第58話 神算鬼謀
私たちの陣を見てか、帝国の陣は一層の緊張感包まれているようだった。
もしこの戦いが帝国との初めての戦いであったならば、彼らはきっと油断してくれただろう。
ベルシス・ロガは騎馬の運用もろくに知らないと。
だが、私は帝国に対して勝ちを重ねてきている。
帝国八大将軍と言う身分相応に兵の扱いに長けていると言う事実を彼らは知っているのだ。
その私が川沿いの右翼に騎兵を全軍配置したとなれば行う策は幾つか限られてくる。
それはつまりカルーザスでなくとも敵前横断の策を見破る可能性は高いと言う事だ。
「こちらが何を成そうとしているのか知らしめるのは悪い事でもありません。例えばあの騎兵の大部隊の横っ面を叩くために敵前横断をする可能性の彼らが気付けば動きが消極的になります」
そうサンドラは言っていたが、確かに帝国軍の動きに戸惑いのような物を感じられる。
いかにカルーザスが全てを読みきろうとも実際に動く将兵には読み切れるものではない。
そこに付け入るスキはあるかもしれない。
さて、そう言う訳で帝国軍が動かない以上はこちらもうかうかと動く訳にはいかない。
私が長期戦に陥ってしまえばカナトスやナイトランドの軍が各個撃破されかねないと言う危険性もあるが、最も手ごわいカルーザスを私が引き付けているともいえる訳で、カナトスやナイトランドがホロンに至る可能性もある。
それにだ。あれほどの大量の騎馬を養うための飼葉の運搬に相当数の輜重隊を用いている筈。
輜重隊だって有限なのだから他の軍団に対する補給がおろそかになりかねない。
そうなると長期戦になる事はそれほど悪い事態ばかりを引き起こす訳ではないと言える。
まあ、カルーザスが指をくわえてそんな事態になるのを良しとはするまいが。
ともあれ帝国軍とにらみ合いが数日続き、明日も睨み合いかと思われた矢先、敵の騎馬が動き出した。
少数の騎兵が突出したかと思えば、それに続いて数多の騎兵が我が左翼へと襲い掛かるべく駆けだした。
「ラッパを吹け、開戦だ!」
私が告げると高らかにラッパの音が鳴り響き、こちらの騎兵全軍が動き出した。
その間に歩兵たちも戦いの準備に入り、弓兵や魔術兵が遠距離射撃の態勢を整える。
敵陣に突っ込むかと思われた我が方の騎兵が、私たちの前を通り過ぎていく頃には、我が方に左翼から激しい物音が響きだしていた。
騎兵の突撃を防ぐには歩兵もまた密集して方陣を敷き槍を構えるほかにはない。
槍衾に突撃する騎兵の気持ちは分からないが、きっと恐ろしいのだろう。
それでも誇りを胸に突撃を繰り返していけば、歩兵が倒れ方陣はいつか消える。
その方陣が崩れるまでにどれ程の犠牲を騎兵が払うかは状況次第、か。
一体どれ程の血が流れるのか見当もつかない。
それをやれと命じる立場の私やカルーザスの罪も否応もなく増していくばかり、か。
私がそんな思いを一瞬だけ抱くも、すぐにそんな事を考えるような余裕はなくなる。
横断して言った騎兵が視界から消える頃には敵の中央の陣と接敵したからだ。
最初は遠距離射撃の応酬が始まり、徐々にその激しさが増して、最後には白兵戦。
敵の攻撃は激しく何度か押し切られそうになったが、その度にコーディが士気を上げて皆を鼓舞し、押し返せた。
私に迫る矢も魔法も、刃すら彼女は剣で叩き落し守り通してくれた。
右翼の方も拮抗状態を維持しているが、左翼はもはや混戦状態でどうなっているのか良く分からない。
中央も戦いの最中であれば、そこまでまじまじと見れるような余裕もない。
だが、敵騎兵部隊の横っ面を確かにこちらの騎兵部隊が叩いたのは見た。
サンドラの策は成ったのだ。
そう、確かに策は成った。
だが、私はすぐにカルーザスがサンドラの上を行く一手を打っていた事を知る事になる。
中央の陣を背後から千にも満たない少数の騎兵が強襲してきたのだ。
私がレヌ川の戦いでアーリーにやったように。
※
最初、その報告を聞いた時には耳を疑った。
「背後より騎兵の強襲です!」
「なんだとっ!」
何が起きた?
左翼は負けたのか?
いや、まだ戦っている様子。
では、こいつらはどこから?
徐々に迫る馬のいななきと兵の叫びに混乱しながらも、私は何が起きたのか把握しようとした。
左翼は重装歩兵ばかりを集めている。
騎兵の突撃に耐えられるのは方陣を組んだ重装歩兵くらいだと思ったからだが、当然彼らは迎撃はともかくとして追撃は難しい。
ならば、一当たりした後に左翼の背後に走り抜けて大きく迂回して中央を背後から襲うと言う芸当も可能と言う事か。
途中でこちらの騎兵がぶち当たったからそれほどの数ではないが、それでも前方の敵に集中している最中に後方を襲われると一気に壊滅の危険が出てくる。
騎兵の機動力を、数ではなく機動力を生かした戦い方になぜ思い至らなかったのか。
騎兵は確かに集中しての運用が必要ではあるが、奇襲ともなれば百騎程でも十分あ成果を上げる事がある。
分かっていた筈なのに、あまりの騎兵戦力を前に私もその認識が抜け落ちていたのか。
「ベルちゃん!!」
コーディの切迫した声が響く。
なるほど、見れば私目がけて三体の騎馬が迫っていた。
やられたなぁ。
中央の陣にここまで食い込まれてしまったらこの戦、立て直すのは厳しい。
後は、いかにうまくこの場を切り抜けるかだな。
「ロガ王、覚悟っ!」
突き出された槍を私は無様に転がり避ける。
避けながらも剣を抜き放って次の騎馬が放った槍の穂先を叩き切った。
穂先を切りながらも私は止まらずに再び転がって第三の騎馬が振るう刃の範囲外に逃れると、歩兵たちが騎馬目がけて槍を突き出した。
あ、危なかった……。
だが、ここでどうにかしないとさらに危なくなる。
……どうする?
「ロガ王をお助けしろっ!」
聞き知った声が響いた。
混戦の左翼に居るはずの声が。
その声を主を探して視線を彷徨わせると、黒き騎兵たちを従えたフィスル殿が大鎌を振り回して帝国騎兵と打ち合っている姿が見えた。