第37話 焦燥
カナトスを守る戦いがこう着状態に持ち込めたことは良かったのだが、この戦いが長引けば長引くほどにルダイが陥落する恐れが高い、というかするだろう。
伝わってくる情報の精度は低くいが、どれもが伯母上がどうにか善戦している様子を伝えている。
持ち堪えているうちに急いで引き返したいところではあるが、我が軍は同盟国の援助に来ている。
敵を退けた訳でもないのに帰ってしまえば、カナトスが潰されかねない。
それに、カルーザスならばここからルダイまでの帰路にも当然ながら兵を伏せているだろう。
軍を率いて戻ればカナトスが危機に陥り、同盟が瓦解する恐れがある。
少数を率いて慌てって戻れば私はカルーザスが伏せていた兵に捕らえられるだろう。
ならば、ここの戦を手早く終わらせて戻るか?
それが出来るのならば、既にやっている。
無理な攻め方をすれば必ず破綻して敗ける、先立っての夜襲のようにうまくはいかないだろう。
リシャールは残り情報をリア殿に流し続けているようだが、あれ以降、帝国は油断を捨てたと聞いている。
ゆえに容易には攻め込めない、今は焦れて無理な攻勢を仕掛けた方が負ける。
互いに挑発を繰り返してはいるが、まだ攻める機ではないのだ。
私は思案しながら机を指で忙しなく叩いていた。
焦れているのが周囲にもだだ洩れであろうことは理解できたが、止めることは出来なかった。
当然ではないか、ルダイには身内がいるのだ。
伯母上やアントン、幼いウオルとアネスタ、それにガラルとついでに叔父上。
色々とあったけれど、私を支えてくれた親族が戦火に晒されていた私が遠くで何もできない状況は堪える。
焦れれば焦れる程に無理な攻勢を仕掛けたくなるが、それを歯を食いしばってぐっと堪える。
焦れば戦は大抵負ける、私の今の心情は指揮官として大変まずい状況にある。
帝国軍の攻勢が初日以外は消極的だったのは、時間を稼いでこの状況に持ち込みたかったためだろう。
きっと、こちらの士気をズタズタにしてから一戦して手早く叩き潰せればそれも良し、私が焦って無茶な攻撃を仕掛けてきたらそれを叩き潰せればそれもよし、また叩き潰せずとも時間だけは稼ぐと言うのが眼前の敵軍の主任務。
そう考えれば、戦闘力に特化したカルーザスの主力は置いて置かずとも良い訳だ。
つまりそれは、カルーザスにとっては私と戦場で雌雄を決するよりも、ルダイを落とすことが重要だと判断したようだ。
本拠地を奪えば私の反意や反帝国の機運が消えるとでも思ったのか、私との戦いを嫌ったのか。
それは分からないが、そうなって来ると伯母上の善戦は何と言うか予想外と言えた。
本気のカルーザスの戦いに既に十日は持ち堪えている事になる。
アントンはともかくサンドラは結構扱いにくい所があるから留守番において来ても不安だったが、どうやら伯母上はサンドラを上手く用いているのだろう。
思い切りのよい伯母上の事だから、下手したら全権を与えた可能性もある。
あのサンドラと言う名の劇薬を用いるには、並みの胆力では無理だが伯母上ならば可能かもしれない。
胆力ならば並みの男を上回っている。
しかし、だ。
そうなると叔父上の臆病さが心配になって来る。
まさか、孫や娘、息子が居る手前、保身のために早々に投降などしないだろうが。
かつては臆病ながらそれなりの策を弄せた人だ、ここらあたりで覚醒してもらえたらありがたいのだが……それは高望みしすぎか。
ああ、困ったな……。
膠着状態で暇な時間があると、ルダイが気になって仕方ない。
いくら気にしても、今更向かうすべもないとは言え、生まれ故郷である。
私の反乱の結果、滅ぼされでもしたら立ち直れる自信はないぞ。
そもそも、本拠地を潰されてしまえば幾ら王を名乗ろうとも単なるたわごとだ。
運が良ければ他国を流転する亡命生活、悪ければ死ぬ。
私に関してはそれは仕方ない、死ぬのは嫌だが事を越した責任を取らねばならない。
だが、他の連中は違う。
私が生き延びて逃亡生活をできたとて、ここにいる兵士達全てを連れて行けるはずもなし。
私に付き従った以上、帝国からどのような仕打ちを受けるのか……。
焦燥と言う奴は碌な物じゃない。
次々に不安を心の中に湧き立たせて、苛んでくる。
こうなったのも全ては己の力不足か。
いやロスカーンとかギザイアが悪いのは当然だが、奴らの跳梁を許したのは私だ。
帝国がこんな有様になってしまったのも、私にも責任がある。
その挙句が内戦……か。
「ベルちゃんっ!!」
うおっ! びっくりした!!
