第6話 魔王城へ
兵の選出を終えてからの委員会の行動は早かった。
キビットにとっては今年最悪の日であったといえる魔王城侵攻部隊に選抜されたあの日、あれからたったの二日で、最悪を更新するのであろう日がやってきたのだ。
この日、侵攻部隊のメンバーとして選抜された百名のハイブリッドには、早朝にスタジアムへ集合するようにと伝えられていた。
アントバニアという町は周囲をぐるりと壁で囲まれている。魔王城に最も近いという立地上の条件から、このように防戦も行えるような城塞都市へと増築されていったのだ。スタジアムはそんな外壁に沿った内側に建設されている。
普段は人気スポーツとその観戦に使用されるスタジアムだが、今日は観覧席に人の姿はない。そしてグラウンドには沢山の馬が繋がれていた。
キビットも他のハイブリッドと共に、普段は立ち入る機会のないスタジアムのグラウンドに立った。一方がそそり立つ外壁であるこのグラウンドからの景色は妙な圧迫感が感じられた。スタジアムというよりコロシアムといった方が相応しいのではないかとさえ思えた。
町が組織した委員会によって徴兵されたにもかかわらず、この侵攻部隊に統一の装備品が支給されることはない。各個が自前で装備を持参して身に着けている。だから誰を見ても色や形はまちまちだが、揃って軽装備だった。奇襲をかけるのに全身を鉄で包む重装備を選ぶ者はいない訳だが、そもそもハイブリッドというのは身体能力に自信を持つ者が多く、防御力よりも機動力、動きやすさを重視する傾向が強い。
肩・肘・膝といった関節、胸などの急所、籠手や脛当てなどから各々が自分のスタイルに合った装備身に着けている。
キビットも今日は両手に籠手、胸当てに膝当ての装備、それ以外の場所は衣服が見えている。
人より馬の数の方が多く見えるのは、馬たち一頭一頭の体が大きいからだろう。おそらく侵攻部隊の人数と同じくらいの数であるはずなのだ。綺麗に整備されているグラウンドの芝を馬たちがむしゃむしゃと食っている。これをスタジアムのどこかからグラウンド整備の担当者が見ているなら、さぞかし腹を立てていることだろう。
私語でざわつくハイブリッドたちの前に、クルードという男が立った。この男が今回の侵攻部隊のリーダーだった。
クルードの家系はかつて、エルフ系の血を入れることに成功したと言われており、クルード自身も接近戦で相当な腕を持つ。打撃系格闘技の大会でチャンピオンになった他、数々の武勇伝が広まっており、アントバニアでは名の知れた男なのだ。
「皆、集まったな! 」
そう言って全体を見回すと、隊員同士の私語も止まり、全員がクルードに注目する。
「これより、作戦を決行する! 見ての通り、全員分の馬も用意した。我々はこれに乗っての強行軍となり、魔王城への奇襲を敢行する! 皆、遅れずに付いてくるように!」
「へぇ、気前がいいねぇ」
「さすが、気合い入ってるじゃん」
「帰ってからもそのまま、馬くれねぇかな」
そこかしこでメンバーの呟きが聞こえる。
皆の反応に満足したクルードは、手に持っている数枚の紙を掲げた。
「ここに今回のメンバーの班分けと役割が書いてある。端の者に渡すので、回し読みして自分の班と役割を頭に入れてくれ!」
クルードからの紙をハイブリッドたちが回覧してゆく。
キビットにも回ってきたそのメンバー表を見ると、各メンバーはいくつかの班へと割り振られていた。そして、『居館上層─制圧』『居館上層─衛兵対応』『魔王討伐』など、魔王城での各班の突入場所と役割りが記されていた。
しかし、キビットの名は、『その他』として単独で記されている。おそらく、嫌がらせのためにメンバーへの選抜はするが、活躍させる気はないのだろう。皆も同じ班でキビットと協力する気もないのだろう。
