第35話 光明
高台に来てくれるように頼んだ二人がシグリッド殿から言伝を受けてやって来る。
「どうした?」
「ゾス帝国軍のあの辺りをフレア殿に遠視してもらいたい」
私が告げると、二人は少しだけ意外そうな顔をした。
「魔術兵は使わんのか?」
「精度が高い方が良いんだ、幾人かの顔を見たいからな」
「障壁が張っているであろう陣中に遠視の魔術を使う、それも顔が見れるほどの精密さでとなれば相応の力量が無いとできないわね」
フレア殿は私の言葉に納得して見せるも、何故そうするのかと言いたげに双眸を細めた。
「誰がいるのかを確かめて、どうする気だ?」
リウシス殿が眉間にしわを寄せ問いかける。
「いない事を確認したいのさ、古くからカルーザスに従っている連中がいない事を」
もし、古株連中が居ても旗印を下げるようでは完全にこちらを舐めている証拠、幾らでも罠にかけることが出来る。
そして居ないとなれば……敵陣にカルーザス自身も不在である可能性が高い。
そうであれば、ただただ守りを固める意味はない。
こちらから逆撃を叩きこんでやる。
そのように意図を説明すると、リウシス殿は唇を釣り上げて笑った。
「カルーザス将軍以外には勝てると言いたげだな」
「勝てるとは言わんさ、ただ、時間稼ぎを行う術は幾らでも出てくる」
「ルダイも攻められているのに? こちらにいないんじゃ、ルダイ攻めに参加しているんじゃないの、カルーザス将軍」
フレア殿の指摘は最もではある。
「元よりカルーザスが全てにおいて優位なのは言うまでもない。ただ、帝都ホロンを攻めようとしているとなればカルーザスは動かざる得ない。皇帝が黙っていても他の連中がカルーザスに泣きつく」
帝都に残っている連中を考えればその可能性は高いと言うか、必ずそうする。
特に迫っているのがナイトランド軍となればなお更に。
「それにナイトランド軍がゾスの後方を荒らしてくれれば補給は滞りパーレイジやガザルドレス方面も、カナトス方面でも帝国軍の動きは鈍くなる。そうなれば」
「兵の統率に定評のあるカルーザス将軍がホロンを守るために引き上げると言いたいんだろうが……」
そんなにうまく事が運ぶかとリウシス殿は首を捻った。
常に上手く行く訳ではない。
だが、カルーザスがルダイ攻めを続けルダイを陥落させたとしても、こちらがホロン攻めを強行すれば取引に応じざる得ない。
その様な状況でも立ち回り次第では挽回も効くはずだ。
ただ……ロガの民の多くが犠牲になってしまう懸念がある。
できればそれは避けたい所だが、帝国に反旗を翻した以上は今更恭順を示しても遅いのだ。
……いや、この考え方はまずいぞ、ベルシス。
そうであろうとも私の力が及ぶ限りで最大限守るように動かねば……。
「どの道、見て見ないといけないわね」
フレア殿がそう告げて私とリウシス殿に水と皿を持ってくるように伝えた。
手元になかったので一旦それらを集めて高台に戻ると、フレア殿は皿に水を張り己の魔素を指先に集め水面に触れる。
ぼんやりと浮かび上がったのはゾス帝国の陣の様子だった。
「あまり長くは見れないわね、結構優秀な魔術障壁が張られているわ」
「深緑の外套を羽織った一団の方を映してほしい。もうちょっと右……そう、その辺りだ」
フレア殿が水面を指先でなぞると水面に映った映像も視界を巡らせたように変わっていく。
目当ての連中を見つけると、フレア殿は水面に二本の指先を置き、広げる。
すると映像はまるで間近に見ているように正確に各人の顔を映していた。
「将校は……。ああ。あの奥の兵士の顔を映してほしい」
「……ちょっと待ってね」
フレア殿は額に玉の汗を浮かべながら水面に映る映像を操り、私の望む相手の顔を映した。
その瞬間。
「もう、もたない!」
「こいつは違う!」
水面に映っていた映像は途切れてしまった。
乱れた呼吸をフレア殿が整えている最中、リウシス殿が口を開く。
「目論見は上手く行ったのか、ロガ王?」
「あの外套の意匠から見て最古参の筈だが見た顔じゃない、それに栄えある深緑騎兵部隊とは思えない程に連中は弛緩していた。つまり、ここにカルーザスはいない、少なくとも子飼いの部下はいない」
私はそこまで口にして、漸く言うべき言葉を思い出した。
「フレア殿、助かった。ありがとう」
「遠視は結構疲れるのよね」
礼を言うと肩を竦めながらフレア殿は答えたが、その顔には笑みが浮かんでいた。
「準備を整えて夜襲を仕掛けよう。私達ばかりが夜襲に怯えている必要はない」
「カルーザス将軍が居ない可能性に賭けるのか?」
「それもあるが、陣中をこの目で見れて分かった。連中は私たちを侮っている、その侮りこそが最大のねらい目だ」
そう告げてから、挨拶もそこそこに私はカナトス王ローラン殿の所へと向かい、夜襲の準備に取り掛かった。
※ ※
私とローラン王は信頼のおける兵士をそれぞれ千名ほど選び、彼らにのみ夜襲の計画を打ち明けた。
その一方で帝国軍には敢えて補給物資のルートを一つ漏らした。
そのルートを使って運ばれるのは糧食などではなく、カナトス方面より運ばれる大量の酒。
カナトスやらロガの近隣の街や村から急ぎ買い付けた酒だ。
物資を運搬する者には襲われたら抵抗せず逃げるように言い含めて、荷物の中に私の書状を紛れ込ませた。
士気高揚に酒の力を借りる為徴収する旨を記した書状だが、無論嘘である。
相変わらず進軍ラッパが鳴り響く夜を過ごして、数日も耐えた頃、物資が奪われたと報告が入った。
その報告で士気は一層下がったように思えたが、その日の夜こそ好機だった。
ラッパを吹けば決して攻めてこないと侮った連中が、敵の物資である酒を徴収した時どうなるか。
規律正しい軍団ならば何も起きない。
だが、亀のように閉じこもっている敵を目の前に暇を持て余し、なおかつ敵を侮った軍団ならばどうする?
飲むか飲まないかは半々だが、どちらにせよ酒の力を頼って慌てて士気を上げようとしている私に対しての侮りは強まった事だろう。
侮りは、絶好の隙を生む。
「では、夜襲を仕掛ける。帝国軍にも思知らせてやらねばならない、お前たちに出来ることは我々にもできるのだと」
そう宣言して私は夜襲部隊の進軍を命じた。
この部隊の指揮を執るのは私だ。
王自ら動くなど危険極まりないと周囲は諫めたが、この夜襲はきっとこの戦いの分水嶺だ。
そうであれば私自身が前線に立ち、敵陣をこの目ではっきりと確認して来なくてはいけない。
「行こう、ベルちゃん!」
「……そうだな」
私と同じくこの夜襲に燃えるコーディが声をかけてきたが、何と言うか気が抜ける。
ついでにこっぱずかしい。
「いちゃつくのは戦いの後でお願いしますよ!」
部隊の誰かが私たちをからかう声を投げかけて来た。
流石に状況が状況だからどっと笑いは起きなかったが、忍び笑いは聞こえてきている。
「やかましい! 行くぞ、お前ら! 帝国軍に目にもの見せてくれる!」
私はやはり気恥ずかしさから一層気を吐いて見せ、その言葉に部隊の者達は頷きを返した。
月明りすらうっすらと光るだけの夜。
この夜襲が光明となる事を願い、私たちは陣を発った。