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父の苦悩(3)

 ワウテルは城の鏡の間に入ると、鏡面の前に置かれた椅子に座った。

 セルファースが鏡の上部に触れ、短い呪文を唱えると、すぐにメディシュラムと繋がった。


「……そちらはどうだ?」


 ヴァシルが映るなり、そう聞いてくる。

 ワウテルも、何度か通信するうちに、戸惑わないようになった。爵位で呼ばれるより、一騎士として名前で呼ばれることを好み、挨拶もいらない、という実用重視のヴァシルのやり方にも慣れてきた。


「……オテルフォニアは完全に駄目ですな。あれはもうソルパテリアの属国に近い。ユルトゥスは相変わらずです。のらりくらりと、あの国らしい」


 小国群のうち、味方になりそうなものをひとつひとつ探っている。潜入させたり、密かに政権上層部と交渉するための繋がり作りをしているが、どうも上手くなかった。

 国境付近の小競り合いは頻繁になって来ていた。


「そうか……」


 ヴァシルは考え込むような顔になった。


「中央はいかがですか?」

「うん、まあ良くはないな。だんだん動きづらくなっている」

「……私が今少し中央で力を振るえたらよろしいのですがな。どうも、おべっかや建て前というのが上手く使えませんでして。――こんな辺境を守ることしかできませぬ」


 ワウテルはどうも今の王が苦手だった。笑顔で本心を隠しながら、狭量で残酷な沙汰を下す王に上手く取り入れる気がしなかった。そもそも小細工というものがファラゼインは向いていないのだ。

 ワウテルの立ち回りの悪さが、ファラゼインを窮地に追い込むのではないか、ヴァシルが足をすくわれる原因になりはしないか、と不安に思うのだった。


「恥ずべきことではない。それはそなたの美点だ。適材適所という言葉もある。中央がそなたの場所ではないだけのこと。――なぜ、かつての王がファラゼインを東に置いたか、私にはわかるような気がする。できれば、その、愚直なまでに真っ直ぐな気質が変わって欲しくない。ファラゼインの誠実さがあれば、小国群もこちらにつくかもしれない」


 ヴァシルはそこで少し苦笑した。

 そして、ふと思いついたように、呟いた。


「……すまないな。本当は兄上に仕えたかっただろう」

「いえ、そのような」

「いや、否定する必要はない。わかっている。――だから、私に仕えようとは思わなくていい。そなたは私の部下ではなく、立派な領主だ。我らは同士であり、同盟者だ。……そう、思ってくれ。国を守るために、共に戦う同士だと」

「――はっ。身命を賭して」


 そう言ったワウテルに、ヴァシルはどこか寂しげに小さく笑った。

 ワウテルは、それをヴァシルの兄、ラドミールに似ている、と思いながら見つめた。


「……命など、賭けなくてすめばいいのにな。本当は誰も死んで欲しくはないのだ」


 ――よく、似ている、と胸が締め付けられるような気持ちになる。

 ワウテルがラドミールに会ったのは数回しかない。

 アーヴェルに請われて、幾度か話をさせてもらったことがある。

 ラドミールに、辺境の防衛や東の国々について教授したのだった。

 ただ、そのたった数回でもワウテルがラドミールの聡明さと将来性に感化され、心酔するには充分だった。


 第二王子の長男といえば、王位にはそれほど近くはない。しかし、ラドミールは他の似た立場の王族よりずっと国の将来に対し危機感を持っていた。真摯な態度にワウテルは好感を抱いていた。

 長男ではあっても第二夫人の子であるラドミールは、次男の母である第二王子の第一夫人に疎まれ、度重なる嫌がらせも受けていたようだ。子どもとは思えない落ち着きがあり、常に穏やかに微笑んではいたが、体も弱く、どことなく陰がある王子だった。


