19.舞踏会(3)
クラウディウス様と踊り終わると待っていたのはイエーレ様でした。
数人のご令嬢に取り囲まれていらっしゃいます。その中からわたくし達に軽く手を挙げられます。
――やたら目立つので、本音としては気づかなかった振りをしたいです。
「今日はこちらの令嬢と一番に踊る約束なんだよ。すまないね、子猫ちゃん達。また後でね」
歯が浮く台詞にわたくしなどは唖然とするしかないのですが、イエーレ様を取り囲む女性達にはそうではないようです。イエーレ様をうっとりと見つめながら、声をかけられたわたくしの方にひどい敵意ある眼差しが突き刺さります。
――わたくし、今日が無事だったとしても、別の恨みを大量に買ったような気がいたします……。
クラウディウス様からわたくしの手を取り上げて、優雅な動きで中央の方へ促されます。曲はゆったりとしたものに変わっています。踊りながら会話を交わします。
「お上手ですね。クラウディウスと踊っているところを拝見しましたが、ずいぶん目立っていましたよ。あれだけ踊れるご令嬢は少ないでしょうね」
「ありがとう存じます。――目立て、というお話でしたから。イエーレ様こそ、取り巻きの方、よろしいのですか?」
「……一応、暴走しない方々を選んでいるつもりですが。どうでしょうね、女性は怖いから」
――選べるほどお相手がいらっしゃるのですね……。
「あまり無責任なことをされると、今度こそ本当に刺されますわよ」
「――この前は任務だったのですよ。そうそう刺されるような無茶はしませんよ。……まあ、この間ローラ嬢にもこってり絞られて釘を刺されましたからね。この件が片付いたら少し自重します」
イエーレ様は苦笑された後、ふと艶やかな笑みを消し会場に目をやって真面目な表情に変わりました。
「会場には鎧の王立騎士団の警備の他、私服で幾人も紛れています。槍試合での失態があったため、今回の警備は厳重です。仮になにか起こったとしても、捕らえることは容易でしょう」
「……ならよろしいのですが」
アーヴェル家の方々がいらっしゃる方へ戻る途中、これみよがしな陰口がいくつも聞こえてきました。
「ずいぶんとお目立ちですこと……」
「辺境にはない華やかさに浮かれていらっしゃるのでしょう……?」
「何人もと踊られるなどとはしたないこと……」
「殿方が騙されていらっしゃるのでは……?」
「父君の権威に逆らえないのでございませんか……」
「まあ、ご身分を笠に着てなんというお振る舞いですこと……」
――当人に聞こえるようにおっしゃるのは「陰口」ではなくてただの悪口ですわね。せめて陰で話していただきたいものです。
わたくしはすっと背筋を伸ばしました。
陰口など叩かず、直接おっしゃればよろしいのに、と存じます。
そうすれば、きちんと反論して差し上げますのに。
まあ、目立つ、という面では成功したかもしれません。
イエーレ様の耳にも届いたのか、気遣うように微笑まれました。
「――申し訳ない」
「いいえ。今日のことがなくもとも、いつものことなのです。お気になさらず」
「いつもの……?」
「ええ。王都育ちの方々には田舎者と侮られておりますから」
わたくしはできるだけにこやかに姿勢正しく歩きます。
……まあ、陰口といってもそこは貴族のご令嬢方、直截な言葉はあまり使われませんし「だからなに?」という程度のものです。囁き合う程度で実害がないのですから、多少呆れる心持ちにはなっても、たいして気にならないのは本当でございます。この辺りが「鈍感」と言われる原因かもしれませんが。
――ただ、いささか疲れました。
シュテンベルヘン伯爵夫人のお陰で息を切らすことはございませんが、緊張しながら三曲も続けて踊るのは容易ではございません。
「少々休んで参ります」
イエーレ様とアーヴェル家の方々に言い置き、ローラが付き添おうというのを断って、わたくしはひとりで会場を出ました。
「待って……!」
会場を出た所で、軽やかな足音と共にアートゥラ様に後ろから呼び止められました。
「私もご一緒します」
足を止めて振り返ると、ほっとしたように微笑まれました。
「ヴァシル様も言って――ええと、おっしゃって、いたでしょう? おひとりで歩かれるのはよくありません。私も一緒に行きます」
わたくしは少し迷って会場の方を見ました。
「ヴァシル様のお側にいらっしゃらなくてよろしいのですか?」
「……私も少し息が詰まってしまって」
アートゥラ様は軽く肩を竦めました。
困ったようにおっしゃるお顔は少し青く見えます。あれだけ注目されて平然とできる方はなかなかいらっしゃらないでしょう。こんな繊細で可憐な方ならなおさらです。悪意に晒されるのはお疲れになるでしょう。
