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33.金色の魔法陣

 コンコン、と扉を叩く音が響きました。


「おふたりさん、入っていいー?」


 のんびりとしたアートの声が廊下側から響きました。


「どうぞ」


 扉が開いて顔を覗かせたアートが、わたくし達の繋いだ手を見てにこり、と嬉しそうに笑いました。後ろにはギルウィスを連れています。


「……上手くいったようだね。良かった。来て良かったでしょ、クロエ?」

「ありがとうございます、アート」


 わたくしが微笑んでお礼を言うと、アートは満足気に頷きました。 


「じゃあ、帰ろう」

「……え、もう?」


 わたくしとバリィの声が揃い、思わずふたりでお互いを名残惜しく見交わしました。アートはそれを見て呆れたように肩を竦めます。


「ここに泊まるわけにもいかないでしょ。下もそろそろ終わるし、行こうか」

「そうか、じゃあ俺もそろそろ仕事に戻――」

「なに言ってるの。バルトルトも一緒に行くんだよ?」

「は?」

「一緒に行って、その足で辺境伯に結婚を許してもらいに行きなよ」

「い、今すぐか? 流石にそれは」


 慌ててぶんぶんと首を振るバリィに近づいて、アートがバリィの胸元をぐいっと掴んで引き寄せました。迫力のある目で何事かバリィに囁くと、バリィの顔がさっと青くなり、わたくしをちらと見てから頷きました。

 ――なにを言われたのかしら?


「ディリエ様には許可を取ってる。とりあえず、厩舎に移動」




 馬を預けてあった厩舎に行くと、入り口でディリエお兄様と馬を連れたフェデリタースが待っていました。騎士団員への稽古は既に終わったようでした。

 まだ広場の方はざわざわしていますが、厩舎の近くは人払いでもしてあるかのように他に人の気配は感じられません。

 アートが馬を連れに先に厩舎の中に入って行く間に、ディリエお兄様が笑顔でわたくし達に話しかけました。


「良かったな、クロエ、バルトルト。父上とヨナスバルト兄上には私の方からも連絡しておくよ。なに、うちはもともとクロエのことはもうひとりの娘みたいに思ってるからな。問題はないよ。王都の母上にはバルトルト、お前が自分で話せ。……まあ、あの人のことだからこうなることは予測してはいただろうがな。あとはさっさとファラゼイン卿にお許しをもらえ。一週間やるからそれまでになんとしても婚約を認めてもらって戻って来い」


 対外的には、ディリエお兄様からの手紙を急ぎでヴァシル様にお届けする任務ということになりました。

 ――ああ、職権乱用でございます。ごめんなさい。

 ついでに王都で二、三日休養しても良い、ということのようです。それにしても来るだけで四日かかったのですが、一週間では短いのではないでしょうか。

 わたくしとバリィが首をかしげていると、ハヤテとグラウコスを連れたアートが戻ってきます。


「じゃあ、行こうか。――ギル」

「ああ、始めるか。ヴァシルの屋敷で良かったな?」

「うん、メディシュラムの離宮につなげて」


 それまで厩舎の壁にもたれて立っていたギルがゆるりと体を起こし、ふわりと腕を上げました。

 開いた掌が体の前で円を描くように動きます。その掌から金の光が溢れるように零れました。掌から零れた軌跡は不思議なことに複雑な模様が入り混じった円となります。


 ――魔法陣?


 見るのは初めてでしたが、魔法使いが使う魔道具には様々な模様や文字の書き込まれた円形の魔法陣と呼ばれるものが組み込まれている、ということは知識としては知っています。その模様や文字の組み合わせを変えることによって様々な効果が変わるそうでございます。文字はわたくし達が使っているものとは違うようで、文字のようだ、ということはわかりますが、意味は読み取ることができません。ただ繊細な細い金色の連なりが優美で、ひとつの絵としても完成されていて、ずっと見つめてしまうような美しさがございました。


 ふわりと掌が一周した後には大きな魔法陣が描かれていました。ギルがふっと指を動かすと、魔法陣はさらに大きくなり、わたくしの足元から頭の上まで達するような大きさになります。

 縦に浮いた魔法陣は美しく金色に輝いて模様の隙間からその向こうの風景が透けて見えるのが、不思議な光景でございました。


「これは……?」


 息を呑んで、わたくしが魔法陣に見入っていると、アートが少しだけ説明してくれました。


「転移の魔法陣。ギルが私達をメディシュラムまで送ってくれるって。これを通り抜ければメディシュラムの離宮に着く」

「転移の魔法陣……」

「ギルなら魔法陣なしでも近距離を飛べるけど、たくさん人を通したり魔力のない人を送るには魔法陣があった方が便利なんだって」


 メディシュラムに着く、ということはこれはメディシュラムに飛べる仕掛けということです。――本当に、そんなことが?


