23.メディシュラムの離宮
メディシュラムは王都の郊外にほど近い街でございます。街までは街道が整備され、馬車でも僅か一刻ほどで着くことができます。少し行くと風光明媚な湖沼地帯が広がり、王族方や貴族などの離宮や別邸も数多くある、王都から気軽に行ける観光地でもございます。
国王の直轄地で小さな役所が取り纏める地ではございますが、多くの貴族や富豪が訪れるためか高級な店も多く、また農村にも近いため、街には常に市が立ち賑わいもございます。
王都から日帰りできる観光地ですので、わたくしも家族と幾度かは遊びに来たことがございました。
馬車の窓からメディシュラムの目抜き通りの様子を眺めながら通過し、指定された離宮へ向かいます。中心部からさらに馬車を走らせると、広い庭園の中に豪勢な館が点在する界隈に差し掛かります。
湖沼にほど近い風光明媚なところに大公殿下のメディシュラムの離宮がございました。
届いた招待状を開けると、掌くらいの白くて少し厚みのある硬い紙にわたくしの名前とメディシュラムの離宮に招待する、という趣旨のことが優美な筆致で書かれています。つるりとした質感の特殊な紙で、裏には大公家の紋とは別の紋章が描かれていました。ヴァシル様個人でご利用の紋章なのでしょうか。金色の模様が美しいものでございました。
招待状とは別に手紙がついており、離宮に着くまでのことが指示されております。
門番は置いていないので、まず門に着いたら馬車を降り、指定の位置に招待状をかざすように指示がございます。馬車は庭ではなく裏門の方に回し、馬車置き場に預け、御者や従者は従者用の待合いで待つようにとのことでした。そして、わたくしには庭を歩いて玄関まで来るようにとの指示があり、些か困惑いたします。
貴族の邸宅というものは概して立派な庭園がございます。歩くとかなりな距離になることもあり、貴族の屋敷を訪れる際に門から建物まで歩くことはございません。大抵は庭園の中に馬車の通れる道があり、玄関先で馬車を降りることが通常なのでございます。
門にたどり着くと指示通りわたくしは馬車を降りました。確かに人の気配がございません。この規模の屋敷に門番を置かないのは不用心で本来あり得ません。取り次ぎもしてもらえないのでは来訪者も困惑することでしょう。招待されない限り、屋敷を訪ねることができないようでございます。
わたくしは自分の背丈をゆうに越える高い門を見上げました。縦格子の鉄製の門は上部に優美な装飾を施してあります。わたくしの胸の高さ辺りに招待状と同じ紋章が刻まれた金属の板がはめ込まれていました。
紋章の板に招待状を翳すと紋章が光り、そこから上下に光の筋が走ります。門の開閉部分にあたる箇所全体が光ると、誰も触っていないのにゆっくりと門が開いて行きました。
思わず招待状の裏表を何度かひっくり返して見てしまいますが、そこにどんな仕掛けがあるのかまったくわかりません。しかし、これも魔道具なのでしょう。
わたくしは開いた門から庭園へと足を踏み入れました。わたくしが中に入るとギギッと後ろで音がして、振り返れば門が閉じていくのが見えました。完全に閉じるとガシャン、と音を立てて鍵がかかりました。
――これは確かに門番が必要ないですわね……。
初めて見る仕掛けに感心してほうっと息を吐くと、改めて前方の離宮へ目をやります。
メディシュラムの離宮はもともとは何代か前の王がそれほど身分の高くはない側室に与えた館でございます。そのため、城というよりは邸宅という趣で優美な佇まいなのでございます。敷地を囲む塀も城壁のような無骨なものではなく華奢な造りでした。王都にほど近く、王が政務を離れて密かに逢瀬を重ねた場所で、息を抜ける場であったのでしょう。愛されていらっしゃったのだと存じます。
現在は大公殿下のいくつかある別邸のひとつとなっていますが、大公殿下は遠く離れた大公領にお住まいで、こちらにはいらっしゃいません。
わたくしは庭園を歩き始めました。
門から真っ直ぐ続く道は両脇を背の高い生け垣に囲まれ、ほどなく見事な花が咲く、これもまた背の高さほどの生け垣に当たります。
大きく左右に円を描くように続く生け垣の切れ目を通ると、芳醇な香りを放ついくつもの花が咲き乱れる生け垣が複雑に立ち、迂回しながら歩くしかなくなります。緩やかに円を描き、時折切れ目や曲がり角などを通り、だんだんと中央部分に入り込む造りになっています。
どうやら玄関に辿り着くまでにはこの迷路のような庭園をひたすらぐるぐる歩かないとならないようでございます。
――これは、馬車ではとても無理ですわね……。
馬車を降りろと指示された意味がわかりました。しかし、こんな花の迷路を誰もが通るのでしょうか?
