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ローラの長い一日(1)

今回はクロエの親友、ローラが主役です。本編よりだいぶ前のお話です(本編にはほとんど関わりない感じになります……スピンオフというか……)

 ある日、アーヴェル伯爵家令嬢マリヌ・ローラ・ファン・アーヴェルは従兄弟からの手紙を受け取った。彼に昔から仕えている黒髪の男が手紙を携え、使いとしてアーヴェル邸を訪れていたのだ。

 従兄弟からの使いをその場に待たせ、ローラは急いで目を通す。兄を通さず直接自分に届けられるなど珍しい。ローラ本人をわざわざ名指ししているのなら、時候の挨拶や近況報告などのはずがない。そこにはなによりも優先させなければならない事案が記載されているに違いない。


 書かれている内容にざっと目を通して、ローラは舌打ちしたい気持ちを抑えた。

 令嬢らしく繊細そうにこめかみあたりを手で揉むと、痛み出した頭を労る。

 大きく息を吐いて、静かに控える壮年の男を見遣った。


「フェデリタース、お返事に少しかかるわ。申し訳ないけれど、その間お待ちいただけるかしら?」

「かしこまりました」


 フェデリタースという名の無口な男は、低い声で短く答えた。にこりともしないし愛想もないが、ローラは気にしていない。これが彼にとっての通常の様式なのだ。別に怒っているわけでも機嫌が悪いわけでもないらしい。他人に愛想笑いをする必要性を感じていないだけのことだ。


「……ディリエ兄様はいらっしゃらないけれど、今日はバル兄様がいらっしゃるわよ。良かったら手合わせしてきたら?」


 ピクリ、とフェデリタースは視線を上げる。

 ――今日、初めてローラは彼と視線が合った。

 エリスタル騎士団の副団長を務める上の兄のディリエほどではないが、同じ騎士団に所属する下の兄のバルトルトも武芸は達者だ。剣術好きなフェデリタースは強い相手との手合わせと聞くと、目に見えてそわそわし出す。


「――よろしいのですか?」

「ええ、どうぞ。兄も喜ぶわ。返事ができたら呼ぶわね」

「かしこまりました」


 ――本人はこれで隠しているつもりなのだから。

 ローラは苦笑して、アーヴェル家の使用人に案内されて出ていく黒髪の男を見送った。

 フェデリタースの愛想は自分の主とローラの兄のディリエにしか発揮されない。興味があることといえば、主と剣術だけだ。ローラが彼に初めて出会った頃から一貫してそれは変わらない。興味の対象に、数年前から庭いじりが増えたくらいか。

 ただ、そんなフェデリタースは嫌いではなかった。主に対する忠誠心は好ましいし、裏表がないのはわかりやすくていい、とまで思っている。


「……さて。どうしたものかしらね」


 手紙には、ローラに対する従兄弟からの、ある頼み事が書かれていた。

 再び手紙に目を遣り、ローラは深く嘆息した。





 ヴァシル・ロウは、父方の従兄弟だ。

 彼の特殊な境遇は、現在の貴族社会で彼を孤立させている。アーヴェル家は数少ない味方のひとつだった。

 ローラの親友はヴァシルのことを尊大だ傲慢だ、などと評する。口調は上から目線で素っ気ないし、愛想もないからそう見られがちだが、実は決して我が儘な人ではないのだ。

 滅多に自分自身の望みを口にしないヴァシルの願いなら、なんとしても叶えてやりたい――そう、ローラは思う。実際、彼もローラならできる、と思って頼んできているのだ。その期待に応えたい、とは思う。

 ただ、その内容が問題だった。


「明日の朝までにドレスを十着ねえ……」


 手紙には、『できれば明日までに、どこに出しても恥ずかしくないドレスを十着ほど用意してほしい』とあった。なにを始める気なのか、と目を疑いそうになる。

 黒髪黒眼の若い女性向けで、おおよその身長や体型の記載がある。あの屋敷には男性しかいないから、女装に目覚めでもしたか、とも疑ったが大きさからすると本当に女性用なのだろう。誰かに贈るつもりか、とは想像つくけれど、それにしても急すぎる。出来合いのもので構わない、金も払う、とあるが『どこに出しても』というのが曲者だ。

