第56話 ロガ領へ
ロギャーニ親衛隊。
その歴史は、カナン帝の御代にガト大陸北部ロギャーニ地方に住まう荒くれた男達が武勇に秀でた者を忠節の証として帝都に送った事より始まる。
武勇に優れ大酒飲みの男達は、その武骨さ、野蛮さからは想像しがたいほどに忠誠に篤い。
ゾス帝国軍の殆どが裏切っても、ロギャーニ親衛隊だけは決して皇帝を裏切らないとも言われている。
それだけ忠誠に篤い者達が、武勇に優れた大柄な男たちがしっかりとした鎧と盾、それに装飾の施されながらは無骨さが全く変わらない各々の得意とする武器で身を固めている。
ツェザルに率いられたそんな彼らが三十名ほど我々を取り囲んでいる。
いかに勇者殿が強かろうとも犠牲なく突破できるとは思えない。
命は無事でも怪我をしてしまうかもしれない、そうなれば帝都を一人も欠けることなく脱出できる目算は薄くなる。
と言うより、国賓に対してゾス帝国の者が刃を向ける状況など作りたくはなかった。
「最後のやりとりはどう解釈すれば良い?」
帝都の外へと歩きながら、不意に太った勇者殿ことリウシス殿が口を開く。
「前半のアレは単なる下劣な男であっただけだが、最後のアレは何だ?」
「アレばかりね、その年で健忘症?」
「少しは気を使っている事を察しろ」
即座にリウシス殿の連れの鍔の広い帽子をかぶった赤い髪の魔術師フレア殿が口を挟んでリウシス殿は唇を尖らせる。
彼らは常にそんな感じのやり取りをしている。
「……ギザイアのせいでしょうか」
「あの女、ゾスの中枢まで食い込んだのかよ」
リウシス殿の言葉を受けてかシグリッド殿がぼそりと呟くと、ロギャーニ親衛隊と勝るとも劣らないがっしりした体格の女戦士シーズ殿が口元を歪める。
ギザイアを連行された場面を見ているシグリッド殿には複雑な心境なのだろう。
「大丈夫ですか、コーディ?」
「大丈夫だよ、アンジェリカ。アタシ、思ったんだけど」
「何です?」
「こーてー陛下って苦しそうだなって」
周囲が話し出したことに安堵してか、神官が旅をする際に身にまとう事が多い白いローブと革のベルトやらを身にまとった女司祭アンジェリカ殿がコーデリア殿に問いかける。
コーデリア殿はいつもの様子で、つまり明るくどこか楽しげに答えた。
そして、放たれた言葉は自分のすぐ近くで魔道兵の攻撃がさく裂したような衝撃を私やロギャーニ親衛隊に与えた。
荒くれの男たちが、コーデリア殿をちらちらとみやり、そして幾人かはそっと頭を下げた。
先頭を行くツェザルの大きな肩も震えていた。
「……殺しておくべきだった」
あのような扱いを受けても相手をおもんばかれるコーデリア殿の精神性と、忠誠篤い男たちの葛藤、そして……ロスカーンへの憐憫が一つの形をとって思わず口をついた。
ギザイアを、あの時に殺しておくべきだった。
カナトス戦の会談の席で、有無を言わさずに。
私の発言は思いのほか響き、明らかに周囲の空気が変わった。
……迂闊だったか。
「ホロンを出たならば、ロガ領へ向かうが宜しいでしょう」
先頭を行くツェザルが口を開く。
「追放者が戻れば、それを口実に戦が」
「戻らなくとも、兵は動きます」
「なに?」
「帝都にて貴方を討ち、ロガの地を攻め血筋を絶やすのが目的ですから」
誰がそれを計画した? 皇帝か、コンハーラか? ……それとも。
「敵に情報を渡すのか?」
「追放された貴方がどう動くのかは分かりません。ですが、ロガ将軍ならば親族を見捨てないであろうとギェレが申しておりました」
「……私がロガの地に赴けば、予定外の行動をとったロスカーンに被害が及ばないと?」
「そう言う側面もありますな」
私を帝都より出ろとロスカーンが告げた際に、確かにコンハーラは言った。
それでは話が違うと。
ロスカーンは抗っているのかも知れない、ギザイアの堕落への誘いに。
しかし……。
「あの女が死ぬのならば、陛下もきっと死にましょう。恐るべき魔女なれど、我らは守らねばならない。幾つ屍を積み重ねようとも」
「……」
「陛下の側にお仕えし続けた我らだからこそ、知っている事もありましょう。……ゾス帝国長く続きすぎたのかも知れません。魔女の誘惑を跳ね返す力を失うほどに」
「……誰の言葉だ?」
諦めを感じさせる言葉は、ツェザルの物ではないように思えた。
皇帝ロスカーン自体がそう思っているのならば、それはとんだ勘違いだと声を大にして叫ぶ高った。
だが、実際はどうだ?
