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6.プーニャ開始

 内々の晩餐会は親しい者同士の和やかさで恙なく終わりました。食後のお茶を寛げる別室でいただく頃に、リュカス様は慌ただしく立ち上がりました。


「ロジェ、今夜は泊まれるんだろう? すまないが、二、三どうしても今夜中に片付けないとならない仕事があるんだ。少しの間、外しても構わないだろうか? 後で酒を運ばせるから戻ったら呑もう」

「ああ、構わないよ」


「そういうわけだからクロエ、私はこれで。そなたはローラと積もる話もあるだろう。ゆっくりしていくといいよ」

「ありがとう存じます、リュカスお兄様。本日は大変美味しゅうございました。次回はぜひ我が家へお越しくださいませ」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 今日のお礼も弾んでもらうよ、という言外の含みもあり、にやりと笑われてリュカス様はお部屋を出ていかれました。お忙しいのは事実です。本当はお仕事が詰まっているところ、無理やり予定を合わせてくださったのでしょう。


「ロジェ様、クロエはプーニャが得意ですのよ。わたくしはそんなに得意ではないので良かったらクロエと対戦されたら?」


 ローラが遊戯盤の前へ誘います。





 ローデレ・プーニャは盤上の遊戯で、もともとは西隣の大国サクルマラピスから伝わりました。それぞれ王となる駒を持ち、互いの王を取り合う遊戯です。貴族の家には一般的にあるもので、男性がよく嗜みます。騎士が戦術の基本を学ぶ時にも使われ、見習い騎士はこぞって楽しみます。


「クロエ、ロジェ様はプーニャの名手としても知られていらっしゃるのよ。王城のプーニャ指南師にも勝たれたことがあって、総指南師にぜひ指南方へと望まれたのよ」


 王城のプーニャ指南方とは国中からプーニャの名手を集めた部署で、王族に指南したり、国内の大会を取り仕切ったり、代表者は外国の名手と対戦したりしています。日々研鑽し、新たな手を研究されているそうですが、そこの総指南師といえば、指南師の総取り纏めをする方で、王に直接指南できるのはこの方だけだそうです。その総指南師に認められるのはなかなかございません。


「まぁ、素晴らしいですわ。是非ご指南くださいませ」

「勝てたのはまぐれですよ。――指南ではなく、一戦こちらからも対戦願いましょうか」


 プーニャは様々な戦術があり、実力が拮抗した相手となら何日にも渡って対戦することもございます。わたくしの場合はそこまでではございませんから単なる遊びですが、一刻や二刻はかかるでしょう。時間を潰すには充分な遊びです。その間、ゆっくりお話ができるというものです。


「それではお願いいたします」


 盤を挟んで座り、盤の横には審判よろしくローラが座りました。相手の実力がわからないので互いに駒落ちはさせず、通常通りの駒数でやってみることになりました。駒を振り、まずは先手か後手かを選びます。王がこちらを向いて落ちたので選ぶ権利はわたくしになりました。少し考えて後手を選びます。

 一昔前まで先手必勝と言われていましたが、後手の方が有利ではないか、という研究が近年の定説となっています。初心者は後手を譲られることが多くあります。しかし、戦術に依っては必ずしも後手の方が有利というわけでもなく、難しいところではあるのです。


 互いにまずは定石を指しながら、相手の出方を探ります。アイデス様は正統派の堅実な守りの戦法を取られるようです。さて、どう攻めていきましょう?

 真剣に悩み始めたところで、別室にいた侍女が部屋の隅に控えていた執事のダンになにやら耳打ちします。


「お嬢様」


 小声でダンがローラを呼び、そっとなにかお話ししています。ローラは頷くと立ち上がりました。


「ロジェ様、申し訳ございませんが、急な来客のようです。今日は生憎母が外しておりまして……、すぐに戻りますので、しばし外しても構わないでしょうか?」


 第一夫人のテューラ様は主に王都に滞在し、アーヴェル家の社交を一手に引き受けておいでです。本日も別のご用で外されています。身内の友人同士の小さな晩餐会でしたので、今日はリュカス様とローラに任せておいででした。そのようにローラ達兄妹が仕向けた、というのが正解なような気もしますが真実はわかりません。テューラ様というのは常に全てをご存知なような気にさせる方です。どちらにしてもわたくしにとっては好都合です。


「ああ、側仕えがお困りのようだ。早く行っておあげなさい。私達はプーニャを楽しんでいるから」

「ありがとうございます。ごめんなさいね、クロエ。――ダン、エマ、お客様に失礼のないようお願いしますね」


 ローラがわたくしにだけわかるように片目を瞑って見せました。わたくしはハッとしました。遊戯に真剣になりすぎて忘れていました。

 通常、晩餐に招いた主催者側が招待客を放っておくようなことはございません。いくら気安い者同士の晩餐会といっても。もしそのような不測の事態が起きれば、招待客の方が気を使ってお暇するところなのでしょう。