 貴族令嬢向け、ということだろう。


「どなたに贈るおつもりかしら……」


 通常、伯爵家以上の令嬢ともなれば、普段着でさえ出入りの仕立て屋が注文を受け、好みと流行を鑑みて仕立てるものだ。夜会服のような正式なものならば、どんなに急いでもひと月はかかる。どこに、いつ、なんの目的で着ていくかに依っても変わるし、大抵は半年前、少なくとも三月前くらいには注文を出すものなのだ。男性物ならもう少しかからない場合もあるが、それにしても今日すぐ、ということにはならない。

 ヴァシルだって仕立てたことがあるはずだからわかっているはずだろうに、とローラは溜め息を吐く。

 既製品でいい、と書いてあるからヴァシルもそこまでの品質は求めていないのだろうが、ヴァシルが贈るなら――その隣に立つ女性が着るのなら、やはりそれなりの品質でなくてはならない。そこを妥協するのはローラの矜持が許さなかった。


「――いいでしょう。やってやろうじゃないの」


 社交界では完璧な令嬢として通っているローラだが、家族や親しいごく一部の者の前では時折、伯爵令嬢にしては伝法な口をきく。兄達の影響でもあり、彼女の母の口調にも似たのだ。

 時刻はそろそろ昼一の鐘が鳴る頃。行動できる時間は実質半日もない。今日の予定の一切は中止だ。それでも時間が足りない。しかし、引き受けるからには必ず希望に沿うものをなんとしても時間内に用意する。それが、マリヌ・ローラ・ファン・アーヴェルだった。

 ローラは勇ましくペンを取り、承諾の返事を書き出した。


『晩一の鐘までには必ず用意するから、閉門に間に合うように、再び荷物を取りに寄越してほしい』――と。





 フェデリタースを四半刻ほど楽しませた後、ローラはヴァシルへの返事を渡した。満足するほどの時間は与えられなかったが、仕方がない。早いところヴァシルの元へ戻ってもらわなければ困る。アーヴェルの屋敷がある王都から、ヴァシルの屋敷があるメディシュラムまでは馬車なら一刻かかる。フェデリタースは馬車ではなく、騎乗して単騎で来ているから、飛ばせばもう少し早く着くとはいえ、こちらも時間がないのだ。

 それでも、心なしか上機嫌になったように見えるフェデリタースにローラも少し安堵する。他人に仕える者ではあるが、昼夜を問わず一心に忠誠を尽くすその心意気に、僅かなりとも労いを与えたいという気持ちがあった。

 手紙とは別に、ローラはひとつの包みを手渡した。


「ついでで申し訳ないけれど、これをソレルに渡してくれるかしら? 我が家の料理人の新作お菓子なの。ソレルの意見も聞かせてもらいたくて」


 包みからは甘い匂いがしている。フェデリタースと同様にヴァシルに仕えるソレルは主に料理を受け持っている。王城で仕込まれたその腕はアーヴェル家の料理人も認めるもので、お互い新たな料理や菓子の作り方のやり取りもしている。

 よくあることなので、フェデリタースも特に疑問も感じていない様子で受け取った。


「かしこまりました」

「なるべくできたてを食べてもらいたいから、着いたらすぐ渡してちょうだい。……ああ、あなたも良かったら、味見してみてね。感想を聞かせてくれると嬉しいわ」


 フェデリタースは僅かに眉間に皺を刻んだ。

 ローラはフェデリタースが甘いものが苦手なことを知っていた。おそらく感想をくれることはないだろうとわかっている。


「……確かに、お預かりいたしました。必ずソレルに渡します」

「お願いね」


 感想を聞かせる、というあたりは明言しないで、フェデリタースは荷物を承ったことだけ告げた。相変わらずな態度にローラは苦笑する。

 一礼してアーヴェル家を辞去した黒髪の男を見送って、だが、それでいいのだ、とローラは内心で思う。

 これで、フェデリタースがあの包みを帰路の途中で開くことはないはずだ。アーヴェル家から直接手渡された荷物を、フェデリタースが疑うはずもない。改めることをせず、ソレルに直接渡されることだろう。


