30.西の砦
辺境伯の領地は交通の要衝で栄えているだけあって街道も整備され、魔獣に遭遇することもなく、快調に馬を走らせることができます。
ただ、スヘレスヒルト家は親しくはありませんが東西の辺境伯家としていささかの面識がございます。わたくしの顔を知る人は少ないかとは存じますが、万が一ということもございます。街を抜ける時はローブの頭巾をなるべく深く被るようにして通り抜けました。
朝早く宿を経ち、スヘレスヒルトを東から西へ走り抜けます。ウィレンティア最西端、エリスタルには昼過ぎくらいに着くことができました。
エリスタル騎士団が守る西の砦は西街道の終わりに位置します。
広い平原の中にあり、平原から緩やかな傾斜をする小高い丘の上に聳える要塞でございました。砦のすぐ西側は国境の大きな川に接し、小さく見える対岸は大国・サクルマラピスでございます。
東の辺境やそこから見える異国には慣れているつもりでしたが、西はまた趣が違い、ずいぶんと遠くに来たという感慨がございます。
――バリィは、ここで国を守る仕事に就いているのですわね。
砦の門で当然止められます。ただ魔法騎士団のローブを着ているので思ったほどは警戒されていません。ローブだけでなく、魔法騎士団の紋章の浮かぶ襟留めを見せることで魔法騎士に関係する者だとは認められました。紋章が浮かぶ石は騎士団でも一部の人しか作ることができないもので、これを持っているのは魔法騎士かその関係者にしかあり得ないものです。関所でも役に立ちましたし、貸してくださったヴァシル様に深く感謝いたしました。
「ディリエ・ファン・アーヴェル副団長に至急のお目通りを。魔法騎士団のヴァシル・ロウ副団長からの書状をお届けに参りました」
アートが堂々とした口調で告げます。わたくしもアートも若いので、普通よりも偉そうにしないと、とはアートの言葉でした。
偉そうかどうかはわかりませんが、騎士と言われたらそうだろう、と頷けるような落ち着き具合でございます。
ヴァシル様の書き付けもあり、それほど待たされることなく、副団長の執務室に通されることになりました。
執務室の無骨な扉を案内した騎士が叩きました。
「副団長、魔法騎士団からの使者を案内いたしました」
「通せ」
扉が開かれると、さほど広くはない部屋の正面奥に執務机があり、驚いた顔のディリエお兄様が座ってこちらを見ていらっしゃいました。
一礼して案内の騎士が去って行きます。
「……驚いたな、本当に来たのか」
「まるで来ることがわかっていたかのようですね? ヴァシル様からの使いは出ていないはずですが」
アートが首を傾げながら部屋に入って行きます。わたくしとフェデリタースもそれに続いて部屋に入り、扉を閉めました。
執務机の左手前には応接用の低い長机と長椅子が置かれています。何気なくそちらに目をやると、長椅子にずいぶんと寛いで寝そべる男性がいて、思わずぎょっとして足を止めました。
「いや、こちらの御仁にね」
ディリエお兄様が苦笑して、長椅子の男性を指し示しました。
「待ちくたびれたぞ」
だらりと寝そべったまま、ひらひらと手を振る方は二十代半ばくらいでしょうか。まばゆいくらいの金髪に琥珀色の瞳で、にこやかにこちらを見ています。しかも、気のせいでなければ体全体がうっすらと金の光を放っているようにも見えます。
――目がどうかしてしまったのかしら? ものすごくきらきらしています……。
「ギル!? どうしてここにいるの!?」
アートのお知り合いでした。
「お前が呼んだのではないか」
「呼んだつもりはなかったんだけど……」
「帰りは我に送らせるつもりであったろう?」
「……まあ、ギルがいれば便利だなーくらいには思ってたけど、まさか本当に来るとは。呼んでも来ない時もあるじゃん。なんで来たの?」
「面白そうだったから」
「……あ、そうなの」
「うん、この執務室は居心地が良いな」
「いつから居たの?」
「三日前から」
「三日!?」
アートが申し訳なさそうにディリエお兄様を窺います。
「申し訳ありません、ディリエ様。ご迷惑をおかけしました」
「いやいや。部屋を用意すると言ったのだが、ここでいいと言われてな」
「三日も執務室に!? なにやってるの、ギル!? 寝っ転がってないで、ちょっとそこにちゃんと座りなさい!」
ゆるりと起き上がってうるさそうにする男性に、アートが説教を始めます。
ディリエお兄様はにこにことその様子を眺めながら執務机を立ち、応接机の方に出てきます。わたくしとフェデリタースを手で招くとアートに怒られている男性の向かいに座るように勧めました。
「ギルウィスにアートが来るとは聞いていたが、まさかクロエが一緒だとは思わなかったよ。馬で来たのかい?」
「はい」
アートが渡したヴァシル様の手紙にざっと目を通して、笑いを堪えるようなお顔になりました。
「毎度、クロエにはびっくりさせられる」
「……バリィは今、こちらにいますか?」
「ああ、いるよ。すぐに呼ぶかい?」
「お仕事のお邪魔ではございませんか?」
突然押しかけておきながら、心配になってそう尋ねてしまいます。今度こそ、ディリエお兄様は吹き出しました。
「いや、副団長権限で強制的に休憩にしてあげるよ。ウチの団長もヴァシル大好きだから、ヴァシルからの頼みなら一も二もなく了承するさ。――アート、その辺にしてやりなさい」
がみがみ怒っているアートにディリエお兄様は声をかけます。見ると、がみがみ怒りながらも、怒られている側のギルウィスと呼ばれた男性に余裕で頭を押さえられ、真っ赤になってじたばたしています。なにをやっているのでしょう?
