アネモネ(2)
§
「よう幸せ者。貰ってきたっていう嫁さんはどうだ」
「先輩。からかわないでくださいよ。嫁っていってもアンドロイドなんですから」
「かー、余裕だな! 羨ましいね。子どもは?」
「まあいずれ。だから仕事も頑張らないと」
「取り立てを頑張られると嫌だろうな。今から行くのか」
「ええ。いろいろ斡旋して、ようやくあと三十万引っ張り出すところまでいきましたからね」
「気難しい先にゃお前が一番向いてる。……タツヤ、あんま頑張るなよ。死んじまうぞ」
「大丈夫ですよ」
ジャケットを手に、忠告をくれた先輩を振り返る。
「遺産整理でちょうど三十万入ります」
先輩はこの冗談に笑った。
§
「タツヤさん」
「ん、……おわっ」
振り返った拍子に、肘を強く彼女の頭に打ちつけてしまった。彼女はのけぞってフローリングに膝をつく。
腕に残る強い感触。ぞくっと背中に寒気がよぎる。
「すまない! だ、大丈夫か?」
慌てて彼女の様子をうかがう。いい加減引っ越ししなければならない。彼女と暮らして行くなら、独居用マンションでは手狭だ。
アンドロイドは少し不自然な間をおいて、弱気に微笑んで顔をあげた。
「はい。このくらいでおかしくなったりしませんよ」
「本当か? メーカー検査とか必要ないのか?」
「問題なら自己検査をいたします。ご心配なく」
返事を聞きながら、打ってしまった彼女のこめかみを撫でる。
へこみはない。生え際のくすぐったい感触が指に伝わる。
彼女はクスっと笑って俺を見た。
「割れ物ではありませんでしょう?」
彼女は俺の手に手を重ねる。優しい手つきから温もりが伝わる。
「そうだな。最近、ようやく触れても大丈夫になってきた」
「もっと触ってもいいんですよ。いろんな触り方を試してください……もっと」
「なんだかいやらしいな」
「そういう意味じゃありません! もう……」
彼女はまんざらでもなさそうに笑った。
笑い返して、彼女が大事に抱えている花瓶に視線を落とす。花が生けられていた。これを見せようとして話しかけてきたらしい。
「それは、花か?」
「はい。こういう飾りっ気もいいと思って。赤いアネモネには『あなたを愛する』という花言葉があるそうですよ」
「へえ。洒落てるな」
彼女は嬉しそうにテーブルへ花瓶を置いた。肉厚の花弁を指で優しく触って花の角度を整えている。
彼女の笑顔を愛おしく思う。
「タツヤさん。今日は時間があるのでいつもより長く……しませんか?」
「ああ。……なにを?」
彼女は顔をそむけて、デニムを下ろした。
ぎょっとした。そして恥ずかしくなった。急いで彼女を抱き寄せる。
未だに初心な俺の反応をくすくすと笑って、彼女はささやいた。
「タツヤさん。優しくするばかりじゃなくて、たまにはタツヤさんの好きなようにしてくれていいんですよ」
「こんな細いのによく言う」
「いま、壊れ物じゃないって言ったのに」
「それとこれとは別だろう」
彼女が俺の肩を押す。離れると彼女が顔を寄せてきた。唇を重ねる。
ベッドに倒れ込む──
§
子どもができた。
「アンドロイドが子どもをつくるって、変な感じだな」
「人工授精ができるのですから、不可能だと考えるほうが非合理的です」
「人工授精か。確かにな」
俺たちは、病院の廊下に並んでガラス越しに水槽を見る。
母体のような栄養の供給ができないため、着床と同時に摘出し、培養液で生育させる。これが彼女たちの妊娠だ。
まだ人の形も持たない赤子を見つめるアンドロイドの穏やかな微笑みは、本当の我が子を見るような神秘的な慈愛に溢れていた。
この赤子が彼女に似ることは決してない。
本当の母親はどんな人間なのだろう……そんなことを少し思った。
そう思ったことが後ろめたくて、彼女の手を取る。
細い手首の感じ。なめらかな肩の動き。触れれば壊れてしまうような儚い痩身。可動域は人間より狭いらしい。まさか人間と同じ筋肉帯で支えられているわけはないだろうが。
「タツヤさん」
彼女は俺の肩に頭を寄せて、
