25.遠乗り
馬の用意をしてくると言ってアートが部屋を出て行き、入れ違いでミアが乗馬服を持ってきてくれました。
着替えを手伝ってくれた後、厩舎へと案内してくれます。
それほど大きくない厩舎ですが、よく手入れされています。既に着替えたアートが立派な芦毛に鞍を付けているところでした。
首筋を軽く叩き、にこりと嬉しそうに手綱を引いて馬房から出してくれます。男物の服を着て、長い髪を後ろで高くひとつに結ったアートの姿は颯爽としています。そのような格好に慣れているように見えました。
連れてきてくれた見事な芦毛は優しそうな目をした大人しい馬でございました。
「ヴァシル様の馬なの。グラウコスという名前だよ」
「ヴァシル様の? そんな立派な馬をお借りしても良いのですか?」
貴人の乗る立派な馬は気位が高いものも多く、主人以外乗せないという馬も珍しくございません。
「ヴァシル様がいいって言ってるし、グラウコスは優しいから大丈夫。走れば誰よりも速いし頭もいいけど、戦場に連れて行くのは可哀想なくらい大人しい子なんだ」
愛しげに首筋を撫でてからわたくしに手綱を渡してくれます。それから隣の馬房から既に鞍を付けた青毛の大きな馬を連れて出てきます。一際大きく黒々として気位の高そうな馬です。つん、と上からわたくしを見下ろしました。
「私が乗れるのはハヤテだけ。ハヤテも速いよ。――ハヤテ、久しぶりにお出かけだよ」
言葉がわかるかのように、アートが話しかけると軽く頷いたように見えました。厩舎の外まで引いて出ると、ひらりと跨がります。アートは本当に体重を感じさせない無駄のない動きをします。魔法騎士ではないそうですが、鍛えた騎士のような動きで、不思議な心持ちになります。
「グラウコス、よろしくね」
優しい目をしたグラウコスに挨拶して、わたくしも鞍に跨がりました。アートの言ったように、嫌がる素振りも見せず、落ち着いた馬でございます。
「その辺ぐるりと回ってから湖まで行こうか。この辺り一帯は大公の敷地だし、ヴァシル様の守りもあるから滅多な人は入ってこない。危険なことはないと思うよ」
屋敷の裏手からなだらかな丘が続き、少し離れた所に小さな林のようなものが見えます。林の向こうは湖のようでした。確かに人の気配はしません。
アートの先導で常歩で走らせると、胸に大きく息が入ってくるような、ほっとした気持ちになります。肩の力が抜けて、楽に呼吸ができるような。
慣れてくると、時折速歩にしながらぐるりと辺りを回り、林を通り越して湖まで走らせます。
畔について馬を降り、水を飲ませるとそこで少し休憩することにしました。
アートがハヤテに付けた物入れから干した果物などと水筒を取り出してわたくしに渡してくれながら、柔らかい草の上に腰を下ろしました。礼を言ってわたくしもその隣に腰を下ろします。
躊躇いがないわたくしの仕草にアートは少し面白がるような顔になりました。
「いい馬ですわね、賢い子」
「クロエがいい乗り手だからだよ。馬が好き?」
「はい。遠乗りが趣味なのですが、王都ではなかなか乗りに行けなくて。アートも馬が好きですか? よく手入れされていますね」
「うん、動物は全般好き。世話はできる限りするようにしてる」
「ハヤテって、変わった名前ですわね。アートが名付けたのですか?」
「そう。昔住んでいたところの言葉で速い風って意味」
昔住んでいたところ、という言葉にわたくしはアートの使っていた弓を思い出しました。アートの右手の中指には今日も指輪が嵌まっています。
「そういえばあの弓、変わった形をしていましたね。異国の弓ですか?」
「弓? ……ああ、そう。武器の魔道具って、細部をきちんと思い浮かべられないと再現できないの。最初ちゃんと仕組みがわかる武器があれしかなくて。でもそれも人を殺すために習ったものではなくて、試合や儀式なんかに使われるもので……、戦場じゃ役に立たないんだ、私は元々」
「わたくし、初めて見ました。あのような大弓を女性が引くところを。もう一度、見せていただけませんか?」
アートは頷いて、弓を出してくださいました。ずいぶんと細い木を使っています。持たせてもらうと大きさの割りに軽いことに驚きます。
「ずいぶん細い木を使っているのですね」
優美な曲線を描く繊細な弓の素材は見たこともない木でした。柔らかく、よくしなる素材で不思議な美しさがございます。儀式用、という言葉に納得がいきました。