「ファラゼイン様は、お城に詳しいですか? 私、会場の二階に上がってみたいです。行き方を知って――じゃなくて、ご存知、ですか?」
青いお顔をなさりながら健気にわたくしに笑いかけてくださるアートゥラ様がいじらしく、こんな妹がいたら楽しいのかしら、とわたくしはふと思いました。
「わたくしもお城は詳しくございませんが、二階の回廊への階段は存じております。人も少ないですし、行ってみますか?」
アートゥラ様は嬉しそうに、にっこりしてわたくしの腕にするりと手をかけました。ほっそりとした指先が思いの外、ひんやりとされているのが印象に残りました。
「はい、行きましょう」
二階の回廊は大広間をぐるりと壁沿いに巡らされており、眼下に煌びやかな舞踏会の様子を眺めることができます。また、南側の回廊は大きな窓に面しており、開くと露台に出ることができます。
回廊は思った通り一階の広間と違って人の姿がまばらでした。所々に王立騎士団の方が立つ他は酔い醒ましの方々くらいしかいらっしゃいません。
わたくし達は露台に出てみました。
外はすっかり暮れて闇に沈んだように見えます。所々に松明の明かりがあり、見張りの騎士がいるのが見える他は素晴らしいお庭もあまりはっきりとは見えません。
ただ、闇夜にぼんやりと灯された明かりが広大な庭にどこまでも続いていく様は、どことなく幻想的にも見えました。
「広い庭……」
アートゥラ様が外を眺め、呟きました。
わたくしを振り返ると、黒い瞳がわたくしを捉え苦笑されました。
「……若い女の人の敵意をたくさん向けられるのがちょっと苦手で。少し、嫌な思い出があって」
これだけ美しければ、やっかみも多いことでしょう。無理もございません。
「ファラゼイン様は大丈夫ですか? なんだかいろいろ言われてましたけど」
「わたくし、昔からあまりそういうことが気にならない方ですの」
「そう……、ならいいけれど」
心配してくださったのでしょうか。わたくしは少し嬉しくなりました。
「わたくしのことはクロエと呼び捨てにしてくださってよろしいのですよ?」
驚いたように黒い瞳がくるりと見開かれ、躊躇うようにこちらを窺います。
「あなたのような完璧なお嬢様を呼び捨てるなんて。……そんな身分ではないから」
――完璧なお嬢様? 初めて言われました! このところ、伯爵令嬢らしくしろ、といたるところで言われていますのに……!
わたくしは嬉しさに少し震えそうになります。
――なんて可愛らしい方。
「身分だなんて。同じ伯爵家ではございませんか。ローラとも名前で呼び合っておりますし、そもそも公爵夫人になられるのでしょう? もっと堂々となさってよろしいのですよ」
「公爵夫人……、そうか、このままだとそうなるのか……?」
ひとりごとのように呟かれて、少し困ったように苦笑されます。
「口調も……、わたくしに対してはもっと砕けても構いませんわよ。お話しづらいのでは? わたくしあまりそういうことを気にする質ではございませんから」
アートゥラ様は伯爵令嬢としてはあっさりした口調をされていますが、それでも時折話しづらそうにされています。お話通りなら、ついこの間まで平民として暮らしていらしたことになります。平民の方はもう少し砕けた話し方をされるように思われます。
「ええと、やれと言われればできないこともないんですよ? ただ周りに男性しかいないので、お嬢様っぽい言葉にあまり慣れてなくて長持ちしないだけで。無理に話そうとすると、普段できる言葉もわからなくなって混乱したり……、そうさせてもらえると助かります。じゃあ、お言葉に甘えて。――クロエ?」
「はい」
にっこり笑って返事をすると、なにが恥ずかしかったのか、少し赤くなって目を伏せられます。肌が白いのでうっすら赤くなると薔薇が咲いたように美しく、女のわたくしでさえどきりとします。
――年若いのに妙な色気のある方。
「クロエも私にそんな丁寧な言葉使わなくてもいいんですよ?」
「ああ、これは癖のようなものなのでお気になさらず。……でも、そうですね。お友達としてお話ししても?」
「もちろんです」
「わたくしもアートゥラとお呼びしてもよろしくて?」
「……できればアートと呼んでください」
「アート?」
「はい。その方がしっくりくるの」
「そう、アート。これからよろしく」
「はい、よろしく」
僅かながら言葉に東方の訛りがあるように感じるので、アートとお話ししていると不思議と懐かしい気持ちになります。リゼインの城下の商人には東方の国からやってきた者も多く、城の使用人には東方の血が混じった者も珍しくございませんでした。黒い髪に黒い瞳を見ていても、リゼインが思い出されます。