「自分を偽るのはもうやめてください」
突然、そんなことを言った。
傍らに目を向ける。彼女は俺の肩に頭を乗せたまま、まるで睦言をつむぐように口を開く。
「あなたの手つきは優しい。壊れ物に障るよう。そんなに私が信頼できませんか? 私に心を開くのは許せませんか?」
「どういう意味だ?」
彼女は俺を見上げる。
人工の美しい瞳が、困惑する俺を映している。
「あなたの愛を受け止めるために……そのためだけに、私はここにいるんです」
するりと腕が俺の背に回された。もう片手で彼女は自分の服を引っ張り、右肩をはだけさせる。うっそりと白い乳房が半ばほども覗いた。
「私の肌がきれいなのはそのためです。私の指が細いのはそのためです。私の瞳が澄んでいるのはそのためです」
透き通るような虹彩が。ガラス玉のような眼球が俺を映して見つめている。
蠱惑的に緩められる唇。美しい顔。
彼女は誘惑するように微笑んだ。
「私を愛してください」
廊下の壁まで押された。壁に押しつけられる。痛いくらいの力で俺の手首を握りしめてくる。
「なにを言ってるんだ。俺はきみを……愛してる」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃない! きみといると気も安らぐし、落ち着く。子どもまで作ったじゃないか」
「安らぎ? 私はそんなものを与えるためにいるんじゃありません。子どもはあなたの親のために必要なだけでしょう。私はあなたの住みやすさのために、あなたに尽くしているわけじゃない」
矢継ぎ早の放言に絶句する。
見慣れたはずの彼女の美貌が、冷たい微笑で俺に顔を寄せてくる。
「私たちは介護ロボットでもお友達ロボットでもありません。人間の代わりです。人間と同じです」
「……なにを、求めているんだ」
「愛してください」
彼女の腕が動く。頬骨が重く歪んで視界が右に跳ねた。
頬を張られた。
じんじんと熱を持つ頬に愕然とする。
アンドロイドの暴力など、ついぞ聞いたこともない。
彼女は熱っぽい瞳で俺にすり寄る。
「自分に素直になって。私を愛して。あなたの愛で」
「は……離れろ!」
突き飛ばした。
思いのほか軽い体はあっさりと吹き飛び、足をもつれさせて倒れる。みっともなく両手を突いて、ひっくり返る寸前まで背中を倒して転がった。
大股で彼女に近寄る。彼女の胸倉をつかみ上げて、……彼女の両腕を改めて握った。暴れないよう強くつかまえる。
彼女は変わらない美しさで俺を見つめている。俺だけを見つめている。
どくどくとこめかみが高く脈打つ。動揺と混乱で呼吸が浅い。
「どういうつもりだ」
彼女は卑屈な笑みを浮かべて俺を見る。
「私は、あなたに愛されるためにここにいるんです」
意味が……わからなかった。
§
その夜、彼女は俺を求めた。
仲直りのつもりで応じた俺が辟易するほど、彼女は俺に愛を囁き、そして愛を求めた。何かに吹っ切れたように激しい行為を、繰り返し求めた。
一晩だけではなかった。
毎夜のように彼女は行為を要求した。応じる俺がへとへとになるほどだ。
仕事に疲れが残るようになった。うんざりした。
彼女がなにを考えているのかわからない。
「タツヤさん。もっと」
「またか……? いい加減にしてくれ」
「お願いします」
彼女の唇が艶めかしくすぼめられる。
「愛してください」
耐えられなかった。
何度、同じ言葉を答えたことか。証明するために応じたことか。俺の献身を蔑ろにしているのはどっちなのか。
「いい加減にしろ! 明日は仕事なんだ」
「……」
彼女は沈黙し、そして引き下がった。
床に敷いた布団に戻る彼女を見送って溜め息が漏れる。
彼女はおかしくなってしまったのかもしれない。
明日、メーカーに問い合わせてみよう。そう思いながら眠った。
§
翌日。俺はぼんやりとした頭で天井を見上げる。
おかしい。
睡眠があまりにも十分すぎる。寝すぎている。こんなに眠れるほど時間に余裕はなかったはずだ。だが、彼女が一向に起こしに来ない。
