父の苦悩(2)
少年はワウテルが王都を発つ直前、ファラゼインの屋敷にやってきた。
小さな鞄ひとつを携え目通りを願い出た少年を、ワウテルは最初、魔法騎士団からの使いとしか思わなかった。魔法騎士団のローブも羽織らず、貴族に仕える少年従者に見える格好をしていたからだ。
しかし、執事にヴァシルからの手紙を頑として渡さず、直接ワウテルにしか話せない、と静かに言ったという。執事はすぐにワウテルの元に連れてきた。
「セルファースと申します。ヴァシル様からの命を受け、派遣されて参りました」
言って、ヴァシルからの手紙をワウテルに差し出した。
年の頃は十二、三歳に見えた。
しかし、瞳は聡明そうで口調はしっかりとしていた。
「使いではないのか?」
手紙を受け取りながら、ワウテルが疑いの目を向けると、鞄から紺色のローブと特徴的な襟留めを取り出し、羽織ると襟留めで止めた。襟留めは楕円形をした複雑な色合いの宝石が嵌め込まれ、その石には魔法騎士団の紋章が浮かび上がっていた。自然の宝石ではなく、これは魔法騎士団の騎士が作り上げた特殊な石で、魔法騎士団の関係者しか持たないものだった。これを、似せることは不可能だ。
「まだ叙勲は受けていませんので見習いですが、騎士の証は授けられております。リゼインに正式に常駐の騎士が派遣されるのはいろいろと問題がありますから、私が選ばれました。叙勲を受けると騎士として記録されてしまい、目立ちますので。見習いではありますが、三歳から十年間魔法騎士団に所属してひと通りの魔法は修めております。ご安心ください」
本来なら叙勲を受けてもおかしくはないそうだ。
他の騎士団ならば、大抵が成人の年に叙勲を受ける。
ワウテルの疑問が顔に出ていたのだろう。セルファースは補足した。
「魔法騎士は他の騎士とは違って体格は関係なく、魔法さえ修めていればいくつであっても叙勲が受けられます。基本的な体力はもちろん必要ですが。……私は見習いの中でも体力がある方です」
そこで、セルファースはにこり、と笑う。
「名簿上、私は魔法騎士団から除名されております。ここからは、ファラゼイン家の従者として雇い入れいただき、他の従者と同じ扱いでお願いいたします」
ワウテルは、このような少年を東に連れて行ってよいものか、と僅かに躊躇した。東の辺境は、国境にも近い。辺境伯とは国境を防衛するものだからだ。
ひとたび東と戦でも起これば、リゼインはおそらく戦の最前線となる。魔法騎士は貴重だ。有望な未来ある少年を魔法騎士団から取り上げて連れて行ってよいものか、と思ったのだった。
「……親御はご承知なのか。そなたが東へ行くことへ。すぐには戻れなくなるぞ」
「そのようなご心配は無用です。魔法騎士団へ入団した時から両親は覚悟しております。任務であれば、国内どこへでも向かうのが、魔法騎士なのです。伯爵閣下がリゼインに発つ際、私も共にお連れください。それがヴァシル様の御命令です」
静かな口調は、少しの動揺もなかった。
ワウテルは頷くしかなかった。
リゼインに発つ前、セルファースの指示でまず行われたのが、王都の屋敷にある蔵の捜索だった。
「一見すると鏡のように見えるはずです。大きさは人の肩から上が映るくらい、形状は楕円形で縁に見事な金の装飾があります。裏の目立たない場所に王家の紋章が入っていれば間違いありません」
てきぱきと使用人達に指示し、広い蔵をあちこち探していく。
捜しているのは通信用の魔道具だった。
ワウテルはそんなものを見た覚えがなかったから半信半疑だったが、果たして蔵の奥の方に埃塗れのそれが見つかった。魔道具というが、ただの鏡にしか見えない。確かに裏面に王家の紋章が描かれていた。
「王家の紋章があるものをこんな粗雑に……」
それ以上になぜそんなものが、蔵にしまわれていたのかも疑問だった。
ファラゼイン家は魔力を持つ者がいない。魔法使いも雇ったことはない。
魔道具などあっても使いようがなかったはずだ。
当初、ヴァシルは自ら作るつもりでいたらしい。
しかし、アウレア・ルプス王の使い魔だったギルウィスが言ったという。