「アートは東方のご出身?」
「……生まれたのは王都のすぐ隣、メディシュラムの下町なんだけど。少し訛ってるでしょう?」
「気にならない程度ですけれど。わたくし領地はリゼインで東の辺境ですので、城下に東方の商人がたくさんいるのです。あちらの方の話し方に少し似ています」
「――父の顔は覚えていないの。母はこちらの言葉は片言で。ヴァシル様の所で直されたんだけど少し残っているみたい」
身寄りはないと聞きました。東方出身の母君とおふたりだけでお育ちになったのか、それとも生まれてすぐ東方で育たれたのか。少し想像しましたが、尋ねるのはやめました。あまりお話ししたくないかもしれません。
「ヴァシル様とご婚約されるのですか? あの方が女性と仲良くされているのを初めて拝見しました」
「仲良く……? というほどのものではないけど。婚約……、なんかそんな話になってる」
「他人事のようですわね」
「他人事……と言われればそうかもしれない。あまり実感がないの。これは一種の契約だから」
「契約?」
「うーん、どこまで話していいのかなあ?」
「ヴァシル様に無理強いされているのですか? もし、そうならわたくしできる限りのことをいたしますわよ」
おふたりは仲睦まじそうに見えましたが、もしそういう間柄でないならお助けするのはやぶさかではございません。
するとアートは慌てて手を振りました。
「あ、いや無理強いというほどのことでは。……そもそもこうなったのはあなたのお父さんのせいだし」
「はい?」
急に父が出てきてわたくしは目を瞬きます。
「クロエはヴァシル様と結婚したいんじゃないの? そう望んでいるって辺境伯が話していたけど」
「……わたくし自身は父が耄碌したと思いました。ヴァシル様がわたくしを相手になさるはずがないと思っていましたし」
どうにかして回避するために自分で相手を見つけようとして、逆に今面倒なことになっております……。
「もうろく……お父さんに対してすごい言葉使うねぇ……。じゃあ、クロエは特に望んでいたわけじゃないんだね?」
「はい」
「辺境伯がしつこいからヴァシル様が面倒になって、既に相手がいることにしようということになったの。他の人への牽制にもなるし、ちょうどいいって」
「それであなたが?」
「そう。領地付きの伯爵令嬢というのがギリギリの線らしいよ。それ以下だと公爵の相手としては現実味がないって」
「ですが、伯爵家だともっと家格の上の方々は第一夫人の座を狙って諦めないと思いますけれど」
実際、ヴァシル様の母君はそのような境遇でいらっしゃったそうでございます。アーヴェル家の令嬢だったヴァシル様の母君は最初第一夫人として第二王子――今の大公殿下に嫁がれましたが、後に嫁がれた侯爵家の令嬢が第一夫人となり、第二夫人へと追い落とされることになったと伺いました。輿入れの順番が逆であれば無用な争いはなかったでしょうに。
臣下に下られた大公殿下は一代貴族で、爵位や領地を子息に譲ることができません。当時王子であられたヴァシル様は公爵位を与えられましたが、それもやはり一代貴族としての爵位です。例えヴァシル様と結婚しても子どもに爵位を与えることはできません。
しかし、ヴァシル様と結婚すれば公爵夫人として社交界でも敬われることになりますし、公爵として得た家屋敷や金銭は相続可能なものもございますので、財産は下流貴族と比べれば莫大です。たとえ子どもが貴族として暮らせなくとも充分に暮らせる資産は手に入ることになります。
面倒な領地経営がない分、気楽だとお考えの方もいらっしゃるでしょう。また、あれほど美貌の方というだけで妻の座に憧れを持つ方は多くいらっしゃるはずです。
「まあその辺は、領地付きの娘相手なら実家を考慮して第二夫人は娶りにくいだろう、という設定で。伯爵令嬢なら第一夫人になれなくはないんでしょう?」
「ええ、まあ」
「あの人ねぇ、一生結婚するつもりなかったみたいなの。女性不信というか人間不信というか。あと、領地がない公爵様だし、王位争いに負けた方の家だから嫁ぐことを喜ぶ人もいないだろう、自分のところに来るのは可哀想だと思っていたみたい。口にはあまり出さないけれど」
そこでふとアートは声を低めました。わたくしの目を真っ直ぐに見つめます。
「クロエは、アーヴェル家と親しいよね。どれくらい、今の情勢について知ってる? なにか聞いていることはある?」
急に変わった声の調子にわたくしは目を瞬きました。
今の情勢、と敢えて尋ねられるということは、周辺国との情勢が普通でないことを示唆しています。
