24.味方と褒賞
邸内の寂れた雰囲気とは一変して応接室は明るく、暖かく整えられ、ほっとするような居心地の良さを感じさせます。円卓に四脚の椅子が置かれ、そのひとつにヴァシル様がかけていらっしゃいます。読んでいた書物から目を上げわたくしを見るなり、眉間に僅かに皺を寄せて嫌そうな顔をなさいました。
「――なぜそんな険のある顔をしている?」
ご自身こそ険のある顔で呆れたような声を出されます。呆れたのはこちらの方でございます。
「お招きに預かり参上いたしました」
一応挨拶だけはしてから、改めて抗議いたします。
「ヴァシル様、伯爵令嬢に侍女の格好をさせてなにをなさっているのですか?」
「――侍女の格好? ……ああ、そうか。アーヴェル家の者か、アートゥラの素性を知らない者しか出入りしていなかったから失念していたな。着替えさせるのを忘れていた」
アートに向けて着替えろと命じますが、アートは面倒くさそうに首を振ります。
「嫌だよ、ドレスは動きづらいから。お茶の支度もあるし、この格好でいい」
言い置いてアートが部屋を出ていきます。席を勧められ、わたくしはヴァシル様の向かい側の席につきました。
「差し出がましいこととは存じますけれど、ああいう格好をさせるのは、おふたりだけの時になさった方がよろしいのではございませんか? もちろん、ヴァシル様のご趣味にとやかく申し上げるつもりはございませんが……」
ヴァシル様は心底嫌そうな表情をなさり、頭が痛そうにこめかみを押さえます。
「――誤解だ、そういう趣味はない。あれには最初に普通の衣装を用意したのに受け取らないのだ。動き難いというから用意してやっただけだ」
「そこですわよ。婚約者になられる方に侍女の仕事をさせる方が間違っていらっしゃるのです。人をお雇いなさいませ」
「――誰も彼も煩いことだ。……今は信用できない人間を邸内に入れたくないのだ」
相当、いろいろな人から言われていらっしゃるようです。
「――わたくしは、信用できると?」
「ファラゼインの者は腹芸ができない。考えがまるわかりだから警戒しようがない」
「……」
決して褒められてはございませんので複雑な気持ちになりますが、警戒されていないのであれば良しとします。
「そもそもそなたの父親が悪いのだぞ。腹芸もできんのに、そなたを私の嫁にと言い出したのだから。お陰でやらなくても良いことをやらなくてはならなくなったではないか」
「――この間、アートもおっしゃっていましたけど、どういう意味ですか?」
ヴァシル様は少し溜め息を吐いて説明してくださいました。
「密に打診しているつもりかもしれないが、ああも頻繁にこちらに来たり、そなたを王都に呼び寄せたりしているのは結構噂になっているのだ。ファラゼイン卿は私に娘を娶せようとしているのでは、と」
実際、陛下にもその噂は伝わっているようでした。先の王位争いでは傍観していたファラゼインが大公家に近づこうというのが、驚きと懸念を抱かせてしまったのです。ヴァシル様にも陛下から探りが入っていらっしゃったようでした。そのため、普段舞踏会になど一切参加されないヴァシル様に舞踏会に参加するようお達しがあったのです。
「そなたを娶ることは均衡を保っている勢力図が大きく崩れることになる」
東の辺境伯が大公の子息につくことの影響はわたくしなどが思うよりずっと大きいのだそうです。ファラゼイン家は東の地域では一番領地も大きく、預かっている小領地も少なくございません。東地域の筆頭であるファラゼインが味方した所には東一帯がつくと思われているようです。実際には東もそこまで一枚岩ではございませんが、中央から見ればそのように見えるのかもしれません。
「あの馬鹿正直者がもう少し上手く立ち回れればそれほど疑われることもなかったろうが、どうもそなたの父は権謀術数ということに凡そ向いていないな」
――お父様……。
わたくしは頭を抱えたくなります。舞踏会での挨拶でも実感しましたが、お父様は政治的な立ち回りというのがあまり上手くないようでございます。
ここでアートがお茶の支度を整え戻ってまいりました。アートの後ろからは小さな女の子が台車にお茶とお菓子を載せて運んで来てくれます。
「ずいぶん可愛らしい侍女ですこと」
七、八歳でしょうか。一生懸命支度を手伝っている様子が微笑ましく、わたくしは思わず声をかけてしまいました。
