20.舞踏会(4)
その時、会場の明かりが一瞬にして消えました。
一気に訪れた暗闇に会場から悲鳴が上がります。恐慌に近いざわめきが辺りを包みます。
会場の明かりが同時に消えることは通常でしたらあり得ません。シャンデリアはひとつひとつ明かりを入れていくため、例え燃料がなくなったとしてもばらつきが出て、同時に消えることはまずございません。
だからこそ、異常だとわかります。
わたくしはなにが起こったのかわからないまでも、本能的に身構えました。アートがはっとしたように、身動きします。
アートがわたくしを露台の手すり側に押しやり窓とわたくしの間に立つのと、会場の窓という窓が音を立てて割れるのが同時でした。
砕けた硝子が吹き飛びます。破片がわたくし達に向かって降り注ぐのがわかりました。
「アート……!」
思わず腕を上げ顔を庇おうとした時、わたくし達と硝子の間に一瞬、大きく黒い半透明の盾のような物が浮かび、それに当たった硝子が弾け飛ぶ不思議な光景が目に入りました。
ガシャガシャと音を立て、その場に破片が落ちました。
アートがガラスに向かって上げていた腕を下ろすと同時に黒い盾は消えます。
「クロエ、無事?」
「え、ええ……、なにが?」
「わからない。――バルトルト! そこにいる!?」
アートが露台側から回廊に向かって声をかけます。するとバリィが左腕を押さえて出てきました。
「バリィ、硝子が……!」
バリィはこちらに駆け寄りながら、大きな破片を投げ捨て傷口を押さえました。幾分青白く見える顔でわたくしに手を伸ばそうとして、血塗れの手に気づき、はっとしたように手を下ろします。
「クロエ、怪我は?」
「わたくしは大丈夫。――近くにいたの?」
「――ああ」
「護衛についていてくれたんだ」
アートがどこから出したのか、小さな刃物で自分の長い帯を切り裂き、手早くバリィの左肩辺りをぎゅっと縛りました。そして左の二の腕あたりの衣装を刃物で切ると傷の様子を見ます。
「暗くてよく見えない」
ふっと刃物が消え、代わりに先の方が光る不思議な細い筒のような物が現れます。それで傷口を照らします。
「破片はさっきのだけみたいだね」
細い筒が消え、白い綺麗な手巾を取り出すとバリィの傷口に結びます。
「手で押さえて」
バリィが再び左腕を圧迫します。
「少し深い。できればすぐに縫うか癒やしをかけた方がいいんだけど……」
そう言ってアートが顔を上げ、わたくしを見て「あっ!」と声を上げました。
「え?」
わたくしは背後にぞわり、とした気配を感じました。手すりの向こうを振り返ろうとした時、目の前を黒い布のようななにかに塞がれました。
耳の側でシュルッという衣擦れの音が響いた気がしました。そのまま目と鼻と口を布が覆い、同時に肩から膝くらいまでを大判の布が巻き付き、ぎゅっと締め上げられます。
「んん!?」
声も出せず、息が詰まって驚きます。布が後ろに引っ張られ、背中が露台の手すりに当たりました。そのままさらにぐいっと引かれ身体が手すりを乗り越えて背中が外に出る感覚がしました。
――落ちる!?
抵抗しようにも手足は封じられ、体勢を整えることもできません。このまま落ちれば受け身も取れません。めったに感じたことのない命の危険と恐怖に襲われます。
誰かの手がわたくしの足首を掴み、次いで腰を掴みました。
力任せな手とどんどん締め上げてくる布のせいで、あちこちに痛みを感じます。
「ふぐぐ!?」
けれど、痛い、という声は言葉にならず、くぐもった呻き声が漏れるだけです。
「あっ!」
焦ったふたりの短い叫びが聞こえ、掴まえていた手がするりと滑りました。反動で身体が空に投げ出されます。
気持ちの悪い浮遊感を感じ、重い頭から落下する感覚に胃が萎縮します。
「クロエ!」
アートとバリィの呼ぶ声が重なりました。地面に叩きつけられる恐怖に悲鳴さえ出ません。
一瞬の後、強い衝撃を感じて、なにかに当たった身体が一度跳ねました。
――地面、じゃない?