 しかし、ロジェ様も帰る素振りは見せず、わたくしもプーニャを続けるつもりでございます。


 ――そう、すっかり忘れていましたが、頃合いを見てふたりにしてくれる、との約束でした。もちろん、アーヴェル家の執事のダンと侍女のエマは部屋の隅に控えておりますが、アーヴェル家の信頼厚い側仕えですから、余計な口は一切挟みません。

 わたくしの様子を見てローラが「真剣にやりなさいよ!」と声には出さず叱責するような視線で軽く睨んでから、アイデス様に挨拶し、部屋を出て行きました。


 気づくとアイデス様は頬杖をついて涼やかな切れ長の目でこちらをじっと見つめていらっしゃいます。


「さて、クロエ・サルマ嬢。あなたの番ですよ」

「ええ、――では」


 わたくしは、通常有り得ない手を打ちました。本来守る場面ですが、敢えて打って出ます。守りは薄くなりますが、早さで押します。ここからは押しの一手なのでございます。


「ロジェ・アイデス様。本日の晩餐会に招かれた理由、ご存知ですわよね?」


 わたくしの一手をアイデス様は面白そうに見ながら、まずは簡単に防げるよう駒を動かしました。


「どうぞ、ロジェとお呼びください。――率直に申し上げて構わない、ということですね?」

「ロジェ様、ではわたくしのことはクロエとお呼びくださいませ。どうぞ、率直におっしゃってください。わたくし、回りくどいことは苦手なのです」


 だん、と音を立てて違う方向からすぐさま攻めます。

 その手を見てロジェ・アイデス様――ロジェ様はククッと、たまらず笑い出しました。怜悧な印象ですが、そうして笑うと存外年相応の若者に見えます。


「では、クロエ嬢。率直に申し上げますとね――今結婚する気はないのです」

「えっ……」


 わたくし、あっと言う間に振られました!?

 コトリ、とロジェ様の手が攻めに転じます。


「あっ……!」


 打って出たために、薄くなっていたところに思ってもいなかったところから攻め込まれました。あと数手もあれば王手になってしまいます。しかし、ここで引いてしまえばおしまいです。わたくしは即座にバーン、と音がするほど、相手の王の前に駒を進めます。


「――瞬殺ですわね。でもまだ勝負はついていません!」


 ロジェ様は王を動かさず、別の駒でまずは自分の王手を防ぎます。予想通りの動きに、さらに攻めを続けます。


「なぜ、とお聞きしてもよろしくて?」


 ロジェ様は冷静にコトリ、と駒を動かしわたくしの無謀な攻めを防ぎました。鉄壁の守りです。付け入る隙がありません。ただ、まだ負けていません。どんなに無様な形になろうとも、ファラゼイン一族の者は引かないのです。本当に打つ手がなくなるまで打ち続けます。

 もう一手、攻めます。ロジェ様は、わたくしの攻めをうっすらと微笑むように眺めておいででした。次の手を打つ前にちらり、と盤面から目を上げ、私をご覧になりました。


「理由を申し上げる前に、少し家の話をしましょうか」

「ええ……、お伺いしたいですわね」


 そのあたりに、お断りの理由があるのでしょうか。先ほど笑まれた時には年相応だと感じられたロジェ様の目が、急にすっと冷たさを増したように感じました。


「――私は西部の出身でしてね。父は小さいながら領主でもあります」


 ご家族のお話を出されているのに表情の動きは薄く、整った容顔だけに冷ややかさに拍車がかかるようでございました。


「男爵家でご領地をお持ちだなんて優秀なお血筋なのですわね」

「アウレア・ルプス王の時代に武功を立てたようですよ。――ただ、村のようなものです。あのような地ならない方がずっと楽でしてね。大領地のお嬢様にはご想像が難しいでしょうが……」


 そうでもございません。アウレア・ルプス王の時代にご領地を賜った爵位のあまり高くない新興貴族はその後、領地経営に行き詰まることもよくございました。リゼインの周囲にあった小領地を我が領でいくつかお預かりしたこともございます。ファラゼイン家でいくらか支払い、そのお金で王都でお暮らしの貴族もいらっしゃいます。――簡単に言えば買い取る形でございますね。辺境では珍しいことではございません。