『作る必要はないのではないか? ファラゼインの蔵を捜せばあるはずだぞ。クロエが昔、アウレアと使っていたから。王都の屋敷とリゼインの城にひとつずつ。アウレアが死んだ時にクロエが蔵に放り込んでいたのを見た。流石によほど金に困らない限り売り払ってはいないと思うが』
ちなみに、ギルウィスが言うクロエとは祖母のクロエ・ジャードのことだ。
娘のクロエ・サルマもいつの間にかギルウィスと親しくなっているというから、ワウテルは開いた口が塞がらなかった。あろうことか、あの黄金狼を「ギル」などと気安く呼ぶ始末だ。
「ちょうどいいからそれを使おう、とヴァシル様がおっしゃっています。ギルウィスによれば、ファラゼイン家には『鏡の間』と呼ばれる部屋があるそうですが。置ければそこに置いた方がいいと言われました。通信用に作られた部屋だそうです」
セルファースに言われて、ワウテルは再度驚く。
確かに鏡も置かれていないのに、なぜか『鏡の間』と呼ばれる部屋が王都の屋敷にもリゼインの城にもあったのだ。
両方とも納戸のように狭く、一台の机と一脚の椅子がある他はなにもない部屋だ。なにかに使うにしても中途半端な広さで使いようがなく、鍵がかけられて、長らく開けてはいなかった。
屋敷の奥まったところにある鏡の間に向かう。
執事と共に部屋の鍵を開けると、埃っぽい空気が漏れた。
使われない部屋は数々あるが、多くは定期的に使用人が掃除してくれている。だが、この部屋だけはほとんど手がつけられていなかったようだ。
「父にここは手をつけぬように、と言われておりました」
王都の屋敷の執事がそんなことを言った。代々親族でファラゼイン家に仕えてくれている執事だ。王都の屋敷にいるのはまだ二十代と若いが、幼い頃から父親に執事の仕事を教えこまれている。優秀なので、ワウテルが領地にいる間も安心して屋敷を任せていられた。ちなみに父親の方はリゼインの城の家令だ。
あえてそう言われていたのは、ここを物置にしてしまわないためだったのだろう。使用人の出入りを制限したこともなにか意味があったのかもしれない。
五十年近く使われないままだった割には、傷んだところもなく、窓を開けてざっと掃除させれば問題なかった。
どっしりとした机と対になる一脚の椅子だけが置かれていた。
軽い掃除が終わると、艶々としてしっかりとした作りの机に鏡を設置する。
「ずいぶん使われていなかったので、使えるようにするまで少し時間がかかります。明日までには使えるようにします。準備ができたらお呼びします。しばらくこの部屋に籠もらせていただいて構わないでしょうか?」
ワウテルが頷くと、セルファースは鏡の上部に触れ魔力を補充し始めた。
夜通し部屋に籠もり、ひたすら魔力の補充をしたり、道具の調整をしていたようだ。そして、翌日の昼過ぎには、セルファースから準備ができたと連絡があった。
クロエも共に、と言われたので一緒に向かう。
相当無理をしたのか、いくぶんやつれた顔をして、セルファースがワウテルとクロエを迎えた。
「そなた、大丈夫か? 少し休んだ方が良いのではないか?」
まだ小さな少年が寝不足で青い顔をしているのを見れば、気の毒になってしまう。少年は微笑んで、首を振った。
「ご心配なく。私はこのために来たのですから。説明まではさせてください」
迷いのない口調で、きっぱり言った。
「魔法陣を少し書き換えました。こちらには魔法騎士が常駐できませんので、クロエ様の守りの魔道具をここに設置すると起動するようにしてあります」
正面からはわかりにくいが、鏡の右側面に小さな窪みができていた。
「守りの魔道具?」
「これです、お父様。ヴァシル様からいただいたものでございます」
クロエが手首につけた優美な腕輪を差し出した。
薄い水色と緑色の小さな石のついた、細い鎖の装飾品だった。一見すると、普通の装飾品にしか見えない。
「私か、操作可能な者がいれば、なくても作動するようにはしています。閣下がお使いの時は私がお側に控えます」
「これは、具体的になにができるのだ?」
「特定の魔道具と繋げて相手の姿を映し、話をすることができます」
「特定の相手?」
「今の場合ですと、メディシュラムの離宮のヴァシル様、あとはこれから伺うリゼインの城ですね。リゼインは着いたら同じように設定します」
「この鏡が?」
「はい」
