7.押しの一手
ロジェ様が駒を動かすためにふと手を動かされた機会を狙って声をかけます。
「――ロジェ様。わたくし、実は少し調べさせていただきました」
「……ほう?」
ロジェ様が手を止め、駒ではなくわたくしをご覧になりました。
「自分の婚約者になるかもしれない方のご実家のこと、なにも知らないでいられるほど、わたくしは暢気ではございませんのよ」
――さあ、少しはご興味を持っていただきますわよ!
いざ討ち入り、という気持ちで軽く息を吸って顎を引きます。
「――と、おっしゃると?」
「アイデス男爵領のモンスールは主要な産業は農業と畜産業と伺っております。ですが失礼ながら、他領との取引はあまりされていらっしゃいませんね。なぜですか?」
「取引……、調べたのですか、取引量を。あなたが? どうやって?」
「いろいろな資料を突き合わせただけでございますわ」
――たとえば、関税記録。
――たとえば、街道使用料。
――たとえば、関や駅の利用者数。
ウィレンティアにおける各領主が治める領地とは、独立した小さな国のようなもの。たとえ自国内であっても、産物を取引する際、領主の裁量で税をかけることができます。同国民からも街道ひとつ、橋ひとつといえど、維持管理のために通行税を取るところも多くございます。産物の取引にしても同じこと。自領を守るために、また税収を増やすために様々な物品に税をかけることがございます。
――やり過ぎると一切の商品流通に支障を来すことがあり、匙加減がとても難しいところなのですが。
さて、関税記録とはその名の通り、領地同士で物品をやり取りする際にかかる各領地の関税の記録でございます。年ごとになににどれだけの関税をかけたのか、その税率と取引量を提出する義務がございます。関税率は各領地の采配に任せられていますが、不当に関税をかけていないか国が監視する意味合いがございます。
各地の産物は国に税収として納めるもの以外は各領地の采配に任せるところがあり、有事の時を除いて基本的には王といえども手出しはできません。正確な収穫量などは領地内でのみ記録されるもので、各領地がどれだけ貯蔵したり取引したりしているのか中央からはわかりにくい面もございます。
関税記録はそれを把握するためでもあり、また翌年以降の国の税収を決めるひとつの指針でもあると言われています。
――実際、税決定には様々な要因があり、それだけではかれるものではございませんが。
直轄地は別ですが、各領地内のことは各領地でのみ記録されるものであり、中央で統一した記録はございません。本来関税記録は税率の管理のためのものですが、そこから類推することで、各地の取引の様子などを窺うことができます。
街道使用料や関や駅の利用者数を調べれば、どれだけの人や物が行き交っているか、類推することもできます。
特別に内部資料を入手しなくても、公表されているさまざまな資料を組み合わせれば、ある程度は把握できるものです。
なにを調べたかはロジェ様には詳しくは説明せず、ただ微笑んで見せました。
「ご存知の通り、王立図書館で誰でも閲覧できるものを拝見しただけでございますから、ご安心なさってください。調べたといってもその程度ですわ」
先に挙げた資料などは公文書として保存されており、閲覧申請をすれば貴族なら誰でもその日のうちに見ることができます。
ファラゼインでも他領の動向や流行を把握したり、取引する際の関税率を決めるための参考資料としてよく閲覧しているのです。
にこり、と笑って見せると、ロジェ様は頷いて駒を動かしました。そして、少し苦笑されます。
「……産業と呼べるようなものはないのですよ。税を除くと領民に行き渡らせるのにも事欠くほどで……、他領と取引するのはおろか、不作の時は買い入れねば民の暮らしが成り立たないのです」
「――確か、二十年ほど前に火山の噴火がございましたわね。お苦しいのはそのせいではございませんか?」
「ええ、それもあります。――よくお調べになりましたね」
ロジェ様が頷かれました。
わたくしは調べたことを思い出します。
「イグニスモントという山でしたでしょうか。……恥ずかしながら、生まれる前の出来事ですし、今回調べるまでわたくしそれを存じ上げなかったのです。モンスールは北西部でリゼインからは遠い地ですので……」
