伯爵令嬢は友情のお茶会を開く(2)
数日後、再びメディシュラムの離宮を訪れたローラは、屋敷の正面玄関から出てきたシュテンベルヘン伯爵夫人とすれ違った。
ローラは顔を知っている程度にしか面識がない。道を譲り会釈すると、シュテンベルヘン伯爵夫人も柔和に微笑んで優雅に会釈し、通り過ぎた。
アンリエット・ファン・シュテンベルヘンはもともとは男爵家の令嬢であったが、その立ち居振る舞いの美しさを見初められ、伯爵家の第一夫人として迎えられた人だった。社交界に身を置く令嬢でその名を知らない者は少ない。
現在は王族にも行儀作法を指導するほどで、その身のこなしの美しさは噂通りの人だった。
夫人を見送りながら、アートゥラはいよいよ本気らしい、とローラは思う。
アートゥラはローラに貴族らしい立ち居振る舞いを付け焼き刃で習ったのだが、「人前に出るつもりはないからそれ以上は必要ない」を口癖に、本格的な行儀作法を身につけることから逃げ回っていたのだ。
――それが、どうやら今回の計画のために多忙なシュテンベルヘン伯爵夫人を屋敷に呼ぶ、という無謀とも言える行動に出た。ヴァシルのつてを辿ったのだろう。
果たして、茶会室へ向かえば、放心したように机に突っ伏すアートゥラがいた。
「噂の先生はそうとう厳しいようね」
開口一番苦笑混じりにそう言えば、顔を上げる気力もないほど疲れきっているのか、生気のない返事が返ってくる。
「……全否定だったよ……」
囁くような呻き声に、呆れてローラは呟く。
「……どうせシュテンベルヘン伯爵夫人に習うのだったら、中途半端に私などに習わず最初から夫人にお願いすれば良かったのに。それこそあの舞踏会の前とか」
「あれは一曲踊るだけでいいって言われたから。時間なかったし。ダンス覚えるだけで精一杯だったんだよ。ダンスはさあ、ヴァシル様うまいしさ、わざわざ先生呼ぶほどでもないかって、さ……」
「『振り』だけで済ませようとしたツケね」
アートゥラはうーん、と呻いた。
「……既に、後悔しかない……」
ソレルが茶と茶菓子を運んできて、茶会室を整えてくれる。
席につきながら、数日で憔悴しきった様子のアートゥラに尋ねた。
「計画はやめる?」
ローラはそれで構わない。むしろ、あまり巻き込まないでほしい、とも思っている。
しかし、がばり、と顔を上げてアートゥラは強い瞳で拳を握った。
「いや、やめない……! ここまできたら、最後までやってやる……!」
「そう」
ローラはせっかく出してもらった茶に口をつける。
ソレルが淹れたものはやはりアートゥラよりも美味しい。
静かに茶器を置くと、ローラは立ち上がった。
「では、ヴァシル様に許可をいただきに参りましょう」
「ローラ?」
「王都まで、行くわよ」
「王都?」
「あなたは揃えないといけないものが多すぎるわ。そのあたりも完璧にしないと」
「ま、待って。なにするつもり?」
「わたくしに任せておくことね。――計画を完璧にしたいなら」
ヴァシルから許可をもぎ取り、ソレルを先触れに飛ばすと、ローラはアートゥラを連れて王都へ馬車で向かった。
ついたのはセシリアの店だった。
ローラに引っ張り出され、店を見たアートゥラがぎょっとして声を上げる。
「い、衣装店!? ここ、高いとこでしょ!? ま、待ってよ、ローラ、まさか……!」
「まさかもなにもあったものではないわ。またわたくしに既製品を選ばせるつもり? 今度こそ、きちんとしたものを用意させなさい」
「え、や、いいよ! 衣装なら前にもらった立派なのが何着もあるってば……! あれ着ればいいでしょ!?」
「いいわけがないでしょう!? 一度袖を通したものを使うつもり!? 特急で特注品を仕立てなければ許さないわ」
「やだ! そんなことしたらまた借金がふえるじゃないか!」
「軍資金ならヴァシル様からお預かりしてきたから安心して」
「だから、それが一番安心できないんだって!」
「ダイクの領地からお金が入っているでしょう? 少しくらい贅沢なさいよ。みすぼらしい形では伯爵令嬢が恥ずかしくってよ」
「アーヴェルお預かりだった時はまだしも、ダイクは単体だとやればやるほど赤字なんだよ! むしろ大変なんだって!」
「そこはファラゼインの優秀な役人を派遣してもらいなさいよ。そのためのクロエでしょう?」
「うっ……! こ、交渉してみる……! でも、それとこれとは別だって! これ以上ヴァシル様にしてる借金増やしたくないのに……!」
「――おふたりとも。ご令嬢が店先で言い争うと目立ちますよ」
冷静な声がかけられ、ふたりははっとして声の主を見る。
店から、茶と白の斑髪の青年が出てきた。先触れとして、既に到着していたヴァシルの使い魔であるソレルである。
ソレルの後ろからは店主のセシリア夫人も笑顔で現れる。
