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35.晩餐

 バリィが出て行ってから、少しうとうとしてしまったようでございます。メディシュラムの離宮に着いた時はぼんやりと明るかった部屋が、暗くなっていました。外はすっかり日が暮れています。深夜、という感じはしませんから、おそらくうとうとしていたのはそれほど長い時間ではないでしょう。

 部屋の中は真っ暗闇ではなく、ところどころに灯された明かりで薄ぼんやりと見ることができます。


 微かな人の気配がして、そのために目を覚ましたようでした。敵意や殺気は感じないので、緩慢な動きでゆっくり身を起こしました。

 どうやらアートのようです。わたくしが身を起こしたことに気づき、手燭を手に近づいてきました。


「……ごめん、起こした? 真っ暗だと起きた時に怖いかな、と思って明かりを少しだけ入れたんだけど」


 侍女姿のアートが柔らかく微笑んで、囁くように声をかけてくれます。


「ありがとうございます。すみません、寝てしまって……」

「いろいろあって疲れてた上に魔法陣で飛んだからね。長椅子じゃ疲れがとれないでしょう。寝台を使ってよ」

「いえ、もうだいぶいいようです。ヴァシル様にご挨拶を……」

「うん、それは気にしなくてもいいんだけど……、大丈夫そうなら晩餐を一緒にどうかってヴァシル様が」

「ええ、伺います」


 吐き気と目眩は治まっていました。代わりにお腹がすいています。


「着替え、私のしかないから少し小さいかもしれないけど、良かったら。帯で調節できるゆったりめのにしたから着れると思う」


 アートはお湯の入った洗面器と柔らかな布を用意してくれていました。わたくしはそれで顔や手を洗い、その間にアートが部屋の明かりを入れてくれました。


 薄ぼんやりした暗さから、少し部屋が明るくなります。

 わたくしが軽く髪を整えると、衣装を差し出してくれました。山吹色の飾り気のない、しかし上品なゆったりとしたドレスです。夜会用ではなく露出度の低い袖の長いもので、意匠はすっきりとしています。形はだいぶ違いますが、以前舞踏会でアートが着ていたドレスに雰囲気が似ていましたので、アートのために作られたものだとわかります。裾は長く引くようになっているので、足が見えすぎることはなく、着られそうでした。アートに手伝ってもらいながら着付けをし、帯を結んでもらいます。


 アートは華奢で小柄なので入るか不安でしたがその心配もなく、まあ見られないこともない状態になりましたので用意してくれたことに感謝します。着心地はとても良いもので、流石公爵家の方が用意された衣装です。上等すぎることだけが着ていて落ち着かないところでした。


 アートに案内してもらい、薄暗い邸内を移動します。夜になると、この屋敷の人気(ひとけ)のなさがより一層強調されて物寂しく、幽霊でも出そうな雰囲気でございます。――あまり夜にいたい屋敷ではございません。

 薄暗い廊下とは違い、案内された食堂は明々とあかりが灯され、ほっとするような暖かい場所でした。人が使うところはこれだけ心地よく整えられるのですから、他もどうにかならないのでしょうか。

 ――やはり、もう少し人を雇った方がよいのではないでしょうか? ファラゼインの下働きを少し紹介したらどうだろう、と考えてしまいます。

 席に着くとほどなくヴァシル様がいらっしゃいました。


「体調はどうだ?」

「ええ、今は問題ございません。休ませていただきまして、ありがとう存じます」

「酔う体質なのだな。転移陣は多かれ少なかれ酔うが、あれほど気持ち悪そうにしている者を見たのは初めてだとアートゥラが話していたぞ。酒も弱いか?」

「ええ、強くはございません。ごく弱いものなら少しはお付き合いできますが……」


 翌日、二日酔いになることが多いので、できるだけ飲まないようにしています。


「無理することはない。果実水を用意させよう」

「お心遣い感謝いたします」


 ヴァシル様に問われるまま、西の砦の様子などにお答えします。そうは言ってもほとんどディリエお兄様の執務室にしかいなかったのですからろくなことは答えられません。必要ならアートに聞いているでしょうから、世間話なのでしょう。