わたくしは素早く駒を動かし、次の一手を打ちます。王手を防がれながら、できる限りの手を使って攻め続けます。
「ご存知なくても無理はないですよ。小規模噴火で、被害は我が領内で収まってますから」
「人的被害がなかったから習わなかったのだと存じます。突然の自然災害に対して人的被害を出さなかったのは、ご領主の迅速な手腕の賜物ですわ」
「そうでしょうか」
ロジェ様は唇の両端をほんの少し上げました。微笑みに見えますが、どこか皮肉げと申しましょうか、自嘲気味な笑みにも見えました。
コツリ、と敵の駒が動きます。わたくしの無遠慮な駒音と違って、それはどこまでも落ち着いた静かな音でございました。
「五十年ほど前にも一度噴火しているのです。八十年前に拝領して以来、細々ながらやっと領地経営が安定した頃でした。その時は人的被害も甚大で、復興に多大な額がかかりました。ほとんどない僅かな農地や牧草地がすべて灰に埋まったため、何年も不作で飢饉にみまわれ、災害と飢饉で領民の半数を失った、と記録にありました。ただ、他領に害が及ぶものではなかったため、国からの支援は見込めず、他領に多額の借財をする羽目になったのです。やっと落ち着いてきた二十年前にもまた噴火。以来、年々貧しくなる一方で、モンスールの財政は火の車ですよ」
「山があるのですから、林業はなさらないのですか?」
「大きな川が近くにないので、運搬という面で費用がかかるのと、最大の理由が良質な木が育たないことですね。イグニスモントは特殊な地質なのか、あまり木が育たないのです。唯一大量に育つのがフィソニアという木なのですが、柔らかすぎて建材には使えません。成長も早く、見上げるような大木になるのですが、枝がすぐ折れるので木登りしてはならない木と教えられて、役に立たないものは領地では『フィソニア』と呼ばれたものです」
「火山があるなら温泉も湧きますでしょう? 観光業は……」
「辺鄙なところすぎて。王都の方々には興味を惹かれないのでしょうね」
「他に新しい産業を興すことは検討されなかったのですか?」
「――もちろん、いろいろ試してはみたようです。ただ祖父も父も兄も、アイデス家の直系というのはそういう才能が皆無のようでしてね。武家としては勇猛でも、頭も人も使い方がうまくない。それでいて無駄に善良なため、ずいぶん騙されましてね、借財は増す一方です」
そのような状況なら、ファラゼインに婿入りされることは渡りに船、というものではないでしょうか。
ロジェ様が家のためにそうされる気がないのが不思議でした。しかし、この場にいらっしゃっているのですから、まったくその気がないとは考え難いのです。
――これは試されているのでしょうか。
対等な話ができる女性かどうか。
ならば、それを証明しなければなりません。
「あなたなら、どんな産業を興しますか?」
案の定、ロジェ様はそうおっしゃいました。
試すような、それでいてどこか面白がるようなロジェ様の視線を受けて、わたくしは一度息を吸いました。
ターンッ、と音を立てて駒を進めます。
――正念場は、ここからです。
「わたくしでしたら、磁器作りでしょうか」
ロジェ様が驚いたように目を見開きました。
「――磁器?」
「ええ。実際にモンスールに伺ったことはございませんから、資料から読み取れる範囲のことから推測するしかないのですけれど」
「……なぜ、磁器を?」
「二十年前の噴火についても少し調べました。噴火後、被害状況を調べるために中央から調査団が派遣されていますね。その中に、フォンス・ルナール博士の名前がございました」
「フォンス・ルナール……」
「著名な地学博士でございますね。あの奇人が紛れ込んだのなら必ず地質の調査報告があるはずだと、探しました」
「ルナール博士をご存知なのですか?」
「ええ。数年前、リゼインの地質調査を依頼しました。まだわたくしが領地に帰る前で王都におりましたので、連絡役をしたのです。実際に何度かお会いしました。――あの方が調査団にいらっしゃったということは、調査にかこつけたご自分の研究成果をまとめていないはずがございません」
「あなたは……、なにを見つけた、というのですか?」
「火山があるので温泉もございますでしょう? もしや、と文献を探りますと……、結論から申し上げれば、モンスールは良質な陶石の産地でございますわ」