「私の弟子だ。――ミア、ファラゼイン嬢に挨拶を」
ヴァシル様に促されて小さな侍女はにっこりと笑い、少しぎこちない仕草で挨拶をしてくれます。
「お初にお目にかかります、ファラゼイン様。公爵閣下の弟子で、ミアと申します」
「初めまして、ミア。わたくしのことは名前で呼んでくださってよろしくてよ。どうぞよろしく」
「ありがとうございます、クロエ様」
嬉しそうに微笑む少女につられて、わたくしもにっこり微笑みました。
その間にアートが手早くお茶を淹れ、美しい所作でそっとわたくしの前に置いてくださいます。美味しそうな焼き菓子が添えられ、お茶の良い香りがしました。
「支度がすんだらアートゥラも席につけ。ミアは下がっていい」
「はい」
アートは自分の分のお茶も手早く淹れるとわたくしの隣の席につきました。部屋を出ていくミアを見送って、わたくしは驚きの目をヴァシル様に向けました。
「弟子をとったと伺ってはおりましたけれど、あんな小さな女の子だとは存じませんでした。この屋敷で面倒を見るのに不自由はございませんか?」
ヴァシル様は心外だというように眉間に皺を刻まれます。
「騎士団でも見習いの面倒を見ていたこともあるからどうということもない。貴族の娘と違って身の回りのことは自分でできるからそれほど手もかからんしな。素直なだけあって覚えは悪くない」
なぜかアートが自分が褒められたかのように誇らしげな顔をして、お茶を飲んでいます。
「そんなことより、話の続きだ」
ヴァシル様は陛下や周囲にファラゼインの娘を娶るつもりはないことを知らせる必要がございました。煩いお父様を黙らせるためにもそれ相応の相手を用意して御披露目してしまえば手っ取り早いということになって、白羽の矢が立ったのがアートだったようでございます。
「ラルスに探させたらファンダイクならどうかということでな。所領の管理もアーヴェルがしているし最早アーヴェルの身内のようなもので、宮廷での影響力も皆無な家だ。アーヴェル家なら元々大公派であるし、ファラゼインに比べれば勢力図も変わらない。ファンダイク家に入ることも視野に入れていることを匂わせれば、政治に興味がないことをそれとなく訴えることができる」
「――ヴァシル様は政治にご興味ないのですか?」
「王位に興味があるかと言われれば、まっぴらだ、としか言いようがない。心底興味がないな、そんな面倒なもの」
「――しかし、我が家の力は必要なのでございましょう? ご興味ないのであればなぜ国のために東の抑えを手に入れようとなさっているのです?」
ヴァシル様はお茶をひと口飲まれました。茶器を置くと、珍しく言いあぐねるような素振りを見せます。
「……兄上が守ろうとした国だから、だろうか」
三年前、お亡くなりになったヴァシル様の同母のお兄様のことでございましょう。お体が弱くお城をほとんど出ることがなかったそうで、アーヴェル家に気軽に遊びにいらしていたヴァシル様と違って、わたくしは一度もお会いしたことがございません。とても仲の良いご兄弟だったと、ローラから伺いました。
「――宮廷に睨まれることなく、東の備えは手に入れておきたい。そなた、アートゥラにこちらにつくと言ったようだが、真か? 自分を盾にして命じればよいと」
「はい」
「クロエがバルトルトと結婚して伯爵になればいいと思うよ」
「!? 突然なんですか、アート」
それまで黙ってお茶を飲んでいたアートが突然発言したので驚きます。その内容にも。
「突然じゃないよ。ヴァシル様も何度か辺境伯にそう言っていたしね」
するとヴァシル様が頷きます。
「クロエの婿ならバルトルト辺りにしておけ、とは言ったな。リュカスでもいいが、あれはもう相手がいるし、バルトルト辺りが似合いだと。ファラゼイン卿は聞く耳を持たなかったがな」
「バルトルトなら官吏のリュカス様よりファラゼイン軍を動かす力量もあるし、ディリエ様を通じてこちらの意図も通しやすくなる。アーヴェル家なら隣家だし、王都でファラゼイン家と誼が深いのはよく知られているから、大公派だけど結婚してもそれほどおかしくはない。表立ってヴァシル様と関係を結ばなくてもファラゼインを動かせるようになって都合がいいんだ」
整然と説明すると、アートはわたくしとヴァシル様を見て少しだけ呆れたような顔をします。
