻き込むのかと、今更ながらに。