ロジェ様は僅かに息を呑むようにして、完全に手を止めました。
「そもそも、ルナール博士に調査を依頼したのはリゼインで磁器を作れないかと考えたからでございます。残念ながら、リゼインには陶器に適した粘土質はあっても、完全な陶石を産出するのは見込めない、とのことでした。泣く泣く諦めたのです――ところが、モンスールでは大量に産出する見込みがある、とございました。あの方、それを知っていたのにその時は教えてくださいませんでした」
磁器は陶器よりも薄い白く硬質な素材で、弾くと金属のように高く澄んだ響きがいたします。東方からの輸入品はことのほか高く取引されます。
ウィレンティアの貴族や豪商などの富裕層はもちろん、西の隣国サクルマラピスでことのほか重宝されています。東街道の入口であるリゼインは、遠くサクルマラピスまで行く東方の磁器貿易商が数多く滞在しますので、高価な磁器もよく目にすることができるのです。
「――あの白い地層は、イグニスモントの近くならわりと多い地層なのです。掘れば当たるので皆珍しくも思っていない……、そんなものに目をつけられるとは……」
「まさしく宝の山ですわよ。リゼインにあったら、と歯噛みいたしますわ」
「しかし、仮に磁器を作れたとして、それが産業として成り立ちますか?」
驚いた様子はすぐに消えて、再び試すような視線にぶつかります。
ロジェ様の止まっていた手が動き、自陣の王を守るようにまたひとつ、駒が動かされました。
「やってみないことには、としか申し上げられませんが……、勝算はある、とわたくしは存じます」
「ほう」
「まずは国内流通でございますね」
「国内で売れますか?」
「ええ。東方の磁器は大変高価でございます。それは東の小国群や砂漠を越え、遥か大国ソルパテリアから長い時間をかけて割れずに運ばれたものだからでございますね。それが国内で作れるようになれば同じ品質のものが安価で手に入るようになります。これまで手が出せなかった下流貴族や平民にも販路が見込めますわ」
「――そうかもしれませんね」
「そして、輸出」
「……ほう、輸出ですか?」
「はい。サクルマラピスはウィレンティアより更に愛好家が多くおりますから、似たような品質の物を東方より安く売ることができます。モンスールは西部ですから、リゼインから運ぶよりもより安く早くサクルマラピスに届けることができます」
サクルマラピスの王侯貴族の城や屋敷には「東方部屋」という、東方の磁器を集めて置く部屋もあると聞きます。いわゆる社会的地位や身分の象徴というべきものなのでございます。
「さらに、東方へも逆に輸出できると存じます。ウィレンティア風の意匠を施した東方風の器を作れば、需要はございますでしょう」
わたくしはそこで一度言葉を切ります。
タンッ、と力強い駒音が響きました。
――もう少し。あと一押し。
「……最後に重要なのは今後の世界情勢でございます。もしも戦になればまず最初に嗜好品や高級品の交易路が閉ざされます。磁器などは一番に入ってこなくなるでしょう。そうした時に国内で磁器が作れれば、需要が増えて価格は跳ね上がります。ウィレンティア国内だけでなく、周辺国へも高く売れるようになります」
ロジェ様は長い指で顎の付近を触れ、考えるようになさいました。
「ソルパテリアと戦になると? それは、リゼインが掴んでいる情報ですか?」
わたくしはにこりと微笑みました。今は否定も肯定もいたしません。
「――仮定のお話ですわ。常に流動的に考え、最悪を想定して次善の策を練っておけば良いのです。相手がサクルマラピスになっても同じこと。事前に両方の交易路を確保しておけば、たとえ片方が閉じても、もう片方へ売ればいいだけのことですから。両方が閉じたら周辺他国と国内に向ければよいのです。食器というものは割れますから。永遠に買わないことは難しいのですから、完全に需要がなくなるとは考えられません」
実際はそう簡単にはいかないかもしれませんが、可能性のお話ですから。悪くはない考えだと存じます。
「……ふむ。では、王手」
「あっ……!?」
わたくしは、思わず声を漏らしました。
内政ものでも戦記ものでもありませんよ!
安心してください、恋愛ものですよ……!
全然甘くならないけど……、みなさん、ついてきて!(涙目で懇願)