第1話 勇者到る
「ラバン、見えましたよ! あれがアントバニアじゃないですか?」
「ああ、そうだな。よしみんな、あれが最後の町になる。身体を休めながらじっくり準備しよう」
勇者と呼ばれる人間ラバンが、戦士・魔導師・聖術士の仲間を従えてアントバニアへと入った。おそらく数日の滞在を経て、彼らは魔王城へと最後の旅に赴くのだろう。
魔人の王の居城である魔王城まで歩いて3日、馬を飛ばせば1日、そんな位置に在る町がこの『アントバニア』だった。最前線となってもおかしくない立地からか、町は塀に囲まれた城塞都市となっている。
これまでも、稀に人間たちの中から『勇者』と呼ばれるチャレンジャーが誕生しては、最終的にこの町へとやって来た。彼らが魔王城へと乗り込むとき、その最後の拠点となるのがこのアントバニアなのである。
しかし、現在も魔王城に魔王は健在である。そんな事実からも過去の勇者たちの戦績を覗うことができる。
──── 夜、アントバニア繁華街は昼間の労働を終えた人々で賑わう。どの店も軒先には複数のランプを吊るし、開店中であることを知らせている。そして上を見上げてみれば、繁華街の屋根より高い位置には大きな玉が固定され、玉は煌々と灯りを放って繁華街全域を照らしている。おそらくあれは、魔法で灯されたものだろう。
そんな繁華街のとある酒場。盛況なこの店で勇者ラバンたち四人は食事をとっていた。
「あそこの王はホント、腹立ったよな。ああ今思い出しただけでもムカついてくるぜ! チクショー! オレ達、誰のために命懸けで旅してやってると思ってやがるんだ!」
「思い出すと腹が立つのなら、思い出すなよ。私たちは世の人々のために戦っているのであって、あの王のために戦っているのではないのだから」
「解ってるけどよ! それでも、もうすぐ旅も終わりかもしれないって考えると、いろいろ甦ってきちまって…… 何だったんだろうな、オレの青春ってよ! チクショォォォ!」
勇者に付き従うこの戦士は酔っており、こぼれる愚痴も次第にヒートアップしてくる。そして遂には立ち上がってわめきだした。
「やめなよマッシュ、そんな大声出して暴れたら、周りに迷惑でしょ」
「うるせぇアリス! オマエにオレの気持ちが分かるもんかよ!」
勇者パーティの紅一点であるアリスと呼ばれた聖術士の制止も聞かず、戦士マッシュは日頃の鬱憤を吐き出すかのように酔いに身を任せる。
その時だ、興奮したマッシュが振り上げた右手の手首を何者かが掴んだ。
「お客様、他のお客のご迷惑になりますので、店内で暴れるのはやめてください」
冴えない風貌の男だったが、服装からもそれは酒場の店員なのだろう。彼は左手に料理を乗せた盆を持ち、開いた右手でマッシュの手首を掴んでいた。
「誰も暴れてねぇよ! ちょっと興奮して動きが大きくなっただけだ! だから……、この手を離せ!」
そう言って力尽くで手を振り払おうとするマッシュだったが、酒場の店員はびくともせず、その手を離さない。
「ごめんなさいね、私からも言って聞かせるから、手を離してあげて」
アリスにそう言われてやっと店員は手を離して去った。
マッシュは少し酔いが覚めたのか、座って大人しく料理を摘まんでいる。少し可哀相に思ったのか、魔導師のルークと勇者ラバンが優しく慰める。
「まぁ気にするな。決戦を控えてナイーヴになる気持ちも解るよ。せっかくの酒の席なんだ、元気出せよ」
「まったくだ。元気が取り柄のマッシュの良さが、ちょっと空回りしただけだよ。そんなお前に落ち込まれたんじゃあパーティの士気に関わるぜ」
たとえ待つのが栄光ではなく死であっても、この仲間となら悔いは無い。そう思えるマッシュだった。
翌日、ラバンたちは武器と防具の店へと向かった。ここから先は戦う相手もかなりの手練となるだろう。ならばこそ、装備の補充や手入れは疎かにできない。それは自分の命ひいては仲間の命に直結するのだから。