 中にはソレル宛ての手紙が入っている。

 ヴァシルやフェデリタースには内密のものだ。

 ――こうでもしないと、連絡が取れないとはまた不便なもの、とローラは小さく溜め息を吐いて、次の行動に移った。

 ソレルの返事を待っている時間はない。


 ――落ち合うのは、店だ。





 昼一の鐘が鳴るのを待たず、簡単な昼食を手早く済ませると、ローラは馬車で街に出た。昼食の間に店には連絡を入れてもらっている。店主が留守ではないことは確認してあった。

 目的地はアーヴェル家御用達の衣装店だ。

 通常、伯爵令嬢が自らふらりと店を訪れることはまずない。新しい衣装を注文する時も、大抵は屋敷に店主と針子を招いて、採寸したり打ち合わせたりする。上流貴族に含まれる伯爵家であれば当然のことだった。

 ただそれはローラには当てはまらない。もちろん、新しい衣装を頼む時は屋敷にも招くが、店にも頻繁に顔を出していた。と言っても、買い物をすることだけが目的ではなかった。


 店頭には子爵家や男爵家などの下流貴族や平民の富豪向けの既製品なども置かれている。またそれとは別に、店の腕を示すために作られた、職人の技術の粋を尽くした見事な衣装も展示されている。もちろん、寸法さえ合えば購入することも可能だ。

 当然、上流貴族が注文するような個人のためだけに作られた物よりは質が落ちるが、王族や上流貴族の流行を取り入れた最先端の衣装であり、現在流行のものだけでなくこれから流行するであろうものが店には並ぶのだ。


 流行を知ったり、小物などの組み合わせを学ぶには実際にそれを作っている職人の技をいち早く見られるところがいい――つまりは店頭だ。また実際、他家がどのようなものを好んでいるか探ることもできる。上流貴族向けの店であるから、もちろん守秘義務は守るし、おいそれと他家の内情を知ることはできないが、話していれば察することもある。普段から親しくしていると、当たり障りのないことについては教えてくれるものだ。


 現在、アーヴェル家は中央政治の世界では力を失っている。当主である父が自ら望んだ結果なのだから、ローラがとやかく言うことではない。ただそのせいでローラまでもが社交界で爪弾きにされるわけにもいかないのだ。

 女性の社交界での立ち位置は、中央政治の影響を受ける一方で、自身の立ち回り次第で、だいぶ変化してくる。実力さえあれば、自分を上手く生かせる立ち位置をある程度自分で作ることができるのだ。

