1-1. 悪夢の始まり(1/2)
目を覚ますと、外はもう薄暗かった。深い群青と紫色の空だった。電灯を点けず、カーテンも閉めていない僕の部屋は薄暗く、西に面したこの窓辺だけがぼんやりと明るい。右手に握ったままのスマートフォンは既に充電が切れていて、日頃の眩しさはどこへやら、今は薄暗い部屋の景色の一つになりを潜めている。電線と向かいのアパートの屋上が見える。枕元に置かれたペットボトルの文字が暗くて読めない。
眠れないまま朝を迎え、その後いつの間にか寝ていたらしい。朝日とともに床に就き、日没とともに目覚める暮らしである。こんな生活を続けてもうどれくらいになるだろう。静かな夕闇の中、僕はたった一人で起床する。無様で不潔な部屋着姿が夕暮れの薄い光に照らされている。寝汗はかいているが、エアコンをつけるほど暑くはない。
左腕と腹が、切り傷と軽いやけどのせいでヒリヒリしている。立ち上がろうとして体を起こすと、太ももの皮膚も痛い。
どこかの皮膚がよれるたび、そこかしこに痛みを感じる。やけどはどうやら左腕にあるらしい。掛けていたタオルケットにこすれて、再びヒリヒリした痛みが走る。思わず顔をゆがめてしまう。痛みの範囲が広く、どこをどれだけ切ったのか、どれくらいの大きさのやけどなのか分からない。どこかの傷が痛むと別のところの痛みが連動する。前半身のいたるところが切り傷のせいでズキズキ痛む。
しかし皮膚の下、僕の骨、筋肉、精神たちは、それらの陰湿な痛みとは裏腹に、起き上がって生命活動をしようと意気込んでいる。どうやら傷ついているのは皮膚だけのようだ。
そうして僕はゆっくりと起き上がり、窓辺に立った。
体中が切り傷で痛むのに、頭は寝起きでぼんやりしている。
車道を挟んだアパートの向こう側、西の空の底の方に、太陽の燃え残りの暗いオレンジ色が沈みかけている。僕一人しかいない夕暮れの部屋は静かだ。
眼下に横たわる車道は閑散としている。
この時間、いつもはムクドリの帰宅時間のため騒がしいはずだ。今日は僕が寝ている間に寝床に帰ってしまったのだろうか。なんだか取り残されたような気分にさせられる。
僕はトランクス一枚の格好で、無数の切り傷のある体を晒して、窓辺に立っていた。
僕の血は燃えている。
人間の血には、静かなときと脈打つときとがある。僕の血は、脈打つときに、燃えてしまう。脈打つというのは、走ったときではない。怒りが収まらないとき、悲しくてたまらないとき、僕の血は燃えてしまう。殺してしまいたいと思うとき、誰にも理解してもらえず、死んでしまいたいと思うとき、僕の血はぐつぐつと煮え立ち、枝から落ちて体を強く叩きつけられた蛇のように、僕の体の中をのたうちまわる。そうして僕は体をよじり、熱さと息苦しさにあえぎながら、血が静まるまで、苦しみに耐える。
悪魔に出会った十歳のときからか? いやもっと前、うんと子どものときからか? ただ気が付いていなかっただけかもしれない。
辛いとき、苦しいとき、痛いとき、殴られたとき、ベルトで鞭打たれたとき、首を絞められたとき。思えば僕の血は、いつも燃えていた。いつから燃えていたのだろう。思い出せない。分からない。
血が沸騰し、熱が体中を駆け巡る。息が苦しくなり、ぜえぜえと浅く荒い呼吸を繰り返す。
そして暴れ回る血に苦しむとき、僕は自分の肌を切りつける。血管の中に充満していた悪い熱が外に逃げていく。刃物の強烈な痛みと引き替えに、熱が外へ抜けて、やがて体がゆっくりと楽になっていく。
そして時々、傷から染み出た燃える血が僕の肌を焦がす。
昨日もそうだった。最近はあまり来なかったので、久しぶりな気がする。
スマートフォンを充電器に差し込み、自分自身もペットボトルの水を飲む。生ぬるい水が喉を伝って胃の中へ落ちていく。生き返ったような気分になった。水の感触が喉に心地よかった。
しばらくしてスマートフォンの画面が光り、あまりの眩しさに僕は顔を背けた。
僕は今日も生きている。
冷蔵庫の中に何があっただろうか。