 ヴァシルはラドミールが存命の頃は、まるで太陽と月、一対でありながら対照的な存在に見えた。ラドミールが陰のある月なら、ヴァシルは無垢で明るい太陽のような。

 だがラドミールという月を失って、ヴァシルはラドミールの姿をなぞるように、その寂しさを身につけてしまった。


 ――この人に仕えたい、とワウテルはこの時改めて、心の底から思った。

 致し方なく、ではなく、自ら選んで。

 どれだけ正当な王がいようとも。

 この人が王ならどれだけウィレンティアのためになることか、と苦い気持ちになった。

 

 鏡の奥で、ヴァシルがなにかを振り切るように、ふっと静かな表情になった。


「……たまには娘の顔も見たいだろう。クロエにも連絡するよう、伝えておく」

「いえ、お気遣いなく」

「いや、頻繁に連絡を取っておいてもらわねばこちらも困るのだ。そのためにもセルファースをそちらにやったのだ。使ってやらねばセルファースも泣く」


 鏡に映らないところに控えていたセルファースが、ヴァシルには聞こえないくらいの声で小さく反論した。


「……泣きませんよ、別に。子どもじゃないんですから」


 子どもみたいな(なり)をしてそんなことを言うものだから、ワウテルは思わず笑いそうになる。

 ヴァシルはセルファースの文句が聞こえたかのように、久しぶりに明るく笑った。


「では、また」


 それでぷつりと、通信は途絶えた。

 仏頂面をしたまま、セルファースが声をかけた。


「王都のファラゼイン邸につなげますか?」

「いや……」


 言いかけたが、ワウテルは思い直して頷いた。


「――そうだな、そうしてもらおうか」

「かしこまりました」


 セルファースが鏡に触れ、呪文を唱えた。

 クロエの手首につけられた守りに、呼び出し機能が付与されている。

 リゼインの城にはセルファースが常駐するが、王都の屋敷には流石に魔法騎士を置くことはできない。辺境と違って目につきやすいし、そもそもセルファースのような立場の騎士が足りないのだった。屋敷の鏡はヴァシルの婚約者のアートゥラがたまに魔力を補充してくれているらしい。それとクロエの腕輪があれば、話せるようになっていた。

 クロエが屋敷にいるとは限らない。呼び出して応答するまで、半日くらいかかる時もあった。領主がそれほど鏡の間に籠もっているわけにはいかないので、通常は一度執務室に戻り、政務をこなしながら繋がるのを待つのだ。繋がれば、セルファースが呼びに来てくれる。

 今日も一度部屋を出ようとしたが、扉に手をかけたところで、鏡に反応があった。


「セルファース。呼びましたか?」

「はい、クロエ様。ただ今、閣下と代わります」


 セルファースは鏡の前から移動し、ワウテルに席を譲った。

 どうもセルファースは鏡の間にいる時は、魔法騎士に戻ってしまうようだった。

 ワウテルを使用人として「旦那様」と呼ぶのではなく、つい「閣下」と呼んでしまう。無意識なのかもしれないが、もしかしたらあえてそう呼んで、使用人の時の立場と、騎士として任されている任務とを、切り替えているのかもしれない、とワウテルは思っていた。

 ワウテル自身もセルファースはヴァシルから預かった騎士だと認識しているから、どう呼ばれようとも、特に気にはならなかった。他の使用人の前で呼ばなければ取り立てて咎めもしなかった。


「――クロエ」

「はい」


 繋げてもらったはいいが、名を呼んだきり、なにを話したものか、とワウテルは迷った。王都の現状についてはヴァシルと話してある程度は把握していた。そうすると、話すことと言えば家族のことしか思い浮かばない。


「その……、バルトルトとは上手くやっておるのか?」

「上手く、とはどういう意味ですか? バリィは今、西の砦でございますけれど。そんなことを聞くためにわざわざ呼び出されたのですか?」


 悪気はないのだろうが、身も蓋もない。世間話にもならなかった。

 ワウテルは大きく溜め息を吐く。

 セルファースを見ると、なるべく表情を変えないようにしているが、こちらも苦笑する雰囲気だった。


「セルファースの魔力も無尽蔵ではないのですから、あまり無理をさせてはなりませんよ」


 わけ知り顔でそのようなことを言う。小憎たらしいとはこのことだな、とワウテルは思った。


「クロエ様、私のことはお気遣いなく。無理はしておりません」

 セルファースが控えめにそう告げた。

「……ならよろしいですけれど。ファラゼインに雇われているからと言って、無理を飲み込んだりしなくてよいのですよ。言うべきことは、怒りを買ってでもきちんと言いなさい」