「古い形がそのまま残っているんだ。昔は太い木を加工する技術がなかったからとも言われてるらしい。細いから射程距離を伸ばすためには大きくしなくちゃならなかったんだと思う」
「なぜ中心でつがえないのですか?」
「いろいろ言われていたけど、よくは知らない。馬上で引くからとかは言われてた。あと放つ時の振動が少ないとか? でもたぶんその大きさの弓を遠くまで飛ばそうとするとその位置じゃないと大きく引けないからじゃないかな」
「どの程度の飛距離があるのでしょう?」
わたくしが返した弓を受け取ってアートは湖を指します。
「私が引くと、たぶんここから湖の真ん中辺りくらいかな。遠的はあまり得意じゃないけど飛ばすだけならそれくらいは行くと思う」
通常の長弓の平均射程距離に比べると若干短い感じがしますが、女性も引ける強さの弓としては充分な距離です。大きいだけはあります。
「引いてみようか?」
「よろしいのですか?」
「うん、いいよ。少し離れてね」
魔法なのか、アートの手には革の手袋がされ、胸当てが現れます。まるで空中を掴むようにすると、ふっと矢が現れました。
アートは一度目を閉じ、深く息を吐くと流れるような動作で矢をつがえ、引き絞って放ちました。
矢はアートが言った通り、湖の中ほどまで飛んで落ちました。
一連の動作が独特で、なにかの型があるように感じられます。ウィレンティアの弓とはだいぶ引く前の動きが違うようです。ただそれが美しく、儀式のためという意味がなんとなく納得できました。
「アートはどちらで育ったのですか? 生まれはメディシュラムとおっしゃいましたけど、この弓はメディシュラムでは習えませんでしょう? 東の辺境でも見たことがない形でございますし」
ヴァシル様に弓を習ったわけではないのでしょう。知らない武器のこととなると、どうしても気になって、つい尋ねてしまいました。アートはどこかの地名をおっしゃいましたが、聞いたことがない地名でよく聞き取れませんでした。
「ユルトゥス辺りの地名ですか? 申し訳ございません、地理に疎くて」
「ずうっと遠く。――もう帰れない遠い国。たぶん地図には載ってない、クロエが知らないところだよ」
思い出されているのか、なにかを堪えるようなつらそうなお顔をされています。身寄りがない、と聞きました。帰りたくても帰れないご事情があるのでしょう。――伯爵家と養子縁組みされたのですから、二度と戻れない場所となったことはわかります。
「帰りたいのですか?」
アートは首を振りました。
「ううん、帰りたくはない。いい思い出があまりないんだ。私はここで守りたい人がいる。ここでやりたいことがあるから」
「守りたい方……、ヴァシル様ですか?」
アートは少し困った顔をされます。
「ヴァシル様をお助けしたいとは思うけど、私が一番大切なのはヴァシル様じゃない。――ヴァシル様は私の主の庇護者だから仕えているの」
――主? 伯爵令嬢が主と呼ぶのはどなたのことでしょう。結婚していれば夫のことでしょうが、ヴァシル様ではないようでございます。最愛の方がいて、その方の庇護のためにヴァシル様と結婚の契約をした、ということでしょうか。
アートは弓を指輪に戻して、わたくしに向き直りました。
「クロエ。前に、真の友人になるなら、と言ったよね? 真の友人って、なに?」
なに、と改めて聞かれると答えに窮します。真面目に聞いてくるアートに対して、言葉のあやのようなもの、とは返答し辛いのです。
「私には友人がほとんどいない。――真の友人って、どうやってなるの?」
「――友人とは、困った時になにを置いても助けに行く者のことでしょうか。わたくし、ローラのためならその覚悟がございます。あなたがわたくしの友人になってくださるなら、わたくしは同じようにしたいと思います」
「私は主やヴァシル様を置いても助けに行けるかわからない。それは真の友人にはなれないってこと?」
「――まだ二回しかお会いしてないので返答し辛いですわね。まずは普通の友人としておつきあいして考えればよろしいのでは?」
「……ふうん」
アートは少し考えこむようにすると、面白いことを思いついたかのようににやり、と笑いました。
「……友人って、恋の話もするよね? クロエの恋の話を聞かせてよ。できる限りは協力するよ」