あまりに面倒でございましょう。ヴァシル様が来客を拒んでいらっしゃるようにしか考えられませんでした。
半刻ほど迷いながらぐるぐる歩き続け、ようやく花の迷路から解放されて建物に辿り着きました。
――わたくしはともかく、万年運動不足の貴族のご令嬢では建物に辿り着くことができないのではないでしょうか。
歴史を感じさせる重厚な玄関扉の前に立って大きく息を吐きました。おふたりだけで暮らすには、ずいぶん広い邸宅でございます。ただ近くで見ると、庭園の見事さに比べて建物はどこか古びた印象で煤けているようにも感じられます。
――手をかけるところが間違っているような……。
手紙に指示された通り、玄関扉にも刻まれた紋章に招待状を翳してから、扉につけられた金属製の幾何学的模様が刻まれる輪を掴んで軽く叩きました。
輪が鋲に打ちつけられ、こんこんと音を立てると、ほどなく重い扉が内側に開きました。
「いらっしゃいませ」
同時に軽やかな女性の声がして侍女姿の女性が出迎えてくれました。
「お招きに預かり参上いたしました。クロエ・サルマ・ファラゼインでございます」
黒髪の若い侍女に取り次ぎをお願いしようと、その顔を見てわたくしは驚きました。
「……アート?」
なぜかアートが侍女姿で玄関扉の内側に立っていたのです。
「ようこそ、クロエ。どうぞ中へ」
中へ招き入れられ、すぐ側に立つアートの姿を改めて上から下まで見てしまいます。ヴァシル様は伯爵令嬢になんという格好をさせているのでしょう。……よく似合っていて可愛らしいのですが、そういう問題ではございません。
「……なぜ侍女の服を?」
そこではっと思い至ります。
「ヴァシル様、そういうご趣味ですか……!?」
伯爵令嬢に侍女の姿をさせるなど、それ以外に考えられません。
「は? 趣味……? 確かにこれはヴァシル様が選んだものだから趣味といえばそうかもしれないけど……?」
アートが不思議そうな顔で繰り返した後、なにか思い至ったかのように真っ赤になり慌てて否定します。
「趣味って、そういう趣味……!? あ、いや違う……! これは単に動きやすいから着てるだけで、この格好を強要されてるわけでは……!」
アートに付いて、玄関から入ってすぐの広間を抜け、薄暗い廊下を歩きます。「なんて説明すればいいんだろうなぁ……」と困ったように呟きながらアートが案内してくださいます。
先日のお礼を言い、体調に関して尋ねると問題ないようでした。突然寝てしまったので心配していたのですが、極度の緊張から解放されたのと魔力の使いすぎだということでした。ほとんど足音を立てない軽やかな足取りからしても、今はなんともないようでございます。
薄暗く長い廊下を歩きながら、閉ざされた扉の多さに少々不安になります。ひっそりと静まり返って、わたくし達以外の人の気配を感じません。この規模の屋敷ならば至る所に使用人がいておかしくないのに、あまりに静かでございます。
そう考えていたところ、後ろで動くものの気配を感じ、びくりとして思わず振り返りました。
「……!?」
人ではございません――それどころか、生き物でもなさそうです。形容しがたい物体がそこにございました。
「アート、あれはなんですの?」
廊下の端で、なにかが動いています。
それは平たく丸い物体で廊下を右から左に動きながら少しずつこちらに近づいて来ます。床に接している面には毛のようなものが付いており、カサカサと音を立てては移動します。つるりとした質感の磁器のような素材でできた無機的な印象のものですが、毛が生えているせいで生き物のようにも見えます。