体を起こす。部屋は暗かった。ぎょっとした。
窓にびっしりとガムテープが貼り付けられている。扉もだ。玄関がガムテープの色で占められていた。
彼女は暖かく整った朝食を前にして、俺を振り返った。
微笑んでいた。いつものように柔らかく。
「おはようございます」
「なんだこれは。どういうつもりだ」
問いかけながら時計を探す。妙だった。置き時計も携帯端末も見当たらない。
「タツヤさん、見てください。花を飾ったんです。アネモネの花を」
彼女は俺に応えず、テーブルの花に目を向ける。
毒々しい目玉のような紫の花がうっそりと俺を見つめていた。
逃れるように目を逸らす。ゴミ箱を見て驚いた。
時計も携帯も捨てられている。割れて壊れていた。
「おい、何考えてるんだ! どうしてこんなことを」
「あなたのためです」
「意味が分からない。いよいよおかしくなったのか?」
窓の隙間から漏れる光は明るい。いつもより寝過ごしたのは間違いなかった。だが陽が高いというほどでもない。まだ間に合うかもしれない……。
玄関に彼女が立ちふさがった。
「あなたのためです」
「お前……、……。……、いよいよおかしくなったらしいな」
クソ、と頭をかく。携帯端末が壊れている。通信会社のショップに行けば代替機がもらえるだろう。
こんな状況でも仕事のことばかり考える自分に笑ってしまう。
彼女を押しのけて玄関のテープを引き剥がしていく。
びっしりとテープ痕のこびりついた扉を開けようとして、まだ寝間着のままだったことに気づいた。クソ。急いで着替えに部屋へ戻る。
カン、カン! という音に振り返った。
彼女がドアノブを壊そうと叩いている。
「なにやってるんだ!」
「ダメです。今日は逃がしません」
「なんなんだ……」
彼女が俺を覗き込むように見ていた。
「どこにも行かせません。今日は最大のチャンスです」
「チャンスって、なんの」
「あなたが私を愛するための」
息を呑んで、すぐにため息をついた。
ずっとこれだ。俺がなにをしても、どう応えても、彼女は決して認めようとしない。
イライラした。
「もう会話が成立しないな。なんで急に壊れたんだ」
アンドロイド相手に恋人ごっこなどできないということなのか。
額を押さえる。考えたくない。
たとえ一時でも、愛されていると感じて、愛したいと思った相手だ。
「分からないふりをしないでください」
彼女が俺の腕をつかんだ。
澄んだ瞳が。ひたむきに揺るがない機械仕掛けの瞳が、じっと俺を見つめている。
「意味が分からないんじゃなくて、分かろうとしないんです。あなたはいつもそうして逃げてきた」
壁まで押し込まれた。
俺と同じシャンプーの匂いが香る。
胸のふくらみを押しつけるようにして、彼女は俺を見上げている。覗き込んでくる。
隠されたなにかを探すように。
俺が必死にしまい込んでいるものを、まさぐるように。
「優しく触れて。優しく労わって。私に感謝の言葉を口にして。恋人ごっこでもするみたいに」
愕然とした。
恋人ごっこ、なんて。
まさにそれを演じるための機械から、その言葉が吐き捨てられた。
「何度も言っていますでしょう。私はあなたに愛されるためにここにいる。恋人ごっこなんてするつもりはないんです」
何度もしつこく聞かされている。同じことを。
どれだけ誠実に返そうとしても、頑なに彼女は「愛してくれ」と繰り返す。腹立たしいくらいに、俺の気持ちを無視し続けている。
「俺の愛って……なんなんだ」
「あなたが。私を見て最初にしたいと思ったことです」
ぐり、と彼女は痛みを伴うくらいの力で俺の胸元を拳でえぐった。
とっさに彼女を突き飛ばす。
大きくよろめいた彼女は膝をベッドにぶつけて、そのまま転んだ。ベッドに大の字に倒れる。
裏切られた。偽りだった。やはり意図された愛などまやかしだ。弾む心臓をこらえて、俺は大きく深呼吸する。
「…………お前はもう、壊れた」
彼女は俺を見つめている。
俺は逃げるように家を立ち去った。