28.旅の初日
メディシュラムは王都から見て北東に位置します。王都から向かう時は北門から出て北の砦に向かう北街道を通り、メディシュラムへ向かう街道に入ります。
メディシュラムから直接西の砦に向かう街道に繋がる道はないので、まず北街道から王都まで行き、北門には入らずぐるりと王都を迂回する形で西門まで向かい、そこから連なる西街道に入ることになります。
王都近辺の街道は石畳で整備され、比較的天候に関係なく快調に馬を走らせることができます。お天気も良く、気持ち良く西街道に入り、最初の街を目指します。
街の手前で川を見つけ、早い昼休憩を取ることにしました。馬に水をやり、大きな木の下で昼食にします。初日の昼だけはわたくしの分も用意してくれたそうで、パンに野菜や塩漬け肉などを挟んだ物を手渡してくださいます。
フェデリタースはむっつりした顔で一切しゃべらず黙々と食事をしているので、わたくしはアートとお話しします。当初の目的を忘れそうになるほど長閑ですが、ほぼ初対面の男性ふたりと旅の途上にあることが不思議に思われます。
――まだ、アートの男性の姿に慣れないのです。
「……わたくし、ヴァシル様にお味方するとは申し上げましたが、具体的にはなにをすれば良いのでしょう?」
「そうだね……、まず辺境伯にはなるべく早くリゼインに戻ってもらう。武器や兵士を集めて編成を考え、いつ大きな戦になっても対応できるよう密かに、でも可及的速やかに準備を整えてもらう必要がある。ソルパテリアの情報を得るために小国群に少数潜入できる人員を割いてもらって、こちらの精鋭と合流して情報収集と情報交換をする。後は東の取り纏めかなぁ。ま、詳しくはヴァシル様から指示があると思うよ」
「はい」
似たようなことは王都に来る前に既にお父様が指図されていました。小国群やソルパテリアには遥か以前から潜入させている者もおります。これから主にやることは、どう魔法騎士団やヴァシル様と連携を取るか。東の領主達とイペール騎士団との連携を密にすること、でしょうか。
「クロエには王都に残ってもらう。……夫人と弟さんが領地にいるから、クロエは王都にいないとまずいんでしょう?」
通常、領地のある貴族は家族の幾人かを王都の屋敷に置いています。強要されているわけではこざいませんが、王に対し翻意ないことを証明するための、緩い意味での人質でもあります。行動は制限されませんが、いざという時身柄は抑えられることになる確率は高いのです。
「それから、なるべくメディシュラムの離宮に頻繁に遊びに来てくれると嬉しい。友人アピールをしたいし、こちらとしてもいざという時のファラゼインを動かすための駒と連絡役にしたい。……嫌じゃない?」
ヴァシル様に似た顔で気遣う表情をされると複雑な気持ちになります。
「もちろん、元より心得ております。ご安心なさって」
ほっとしたように微笑むと、顔形は違うのに不思議と女性のアートに雰囲気が似てヴァシル様似という感じが薄れます。やはり、同一人物だからでしょうか。
わたくしを気遣ってか、こまめに休憩を取りつつ、夕方には宿泊予定の街に着きました。初日はずっと直轄地を行くため、街道も走りやすく、休憩を取りながらでもかなりの距離を走らせることができました。魔獣の駆除も進んでいるようで、特に危険な箇所もございませんでした。
街に入り、馬を降りて歩きながら宿へ向かいます。既に目星は付けているのか、アートとフェデリタースの足取りには迷いがございません。
一軒の宿の前でふたりが足を止めます。
こじんまりとした大きさですが、しっかりした作りで落ち着いた宿でございます。リゼインから王都に行く間にわたくし達が泊まるのは、貴族も宿泊できる高級宿です。それに比べると質は落ちますが、馬を安心して預けられるしっかりした厩のある宿となると、それなりに高級感があるところを選ばなければなりません。
騎士団の騎士達が常宿としているところのようでございます。ヴァシル様や魔法騎士団の方々もよく利用されているようでした。
わたくしとフェデリタースを宿の前に待たせ、アートが中で手続きをしてきます。手続きが終わらなければ馬を預けることができません。部屋は空いていたようで、すぐにアートが宿の者を伴い戻ってきます。
馬を預けると別の者が部屋に案内してくれました。二階に隣同士で二部屋取ったようで、部屋の前まで案内して鍵を渡すと宿の者は一階に戻って行きました。
フェデリタースが右の扉を開け入ると、アートは左の扉を開けました。
「……もしかして、わたくし達同室ですか?」
男性の姿のアートと一晩? と、躊躇するわたくしにきょとんとした目をしてアートが右の部屋の方を見ます。
「フェデリタースと一緒の方が良かった?」
「良くありません!」
「だよね」
アートは軽く笑って、中に入るように促します。わたくしが入ると、服装はそのままに女性の姿になりました。
「安心して、部屋では女の姿でいるから。私も人間の女の子を襲う趣味はないよ」
襲われるとは流石に思っていませんでしたが、やはり女性の姿のアートの方が慣れていて安心します。
ほっと息を吐いたわたくしにアートがくすくす笑いました。
「信用ないなあ。……人の姿が嫌ならそれも解くことはできるけど、そうする?」
「嫌、というわけではございませんが。見せてくれるのですか?」
「いいよ」
にこり、と笑むとふわりとアートの姿がほどけ、「にゃー」という鳴き声と共に一匹の獣がそこにいました。
――黒猫です……!