野盗の跋扈を止められず、治安は悪化の一途をたどっている。
対外的には東の大国ナイトランドと事を構え、税制は再び理不尽な物が蔓延り出している。
堕落した皇帝一人……いや、堕落させた一人の女の所為と言うよりは、長く続いてしまった国の弊害もそこに加わっているのではないか?
そんな国を立て直すにはどうすれば良い? 抜本的な改革? 言うのは容易いが行うのは至難だ。
「不死なる鳥は、完全なる灰の中より甦ると言われております」
「誰の言葉なのだ、それは!」
ツェザルの言葉は、まるで私に帝国を滅ぼせと言っているようにも聞こえ、思わず声を荒げる。
勇者一行が珍しい物を見たと言う風に私を見ているが、私はその視線に構っていられなかった。
「……外門にたどり着きました。誠に申し訳ないのですが、帝都より出て行ってください」
ツェザルは決して誰の言葉かは明かすことなく、振り返る事もなく私に向かってそう告げた。
ロギャーニ親衛隊の男たちが左右に分かれて道を作る。
外門の扉の向こうにはゼスやブルームと言った私に長く仕えた兵士たちが待っていた。
「彼らを率いて戦えと言う事か……」
「追放された貴方がどうなさるのかは、貴方の自由。脱走兵たちが何をしようとも、彼らの自由」
脱走兵と言う言葉に頭がくらくらする。
原隊を離れた以上はそう言わざる得なく、彼らは戻れば悪くすれば死罪だ。
返したりできる状況ではない事をむざむざと示された形だ。
己の人生を他人が敷いた道の上を歩かされているという感覚は、非常に不快な物だ。
だが、それ以上に彼らの託そうとしている物の重さが双肩に伸し掛かる。
悪政を敷く皇帝を討つ。
その一事を何より望んでいるのが、皇帝自身であると言う事実が彼の弱さと足掻きを如実に示している。
よりにもよってそれを私に託すとは、何を考えているんだ……。
怒りとも言えない思いを抱いたまま私は帝都の外へと出て、門前で待機している脱走兵どもに一喝を飛ばした。
「この馬鹿者どもが! 何故私から遠ざけたのか分かっているのか!」
「先刻承知! されど、気遣いは無用! 我らはロガ将軍の為に戦いましょう!」
馬上にてゼスが拳を掌で包む馬上礼を返しながら答えると、騎兵歩兵問わず同意の声が上がった。
……つまりは、帝国と一戦交えなくてはならない状況に陥った訳だ。
一息ついて本来の客人たちに振り返る。
「勇者様方は、私が責任をもって安全な国までお送りさせましょう」
「将軍はどうするんだ?」
「……私は……見捨てられませんので」
眼前の兵士も、親族も。
告げると、コーデリア殿が驚くべき発言をした。
「アタシも将軍は見捨てられないからついていく!」
と。