俄には信じられなかった。ワウテルも多少の魔道具は見たことがあったが、遠方の者と通信できる装置があるとは聞いたことがなかった。
「大変貴重なものです。今これを作れるのはヴァシル様の他、国内にはいないと思われます。実はメディシュラムの離宮にもこれと同じ古いものが残されていました。ヴァシル様がその魔法陣を解析されたので、ヴァシル様には同じものが作れます。素材が貴重なものばかりなので、たくさんは作れませんが、いずれ魔法騎士団本部にも設置する予定のようです。――使い方を説明いたします」
セルファースはクロエに向き直って、使い方を教えていく。
「腕輪で起動するように設定しましたから、特別な呪文等は必要ありません。魔力がない方でも使えるはずです。クロエ様、まず腕輪をこの窪みに入れてください」
クロエは腕輪を外し、そっと鏡の窪みに入れた。
――ファン、と微かな音が響いた。
鏡面が僅かに小波が立ったようにふるりと揺れた感じがした。
そして、ぼんやりと白く光る。
「起動しました。次に、鏡の上部に触れ、繋げたい場所を言います。今回はメディシュラムにしか繋がっていませんから、メディシュラムの離宮へ、とおっしゃってください」
「――メディシュラムの離宮へ」
クロエが呟くと、鏡面が再び小波立つ。
少し待つと、鏡の向こうにクロエではない別の人物が映った。
そこに映っていたのは、二十代の金髪の男性。
ヴァシルだった。
「ヴァシル様……」
ワウテルとクロエは驚きに言葉もない。
鏡の向こうの相手は絵姿などではなく、こちらの様子を見て少し笑った。
「無事繋がったようだな」
声は明瞭に響いた。ヴァシルの姿も鮮明だった。
「閣下。クロエ様のすぐ側にお立ちください。鏡の正面に。ヴァシル様にお顔が見えるよう」
セルファースが鏡の脇に控え、ワウテルに告げた。ワウテルは指示通り、クロエの側に立った。ヴァシルがワウテルを認め、頷いた。
「いかがか? ファラゼイン卿。私の団の見習いは優秀だろう?」
「は……」
ワウテルは未だ状況に慣れることができず、まともに答えられなかった。
――これは、絵姿でも幻影でもなく、真実、今現在起こっていることなのか。
そんな思いが先に立って、言葉が出なかったのだ。
しかし、クロエはすぐに順応したようだった。
興味深そうに鏡を覗き込む。
「便利ですわねぇ、これ。どんな伝令より早くて正確ではないですか。戦になっても、伝令がいりませんね。もっと設置できないのですか?」
ヴァシルは苦笑した。
「持ち運びできないから、戦場ではあまり役に立たないと思うがな。――金をファラゼインが払うというなら考えてもいい。ただ素材が特殊すぎるし、魔法陣が複雑すぎて出来上がるまでに時間がかかって、いくつも作ることはできない。年単位で考えねば無理だ」
「年単位、とは困りましたね。お金はなんとかしますから、作る方向で考えてください。後々役立つかもしれません。もっとじゃんじゃん作れるよう、後進を育ててくださいませ、ヴァシル様」
ヴァシルは呆れたようにクロエを見て、その父に視線を移した。
「……この娘の遠慮のなさをどうにかしろ」
「……は。面目次第もございませんな……」
「まあ、いい。リゼインに着いたらまた連絡をくれ。セルファースをよろしく頼む」
そこで通信は途絶えた。
再び、ファン、と僅かな音がして、あとはごく普通の鏡に戻ってしまった。
「なんとも面妖な……」
呆然として、ワウテルは自分達しか映らなくなった鏡を見つめて呟いた。
セルファースが腕輪を取り上げて、クロエに返した。
「向こうが通信を切るか、こちらが腕輪を外すかすれば通信は終わります。魔力に関しては腕輪からも補充されますので、短時間ならば本体の魔力が切れていても繋がるはずではありますが、ヴァシル様の方でも気にかけておく、とおっしゃっていました。完全な魔力切れになる前に、見習いなり使い魔なり訪ねてくるはずです。私がこちらにいる間はできるだけ、魔力を補充するようにはいたします」
そうして王都を発ち、セルファースを連れてリゼインに戻ったのだった。
通信の魔道具は本当は本編で入れたかったのですが、そういう流れにならなかったので、あぶれた分を番外編にしました。
辺境伯の話は次話で終わります。