「お待ちしておりました、マリヌ・ローラ様。そして、アートゥラ・ファンダイク様。どうぞ、中へ」
セシリアに導かれて、奥の応接室へ向かう。
改めて三人に茶が振る舞われた。
「アートゥラ・ファンダイク様、店主のセシリアと申します。ようこそお越しくださいました。お会いできて光栄に存じます。――本当に。ぜひご本人にお会いしたいと思っておりましたの。当店の衣装はお気に召しまして?」
挨拶なさい、とローラに促されてアートゥラが慌てて貴婦人の礼を取る。
「は、初めまして。あの衣装、こちらのものだったのですね。――はい、とても素敵だと気に入っています」
「――想像していた以上に可愛らしいお方。マリヌ・ローラ様、あの衣装はこちらのご令嬢のためのものだったのですね」
「過日は大変無理を申し上げました。ヴァシル様もたいそうお喜びでしたよ」
「あれがこちらの実力と思っていただいては困ります。――ご本人を拝見できたからには、よりお似合いの最高のお品をご用意いたしますわ」
「もちろん。期待しています」
にこやかなふたりの会話に口を差し挟めるはずもなく、アートゥラが呆然としたままやりとりを耳にしている。
「――では、早速」
セシリアが控えていた店の者に合図すると、アートゥラはそのままガシッと両脇を固められる。
「え? え、え!? ど、どこへ!?」
しずしずとやってきた数人に有無を言わせず連れられていく。
「先日は採寸もさせていただけませんでしたから。今度こそ、ぴったりのものをご用意できると思うと、腕が鳴ります」
「あ、あの……!? ローラ!? ソレル!?」
「ご安心なさって。当店の優秀な職人にすべてお任せくださいませ。――さあ、マリヌ・ローラ様、ソレル様、どんな衣装にされるか相談いたしましょう」
「ロ、ローラ~……!」
静かになった応接室で、ローラとソレルとセシリアが残される。
「騒々しくて申し訳ございません」
ローラが謝ると、セシリアが控えめながら抑えられないとでもいうような笑い声を漏らした。
「――いいえ。本当に不思議な魅力がございますね。噂だけはいろいろとお伺いしていましたが」
「あの舞踏会の後、あの衣装に似たものをいくつか拝見しました」
どうやらあの夜のふたりは社交界に相当な衝撃を与えたようで、アートゥラが着ていた衣装は流行の兆しがあった。
「えぇ。当店の品だと噂が広がったようで、お陰様で注文が殺到しております」
「そう。では、お忙しいところ、ご迷惑をおかけすることになりますね」
「まさか。マリヌ・ローラ様やヴァシル様のご注文でしたら、なにを置いてもお受けいたしますわ。なんなりとお申しつけください。それに――」
セシリアには珍しく、目元がほんのりと紅く染まり、いささか興奮したような風情にも見えた。
「わたくし、あの方を実際拝見した先ほどから、新しい意匠の案が溢れて止まりませんの。――失礼」
そして、紙とペンを持ち出すと、素描を描きつけ始める。
「このような御衣装はいかがでしょう?」
幾枚も記入し始め、いくつか説明を書き込み出す。
ローラとソレルは驚き目を合わせた。
「夫人自ら腕を振るっていただけるの?」
「えぇ。最近は経営に専念して若手に任せることも多くなりましたが……、あんな逸材、他に譲る気はございませんよ? さて、どうでございますか? おふたりにはご希望はございますか?」
ローラとソレルはアートゥラに似合いそうなものを、セシリアの素描を元にああでもないこうでもないと、相談し始めた。
アートゥラがげっそりした顔で採寸から戻ると更に、三人は色見本や生地見本などを実際にあれやこれや合わせ出した。刺繍や透かし編みの膨大な候補の組み合わせ、色糸の染め見本などそれこそ天文学的な組み合わせが成り立つ。
「ね、ねぇ、私、かれこれ一刻や二刻立ちっぱなしのような気がするんですけど……?」
「もう少し我慢なさい。――ねえ、ソレル。こちらの色味の方が肌に絶対映えるわよ」
「うーん、そうですね。でもそれだと髪の色との相性が――」
「生地は絶対こちらですわよ、マリヌ・ローラ様」
「ああ、でも、あまり甘すぎるのも……」
「少し神秘的でいらっしゃるから、ゴテゴテと飾り付けるよりあえてサッパリとしたものの方がいいかしら……」
「ねえ……、ねえ、聞いてる……、三人とも……? 私、さっき、シュテンベルヘン夫人にさんざんしごかれた後なんだけど……? あ、そ……、無視……? 無視なのね……?」
ぐったりとして、もう文句を言う気力もなくなったらしい。
「……できれば、シンプルで動きやすくてお値打ち価格のものをお願い……」
「お黙りなさい、アート。令嬢自ら金額をどうこう言うのは、はしたなくってよ」
「はい、ごめんなさい……」
最早口出しすることを諦めて、アートゥラは大人しく布を当てられ続けた。