男性はこちらをふと見て、フェデリタースに声をかけました。
「フェデリタース、すぐ帰るか? 望むなら今すぐ戻してやれるぞ」
フェデリタースが迷うようにディリエお兄様を見返しました。ディリエお兄様は笑んで「ああ、そうか」と呟きます。
「ギルウィスがいるから後は気にしなくていい。今後の護衛は必要ない。ヴァシルからの命令違反にはならないよ」
「では、可能ならばすぐにでも戻りたいですが……」
それでもまだ言いあぐねる素振りをします。ディリエお兄様が心得たように頷きます。
「……時間があるなら、久しぶりに手合わせするか?」
ディリエお兄様の言葉に、フェデリタースがぱっと顔を上げ、見たこともないような嬉しそうな表情になりました。
「よろしいのですか!?」
「ああ、いいよ。今急ぎの仕事はないしね。――どうせだから午後は用事のないものは休みにして、若いのに稽古をつけるか。槍試合があまりに不甲斐なかったからな。フェデリタースも対戦してやってくれ」
「喜んで!」
今にも飛び出しそうに立ち上がり、フェデリタースがいそいそと剣に手をかけます。つられてわたくしもそわそわします。
「こら、クロエ! 羨ましそうな顔しない! クロエにはやることがあるでしょう!?」
アートに怒られてわたくしは少し残念になってしまいます。
――わたくしだって、もう何年もディリエお兄様にお相手してもらってないのに……。
「せっかくディリエ様がお時間を作ってくださったんだから、クロエはバルトルトと話をしろってことでしょ!?」
「はい……」
しょんぼりしたわたくしに、ディリエお兄様は笑いながら頭を撫でてくださいました。その変わらない仕草に小さかった頃のことを思い出します。
――わたくし、やっぱりディリエお兄様にとってはいつまでも小さな女の子でしかないのですね……。
そして、触れられたことによって自分の中の変化がよりはっきりしました。
ディリエお兄様は、やはり特別だということ。
けれど、触れられることに温かな嬉しさはあっても、胸を焼くような甘やかさも苦しさも、感じないということを。
お兄様はわたくしの中で大切なお兄様ですが、それはもはや身内に対する親愛の情でしかないのでした。ディリエお兄様にとってわたくしが小さな女の子でしかないように、わたくしにとってもディリエお兄様はひとりの男性ではなく、小さな時に憧れた優しいお兄様でしかなかったのです。
思い返してみれば、もしかしたらもうずっと、頑なに恋をしていると思い込んでいただけだったのかもしれません。
ディリエお兄様が奥様と微笑みを交わしていらっしゃるのを見るのが辛くなくなったのは、もうずいぶん前のことでした。それは自分がその光景に慣れたからだと思っていました。けれど、違ったのです。
わたくしはとっくにディリエお兄様への恋心など、叶わないものとして見切りをつけていたのでしょう。恋心が死んだことを認めたくなくて、ずっと見ない振りをしていたのです。変わらず恋をしていると思っている方が楽だったから。もう二度と似たような辛い思いをしたくないと、怯えていたのです。
そう、そしてわたくしは改めて震えるような心持ちになりました。
わたくしは、バリィを愛しく思っています。
それを伝えるのは、こんなにも、怖い。
伝えて断られたら、またあの痛みを感じなければならないのです。
けれど、もう引くことはできません。
ここまで来てしまったから。
アートにけしかけられて、連れてきてもらってここまで来たのですが、流されたのではなく自分の意志で選んだのです。
「バルトルトをこちらにやるから、ここで話をするといい。しばらく戻らないからゆっくり話すといいよ」
ディリエお兄様はもう一度だけ優しく頭を撫でてくださり、フェデリタースを連れて部屋を出て行きました。
次話におまけの閑話が入ります。すごく短いです。
結構前に書いてあったのですが、入れる隙間がなくて、載せるか迷ったんですがもったいないので、結局次話に入れることにしました。
(夜更新します。明日朝は通常通り本編に戻る予定です)




