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婚約式 ―皆に、幸あれ― 後編

「さあ、おふたりとも。ヨゼフィーネお姉様をお幸せにして差し上げない理由を、今! ここで! はっきりおっしゃってくださいませ!」


 ファラゼイン邸の庭も質実剛健、という言葉が合う。

 専用の庭師がいるから、もちろん美しく整えられているが、匂いや煌びやかさを誇る花よりも常緑樹の大木や果樹が多く、花と言えば野花のようなささやかなものが咲いているだけだ。リゼインから移植したり、東方由来のものも多く、普通の王都の貴族の屋敷とは趣が違った。

 野趣溢れる、と表現する者もいる。

 榛の木を背に、アーヴェル家の次男と四男ふたりを綺麗な榛色の瞳が睨んだ。


「……クロエ、私はフィーネを幸せにしないつもりはないよ」

「どちらのお口がそのような世迷い言を呟くのですか? どれだけお待たせしていると思っていらっしゃるのですか?」


 ふん、と鼻息荒くクロエに正論を吐かれて、リュカスも反論しようがない。恨めしそうに、どこ吹く風という風情の兄を見る。


「――まあ、リュカスお兄様はよろしいのです。わたくし、ちょっと借りもございますし。……諸悪の根源は、あなたですわ、ラルス様!」


 ビシッと音がしそうなほど、指を突きつけられて、ラルスがにやにやと笑う。


「そこで笑う意味がわかりませんわ! なんなのですか……!」

「いや、だってさ~。なんでクロエがそんなに怒るかな、と思って。関係ないでしょう?」


 小馬鹿にするようなラルスの物言いに、クロエがピリピリとした雰囲気を漂わせ始めた。


「クロエ……、『諸悪の根源』は言い過ぎ……」

「リュカスお兄様は黙ってらっしゃいませ!」


 睨まれて、リュカスは肩を竦める。

 ラルスは口笛でも吹きそうな雰囲気で、あらぬ方向を見ている。

 クロエの堪忍袋の緒がぷちん、と切れる音をリュカスは聞いたような気がした。


「……そうですか。おふたりとも、表に出てくださいませ」

「あ、いや、もう庭だから出てるよ」


 リュカスが冷静に突っ込むと、クロエははっとしたように、頷く。


「あら、そうでした。では、御覚悟はよろしいですわね?」

「え、覚悟? なんの?」


 リュカスが問い返すが、クロエは伯爵令嬢らしく微笑んだ。


「根性を叩き直される、御覚悟はおありかと、判断いたしました。――わたくしと勝負なさいまし」


 クロエがなぜか、榛の木の後ろから長剣を取り出した。

 リュカスはぽかんとしてそれを見つめる。

 ――なぜ、庭にそんなものが?


「ファラゼイン邸の庭には曲者に備えて、家の者しかわからない場所にたくさんの武器が隠してございますの。剣ならいくらでもございますから、さあ、勝負なさいまし!」


 ラルスとリュカスにさらに、それぞれ剣が投げつけられる。

 ぱしり、とラルスが受け取り、リュカスはあやうく取り落としそうになった。


「剣、って! 私は剣術は無理だよ!」


 騎士じゃないんだから! という叫びはクロエには届いていないようだった。

 聞こえないかのように、嫣然と微笑む。


「リュカスお兄様はなにをおっしゃっているのかしら? お婿に行って領主になられるのでしょう? 伯爵軍の将は領主ですわよ。剣術ができなくて、領主が務まりますか。アーヴェル家の方でしたら、基本は修めておいででしょう?」