 ヴァシル様にはフェデリタースが給仕に付き、わたくしにはアートが付いてくれます。慣れた様子に、幾度もこんな風に食事の給仕に付いたことがあることがわかりました。

 運ばれてきた前菜を少しいただくと、その美味しさに驚愕いたします。汁物、魚料理、肉料理、と続いて出てきます。どれも素晴らしい味でした。

 ファラゼインの料理人も他家に誇れる優秀な者達ですが、この味は――。


「……大変美味しゅうございますわね。使い魔が料理をしていると伺いましたが、これはフェデリタースが?」

「いや、ソレルが。あれは料理が趣味なのだ。城にいた時に厨房によく出入りしていて、そこで覚えたそうだ」


 ――なんと、王宮料理でしたか。


「どうりで素晴らしい……」


 食後の菓子などまで美味しく堪能いたしました。以前お茶をいただいた時に、お菓子も大変美味しいとは感じていましたが、どこか有名店のものを買っているのだと思っていました。聞けば、これも手作りだそうです。

 ――職人顔負けでございます。


 なんでしょう、庭といい食事といい、ふたりの使い魔が手をかける場所が間違っているような気もいたします。この労力を少しは別に振り分ければ、邸内ももう少し住みやすくなるでしょうに。

 ――ただ、この味を一度知ってしまうと、手を抜かれたものは食べる気がしなくなるのかもしれません。身の回りに関してはヴァシル様が頓着されないご性格なのでしょう。主がこれで良いと思っていらっしゃるなら、強くは言えません。

 ですが、「自分がやるしかない」と言っていたアートの苦労を思うと、複雑な気持ちになります。


「魔獣駆除に付き合ってくれたそうだな。本来は騎士団の仕事なのだが。手を貸してくれたことに感謝する」


 ヴァシル様に礼を言われ驚きます。わたくしの存じ上げるヴァシル様なら、自分の物を貸したのだからそれくらい当然だ、とでもおっしゃいそうなものなのですが。

 ずいぶんと丸くなられたものです。

 ――それともこれが本来のヴァシル様なのでしょうか。こちらが敵意を持たなければ、これほど態度が違うとは。

 驚いたようなわたくしの眼差しに気づいて、苦笑なさいます。


「礼を言ったのに、不思議そうな顔をするな。――騎士団も人手不足でな。細かい仕事はなかなか追いつかないのだ。猫の手も借りたいところだったのだ」


 まあ、わたくし同様、アートという名の猫の手はお金を稼ぐばかりで魔獣退治にはあまり役立ってはいないようでしたが。


「いえ、フェデリタースがほとんどひとりで片付けていましたので、わたくしはお役に立てていないのです。こちらこそ、おふたりと馬まで貸していただいてありがとう存じます」

「守りは役に立ったか?」

「……守り?」

「前にやっただろう。今も手首にしているそれだ」


 ヴァシル様に指差され、わたくしは手首に目をやります。優美な金の輝きの中に薄い緑と水色の石が煌めきました。


「――それのおかげで、私もクロエ様の守りを気にせず存分に動けました」

 それまで黙っていたフェデリタースがこの時だけ、遠慮がちに囁きました。

「ああ……! なるほど」


 実は何度か、近づきすぎた魔獣が勝手に弾かれるように変な方向へ飛んでいったことがございました。すぐにフェデリタースが片付けてしまったので検証する暇もなく忘れていました。


「……あれはこの腕輪のおかげだったのですね」

「気づいてなかったのか。――まあ、怪我がなくて結構だ」


 ――便利な物をいただきました。

 ただの綺麗な宝飾品ではなかったことが証明されました。


「目眩が治まったのなら大丈夫だとは思うが、今夜は早めに休め。続き部屋にアートゥラを控えさせておくから、なにかあったら声をかけるといい」


 伯爵令嬢を侍女のように使うのは未だにどうかとは思うのですが、この館には女性は他にミアしかいません。ミアはまだ小さいので不寝番をさせるわけにも参りません。仮眠を取っていいとはいっても、いつ呼ばれるかわからない状態ではゆっくり休めないでしょう。小さな子はしっかり睡眠を取らなくてはいけません。


「もう、体調は良いですからお世話をかけることもないかと存じますが……、もし控えていただけるなら安心ですわ」

「うん、寝ててもすぐ起きれるから、気にしないで声かけて」

「ありがとう、アート。お願いいたします」


 ヴァシル様に就寝の挨拶をして、アートと共に客間に戻りました。

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