32.告白
「……は? なんだって?」
ぽかんとしたバリィにまともに問い返されて、わたくしは仕方なく繰り返します。
「ですから、愛の告白ですわ!」
「愛……、兄上に?」
今更? とでも聞こえそうなほど不可解な顔をされます。わたくしは頬に熱が上がるのを感じながら、やけになってバリィを睨みました。
「バリィの馬鹿! あなたにですわ!」
そのままその胸にぎゅっと抱きつきます。
バリィの手がどうしていいかわからない、とでもいうように浮いたまま、その胸からは困惑した声が響きました。
「……は?」
「絶対幸せにしますから、結婚してください!」
「……け?」
そのまま絶句して、しばらく硬直されます。
わたくしは悔しくなって、ますますぎゅっと抱きつく腕に力を込めました。
――さっきからなんなのですか!? は、とか、け、とか!
「え? ……そなた、兄上が好きなんだろう?」
「そ、そりゃあ、好きですけど……! 仕方ないではないですか! もうずっと、ディリエお兄様のことは本当のお兄様のようにしか思えないの……! ディリエお兄様とバリィが一緒にいたら、バリィばかりが気になるのですもの……!」
びっくりしたようにバリィが身じろぎしました。
「わたくしのこと、誰よりもわかってて、危ない時は守ってくれて、わたくしのこと一番心配してくれて。そんな人、他にいません!」
バリィの手が躊躇いながら、そっとわたくしの髪を撫でました。
「いろんな方を紹介してくださって、お会いしてみてやっとわかったのです。わたくし、バリィならどんな遠くでも、鎧姿でもすぐに見つけられますし、バリィが危険なら他の人よりも心配ですし、あなたを見るとドキドキするのです。もう振り回すなと言われて悲しかったですし、目を合わせてもらえないと悔しい……!」
バリィの手が軽く肩にかかり、体を離されます。上から顔を覗きこまれて、急に恥ずかしくなりました。そういえば化粧もしていません。埃まみれですし、髪は乗馬しても崩れないようかっちり纏めていて、色気もなにもない兵士の服でした。砦の近くはなにもないので着替えることなどすっかり考えつきませんでした。
「み、見ないで……! すみません、すっかり身支度を忘れてて! わ、わたくし朝から走り通しで化粧もしてなかったですし、汚れてますから……!」
「今更だろう。子どもの時から知ってる顔だぞ。取り繕わなくとも素顔を知ってる。……ここまで何日かかった?」
「……馬で四日」
「遠かっただろう? ……よくもまあ、馬でこんなところまで。ほら、顔を見せろ」
両手で頬を挟まれ、逸らすことを許されず、必死で目を伏せます。
触れられた頬が熱くて、自分の鼓動がバクバクと音を立てて耳元で響くような気がし、わけがわからなくなりそうです。近くにあるバリィの顔を恥ずかしくて直視できません。
そんなわたくしの様子に、バリィが吹き出しました。
「目を合わせてくれないことが悔しいと、今この口で言っただろう。なぜ目を逸らす?」
「だって……! バリィのばか……!」
伏せた左目の上に唇の感触が落ちました。
「ひゃ……!?」
「……あんまり馬鹿呼ばわりするな」
「う……、だって」
右頬に唇が触れます。
「……本当に、俺でいいのか?」
囁く、バリィの低い声。
「バリィこそ、こんなわたくしのことまだ好きですか……?」
優しく額に唇が触れました。
そして、ゆっくり抱きしめられます。
「……目の前にいて……、俺の腕の中にいるのに、諦められるはずがない」
耳元に、掠れるような甘い声が響きました。
ぎゅっと、バリィの手に力が込められていきます。痛いくらいに抱きすくめられて、早鐘のようなバリィの心臓の鼓動が聞こえました。
わたくしはほっと息を吐いて、バリィの背中に回した手に力を込めました。
ふたりで並んで窓から眼下を眺めます。
窓外の広場のような場所では、ディリエお兄様とフェデリタースの手合わせが続いています。ディリエお兄様が負けるはずがございませんが、フェデリタースの剣技も素晴らしく、なかなか決着がつきません。
周りには騎士団の方達が集まり、やんやと盛り上がりを見せています。
――楽しそう。わたくしも混ざりたいです。
「……道中、四日も他の男と一緒にいたのか」
面白くなさそうなバリィの声に呆れてしまいます。
「ふたりとも、人ではないではないの」
バリィはふいっと横を向いてしまいました。
「人と見分けがつかない姿だぞ。……それに街道を馬で駆けてくるなんて。危ないではないか。魔獣も盗賊も出るのだぞ」
以前、リゼインから王都まで馬で駆けてきたことをバリィも知っているはずですが、そんな過保護なことを言います。まあ、あの時はお父様も護衛も近くにはいましたので、そういう意味では心配していなかったのでしょう。
今回も強力な護衛はいたのですが、それでもバリィは心配だったようです。
「盗賊は出ませんでしたが魔獣退治はしました。アートがいるとやたらと寄ってくるのです。おかげで儲かったと喜んでましたよ」