ぼよん、という感触を身体の下で感じた後、今度は固い地面の感触が戻りました。
――なにかに受け止められた?
ですが、顔を覆われているためなにがなんだかわかりません。
次いで、すぐそばに重量のあるものがドサッと落ちる音がしてわたくしは身体を竦めます。
依然としてずるずる引きずられるわたくしを、近くに落ちたものが掴まえるのがわかりました。
「アート、早く! 普通の刃物じゃ駄目だ!」
すぐ側でバリィの声がして、わたくしを掴まえたのがバリィだとわかり僅かにほっとします。怪我をした腕で二階の高さから飛び降りてくれたのでしょうか。
「わかってる! 離さないで!」
上からアートの声が降って来た後、今度はほとんど重さを感じないものがそばに落ちる音が聞こえます。
「えいっ!」
背後でザッという布を切る音、かくん、と力の均衡を失って反動で身体がバリィごと反対側に倒れます。
「んんんー!」
布でぐるぐる巻きにされているので身動き取れません。ただ途中で切られたのか、締め付ける力は弱まり布が緩みました。焦った手が顔の布を外してくれます。ぐいぐいと力任せなのであちこち引っ張られて痛い思いをしつつも、顔の覆いがやっと外れて、わたくしはやっと大きく息を吐きます。
「ぷはっ!」
目の前にバリィの顔がありました。
「う、バリィ……!」
「無事か!? 怪我は!? 痛いところはないか!?」
血塗れの手に両頬を挟まれて畳みかけるように尋ねられます。
「だ、大丈夫」
はあっと、バリィが心底安堵したような息を吐いて身体の布を外しにかかってくれます。
目を上げると見たこともない大きな弓を持ったアートが闇に向かって続けて二本矢を放つのが見えました。
「騎士団の見張り! 賊だ! そいつを捕まえろ!」
さらに一本、矢をつがえ放ったアートが庭の警護についていた王立騎士団員によく通る声で命じました。
「バルトルト、外した。追って!」
「わかってる。命じるな」
なんとか布を外してもらい、バリィがわたくしを立ち上がらせてくれました。左腕からどんどん出血しており、わたくしのドレスも血にまみれていきます。
「バリィ、腕が」
「そなたは自分の心配をしろ。アート、クロエを頼むぞ」
アートは頷きました。
バリィが駆けていく後に血が落ちていきます。
「下が無事ならあとでヴァシル様が癒やしをかけてくれるから大丈夫だよ。捕まえる方が先決だ」
厳しい声で言って、弓を手にしたままアートはわたくしに近づきます。異国の弓でしょうか、アートの背丈を越す大弓で、握りが真ん中、弓の中心でなく三分の一辺り下部にあるのが不思議です。近くで見ると細い木を使っているのがわかり、大弓なのに女性でも引けそうでした。
わたくしが弓に注視していることに気づき、アートが苦笑しました。
「私は実戦向きじゃなくて。弓も集中した状態じゃないと当たらない。剣も使えないから護衛向きじゃないんだよ」
瞬く間に弓が消えました。気のせいでなければ右手の中指に嵌めた指輪辺りに収まったように見えました。あの、ヴァシル様とお揃いの指輪。
――武器の魔道具。……魔法騎士?
魔法騎士団の騎士が使う武器は自在に取り出せる魔道具だと聞いたことがありました。魔法に対抗できるのは武器の魔道具だけだそうです。わたくしに巻きついた布が魔法なら、先ほど布を切ったのはアートの武器なのでしょう。
はっとして、バリィの消えた闇を振り返ります。
対抗できる武器がなくてバリィは大丈夫でしょうか?
「人の心配してないで自分の心配して、クロエ」
「でも……!」
じり、とアートがわたくしの前に庇うように立ちます。
「新手だ」