 すらり、とクロエが剣を抜く。

 ひっ、とリュカスが剣を抱きしめて息を呑んだ。


「いや、ほんとに基本だけだよ。領主が軍の長なのはわかるけど、今の時代、普通は本職に任せるものだろう?」

「そのような御覚悟だから、婚約者も幸せにできないのですわよ! では、行きます!」


 ドレス姿でなにしてるんだ!? というリュカスの内心の叫びはやはりクロエには届かないようだった。

 リュカスに打ちかかったクロエの前に、軽い動きで剣を抜いたラルスが出た。とん、と肩を押され、リュカスが転ぶ。

 ガチリ、という音がして、クロエの繰り出した剣が受け止められた。


「お転婆娘、健在だなあ。私にだって借りがあるじゃないか、クロエ」


 にやりと笑ったラルスに、クロエがむっとした顔を見せる。


「借りなんか、ございませんわよ」

「あれあれ~、そんなこと言っちゃっていいの? モンスールのこと調べてる時、助けてあげたでしょー?」


 びくりと、飛び退いて、クロエが構え直した。

 剣先が、ビシリとラルスの喉元へ向けられる。


「――あれは、図書府の仕事のうちではないですか。調べものの手助けをするのは」

「えー、いいの~? 辺境伯に言っちゃおうかな~」

「な、なにを……!?」

「おたくのー、娘さんはー、はしたなくもー」

「えぇ……っ!? や、やめてください!」

「既成事実をー、作ろうとー、男を落とすためにー」

「やめてください! なんでご存知なんですか!?」

「アーヴェル家のー、情報網をー、舐めるなよー」

「……ああ、もう! うるさいですわよ!」


 真っ赤になったクロエが剣を振りかぶった。

 茫然と見ていたリュカスの手からすっと誰かの手が剣を取り上げる。

 リュカスの口から思わず間抜けな声が零れた。


「……へ?」


 ラルスに打ちかかった剣を受け止めたのは、クロエの婚約者であるバルトルトだった。リュカスの手から素早く剣を取り上げ、クロエの剣を受け止めて、さらにその手から弾き飛ばす。


「ドレス姿でなにをやってるんだよ」


 先ほどリュカスも思ったことをバルトルトも指摘した。


「バリィ、止めないで!」

「止めるに決まってるだろう。せっかく綺麗なのに、汚れる」


 ほら、とクロエのドレスの裾を指差し、少し汚れてしまった箇所を教えた。


「ああ!? せっかくのドレスが!? ――それもこれも、すべてラルス様のせいですわ!」


 改めて、弾き飛ばされた剣を拾いに行こうとするクロエの腕を、バルトルトが掴む。


「いい加減にしろ。もうすぐ式が始まるぞ」

「でも……!」

「これ以上続けるなら今ここでその口、塞ぐぞ、俺の口で」

「く……!?」


 クロエが今度は怒りではなく羞恥で指先まで真っ赤に染まり、動きを止めた。そして、しおしおと肩を落とす。


「……お化粧、直してきます……」


 そのまま屋敷の方にぱたぱたと駆け出した。しばらく行って、くるりと振り返り、拳を振り上げる。


「ラルス様のばーか! 今回は見逃しますけど、早くリュカスお兄様を解放なさってくださいませ! 次は本気で叩きのめしますわよ! それと、リュカスお兄様も! 少しはヨゼフィーネお姉様のことも考えてくださいませ!」


 捨て台詞を吐いて、ピュッと駆け出す。

 バルトルトは大きく溜め息を吐いた。


「……兄上達も、まともに相手しないでくださいよ、子どもじゃないんだから」


 一番年下の弟に言われて、リュカスは肩身が狭い。

 ――ただ、一番子どもみたいなのはクロエではないだろうか、と思った。


「お前、よくあれを嫁にしようと思ったなぁ。尊敬するよ」

 ラルスが、にやにや笑って弟の肩を叩いた。

「……可愛いところもありますよ。まあ、クロエはやり過ぎだと思いますけど、正直俺もヨゼフィーネ義姉上が気の毒だと思いますよ。ふたりとも、よく話し合ってくださいよ」


 でないと、またクロエが首を突っ込む。こちらを巻き込まないでくれ、とバルトルトは溜め息を吐いて、会場の方へ戻って行った。





 クロエとバルトルトが戻り、婚約式が始まった。

 ヨゼフィーネは待つ間に軽い酒を三杯飲み、ほろ酔い気分でにこにことそれを見つめた。

 婚約式は結婚式に比べると、あっさりしている。司祭の前で婚約の誓約書にふたりで署名するだけだ。貴族の婚約は王に報告の義務がある。誓約書に署名し提出するだけで、本来は成立し、式をやらなくても構わなかった。実際、平民は書類だけで済ませることも多いようだった。しかし、貴族の場合はその後の社交の関係もあり、御披露目を兼ねて招待客の前で婚約式を行うことが常だった。

 司祭が誓約書を招待客に見えるよう掲げ、わっと拍手が起こった。

 クロエとバルトルトが幸せそうに微笑んでいる。


 ――いいわねぇ……。

 ふわふわとした気持ちで、ヨゼフィーネはそれを見ながら、自身の婚約式のことを思い出していた。

 あれは、もう何年前になるのか。

 リュカスが成人した年だから、ヨゼフィーネはまだ成人前の少女だった。

 お互い署名し、にこりと笑みを交わし合ったことは記憶にはっきりと残っている。あの頃、ヨゼフィーネが成人したら、すぐにでも結婚できると思っていた。

 ――それが、一体もう何年経ったのか。

 数えるのも億劫だった。

 ――まあ、いいか。

 そう思ってしまう。

 ――リュカス様が好き。それ以上になにか考える必要があって?


