第34話 にじり寄る不安
メルディスより不確定ながら危険な情報を入手して数カ月、帝国に特に大きな動きはなかった。
魔王の国、ナイトランドでも何事もなかったようだが一国だけ異変が起きた国がある。
それはカナトス王国であった。
カナトス王国の国王アメデの妃であるドロテが病死した。
「急な病死は無い事ではないが……」
そう語るメルディスの口調は重々しい。
「一体何事が起きたのだ。以前語っていたオルキスグルブの放った凶手の行いなのか?」
「そう考えられない事もない、程度じゃな。カナトスの要人を殺して何とする? ガト大陸に食指を伸ばすのに、揺さぶる国がカナトスと言うのは……なぁ?」
メルディスは胸の前で腕を組んで、キセルを口にくわえている。
なんでも東の果てカユウの更に東の島国で使われる煙草をのむ為の道具だ。
最近は交流があり、こうしてナイトランドの大使邸の一室を借りて、情報交換を行う訳だが、メルディスは良く考え事をする際にキセルをくわえている。
くわえるだけで煙をのんでいる所は見た事が無いので、彼女にとって考えをまとめるために必要な道具なのかもしれない。
「そもそも、凶手の情報に確証はないのだろう?」
「ああ。だから、その情報を前提として考えると問題はあるじゃろうな。そして、その可能性の方が高い。だがなぁ、ベルシス。儂は間者の経験や直感を無碍には出来ぬ」
メルディスはまっすぐに私を見やって言い切る。
長年、ある仕事に従事した者の経験から来る感と言う奴は確かに侮れない。
しかし、他者を説得するには根拠が薄いのも事実だ。
「とはいえ、カナトスの、それも王でも将軍でもなくお妃を討って何とするのか……」
「そう、感を無碍には出来ないが、何故にオルキスグルブめがその様な行いをするのかがまるで分らぬ。彼の国の白銀重騎兵は武勇轟く騎馬武者じゃが……」
「今はカルーザスによって敗北感を深く刻まれている」
「そう、そんな騎馬など怖くない、大胆と繊細、両方兼ね備えた運用で無くば力を発揮できまいて。雪辱に燃えているならばともかく、敗北を刻まれてしまえばそんな運用は出来ぬ」
疑心は人の心を曇らせる。
曇った心では戦場で俊敏に動く事など出来やしない。
その為か、カルーザスは三度カナトスと戦い三度勝利を収めている。
白銀重騎兵はその数を半数以下まで減らしたとも聞いている。
多くの武装がゾス帝国に鹵獲され、人馬が拿捕されたとも。
恐るべき白銀重騎兵も、カルーザス将軍の前では逃げ惑うしかと変わらない、そう帝国兵は笑う余裕ができた。
その強さを知りながら、負けぬという自信が根付いていた。
カルーザスはカナトスの自信を奪う代わりに帝国兵に自信を付けさせたのだ。
度重なる勝利をもってして。
だから、もし、オルキスグルブが凶手を放つとすれば、私はカルーザスの身が一番危ういと感じていた。
魔術師のアニスを通じて、カルーザスにその旨も伝えた。
が、まさか、カナトスの王妃を狙うとは……何度考えても道理があわない。
何か私やメルディスが知らない特別な理由があったのか?
「考え込んでおるな」
「まあ、な」
「さしあたって考えられるのは……何かの下準備か」
「下準備?」
「オルキスグルブが橋頭保を作ろうと……」
「カナトスは港を持っていないのにか?」
「……無理があるか。すまんな、今回は間者の直感も外れたかもしれん」
私は漸く目の前に置かれていた冷めた茶を口に含む。
ほのかな甘みと渋みが口の中に広がることで、気分が一新された気がした。
「なに、こうして縁を結ぶ切っ掛けにはなった。それで良しとしよう、メルディス殿」
「口が上手いのぉ……。それと、儂はメルディス、殿は不要じゃ」
「ああ、分かった……メルディス」
「よし。とまれ、あまり引き留めても悪いな。忙しい身じゃろうからな。大きな動きがあったらまた知らせる」
「前々から聞きたかったが、この帝都ホロンで何かが起こると考えているのか?」
「何故そう思う?」
「初めて会ったあの日以降、まったく動く気配が無いからさ。影魔のメルディスともあろう者が」
私は肩を竦めて立ち上がる。
出会って既に数カ月、季節は既に冬。
冬季だから動けないなど間抜けた事をナイトランドの間者の長がする筈もない。
「事態が動くとすれば帝都じゃろうな、とは思っておったよ」
「実際にはカナトスで何かが起きた?」
「或いは最初の報告が誤りで、偶然カナトスで王妃が急死したか」
その可能性が一番高いだろう。
本当に病死か、或いはカナトス内部の権力争いの影響かは分からないが。
だと言うのに、何となく心に引っかかりを覚える。
不安を覚えるような出来事は今は何一つないと言うのに、だ。
或いは、カナトス王妃の死は偶然だが凶手は本当に放たれたという状況も考えられるからだろうか?
それはありえそうだ。
「警戒は維持し続けるより他はないな」
「互いにな」
メルディスは告げながら立ち上がると、一応の客人である私を見送るべく、キセルをしまって歩き出した。
だが、我々の警戒は結局は杞憂に終わった。
それから二年、特に何事も起きなかったからだ。
私が二七歳になった年の冬、第一夫人アレクシア様がご病気の為に逝去なされた。
一瞬、私はオルキスグルブの凶手とやらが暗殺を仕掛けたのかと焦ったが、特にそういう事はなく、病死と言う事だった。
病名は感冒、つまり風邪である。
だが、この感冒が帝都に大流行し、多くの死者を出すことになるとはこの時はまだ予期しえなかった。
そして、この年の冬から次の年の夏まで矢継ぎ早に帝国に不幸が襲う事など。