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27.出発

 こっそりと移動中の携帯食や兵士の服などを準備しつつ、一週間が経ちました。

 お父様にはローラからの別荘への招待状を見せ、小旅行に行くことへ了承をもらっています。表向きアーヴェル家の馬車に同乗して別荘まで行くことになっているので、アーヴェル家に一度寄りファラゼインの馬車を帰します。そこでドレスから兵士の服に着替えさせてもらい、ローラと一緒にアーヴェル家の馬車でメディシュラムに向かいました。


 門に招待状を翳すのは三度目でございます。今回からはわたくし専用の鍵、ということで少しうきうきします。

 ――扉が開く過程はなにも変わらないのですけれど。

 迷わないようになった迷路の庭園を抜け、玄関扉の前に立つと開けてくださったのはアートではなくヴァシル様の使い魔、フェデリタースでした。


「どうぞ」


 言葉少なく中に招き入れられます。応接室に案内する後ろ姿に声をかけてみます。一緒に行く許しがヴァシル様から出ていると聞きました。これから西の砦まで同行してくれるはずです。


「フェデリタースさん。今回は同行してくださるそうですね。よろしくお願いしますわね」


 フェデリタースは足を止め、振り返ると一瞬じろり、とわたくしを見下ろしました。


「私は命令に従うまでですから。それと、敬称は結構です。フェデリタースとお呼びください」

「ありがとうございます、フェデリタース」


 軽く頷くと、再び歩き出します。愛想も素っ気もない態度でございました。

 ――怒ってるのでしょうか?

 そっと声を潜めてローラに尋ねました。


「ねぇ、あの方なにか怒ってます?」

「フェデリタースは昔からこんなものよ。ヴァシル様とディリエ兄様以外には愛想がないの」

「……そう」


 少なくとも怒っているのではないようで安心します。ヴァシル様の命令には全力で従うので気にする必要はないとローラは言います。


 ――全力で?


 少しひっかかる表現ですが、怒っているわけではないのならそれでいいのです。

 客間に着くと侍女の格好をした小さなミアが、幾分覚束ない手つきでお茶を淹れてくれます。


「どうぞ」


 やりきった顔でそっと差し出してくれるのが可愛らしく、褒めると嬉しそうににっこり笑いました。

 お茶を飲みながら待っていると、ほどなく魔法騎士団のローブを纏った旅装の若い男性が室内に入って来ました。


「お待たせー」


 手には深い紺色の魔法騎士団のローブを持ち、雑な仕草で扉を開けて入って来たのでわたくしは少し戸惑います。


「ごめん、ちょっと支度に手間取っちゃって。はい、クロエの分」


 わたくしの側まで来ると、ローブを手渡してにこりと笑います。初対面の男性に呼び捨てにされ、少し面食らいます。

 わたくしと同じくらいの年頃でしょうか。黒髪に黒い瞳、髪や目の色が違うので印象は違いますが、どことなくヴァシル様に似ています。


「……どちら様ですか?」 


 わたくしは戸惑ったまま、尋ねました。初めてお会いする方だと存じます。

 不思議そうに首を傾げて彼はわたくしを見返しました。


「アートだよ。……ああ、この姿は初めてか。この姿の時はアートルムって名乗ってる」

「アート? って、アートと同じ名前……?」


 わけがわからず混乱します。相手はわたくしのことを知っているようですが、わたくしは初めてお会いしたはずです。アート、といいますが、背丈も声も顔立ちもまったく違います。たとえこの方が女装したとしてもアートにはならないでしょう。同一人物のはずがございません。


「見せた方が早いかな? ほら」


 アートが言うと同時に、不思議なことに姿がふわっとほどけるように一瞬消えました。目がどうかしたかと思い、瞬いた次の瞬間、女性のアートがそこにいました。

 侍女姿でくるりと一周し、スカートを少し持ち上げ軽く膝を折ると、にこりと笑って小首を傾げます。


「ね? アートでしょ? 旅には男の姿の方が便利だからアートルムの姿で行くね」


 言葉を発することもできないほど驚いてぱちぱちと目を瞬くわたくしの前で、アートは再び男性の姿に戻りました。


「ま、魔法って姿も変えられるのですか?」

 ローラとアートを交互に見ながら、わたくしはやっとそう尋ねました。

「どうだろう? 人間が姿を変えるところは見たことがないけれど」

「人間……」


 わたくしは絶句します。


 ――伯爵令嬢だと思っていた方は、もしかして人ではない?