 酒を飲んだからなのか、幸せそうなふたりに影響されたのか、明るい気持ちで心が浮き立っていた。

 まだ少年らしさが抜けないリュカスのあの頃の笑顔を思い出して、ヨゼフィーネはそれにもまたくらくらした。結婚を誓ってくれた、笑顔。素敵な求婚の言葉。小さなリュカスも大人になったリュカスもどれも自分だけのものだ。どの姿のリュカスでも見つけられる自信があるし、どのリュカスも変わらず好きだった。


「フィーネ」


 いつの間にか、リュカスが隣に戻ってきていた。

 これは、夢かしら、とヨゼフィーネはふわりと笑う。

 すっと、握られた手の感触で、かろうじて現実かな、とも思う。


「リュカス様。お話は終わって?」


 リュカスは苦笑した。なにをクロエに言われたのだろう、とヨゼフィーネはふと思ったが、追及はしないことにした。


「あら、リュカス様。頭に葉っぱが……」

「え、そう?」


 リュカスが慌てて頭に手をやるのを止めて、その髪から庭木の葉を取る。

 ――葉っぱがつくようなこととはどんな話し合いだろう、と少し不思議に感じたが、さらりとして柔らかなリュカスの髪の感触で、ヨゼフィーネはそれもどうでもよくなる。

 ――この頭、ぐりぐりしたい。人目がなければ!

 などと思っているからもう重症だ。


 署名は終わり、音楽が流れ始めた。

 主役のふたりが中央で舞踏を披露する。

 婚約式には定番の曲だ。陽気で速い調子の明るい曲。この曲を聴くと、ヨゼフィーネも陽気な気持ちになる。

 ――幸あれ、と叫びたくなった。……伯爵令嬢だから、そんな真似はしないけれど。


 クロエもバルトルトも素晴らしい足裁きで、踊る。そういえば、ふたりが踊るところは初めて見た。お互い別の人と躍っているところは見たことがあったが、もしかして人前でふたりで踊るのは初めてなのではないだろうか。

 それなのに息もぴったりで、ずっと前から練習していたかのように、他の人が真似できないような高度な動きを事も無げにしている。

 流石、剣技に優れた辺境伯の令嬢と国内最強の騎士団の騎士だ。体を動かすことが得意なのだろう。

 ヨゼフィーネは楽しそうに目を見交わしながら踊るふたりをうっとりと見つめた。


「こんな素敵な式に招かれて、わたくし幸せですわ」


 そして、にこり、とリュカスに微笑みかける。


「ありがとう存じます、リュカス様。連れてきてくださって。幸せって、伝わるものですわね。わたくしまで、とても幸せな気持ちです」


 きゅっと、リュカスがヨゼフィーネの手を強く握った。


「フィーネ、踊る?」

 いつの間にか、主役の舞踏披露は終わり、別の曲が流れ始めていた。招待客が幾人も踊り始める。

 ヨゼフィーネは微笑んで頷いた。

「……えぇ、喜んで」

 

 リュカスに手を引かれ、踊り始めたが、なんだか足元がふわふわしている。

 ヨゼフィーネの頬はほんのり赤く染まっていた。


「……あれ、フィーネ、もしかして少し酔ってる?」


 踊り始めたら、流石にリュカスも気づいたようだ。


「……そうですか? 少しお酒はいただきましたけれど……うふふ、なんだか楽しくなってきてしまって……」


 くすくす笑いながら、ヨゼフィーネは曲に合わせてくるりと回った。


「フィ、フィーネ? 大丈夫?」

「えぇ、大丈夫ですわ……」


 ふわっと笑って首を振ったが、躍ったことで酒が回ったようだった。

 そのまま、へにゃっと倒れそうになる。


「わー!? フィーネ!」


 支えたリュカスの声が遠い。


「ふふ……ふふふ……」


 微笑みながら、ヨゼフィーネはそのまま意識を失った。

 リュカスに抱えられたヨゼフィーネの顔は笑顔だった。





 はっとしてヨゼフィーネが目覚めると、知らない部屋の天井が見えた。

 遠くに楽しげな喧騒が聞こえる。

 どうやら長椅子に寝かされているようだった。

 会場から少し離れた部屋のようだ。遠くに喧騒は聞こえるが、この部屋の中は静かだった。休憩用に用意してくれてあった部屋らしい。


「フィーネ? 目が覚めた?」


 リュカスの声がして、そちらに目をやる。長椅子のすぐ側に置かれた一人掛けの椅子にリュカスが座ってこちらを心配そうに見ていた。膝の上に組んだ手を置き、それに額を当てるように突っ伏して、はあっと安堵の息を吐いた。