突然、耳元で私を呼ばわる声が響いた。
「コ、コ、コーディ? いきなり何を」
突然何をするんだ、この娘は……心臓が物凄く速くドクドク動いているのが分かる。
「いきなりって何度も呼んだんだけど?」
「え?」
呼ばれていた? いや、全く気付かなかったが……そう思って改めて傍らのコーディを見やると彼女は緑色の瞳を私に向けて、にっこり笑って言った。
「アタシ達、ルダイに行こうと思うんだ」
「はぇ?」
唐突な申し出に、それこそいきなり雷に打たれたような衝撃を受ける。
アタシ達? そう思いながら周囲を見渡すとアンジェリカ殿やマークイやドラン殿がいた。
ちなみにマークイとはクラー領の内紛解決以降も共によく酒を飲む様になって、もう殿を付ける事はやめていた、他人行儀で居心地が悪いと当人に言われたからだ。
それはさておき、突然の申し出に私が理解できないと言ったアホ面を晒していると、アンジェリカ殿が口を開く。
「ロガ王が戻る訳にはいかない理由は聞いておりますし、きっとカルーザス将軍が網を張っていると言うのも間違いないでしょう」
「そうだ、だから戻るのは危険ではないか」
「ですが、コーディは今のロガ王の苦悩を取り除きたいのです。それには少数精鋭である私たちが」
「待ってくれ! カルーザスはコーディが私の傍にいる事も把握している、それに備えた兵を伏せている筈だ!」
漸く我を取り戻した私は行く危険性を声高に伝えようとした。
「でもね、ベルちゃん。眉間にしわを寄せてずっと悩んでいる姿を見たらじっとしてられないんだ」
「コーディ……。でも、それは駄目だ」
情けない。
彼女は私の為に危険を顧みず突き進もうとしている。
友の為に命を賭そうという彼女の心意気は嬉しいが、そこまで考えさせるほどにここ最近の私は焦燥が表に出ていたのか。
情けない限りだ、将が焦れば兵も焦る。
将たるもの堂々としていなくてはいけないのだ、例え心の中では泣き叫んでいようとも最後まで堂々と。
それが私が受けた教えではなかったか。
「……ありがとう、コーディ。だけれども、私はその行動に許可を与える事はできない。……君には傍にいてほしい」
コーディが独断専行しない様に私は素直に自分の思いを告げた。
彼女を無理させて失いたくはないし、その存在に今のように救われたり気付かされたりすることが多いからだ。
「至らぬ私だが、支えてくれるとありがたい」
そう告げて彼女を見やると、コーディは顔を真っ赤にしていた。
なんだ? 熱でもあるんじゃないのか?
大丈夫なんだろうかとコーディの連れを見やると、アンジェリカ殿はあらあらとポンと手を叩き、マークイは笑いを押し殺し、ドラン殿はほうほうと何やら意味深に頷いている。
……ん? 何この空気?
と、ともあれ私は言葉をつづけた。
「そ、それに、だ。そろそろ帝国も気づいている筈だ、ナイトランドとシグリッド殿が率いる混成騎兵が自分たちの庭を荒らしている事を」
そうなれば、カルーザスとてルダイ攻めに専念できない筈、その筈じゃないか。