そこへ、クルードがやってきた。キビットがメンバー表を確認し終えたのを見計らって話しかけに来たようだ。
「キビット、各班の持ち場は解ったな。キサマは誰の班でもない、それ以外の場所だ。城の端の方の小屋でも探って、弱そうな魔人でも見つけて狩ってるんだな」
キビットは無言でクルードをちらりと見るだけだった。
「不満か?」
「いや、持ち場について不満はないさ」
そう答えるキビットのこれは本心だ。この場に居ること自体が不満ではあるが、指定された持ち場に不満はない。元々、キビットは魔人を殺戮などしたくはなのだから。そのようなチームから外れて、むしろホッとしている。
しかし、クルードは悪意を隠さない。
「これは見せしめだ。キサマの親父が行ってきた悪行への禊ぎなんだよ。ハイブリッドは皆、キサマが親父の意に反して魔人を殺しに行くことを望んでいる。ただし、キサマの活躍は望んでいない。そういうことだ」
そういってクルードは去っていった。
ここに集まった連中はハイブリッドの中でも武闘派、武力が高く魔王城への侵略に賛同している連中である。キビットから見れば、アントバニアを建てた先人たちの夢と理想を忘れるばかりか、その理想を打ち壊すような野望を持つハイブリッドの急先鋒たちだ。そんな中にキビットに友好的な者など居るはずもない。
馬はキビットにも平等に与えられた。見る限りはまともな馬だ。さすがに奇襲をかけようという時に不備のある馬を与えて足並みを乱されてはかなわないと考えたのだろう。
ハイブリッドたちは全員騎乗した。
目線が高くなった。百人の騎馬隊である。遠征に反対のキビットでも、その壮観さには身震いするものがあった。
ここでグラウンドに数十人の男たちが現れた。彼らはスタジアムに面した外壁の前に集まると、力を合わせて壁を引き始めた。スタジアムの職員にしては腕の太い男たちが気合いの声を上げているのが聞こえる。すると、外壁の一部が手前に引き出されるように少しずつ動き出したのだ。高さは人の背にして三人分、幅は十人が並んだくらいだろうか、そんな大きさの壁がくり抜かれるように引かれてゆく。
やがて男たちは引き出した外壁の一部の側面に回り、今度は横から押しだした。また少しずつ壁が右へと動いてゆく。壁がスライドするにつれ、その向こうにアントバニアの外の世界が段々と見えてきた。外壁にこんな仕掛けがあったとはキビットも知らなかった。これならば馬に乗ったまま外へと駆け出して行ける。
「みんな! ゆくぞ!」
そう叫んで先頭を進み出したクルードに続いて、他のハイブリッドたちも馬を走らせた。外壁の穴を通り抜けると、これまでの圧迫感から開放されて一気に世界が広がった。
アントバニアを飛び出した侵攻部隊は、魔人の生息領域に入った。領域といっても、明確に国境線が引かれているわけではない。だがそこは、ハイブリッドでもない限り、人間が気軽に踏み入れる土地ではない。
彼らは東南の方角へ向けて馬を走らせた。その方角に魔王城が在る。
左手の原野に魔人の姿が見えた。しかし、近づいてはこない。それはそうだ、あの魔人は今、疾走する百の騎馬隊を目撃しているのだ。その心境には恐れしかないだろう。
「おい、あそこ魔人がいるぜ。我らの行動を見られてる……殺していくか?」
「やめとけ。道草を食って遅れて、手柄を逃したんじゃあ馬鹿馬鹿しい」
キビットの傍を走る連中からそんな話し声が聞こえる。道中で魔人に目撃されたからといって、都度その相手を殺してゆくことが正解ではないというのは、キビットとも同じ見解だ。原野をぶらつく一般の魔人が、逐一報告のために魔王城へ走るとは思えない。魔人には緻密な連携や国防意識といったものが希薄であるからだ。仮に魔王に忠実な魔人が居たとしても、真っ直ぐ魔王城へと走る馬を追い抜いて通報するのは不可能だろう。
そう。だから、この奇襲はきっと成功する。