通りを歩きながらラバンたちは町や人々を観察する。不思議であったのは、魔王城に近いという割にはこの町の人々に悲壮感のようなものは感じられないこと。むしろ活気があることだった。
そして目に付くのが、町ゆく人々の多くが武器を携帯していることだ。たしかに最前線ともなれば、たとえ仕事であっても町の外へ出ることには危険が伴う。そしてそんな環境に身を置く人々だからこそ、心の支えとして平素から剣を帯びることが身だしなみとなったのかもしれない。
「それにしても大剣を背負っているヤツが多くないか? 戦士のオレですらあんなバスターソードは使ってないぞ」
そんなマッシュの疑問にアリスとラバンも共感する。
「たしかにね。ランデルク辺りから、そんな人が多いよね。ファッションとして流行ってるのかしら」
「そうかも知れないな。町ゆく人々が皆、あんな大剣を振り回せるわけがない。やっぱこの辺りの武器を帯びる文化の中で、実用性よりもファッションとしての装備が定着してるんだろうな」
この地方にはアントバニアを含めて三つの城塞都市が存在した。一つ目が先ほどアリスの話に出たランデルク、二つ目がグランダール、ラバンたちはその二つを経てこの最後の城塞都市アントバニアへとやって来たのだ。
武器屋の店主がラバンたちの武具をチェックしてくれている間、客への対応は店主のおかみさんが引き受ける。他の地方とは雰囲気の違うこの町の様子に興味を覚えていたラバンは、おかみさんに町のことを教えてもらった。
おかみさんによると、この地方の三つの城塞都市は三つを合わせることであらゆる設備が整うようにとの思想で造られているのだという。人々の居住区や商業施設といった各都市に存在するものの他、ランデルクには自治に関する施設、グランダールには物作りに関する施設、そしてこのアントバニアには学業や研究といった文化的な施設が多く存在するのだという。
荒廃しているとさえ想像していた前線に、まさかこのような発展した地があろうとは。ラバンは驚くばかりであった。
「おいラバン見てみろ、ここでもバスターソードが飾ってあるぜ。やっぱ重いわこりゃ。まったく……お洒落ってのもひと苦労だな、町の人たちはよくやるぜ」
呆れたようにそう話すマッシュが、ラバンに向けて大剣を掲げてみせた。
──── 翌朝
「ここから先は魔人のテリトリーとなる、しかも魔王城も近い。現れる魔人どもも一筋縄ではいかぬかもしれない」
勇者ラバンは修理を終えた装備に身を通す仲間たちに向けて言った。マッシュ、ルーク、アリスがそんなラバンの方を向く。もちろん三人とて、言われずとも心得ていることだ。それをあえて言うラバンの真意は何か。代表するようにマッシュが問う。
「何が言いたい?」
「今日はまだ魔王城までは行かず、途中の魔人領にて敵の力量や性質を見てみたいと思うのだけど、どうだろうか」
仲間たちには勇者のくせに慎重過ぎると笑われるかもしれない。それでも力を合わせてここまで無事にたどり着いた仲間だからこそ、ラバンは彼らを最後の旅で慌てて死なせたくはない。
「魔王城の膝元で暴れると、明日以降の魔王城攻撃が奇襲にならなくなるが……、まぁラバンが決めたことなら私は従う」
「ワタシも慎重な意見に逆らう理由が無いわ」
「俺ももちろんそれでいい」
ここまでの旅でラバンも成長した。そして何より魔王城に最も近いこの町まで皆を導いたのだ。その信頼から、もう誰もラバンの立てる作戦に反対などしない。
「みんな…… よし、では行こうか!」
勇者ラバンのパーティはアントバニアの城塞を出た。目指すは東の魔人領。彼らは鋭気に満ちた足取りで、未知の荒野を進んでいった。
そして、彼らが帰ってくることはなかった。