「……良かった、目が覚めて。急に倒れるからびっくりしたよ」

「あの……わたくし……?」

「酔って倒れたんだよ。あんまり強くないのに、呑んで躍ったりするから」

「はぅ……っ! す、すみません、わたくし、つい美味しくて……!」

「気分は? 気持ち悪くない?」

「えぇ、大丈夫です……」


 少し寝たからなのか、妙にすっきりしていた。たいして強くない酒だったのだろう。気持ち悪さもない。リュカスが困ったものを見るように、苦笑した。


「ならいいけど。水、飲むかい?」

「はい……」


 長椅子の脇に置かれた机からリュカスが水差しを取って水を注ぎ、持ってきてくれる。体を起こしたヨゼフィーネの隣に座って、その体を支えるようにしてリュカスが水を飲ませてくれた。ヨゼフィーネが飲み終わると、綺麗な玻璃の容器を手から取り上げ、長い腕が脇に置いた机の上にコツリ、とそれを置いた。

 その間、ヨゼフィーネはずっとリュカスに抱きしめられるようにされていた。


「あ、あの、リュカス様? もう支えていただかなくても大丈夫ですわよ……?」


 恥ずかしくなってそう言えば、リュカスのどこか面白くなさそうな顔がヨゼフィーネを見つめてきた。


「ちょっとは抱きしめさせてよ。……心配させないで、フィーネ」

「ご、ごめんなさい……」


 ヨゼフィーネが謝ると、改めて正面から、きゅっと抱きしめられる。

 ふわりとヨゼフィーネの頬にリュカスの柔らかい髪が触れた。

 服に焚きしめられたリュカスの香の香りがヨゼフィーネの鼻をくすぐる。


「ごめんよ、フィーネ。不安にさせて」

「いえ、不安になんて……、ただ今日は本当に楽しくて。つい飲みすぎただけですわ」


 不安そうなのは、リュカスの声の方だった。

 思わず、実家の犬にも似た柔らかいリュカスの髪を、安心させるように撫でた。

 その感触を楽しむ。

 ――そうだ、この頭をぐりぐりしたいのだった、とヨゼフィーネは思い出した。

 今は人目もない。思う存分、ぐりぐりした。

 リュカスは大人しく髪をかき混ぜられながら、ヨゼフィーネの耳元で囁いた。


「……兄上と話したよ」

「え?」

「……結婚しよう、フィーネ。引き継ぎがすんだら、すぐにでも」

「リュカス様……。本当に?」


 つい訊いてしまう。リュカスが顔を上げてヨゼフィーネを真剣に見て答えた。


「――本当に」


 ヨゼフィーネは胸がいっぱいになる。

 そっと、リュカスの頬を両手で挟んだ。


「……どうしましょう、わたくし、幸せです」

「フィーネ……」


 リュカスの手がヨゼフィーネの手に重ねられた。

 ふふっ、とヨゼフィーネは幸せそうに笑った。





 会場では変わらず、幸せな音楽が流れている。

 ヨゼフィーネはそれを聞きながら、嬉しさでいっぱいになる。

 ――素敵な幸せのお裾分けをいただいてしまったわ。


「ありがとう、クロエ様。どうぞ、クロエ様もお幸せに」


 ヨゼフィーネの小さな囁きは、会場の陽気な音楽に紛れた。

 ――皆、和やかに、幸せであればいいのに。

 そう、ヨゼフィーネは願ってやまない。


 ――幸あれ。

 

 もう一度、ヨゼフィーネは小さく呟いた。




何かと貧乏クジを引きがちなリュカスを少し幸せにしたくて、リュカスのことを大好きな婚約者を出したのですが、結局リュカスのヘタレさ具合が強調されるだけの話になってしまいました。

とりあえず、クロエは幸せそうなので、良しとします。


番外編もひとまずここで終了で、この後完結表示に変更したいと思います。

ここまでお付き合いくださいました方々、ありがとうございました。


※この後、おまけとして登場人物紹介とウィレンティア国の説明が入ります。

 もともと連載中に追加しながら第1、第2部分に置いていたもので、内容に変更はありません。初めての方で、ご興味ある方はご覧ください。


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