「これで私の任務は終了ということでよろしいですね?」


 フェデリタースに聞かれてわたくしは頷きます。早く帰りたくてうずうずしているようです。


「ええ、ここまで護衛をしてくださって、ありがとう。どうぞヴァシル様の元へお帰りになって」

「――ではお先に失礼致します」


 フェデリタースはわたくし達に礼をし、ディリエお兄様にはさらに丁寧な辞去の挨拶をしてから、自分の馬を連れて金色の魔法陣の前に立ちました。


 以前にも通ったことがあるのか、気負った様子もなく馬と共に金色の魔法陣にするりと足を踏み入れました。フェデリタースが通ると、金色の魔法陣の模様が波立つように揺らぎ、その姿が向こう側へと消えました。

 向こうの景色を透かして浮く魔法陣ですが、その透かした景色の向こう側には誰もいません。裏側に回って見てみても、そこには誰の姿もないのでした。


 ――本当にメディシュラムに繋がっているのですか……。


 未だ半信半疑ながら、不思議な光景に些か呆然といたします。躊躇いもなくフェデリタースが通ったので、変な所に飛ばされるということはないのでしょう。


「じゃあ、次は私。私が通って見せた方が安心するでしょう? ハヤテとグラウコスを連れて行ったら一度戻るよ。少し待っていて」


 わたくし達が不安そうにしているのに気づいたのでしょう。安心させるようにアートが笑ってくれて、わたくしも少し気が楽になります。

 アートは二頭の馬の手綱を片手ずつ持ち、金色の魔法陣の中に入って行きました。まるで池に小石を落とした時のように揺らめいた魔法陣に、馬の尻尾が消えました。

 アートを見送ると、いつの間にかディリエお兄様が一頭の馬を連れて側にいらっしゃいました。


「ギルウィスが送ってくれるのは片道だけだろう? 帰りは馬で自力で帰って来るのだな」


 笑ってバリィに手綱を渡してくださいました。

 アートを待つ間、魔法陣の傍らに佇むギルに質問してみます。


「この魔法陣はどれくらいの人を通せるのですか?」


 もし、軍隊さえも通せる規模ならば、これほど便利なものはございません。たとえ離れた所で戦闘が起きても、迅速に援軍を送ることができれば、それだけ消耗を防ぐことが可能なのです。軍を動かす時にまず問題になるのは、その移動進度と移動中の兵站でございます。大軍になればなるだけ、歩みは遅く、大量の食料、武器、荷駄のための荷車や馬が必要になります。速さはなによりの武器でございます。援軍を送ったはいいが、着いてみれば勝敗が決していた、というのでは洒落にもなりません。飢えて動けないのでは本末転倒でございます。


「我が軍にも使えないでしょうか?」


 ギルはただ微笑むだけで答えてはくださいませんでした。――訊いてはいけない質問だったようです。

 たとえば、軍を送れるような魔法陣があれば、他国を制圧することも容易になりましょう。補給線を考慮することなく、遠方に大軍を送れるとなればいくらでも兵を送ることができます。――世界の勢力図が変わってしまいます。


「……そなた、恐ろしいことを考えるな? これを見て、すぐ軍事利用を考えるとは」


 想像したのか僅かに青くなって、バリィはわたくしを恐ろしいものでも見るような目で見下ろしました。 


「ファラゼインとはそういうものだ。……本当にクロエに似ているな。結婚すると苦労するぞ」


 質問には答えてくださいませんでしたが、機嫌は損ねていないようです。ギルはくつくつと笑いました。


 曾祖母様の絵姿を見るにつけ、我ながらよく似ていると思っていましたが、気質もそっくりだったようです。ギルの声からは親しみが溢れていて、曾祖母様のことを嫌いではなかったようです。それに安堵し、次いで不安がよぎります。

 ギルはあのアウレア・ルプス王の使い魔でした。強大な魔力と巧みな用兵術を持つ類い希な王の使い魔でしたから、他の魔法使いにはできない技なのかもしれません。しかし、ここにひとり、その使い手がいらっしゃるのに他国にいないと言い切れるでしょうか。

 突然、湧いて出るように侵略者が現れたとしたら?

 それは恐ろしい想像でした。


「あなたのような魔法使いや使い魔は他にも存在するのでしょうか?」

「――さて、どうだろうな?」


 まだ笑いを湛えたまま、軽く首を傾け明言はされません。


「……我に言えることは、備えることは無駄にはならん、ということだけだ」


 より迅速に軍を動かすこと。その準備を怠らないこと。

 ――わたくしはそれを心に刻みました。


「ただいまっ、と。……なに? なんの話?」


 アートが金色の魔法陣からぴょん、と飛び出てきて話をするわたくしとギルを不思議そうに見ました。

 わたくしはそれを振り返り、ゆるく首を振りました。


「……いいえ、なんでも」

「そう? ……じゃあ、クロエとバルトルトの番だよ。初めてだとたぶん酔うから、バルトルトはクロエの手を繋いで一緒に通ってあげて。馬は私が連れていくから」


 バリィが頷いて、わたくしの右手を取りました。


「婚約式の日取りが決まったら教えてくれ。楽しみにしているよ」

 ディリエお兄様が笑って手を振ってくださいます。

「ありがとう存じます、ディリエお兄様。お時間を取らせてしまい、申し訳ございませんでした。また改めてお礼に参ります。――ご機嫌よう」

「うん、また。健闘を祈る」


 見送ってくださるディリエお兄様に挨拶し、わたくしとバリィは目を見交わしてぎゅっと手を握りました。改めて金色に光る魔法陣に向き直ります。ふたりで頷き合い、同時に一歩踏み出しました。

サブタイトルのサブタイトルは「クロエとどこでもドア」でした。……使えないな。

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