「本当は王家に睨まれても、クロエがヴァシル様と結婚した方が早いと思うんだよ。でもふたりともそれは嫌なんでしょう? それにねぇ、そういういろんなことを抜きにして、もうバルトルトが可哀想だよ、あんなにクロエが好きなのに」
わたくしはどきりとして言葉を失います。健気だよねえ、と気の毒そうにアートが呟きました。
「好きな女の子のために、他の男を紹介するってなかなかないよ。ヴァシル様と会えるよう便宜も図って、危険があれば守って。どんだけ一生懸命なの。クロエ、わかってる?」
――今ではよくわかっています。ただ、もう遅いのです。バリィは西の砦に戻ってしまいました。
「わたくしと結婚しても幸せになれる気がしない、もう振り回すなと言われてしまったのです」
言葉にすると苦いものを飲み込んだように胸が重くなります。
――ここ何日か、よく考えてみたのです。ディリエお兄様はわたくしの中で特別ではございますが、ふたりが並んでいる姿を見て気になるのはバリィのことばかりだったのです。ロジェ様に指摘されるまでもなく、ずっと考えているのはバリィのことばかりでした。理由をいろいろつけてみたものの、それですべては説明できないのでした。
――恋とは落ちるものだ。
バリィの言葉が思い出されて、認めるのが悔しく、自分を納得させるのは難しいのでした。
たぶん、再会したあの日、あの窓辺で知らずに落ちていたものにわたくしは気づかなかったのです。
ただもうバリィはわたくしを見ないのです。もう自分の中で整理をつけてしまったのではないでしょうか。
わたくしの様子を見て、アートとヴァシル様が目を見交わしました。
「……クロエもバルトルトがいいってこと?」
「……でも、たぶんもう遅いのです」
「遅いことなんてないと思うけど……」
どうにかしてあげて、とアートがヴァシル様にお願いしてくださいます。
「どうにかと言ってもな……、ファラゼイン卿に口添えするくらいしかできんぞ。身分上バルトルトに命じることはできるが、そういうことはしたくない。それに今の時点では、直属の上司はディリエや団長のファネンデルトだろう。他人の部下に命じたくはない」
自分でどうにかしろ、とヴァシル様はおっしゃいます。
アートが言っていた通り、ヴァシル様はそのような強要をされることは好きではないようでございます。そうなった方がヴァシル様にとっては都合がよろしいでしょうに。
「わたくしのことは良いのです。あまりお気になさいませんよう。――それとは別に、わたくしヴァシル様にお味方することに決めたのです。わたくしにどれほどのことができるかわかりませんけれど。それはアートの友人としてでございます。命を守っていただいた恩は返します」
結果としてはデスメト侯爵の手の者から体を張って守ってくださったのです。それだけでもなにかを返す理由になります。あれがなければわたくしは今も屋敷を出られない生活を送っていたことでしょう。
感謝を述べるとなぜだかアートは気まずそうな表情になり、ヴァシル様は僅かに視線を逸らしました。
――なんでしょう、この反応?
「あのぅ、そのことなんだけど」
「――アートゥラ」
「いや、でも言わないわけにもいかないでしょ? それ言うつもりで呼んだんじゃないの?」
黙りこんだヴァシル様にアートが責めるような口調になります。
「あの、どういうことですか? そういえばアート、この前とばっちりだとかおっしゃっていましたけれど」
ヴァシル様が黙ったままアートに促すよう軽く頷きました。
「デスメト侯爵のことだけど」
「はい」
「王立騎士団が目をつけていたのは事実なんだけど、そう焚き付けたのはこちらなんだよ。――侯爵の裏にいる人をあぶり出したくて」
侯爵が拘束された後も、王宮主催の行事に何度も手の者が潜り込んだことは、侯爵さえも使える者が庇護して、あるいは指示していたからに違いないそうなのです。
侯爵は外国から多量の薬物を入手し、取り引きをしていました。その外国というのが東の大国ソルパテリアらしいのです。侯爵を使える何者かはソルパテリアと繋がっている可能性が高い。それが誰か、というのを特定したかったようでございます。
「実際、あの時点では侯爵独断の犯罪なのか、もっと上がいるのかわからなかった。槍試合や舞踏会での襲撃で、裏に誰かいるということが明らかになった。――クロエばかりが狙われたのはヴァシル様と辺境伯がつながることを嫌がったその人物の意志があったから」