「そうしていますよ、クロエ様。ご心配なく」

「そう? 不満があったら言いなさいね。あなたはどうも真面目すぎるようですから。我慢しすぎて倒れたりしたら、大変ですわ」


 自由奔放なようでいて、クロエは使用人に対して公平で目配りが利いていた。平民相手でも気にせず入り込み、正直にぽんぽん物を言うところは、使用人達も困ったもの、と思っているようだが、同時に憎めないものとも思われているようだった。

 ふとこの時、ワウテルはなぜだかクロエに訊いてみたくなった。


「クロエ、訊いておきたいのだが」

「なんでございましょう?」

「お前は、伯爵位を継ぐことをどう思う?」

「――はい?」

「……もし、エミエールが継ぎたくない、と言った時はどうするか、と訊いている」

「そうなったら、わたくしが継ぎます」


 なにを言っているのか、と少し小首を傾げるように、なんでもないことのようにそう言った。


「……バルトルトではなく、お前が?」

「バリィとそう約束しています。今ならバリィがいてくれますから、わたくしが継いでも大丈夫ですわ。――エミエールが、嫌だ、と言ったのですか?」

「いや……、そういうわけではないのだが。もし、仮に、万が一という時は、と思っただけだ」

「お父様、もしエミエールが嫌だと言っても、領主教育はなさらなくてはなりませんよ。仮にならずに他領にお婿に行ったり、リゼインで補佐の仕事をするとしても、無駄にはなりません。わたくしも、お兄様と一緒に教育していただいたおかげで、領地経営のなんたるかは学べましたから。でなければ継いでもいい、などと言えないところでした」

「それは、まあ、そうだな。……しかし、お前、継ぐのは男のエミエールではないか、と言っていたではないか。男が嫌だ、と言うのは情けないとは思わぬのか?」


 クロエが意味がわからない、とでも言うように僅かに眉を寄せた。


「常々そうおっしゃっていたのはお父様ではないですか。それに男性が継ぐのが一般的ですし、そう申し上げたのです。わたくしは正直、男性だからとか女性だからだとかどうでも良いのです。継ぎたい者が継げば良いですし、嫌なら好きに生きればいいと存じますわ」


 ワウテルはその言葉に胸を抉られそうになった。

 ――これを、どうしてもっと早く、息子の生前に聞けなかったか、と。

 尋ねなかった自分が悔やまれてならなかった。


「……ただ、領民に不自由だけはさせてはなりませんし、誰もなり手がいないのなら、致し方ないではありませんか。わたくしが、継ぎますわよ」


 本当に、エミエールが嫌だと言った時だけですよ、とクロエは念を押した。


「……お前、女が伯爵位を継ぐことを不安には思わないのか?」

「女性だろうが男性だろうが関係ございません。領主というものになること自体に、わたくしは不安でした。責任が大きすぎて。お兄様が亡くなった、と聞いた時、手が震えました。もし、今すぐにお父様までなにかございましたら、伯爵軍はわたくしが動かさなければなりません。不安に思わないはずがないではないですか。自分が女だから、ではなく力量の問題です」


 しかし、クロエはそこでにこりと笑った。


「……ですが、今はバリィがいます。わたくし、今なら怖いものはございませんわ。どんと来い! ですわよ」


 ずいぶんと頼もしい発言だった。

 男とか女とか、拘っていたのは自身の方だったか、とワウテルは思う。

 ――元々、ファラゼインはこういう気質だったのだ、と思い出す。

 そもそも祖母は男装が常で、自ら軍を率い、伯爵を務めた人だ。

 男らしく、とか嫡男ならば、とかワウテルはよく言われたものだが、そもそも祖母が女性らしさや男性らしさなどを超越した人だったのではないか。性差などに拘る必要はなかったのかもしれない、と茫然とする。