「……本当に、人ではなかったのですね……」
なんとも不思議なものでございます。
この猫が、人の姿になれるとは。
真っ黒の艶やかな毛並みは柔らかそうで、思わず触れてみたくなります。
行儀良く座り、しっぽをゆらゆら揺らしながら、くるりとした目がわたくしを見上げています。
わたくしはその場に跪き、なるべく視線を近づけました。
「触っても?」
そっと手を出すと、了承するように近づいてわたくしの手に顔をすりすりとこすりつけてきます。背を撫でてからそっと抱き上げました。
大人しく抱かれて「にゃー」と鳴きます。
「猫の姿だとお話しできないのですか?」
柔らかな毛並みを撫で、顎の下を掻いてやると気持ち良さそうにして返事をするようにまた小さく鳴きました。それから次いで人の声が黒猫から響きました。
「さっきの声が鳴き声にしか聞こえないなら、クロエに魔力はないんだね。魔法使いや使い魔とかは獣の姿でも意志疎通ができるんだけど、クロエとは駄目みたいだね。話しかけようと思えばできるよ、こちらが魔力を使えば」
男性の時のアートの声でした。雄猫ですし、本性は男性なのでしょうか。
「なにかあった時対応しやすいように、人の姿に戻ってもいい?」
「はい」
床に降ろすと、女性の姿に戻りました。
「男性と女性、どちらが本来の姿なのですか? 猫の姿の時は男性の声でしたけれど」
「猫の時は雄の意識が強いけど、人の姿の時はどっちとも言えない。ミアに対してなら男の姿の方が自然なんだけど、どちらかというと女の姿の方が違和感ないんだよね。最初に変わった時は女の子の姿だったし、男の姿はヴァシル様が嫌がるから」
自分に似た顔が嫌なんだって、と言ってアートは軽く笑います。時々嫌がらせのために敢えて男性の姿でヴァシル様の前に出たりするようです。
アートのように、外見をくるくる変える使い魔は珍しいそうです。変化をするのにも強い魔力が必要で、最初に定着した外見はなかなか変えることが難しいのだ、と教えてくれます。確かにフェデリタースはわたくしが顔を覚えているくらいですから、多少老けたにしても昔から同じ顔のはずでございます。
「アートはヴァシル様の使い魔ではないのですか?」
ずっと疑問に思っていたことを聞いてみました。
他の使い魔に比べると態度が気安過ぎます。主従というよりはもっと近い関係に見えます。舞踏会の夜などは本当の恋人同士に見えました。ヴァシル様も周囲にそう見せるためだけでなく、アートを大切に扱っていました。
「私の主はミアだよ」
薄々そうではないかと思っていたことを肯定されます。
――ミアの庇護者がヴァシル様だから、仕えている。
では、アートの守りたい相手とはミアのことでしょうか。
あんな小さな女の子が、この人の主。
あの離宮での複雑で不思議な力関係に、わたくしはなんとも言えない心持ちになりました。しかし、それはわたくしが口を出すことではございません。秘密を知ってしまいましたが、わたくしがやるべきはそれにとやかく言うことではなく、ヴァシル様の婚約者である伯爵令嬢、アートゥラ・ファンダイク嬢と友人関係を築くことでございます。
本当のことを知ってしまったら自分はどう行動するのだろう、と舞踏会の夜に不安に思ったことを思い出しました。
――大丈夫、受け入れられました。わたくしのやることもわかっています。ちゃんと、判断できています。
思ったよりも自分が落ち着いていられることに安堵しました。
「少し休んだら夕食に行こうね」
「はい」
夕食を終え、部屋に戻り休みます。
貴族の泊まる宿と違って専用の風呂はございません。しかし宿の者に頼めば、大きな盥に湯を満たしたものを用意してくれました。
衝立を立てて交代で湯を使い、さっぱりした気持ちで寝台に入ることができました。
眠るまでの間、アートといろいろな他愛もないお話をします。舞踏会で誰の衣装が素敵だったかとか、王都で流行っている髪型やわたくしの変わった装飾品についてなど、話していると普通の同年代の女の子のようで、男性の姿になれることも、人でないことも忘れそうになります。
大きな問題もなく無事初日を終え、安らかな気持ちで眠りにつきました。
――なんのための旅なのか、目的を忘れそうです。