 流行を知り、うまく立ち回り、情報を得ることが重要なのだ。それが、母の教えでもあり、自分の将来の方向性を決める手にもなる。

 ――官吏や騎士になっておけばなんとかなる男性と、後ろ盾の弱い女性では違うのだ、と暢気な兄達に多少腹立たしくなりながら、ローラは足元固めを怠らない。

 社交界には一切の興味がなく、勘だけで生きているような親友を思い出し、そんな危なっかしい生き方は自分には向いていない、とローラは改めて思うのだった。


「マリヌ・ローラ様、ようこそお越しくださいました」

 店に入ると、店主であるセシリア夫人と店員が並んで出迎えてくれた。

「セシリア夫人、突然ごめんなさいね。折り入って相談があって」

「ええ、どうぞこちらへ」


 流石は上流貴族も相手にする店の店主だ。突然のことでもセシリアは動じることなく微笑んで、商談用の応接室にローラを招いた。

 まずは茶を出し、ローラを歓待する。その茶や添えられた茶菓子は最近王妃が好んでいる、と評判の品だった。

 ――セシリアは細部まで抜かりない、と極上の茶を味わいながら感心する。ローラも貴族らしく優雅な動きで茶を口にし、焦った素振りは見せない。

 ローラが茶器を置くと、好奇心旺盛な瞳がローラを促した。


「――それで、今日はどのようなお品をご所望でして?」


 艶やかに笑んだ美貌の店主は、確かローラの母と同世代のはずだった。流行を取り入れていながら派手にはなりすぎない、店主らしいほどよく落ち着いた衣装を身につけている。まだ二十代前半といっても充分通るような若々しい外見で、それでいて年齢不肖な老獪なところもある。いつも興味深そうに微笑んでいて、新しいものがとにかく好きな人だ。こちらが情報を得ようと訪れて、逆にごっそり情報を抜き取られてしまうこともある。まだまだ小娘のローラが太刀打ちできるような相手でもない。

 ――それに今回は情報のやり取りではなく、手放しで頼みごとをお願いに来たのだ。それも、ずいぶんと、無茶な。


「――他言無用でお願いしたいのですけど」

 前置きは短く、単刀直入に用件に入る。

「もちろんでございますわ。なんでございましょう?」

「ドレスを今日中に十着欲しいのです」


 一瞬だけ間があったが、セシリアはまるで最初から用件を知っていたかのようにゆっくりと微笑んだ。そんなはずはない。無茶な令嬢の我が儘に、内心は動揺していることだろう、とローラは申し訳なくなる。ただ、こちらもそれに考慮するような暇がない。


「……まあ、それは光栄なことでございますわ。どのようなご衣装にいたしましょうか?」

「具体的には、まだ考えがまとまっていないのです。もしよければ、新作をいくつか見せていただけないかしら?」

「ええ、喜んで。ちょうどマリヌ・ローラ様にお似合いの品がございますわ」

「いえ、わたくしではなくて。もう少し、小柄な方なの」


 今度こそ、セシリアは微笑んだまま少し固まった。

 パチリ、と瞬きし、しばしの間の後さらに笑みを深める。


「御贈答用ですわね。差し支えないようでしたら、どちらのご令嬢へかお教えいただけますと、こちらでほど良きものをお探しもできますが」


 セシリアの客は多岐に渡る。名を挙げれば、どのような体格でどんな好みか見当がつく、ということだろう。寸法さえ控えている場合もある。有り難い申し出だがしかし、ローラはその問いに応えられない。そもそもローラが、相手がどのような令嬢なのか知らないのだ。


「――さるお方からの頼まれごとなのです。素姓はお話しできません。……伯爵家以上の若い令嬢だと、考えてください」


 察してくれ、という言外の言葉は伝わったようだ。

 心得たようにセシリアが立ち上がった。


「いくつか見繕って参ります。――ドレス、とおっしゃるからには夜会服でよろしいのでしょうか? お色のご希望はございますか?」

「黒髪黒眼の方、と思ってください。色はあなたに任せます。まずはいくつか見せてください。お願いしますね」

「かしこまりました」


 優雅に席を立って部屋を出て行く素振りからは一切の動揺は見られないところが流石だが、ローラにはセシリアの頭の中が猛烈な速度で回転し出したのがわかった。本当ならついて行って一緒にあれやこれやと探したいところではあるが、初手からそれでは伯爵令嬢として侮られるし、専門職に対して失礼だった。

 まずはセシリアの腕を信じたい。

 ローラはなるべく余裕に見えるよう、伯爵令嬢らしい優雅な仕草で茶を飲みながらセシリアを待った。

今回もひとつのお話を三話に分けてます。前回と同じく三日連続更新予定です。


※以下、蛇足です※

ウィレンティアでは時計は一般的ではなく、鐘の音で時刻を計ることが多いという設定でした。(結局、シリーズ通して一度も書かなかったような……無駄設定ですね……)

鐘は朝昼晩で3回ずつ、計9回鳴ります。昼一の鐘は正午頃。昼三の鐘が夕方5時くらい。

私がシリーズ中、よく書いている「一刻」とは鐘の音と鐘の音の間の時間のことで、だいたい2~3時間くらい、と思っていただければ。鐘の音の間は厳密には一定ではないので目安ですが。

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