 そのように申し上げると、ロジェ様は一手指しながらわたくしに尋ねました。


「クロエ嬢は、小領地の領主がなぜ領地経営に行き詰まると思われますか?」

「……小領地だから経営に行き詰まるわけではございませんでしょう? 成功している領地もございます」

「失敗するところが多いのも事実です。我が領も、成功しているとは言い難いのです。――その原因をどう思われますか?」

「……厳しいことを申し上げても?」

「どうぞ」


 わたくしはもう一手、攻めました。またロジェ様に簡単にかわされます。


「これは私見でございます。――そちらのご領地のことではないとお思いくださいませ。小娘の言うことですから、ただの戯れ言とお聞きくださいませ」

「前置きは結構。最前あなたは回りくどいことが苦手とおっしゃったでしょう」

「では申し上げますが……、わたくしは知らないことが原因だと考えております」

「――ほう?」


 ロジェ様に視線だけで先を促されます。わたくしは次の手を考えながらかねてより不思議に思っていたことを挙げて行きます。


「領地を円滑に豊かにするにはまず土地を知らねばなりません。新しく領地を得た貴族はそのあたりを蔑ろにされる場合が多いようです。なぜ、知る努力をなさらないのでしょう? まず領民が何人いるか、どのような者が住んでいるか、地質、地形、気候、地の利、なにが育ち、なにを作る者が住むか、その土地の者がなにをもって生計を立てるのか、その土地に向いていることと不向きなことを詳細に調べる必要があります。さらに身分にかかわらず根気強く人材を探し、また師となる者を連れてきて、あるいは見つけ出し、こつこつ人を育てるのです。教育に注ぐ費用をなぜ出し渋るのでしょう? ――領民から税や兵力を取り立てることだけにお金をかけ、領民を育てることにお金をかけないのはなぜでしょう? 国内に良き師がいなければ、外国人でも構わず連れてくれば良いのです。商人は優遇し、どんどん物を流通させれば良いのです。どんな伝手でも使えば良いのです」


 たたみかけるようなわたくしの答えにロジェ様は興味深そうに目を見開きました。わたくしはさらに続けます。


「使えるものは猫でも使え」

「――は?」


 わたくしは音を立てて次の手を指しました。

 にこり、と笑いロジェ様を真っ直ぐ見つめます。


「我が家の家訓でございます」

「――なぜ、猫?」

「さあ? ご先祖様が猫好きだったのでしょうね。馬や犬では既に働いておりますから。――まぁ、動物はなんでも良いのです」


 本当は「使えるものは王でも使え」というのです。不敬過ぎて口には出せません。猫はわたくしが好きなだけです。


「領地を得るというのは報償ではございません。身に過ぎた暮らしをしようとするから立ち行かなくなるのです。領主は贅沢な暮らしをするためになるのではございません。領民を守るためになるのです。自らの民を、家族と思えない者にはそもそも務まりません」

「――精神論ですか」


 一瞬、興味深そうに見開かれた目は一気に興味を失ったかのようにすっと細められました。心なしか「失望した」とでも言うように肩を竦められ、綺麗事、と揶揄されたことに、わたくしはにこりと笑みで返します。


「その通りでございます。だから小娘の戯れ言と申し上げましたでしょう? ――ただ、我が領はそれを実践しておりましてよ? 拝領以来、どなたにも領地をお譲りしてはおりません」


 射抜くような怜悧な眼差しを、わたくしは正面から見つめ返し、負けないように微笑みます。

 旗色が悪いことを感じ、内心焦燥感に駆られます。


 なぜ、こんなお話になっているのでしょう。結婚と領地経営になんの関係が?

 ……いえ、もちろん結婚と領地の状況は関係はございます。ただ、今しなければならないお話なのでしょうか? ……する必要があるのでしょうね。ロジェ様にとって、これは重要な点なのでしょう。


 どうやら、先ほどのわたくしの回答はお気に召されなかったようです。なぜ、わたくしというのはいつも、言わなくてもいいことまでつい口にしてしまうのでしょう。

 ……ですが、先ほどの言葉はわたくしの信念ですし、間違ったことは申し上げていないのですから、前言を撤回するつもりはございません。


 さて、ご興味を失いかけている今、この方のご興味を引くには、なにが必要かしら?


 先ほどの返答だけでは、小娘の浅慮な理想論と片付けられそうです。多少は具体性のある案を出して見せないとならないようです。手の内を晒すしかございません。

 本来は婚約者になってくださったら徐々に提案しようと考えていたことを申し上げてみることにいたしました。

(素朴な疑問)


クロエ→「『プーニャ』って変わった名前ですわね?」

ローラ→「どこかの猫好きが考えたのではないの?」

クロエ→「ああ! なるほど!(納得)語尾にニャをつけるあれですわね!」

ローラ→「冗談よ。簡単に納得しないで……」


◇◇◇


とりあえず、猫とは関係ありません。

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