「うん? ああ、掃除機だよ」
「そうじき? って、なんですか? 生き物ですか?」
「名前の通り、掃除する機械……、魔道具なの」
「掃除機……」
「床に接してる面から塵を吸ってお腹に溜めて移動しながら自動で掃除してくれるの。かわいいでしょ?」
「か、かわいい……?」
アートはにこりと笑って愛しそうに掃除機が動くのを眺めています。
「一通りお掃除したり、動力の魔力が切れそうになったら自分で定位置に戻るようになってるの。賢くて便利でしょ?」
「便利……」
「掃除が間に合わないから、ヴァシル様に頼んで作ってもらったの。庭師と料理人と下働きを最低限雇えと何度か頼んだんだけど、あの人、全然人を雇ってくれなくて。使い魔と私の三人だけじゃ、まったく労働力が足りないんだよ」
くるりと踵を返しアートは再び歩き始めます。わたくしはその後についていきながら、釈然としない心持ちになります。
「あの、もしや、その侍女の姿は格好だけでなく、本当に侍女がするようなお仕事もなさっているのですか?」
「うん、まあそう。侍女っていうかまあ、下働きもだけど。ヴァシル様の使い魔はほっとくと庭の手入れや料理にしか手をかけないから、下働きを含めて掃除関係は私がやるしかない」
なんと、人気がないのではなく本当に人がいないようでございます。無駄に立派な庭園と煤けた建物にはそういう理由があったのでございました。
――あの方は一体、伯爵令嬢になにをさせていらっしゃるのでしょうか?
「三人だけでこの屋敷を?」
「あとひとり、ヴァシル様の弟子がいるけどミアはまだ小さいからね。手伝ってはくれるけど、魔法の勉強もあるし」
「……信じられません。魔法が使えるから可能なのですか?」
「うーんと、魔法って思ったほど万能じゃないんだよねぇ。なんか攻撃系と医療系に特化してて、ぱーっと片付けるような便利な技があんまりないんだよね。生活を便利にしようとすると、魔法陣を組み込んだ魔道具を作って魔力を込めて作動させる、というまどろっこしい方法が必要で、素材にお金もかかるし、魔力はいるし、結局結構人力に頼ることになってるんだよ」
「あの、わたくしローラからアートはここで淑女教育を受けていると聞きましたけど」
「淑女教育? してないよ、そんなの。伯爵令嬢っていっても名前だけだから必要ないし。ただここに住むのに理由が必要だからそういう設定にしたの」
「設定……」
スタスタと歩きながらアートは事も無げにそのようなことをおっしゃいます。
「挨拶の仕方とか話し方とかは少しだけローラに習ったけど、まあこの先ああいう場に出ることはないつもりでいるから」
――ヴァシル様とご結婚されるなら、そういうわけにもいかないと存じますが……。
先を歩いていたアートがある部屋の前で立ち止まりました。
「こちらでヴァシル様がお待ちです」
そのまま扉を三度叩きますと「入れ」というヴァシル様の声がします。アートは扉を開けてわたくしに中に入るよう促しました。
(どうしてもききたいこと)
クロエ→「……ヴァシル様に『お帰りなさいませにゃん、ご主人様ニャ!』とか言ってお迎えするのですか?」
アート→「しないよ!(なんかもういろいろ間違ってるよ……!)」
◇◇◇
あくまで動きやすいから着ていると主張しています。信じてあげてください。