 ローラがはあっと大きく溜め息を吐きました。

 はっとしたようにアートはローラを振り返ります。


「ローラ、まさか話してないの!?」

「最初に口外するなと言ったのはあなた方でしょう? その後、話しておくようにとは言われてないわよ。いいの? 使い魔だとばれても」

「使い魔……?」


 アートは焦ったようにおろおろとローラとフェデリタースを見て、扉の方を窺います。そこへヴァシル様が入ってきました。


「揃っているな。……どうした?」

「ヴァ、ヴァシル様、私、使い魔だって知られちゃまずかったっけ?」

「クロエと共に行くと言ったから、アートゥラとして行くのかと思っていたのだが、……なんだ、自分でばらしたのか?」

「えっと、話さない予定だったっけ? ばれるとなんかまずいんだっけ!? クロエが味方になった時点で、全部話していいんだと思ってた! ていうか、ローラがとっくに話してると思ったんだよ……!」

「秘密を知っている者は少ない方がいい。ファラゼイン卿に知られると難癖をつけられて面倒かもしれんな」


 あちゃーっ、と呟いてアートが頭を抱えます。ただ焦っているのはアートだけで他の三人は至極冷静なままです。


「使い魔……ということは、人ではない? ファンダイク卿とはなんの血縁もない方ということですか? それは……」


 ――ダイクの領地を騙し取ったということになるのではないでしょうか?


「血縁があろうがなかろうが、養子縁組は既にすんでいる。養子縁組の契約要件に血縁の有無は記載されていないから今はなんの問題もない。……そなたが黙っていさえすればな」


 なんでもないことのように落ち着いた口調でヴァシル様はおっしゃいます。


「ごめん、クロエ、黙っていてくれる?」


 東方の方々が神に祈る時のように、顔の前で手を合わせる姿でアートがお願いしてきます。

 大公の子息、公爵の婚約者が実は伯爵令嬢ではなく使い魔だ、などということを誰が他言できましょうか。


「ローラも止めてくれればいいのに……」


 手を合わせたまま、アートはローラを恨みがましそうに横目で睨みます。ローラは肩を竦めました。


「その姿で出てきたのはあなたではないの。止めようがないわ」

「まあ面倒なことになれば、クロエに消えてもらえばいいだけだ。私が手を下せばデスメト侯爵のように派手で中途半端なやり方ではなく、跡形もなく綺麗に消してやれるぞ?」


 ヴァシル様がにやりと笑います。

 わたくしとアートは「ひっ!」と息を呑みました。


 跡形もなくって、どうやって……!? 魔法で!? そんな魔法あるのですか!?


「く、口が裂けても言いません!」

「クロエ、絶対しゃべっちゃ駄目だよ……!」


 わたくしとアートはぶるぶる震えて手を握り合い、魔王のように笑みを浮かべる恐ろしい人から視線を逸らしました。


「――仲が良いようで結構なことだ。アートルム、この機会に貴族の令嬢の所作というものをクロエに少しは学ぶといい。言動は突拍子もないが、アンリエットに学んでいるだけあって言葉遣いや立ち居振る舞いは悪くないからな。クロエ、アートゥラ・ファンダイク嬢とこれからも仲良くしてやってくれ。くれぐれも私の手を煩わせないよう、願っているぞ」

「は、はい……」


 ――笑顔! 笑顔が怖いのです!


 所作については認められているようですが、まったく褒められている気にはなれず、笑顔の脅しにただひたすら頷くしかできませんでした。

 お陰でアートが人ではない、という驚きが吹き飛びました。それどころか、初対面の時に感じた異質さに納得しました。時折、アートの瞳が深淵を映すように暗く感じられた自分の感覚を褒めてあげたいくらいでございました。


 ――人間ではない、使い魔。


 魔獣とは違いますが、本性は獣で『魔』と名のつくもの。その瞳が他とは違う暗い輝きを持っていることは、知ってみれば不思議のないことなのでした。

 改めて魔法騎士団のローブを受け取り、羽織ります。まずローラが別荘に向けて出発しました。それを見送ってから、荷物や馬の確認をして、いよいよわたくし達も出発でございます。


「フェデリタースが必要になったら途中でも戻らせるからな」

「わかってるって。どうしてもの時はソレルを使いにやってよ」

「そうさせてもらう。……充分気をつけるように」

「はい。行ってきます」


 ヴァシル様とずいぶん気軽なやり取りを交わして、アートは軽く手を振ります。気遣いというものをあまりされないヴァシル様が珍しく少し心配そうなお顔をされているのが印象的でございました。

 柔和な印象の、白と茶色の斑髪の男性とミアが裏口に見送りに来てくれます。斑髪の方がソレルという名の使い魔なのでしょう。

 ふたりに見送られ、馬を連れているので裏門から出ます。


 西の砦に向かい、出発しました。

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