「……そうか」


 ならばいいのかもしれない。

 もしエミエールが領主職を嫌がったなら、クロエに任せればいいのかもしれない。

 どうせ、婿候補はもういるのだし、今更伯爵令嬢らしくして男に好かれなくてはならない理由もない。

 ――今度は間違えたくない。


「お前はそれでいいのか。やりたくないものを責任だけ感じずとも……」

 クロエは不思議そうにワウテルを見て、小首を傾げる。

「……今日はずいぶんと弱気ですわね、お父様。なにかございましたか?」

「いや……」


 ワウテルの中で、息子の遺書がよぎる。

 だが、口には出さなかった。


「わたくしは、リゼインが大切なのです。領民のために、領主は必要ですわ。誰もなり手がいないのでしたら、わたくしがなります。領民が嫌だと、言わない限りは。そのために、勉強もしたのですから。役立つなら、使わない手はないでしょう? 我が家の家訓をお忘れですか、お父様」


 そう、ファラゼインの家訓は『使えるものは王でも使え』だ。

 不敬すぎて普段は口にも出せない。

 ――たぶん、これを言い出したのは祖母に違いないはずだ。

 その祖母にそっくりなクロエが言うのだから、ますますそう思えてくる。


「わたくし、今、幸せすぎて無敵なのです」

「そうか……、それは良かったな」

「それで、結局、なんのお話だったのですか?」

「いや、近況を知りたかっただけだ。もういい」

「えぇ? なんですか、それ。魔力の無駄使いではないですか」

「煩い。もう黙っておれ、お前は。ヴァシル様が頻繁に連絡を取るように、とおっしゃったのだ。――また連絡する」


 セルファースに「切れ」と視線で促すと、少しだけ肩を竦めるようにして、頷いた。


「お父様!」


 最後に抗議するかのようなクロエの呼びかけが聞こえたが、通信はぷつりと切れた。

 ふう、とワウテルは大きく息を吐いた。

 セルファースの苦笑する気配があった。


「よろしかったですね、閣下。クロエ様が爵位を継いでくださるというのは」

「……どうだかな。あれが継ぐとなったら、頭の痛いことばかりになるのではないか。――今の話はヴァシル様にも他言無用だぞ、セルファース。決まったことではない」

「はい」


 ワウテルは鏡の間を出て、執務室へ向かう。

 通信をする前よりも、不思議と胸が軽くなっていた。

 自分の息子は誰よりも優秀だった、と思う。

 他の誰も気づかない、妹の才を認めていた。

 人の才を正確に見抜く力を持っていて、それを役立てようとする力があった。

 その能力を正しく認められなかったのは、ワウテルの落ち度であった。

 ――喪失感は、なくならない。たとえもうひとり息子がいても、亡くなった者の代わりにはならない。後悔も多い。

 ただ、後ろばかりを見ていても、なにも進みはしない。

 残された者はどうやってでも生きていかねばならない。


 これから先も間違うことばかりだろう。

 ――この歳になっても、という苦い思いはあった。けれど、それでもいいような気がしていた。ワウテルが育て方を間違えようとも、娘は自分で幸せになった。親ができることなど、いくらもないのだ。

 エミエールの才を見落とさないこと。

 それだけが、ワウテルのこれから守らねばならないことで、恐らく長男が望んだものだ。

 ――思い煩うことは、ファラゼインには向いていない。目の前のやるべきことをがむしゃらにやるしかないのだ。やるべきことは山積している。


 ワウテルは気合いを入れて、執務室の扉を開けた。




お父さん、何も考えてないように見えて、実はいろいろ考えてましたよ、という話でした。


次話は番外編最終話、クロエの婚約式の話です。


(2019/5/2 追記)

若干の構成変更をしました(第1部分にあった設定資料を一時的に削除しています)。本編・番外編共、内容に変更はありません。


(2019/6/2 追記)

一部加筆しました。内容には特に変化はありません。

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