おおよその見当はついたのでしょうが、それを今の段階でわたくしに伝えるつもりはないようでした。
「……結果としてはクロエを利用する形になった。それでもクロエはこちらに味方してくれる? 恩を感じるように仕向けたんだとしても? これからも利用するかもしれなくても?」
アートの試すような視線を受け止めます。黒い瞳はやはり深淵を映すように深く暗く、わたくしは少しだけ背筋が寒くなります。一度目を閉じ息を吐くと、しっかり目を見開いてアートの深淵を見返しました。
「もう、決めたのです。わたくしは友人のためなら、どんな時でも窮地に助けに参ります。利用されたかどうかは受け取りようでございます。最終的にリゼインに利があるならば、いくらでも利用されましょう」
にっこりと笑うと、アートは少しだけ戸惑った表情になりました。ここで戸惑うようなら言わなければ良かったのに、とわたくしなどはアートの人の好さに呆れます。
わたくしは深く考えることが苦手でございます。なにを最終的に選ぶかは勘にまかせています。
――その勘が、ヴァシル様とアートにお味方せよと言っているのです。それ以上の思考は放棄しました。
困ったようにアートがヴァシル様を見ます。ヴァシル様は頷きました。そして、小さく呼び鈴を鳴らします。呼ばれて小さな箱を持った男性が部屋に入ってきました。
黒髪で背が高く、黒ずくめの服を着た男性に見覚えがございました。アーヴェル家にヴァシル様が遊びにいらしていた頃、その陰に付き従うように常に一緒にいた護衛の従者でございます。音もなく歩く身のこなしには凄みが増したように存じます。
使い魔とアートとミアしかいない、と聞きましたのでこの方はヴァシル様の使い魔だったのでしょう。人ではないというのが実感がわきません。
すっとヴァシル様に箱を開いて差し出します。そこには細い鎖で作られた宝飾品が入っていました。ヴァシル様がそれを取り出し、席を立つとわたくしの脇に歩いていらっしゃいます。
「――手首を」
言われるままに左の手を差し出すと、シャラリと音を立ててわたくしの手首につけてくださいます。優美な金の鎖に所々に薄い緑と水色の小さな石が入り、装飾も美しいもので、羽のように軽くひんやりとしていました。
「これは?」
「守りの魔道具だ。――私には敵が多い。こちらについたと知られれば、これから先も狙われることがあるかもしれない。これを付けておけば魔力攻撃から身を守れる。軽い物理攻撃も少しは弾く。定期的に魔力を込める必要があるが、付けてさえいれば魔力のない者でも使える守りだ。それほど重くはないはずだから常に付けておけ」
なにもなければひと月かふた月に一度、魔力を込めればよいそうです。
「確か、ファラゼインは臣下に魔法使いはいなかったな?」
「はい。幾度か魔法騎士の方は派遣していただきましたが……」
「そうだったな」
ヴァシル様は頷いて、定期的に屋敷に来るように、とおっしゃいます。
「誰かになにか聞かれたらアートゥラに会いに来ていると言えばいい。それからどうにかしてさっさとバルトルトと婚約して発表しろ。アーヴェルの身内になればこの屋敷に出入りしてもおかしくはない」
「あとは、なにかしたかったり欲しいものはある? できる限りは聞くけど」
「――馬に乗せておけば機嫌がいいそうだから、遠乗りにでも行ってくればいいのではないか? 王都では馬に乗るのも難儀だろう。ここに来た時は自由に乗っていい」
ヴァシル様はわたくしの好みを即座に当てて、そんな夢のようなことをおっしゃいます。
「――よろしいのですか?」
「その程度のことであればどうということもない。馬もたまには走らせてやらんと可哀想だからな。良ければ今からでもアートゥラと行ってくるがいい」
「乗馬服、男性ものしかないけど、それで良ければ貸すよ」
「あ、馬車に積んでありますので着替える場所さえお貸しいただければすぐにでも行けます」
「……なぜ、持っているの?」
「いざという時のために」
「……そうなの」
後のことはアートに任せたというように、ヴァシル様は改めてお茶を飲んでいらっしゃいます。
――どうしましょう。お味方すると伝えたらご褒美が出ました。馬に乗れるだけでもうすべて報われるような感じがいたします。
我ながら単純だとは存じますが、うきうきして着替えるためのお部屋についていきました。




