第38話 流転
カナトス防衛の戦いは小康状態に陥っているが、ルダイ方面より聞こえてくる戦況は悪化の一途をたどっている。
今すぐにでも軍を引き返したいという言葉を何度吐き出してしまおうと思った事か。
それでも、私はその言葉を飲み込んでここにいる。
このままでは親族を見捨てたという誹りは免れまいが、それでもカナトスの防衛を後回しには出来なかった。
一方でホロン方面に進軍している筈のナイトランド軍の動向はまるで聞こえてこない。
シグリッド殿率いる混成騎兵部隊の動向も同じく。
ああ、ウォランがシグリッド殿と共にホロン方面に行っていて良かった。
彼がこの場にいれば、私と同じ情報を知り焦燥に駆られた事だろう。
……私は取り乱したりは出来ない。
私が取り乱せば将兵が皆、困り果てるのが明白だからだ。
日増しに聞こえてくる悪化の具合は、私の精神を考えてか簡素な報告のみがもたらされる。
だが、いかに簡素で短い言葉であろうとも、伝えられる状況を私は別の戦場で見聞きして知っている。
幾つかの単語で形成される文面を見て、私は容易に戦況を把握できるしルダイが瀕している危機をまざまざと感じている。
ロガには余剰戦力もなく、城塞都市でもなかったルダイの守りは脆い。
伯母上らは帝国軍をレヌ川の傍で迎え撃ったようだが、カルーザスは挑発されようとも動かずに別動隊が遠回りをして川を渡るまで動かなかった。
別動隊が川を渡って、ルダイ防衛軍の側面を突き、混乱させてから悠々と川を渡ったようだ。
そうなれば、いかに抵抗しようとも持ち堪えるのは難しい。
防衛軍は早々に野戦に敗れてしまった。
その挙句が脆い都市での立てこもりと言う事だ。
だが、ここからがルダイの人々と伯母上の底力なのだろう、野戦に敗れた兵を再編成しつつ帝国から見ればルダイ後方に幾つかある港町から物資を補給しつつ徹底抗戦の構えに入った。
ルダイ周囲にはどうも簡易ながら防塁が築かれており、帝国軍を押し留めている。
私が知る限り、ルダイに防塁はなかった。
港町から届く物資を大陸に広げるための中継地点の一つであるルダイは交易をもって富を生み出していた都市だ。
その為、人が出入りしやすい様な平坦な地形に作られた。
が、今や防塁が築かれ帝国の猛攻をしのいでいるという。
一体いつ作ったのだろう? 要所を把握して効果的に防塁を配置すれば突貫工事で一カ月かからずにそれなりの物が出来るだろうが……。
そうなるとカナトスへの派兵を決めて出立してすぐに築き始めた計算にならないか?
帝国の侵攻に備えてにしては念が入っている、というより私が率先して気付かねばならない事柄であった。
サンドラ辺りが伯母上に進言したのかも知れない。
そいつが功を奏して未だにルダイは落ちない訳だが……ここに問題がある。
カルーザスが事を決する速さを求めて一度決断をくだせば、ルダイは血の海に沈みかねない。
数多の民がいる以上そこまではやらないと信じているが、後顧の憂いを断つためにカルーザスが決断しないとも限らない。
辛い。
私はそうならないように祈っている事しかできないのか?
何か外交的な圧力を駆使して、そうならないように足掻くべきではないか?
そんな事を思いはするのだが、カルーザスが他国からの圧力に屈するとは到底思えなかった。
だが、手をこまねいている訳には……そんな事を考えている最中の事だった。
私の元に吉報が届いたのだ。
※ ※
それは、全く予期も期待もしていない所からもたらされた。
ルダイの南にある港町より現れた者たちがいたのだと言う。
「援軍? ルダイに援軍だと?」
「はっ、ゾス帝国の軍旗と見知らぬ軍旗を掲げた一団が黒い鎧の将に率いられてカルーザス将軍の軍と戦ったと報告が」
「……黒い鎧? まさか、彼女が?」
黒い鎧を纏った将は一人心当たりがある。
私が反旗を翻したその直後にロガ領に侵攻してきたアーリー将軍。
滅びた砂大陸のガームル王国の王の遺児が、ルダイを守るために兵を率いて……?
「それに呼応するように、ルダイより砂鰐が突如現れてカルーザス将軍の軍も不意を突かれて混乱した模様」
「……あいつらか。猛獣使いはセルイだったか……よく許可を出したな」
退役させたはずの砂鰐を活用したのだろう。
そうなればいかにカルーザスと言えども、よもやルダイの街から砂大陸の戦獣が出てくるとは思っていなかった筈。
それでもカルーザス軍団の混乱は一時の物で、すぐに撤収したようだが体勢を立て直すのに少しは時間がかかるか。
これで伯母上たちも一息つけるだろうか?
いや、一息つくと安寧を求めて動き出す者達もいるだろう、ここからが正念場かも知れない。
それにアーリー将軍はどこから兵士を集めてきたのだろう?
見知らぬ軍旗とは、もしやガームルの軍旗かもしれないが、ゾスの軍旗も掲げてとなると良く分からない。
まさか、トウラ・ザルガナス卿が……現バルアド総督が手を貸すとは思えない。
思えないが……彼の御仁は砂大陸に顔が利いていたようだし良く分からない。
そもそもその援軍の規模はどの程度なのか……遠いこの場所では分からないことだらけだが、ルダイが、伯母上たちが何とか持ちこたえてくれている事だけが私の励みになった。
そして、さらに数日待っていると遂に待ちに待った最大の吉報が届いたのだ。
我々が相対している敵のはるか後方、ホロンへと続く平地にナイトランド軍の存在が確認できた。
彼らは一路ガルドの丘を目指して陣を張ったという。
かつてカルーザスにによって打ちのめされたナイトランド軍は再びガルドの丘を手中に収めた。
これによりカナトスに攻めてきている帝国軍も俄かに浮足立った。
潜り込んでいるリシャールの報告では補給もだいぶ乱れがちになってきていると報告が来ている。
漸く機は熟した……。
対陣して既に二カ月近くが経とうとしている。
ルダイをめぐる戦いが始まって二週間。
そろそろ終わりにせねばならないだろう。
私は立ちあがり、カナトス王ローラン殿の元へと向かった。
浮足立っている帝国軍に対して全面攻勢を仕掛けるために。