「あいつは借金まみれなんだ。そのせいなのか、ずいぶん金にがめつい」
「借金?」
「ヴァシル様にらしいぞ」
「……ダイクはそんなに大変なのですか? 領地からお金は入るでしょうに」
「まあ、その金も結局ヴァシル様のところに入るのだから、そこから返済してるのではないか?」
「借金の形に結婚、ですか? それはひどいのでは?」
「さあな。存外仲が良いからなんとも言えん」
「……そうなの」
アート達は見えませんので、どこか別の場所から見ているのでしょうか。
「……ファラゼイン卿に挨拶に行かねば、な。休みがもらえたらお許しを得に行こう」
「そうですわね」
ディリエお兄様のあのご様子でしたらすぐお休みをくださりそうでございます。
「――そういえばそなた、ファラゼイン卿にはなんと言って出て来たのだ?」
「アーヴェルの別荘に遊びに行くと言って。ローラに口裏を合わせてもらっています」
バリィは嫌そうな渋い顔になりました。
「……俺はファラゼイン卿に殺されるのではないか? 無事に着いたからいいものの、もし道中そなたになにかあったら俺が殺されるだけでは済まないぞ。ファラゼインとアーヴェルで全面戦争になる」
容易に想像できて、わたくしは軽く笑いました。バリィの手をきゅっと握ります。
「お父様に大人しく殺されますか?」
「――殺されるのは困るが、殴られる覚悟はある」
「お父様は素手で熊を倒せますよ、たぶん」
「……恐ろしいことを言うな」
バリィに強く手を握り返されて、わたくしは声を立てて笑いました。バリィがますます渋い顔になって、大きく溜め息を吐きました。
「ファラゼイン卿はヴァシル様と結婚させたがっていたのだろう? あの方と比べられる俺の身にもなれ」
「大丈夫ですわよ。ヴァシル様よりバリィの方がずっと素敵ですもの」
バリィの顔を見上げると、驚いたように目を見開いて、次いで真っ赤になりました。
「お父様も内心わかってらっしゃったはずですから。大丈夫、すべてうまくいきます」
「……そなたの『大丈夫』は不安しかない」
それからふたりでいろいろなことを話しました。
今までのこと。これからのこと。
どれだけ話しても尽きない気がいたします。
眼下ではディリエお兄様の勝ちで決着したようです。そのまま、今度は長槍に持ち替えたディリエお兄様とフェデリタース対騎士団の若手の対戦が始まりました。二対十くらいでしょうか。ぐるりと周囲を囲まれて、次々若い騎士達を相手にしています。
――負ける気配どころか、指導する余裕がありそうで恐ろしいです。なんでしょう、あの強さ。
まだ執務室にはふたりきりでいられそうです。
「下に混ざりたい、という顔だな」
呆れたバリィの声に、わたくしは慌てて「心外だ」という表情を作って見せます。
「バリィこそ。鍛えてもらわなくてよろしいの?」
「――今だけは。……もう少しだけ」
一緒にいたい、という言葉は口に出されませんでしたが、わたくしも同じ気持ちです。
眩しそうにわたくしを見つめる瞳がくすぐったいです。
少し恥ずかしくなって視線を窓の外に向ければ、率先して打ちかかってはあしらわれている明るい茶色の髪が見えました。
「ああ、クラウディウス様ですわよ」
「――ああ、クラウディウスになんと言ったものかな……」
「お手紙、ディリエお兄様から受け取ったかしら? 一応、お断りの言葉を書いておいたのだけれど……」
「ああ、俺の分はもらって読んだ。クラウディウスにも渡してある。――まあ、元々うまくいくとは思ってなかったからな。そなたが誰ともうまくいかなければ、俺が引き受けるつもりだったんだ、最初は」
「そうだったの?」
「全員だめだった場合は、と言いかけたことがあったろう?」
「……ございましたっけ、そんなこと?」
「――覚えてないならいい。それに、途中で心が折れて結局最後までは言わなかったしな」
――折れた時なら心当たりがございます。バリィの動揺を誘って足払いをかけて一本取ったあの時でしょう。
「折れた心、直りました?」
「……なんとか」
「……良かった、間に合って」
わたくしがふふっと笑うと、バリィは目を合わせて少し苦笑しました。
「クラウディウス様にはわたくしからもお話しします。バリィの親友ですもの。きちんとお話すればわかってくださいます、きっと」
「――結局、友人を振り回してしまった。まさか皆がクロエを気に入るとは思わなかったからなぁ」
「……どういう意味ですか」
「そなたを気に入る物好きは自分くらいなものだろうと思ってたんだ。――これのどこがいいのか」
「……」
ひどい言いようです。意地悪な調子が戻って来たようですわね。
「……嫌いになりますわよ?」
「冗談だ」
怒る気にもなれず、笑ってしまいました。
――なんだか、不思議な気分でございます。
生まれて初めて、気持ちを伝えて相手にも受け入れてもらったのです。それだけで、世界はまるでぼんやりと明るく、柔らかな光で満ちているような色になりました。
――なんでしょう、この幸福感。怖いくらい。幸せで死んだらどうしましょう。