「恋って……。ディリエお兄様のことですか?」
「違う! ディリエ様のことなんか聞いてないよ! バルトルトのことだよ!」
故意にとぼけたことがばれたようでございます。わたくしはそっと目を逸らせました。しかしアートは逸らせた視線の先に回り込んで無理やり正面から見つめてきます。
「目を逸らしても駄目だよ。そうやって正面から向き合わないから後悔することになるんだよ」
わたくしは目を閉じて、深く溜め息を吐きました。
――アートの言う通りでございました。
観念してこれまでの経緯をすべて話したのでした。
「――つまりはさ、クロエがバルトルトに告白すればすむ話じゃない?」
アートは簡単におっしゃいますが、バリィにはわたくしと結婚しても幸せになれる気がしない、とまで言われています。
「他に相手がいるならまだしも、そんなに簡単に気持ちの整理なんかできないと思うよ。クロエがバルトルトを選んだって言えば上手くいくと思うんだけどなぁ……。なんでそんな難しく考えるのかなぁ」
「……でも、バリィはもう西の砦に戻ってしまいましたから……」
煮え切らないわたくしの言葉に、アートは男性のように頭をがしがし掻きました。
「もう、まだるっこしいなあ……! 行けばいいじゃん、西だって東だって! 辺境まで追いかけてきてくれたら嬉しいよ、絶対」
そうでしょうか? そんなところまで追いかけて行く女、怖くないですか?
「――それで、ふられたらどうするのです?」
じっとりとアートを睨むと、「うっ」とアートが言葉を呑み込み、少しだけ目を逸らしました。
――ずるいですわよ。正面から向き合ってください。
「――ほ、骨は拾ってあげるよ……」
「骨……」
「とにかく! 当たって砕けろ、って言うでしょ!?」
「砕けること前提ですの?」
「うっ……! わ、私も一緒に行ってあげるから! すぐにでも行く方向で考えようよ!」
「西の砦までは何日もかかりますわよ。お父様がなんと言うか……」
「考えてみる。……ローラにも協力してもらおう」
わたくしは馬に乗れたのでだいぶ気が晴れて、すっきりした気持ちで家に帰りました。
翌日、朝食の席でお父様に再びメディシュラムの離宮へ伺うことを伝えます。
「昨日行ったばかりではないか。またか?」
お父様はむっつりしたお顔をなさいます。
舞踏会の後から再三ヴァシル様には領地付きの婚約者がいらっしゃること、今さら似たような条件のわたくしには結婚の余地がないことをお話ししてなんとか納得させたところでございます。
その上で、先日の舞踏会で命を助けてくださったアートと友人になったこと、その恩に報いるためにできる限りアートとヴァシル様のお力になりたいと伝えました。
「アートゥラ様から来て欲しいとお願いされましたの。今日はローラも一緒ですわ」
「ファンダイク伯爵令嬢だったか……、お前、辺境伯の娘が伯爵令嬢に呼び出されてひょいひょい出て行くものではないぞ。軽くあしらわれているのではないか?」
「アートゥラ様はそのような方ではございません。他の貴族の方とはあまり交友がなくてお寂しいのだそうですよ。ヴァシル様にもお願いされましたし、わたくしで良ければ少しでもお慰めしたいのです。それにいずれ公爵夫人になられる方ですわよ? 誼を結んでおいて損はございません」
「だが……」
「往生際が悪うございますわよ、お父様。いずれヴァシル様から正式にお呼び出しがあるそうですわ。観念なさいまし。そもそも最初にヴァシル様につくと決められたのはお父様ではないですか。なにがご不満なのですか?」
わたくしに誘惑しろなどというのが流石に無理があったと薄々感づいていらっしゃったのか、頭ではわかっていらっしゃるようです。しかし、結婚というつながりがなければ利用されるだけ利用され、切り捨てられかねないと懸念しているようでございます。
――まあ、間違ってはいませんが、まずこちらが信頼しない限りは相手の信頼を得ることはできません。
「わたくしがアートゥラ様と仲良くすることで決して悪いようにはなりませんから、少しご覧になっていてくださいませんか?」
「うむ、まあ、そうか……」
そんなやり取りをした後、お父様は王城にお出かけになりました。わたくしはお茶の時間に間に合うようにお昼を取った後、再びメディシュラムに向かいました。
――さあ、作戦会議でございます。