露台に目をやり、周囲にどれだけ人がいるか今一度、素早く確認しました。少なくとも、声が届く範囲にわたくし達以外は見当たりません。死角に潜んでいないとは限りませんが、妙な気配は感じられませんから、おそらくは味方以外には気にするほどの誰かはいないのでしょう。
どこまで話すか僅かに迷った後、この方はヴァシル様の妻になる方――つまりはヴァシル様に尋ねられていると考えても間違いはない、と正直に話すことにしました。
「アーヴェル家からはなにも聞いていません。ただ、ファラゼインとしては、いずれ大きな戦があるのではないかと見ているようです。――父は、戦の要となるのがヴァシル様だと考えているようです。だからこそ、縁談を持ち込んだのです」
わたくしもなるべく声を低め、どこと戦になるか、というところはぼかして、あとはほとんど正直なところを話してみました。
風が吹き、アートの黒髪をなびかせます。ふわりと顔にかかった髪を払い、ふうん、と頷いてしばらく考えこむ素振りが見えました。
「――その通りだよ。他国と戦争になれば、矢面に立たされるのは十中八九、ヴァシル様だ。今、ヴァシル様以上に将軍を務められる者はいない」
将軍位というのは戦の時のみ置かれる特別位でございます。本来、王立騎士団と四独立騎士団、それに魔法騎士団を統べる長は国王陛下でございます。しかし、王が実際の戦に参加されるのは遠い昔のこととなりました。王自ら采配できればそれが一番でございますが、現在の国王陛下は戦の専門家ではございません。その代わりを務める総大将が将軍なのです。
現在全騎士団の中で、公爵家出身の方はいても、公爵位を持つのはおそらくヴァシル様ただおひとりです。本来爵位を持つ者は領主職もこなさねばなりませんし、騎士団に入る方はいらっしゃいません。元王族でございますし、魔力・軍略共に他に並び称される方は確かに、他にはいらっしゃらないと存じます。ヴァシル様が将軍に任ぜられる、その可能性は高いのでしょう。
アートはそこでさらに声を落としました。風に紛れてほとんど、わたくし以外には聞こえないような、低い声でした。
「ただ、今のヴァシル様には国内に味方がほとんどいない。独立騎士団が従ったとしても、兵力は足りないんだ。各領主の領地軍も戦闘に加わるとして、それが信用が置けない者達だったら、足元をすくわれる。平和ボケしているこの国の人達は、国内の勢力争いの方に関心が強くて、下手すれば戦闘中にヴァシル様が消えてくれればいい、なんて思ってるかもしれない」
「そんな……、まさかそんなことは」
ないと言い切れる?
アートが一度口を噤み、軽く首を振りました。言外の問いかけに、わたくしも内心で首を振りました。
――いいえ。未だに大公殿下に敵対した貴族達は、完全には警戒を解いてはいないのでしょう。現在王都から遠く離れた大公領にいらっしゃる大公殿下よりも、王都に近いヴァシル様の方が気になるのかもしれません。
まして、ヴァシル様はひとつの騎士団を掌握されています。魔法騎士団という、特殊で強力な。……国のために、王をお守りするために身を尽くし、潔白を証明するはずのそれは、今となっては、大公殿下が思うままになる武力を持って権力を狙っているようにも見える、どうにも危ういお立場なのでした。
それならば、まず自由に動くことができない大公殿下よりも、その手足となる強力な魔力を持つヴァシル様を都合よく、葬ってしまう方がよほど大公殿下の力を削ぐことになると、短絡的にお考えの方もいらっしゃるのかもしれません。
――国が危ういかもしれない時に、なんと愚かなこと。
「――東の辺境伯が味方につくならクロエと結婚する方がいいに決まっているんだ。西はディリエ様がいるから安心なんだけど、東はそうじゃない。東の抑えは今、喉から手が出るほどほしいんだ。ヴァシル様が信用できて自由にできる兵力が、特に東にほしい。お互いに利があるなら、クロエと結婚した方が早いんだよ。……でも、あの人はそういう形で女性を使うことを極端に嫌うんだ。女性を面倒だと言うくせに、利用することをしない。だからこんな馬鹿げたことになってる。――私が伯爵令嬢だなんて」
「あの……、あなたは本当にファンダイク卿のご令嬢なのですわよね?」
「――養子縁組みは、この前した。書類上は確かに伯爵令嬢だね」
そこでアートは微笑みました。艶やかな黒髪は闇に沈み、濃紺の御衣装も闇を背にすればほとんど黒のように見えました。
さらに、黒い瞳は深淵を映すように深く暗く、この世の者ではないように不思議な輝きがございます。引き込まれるように見つめていると、どこか別の世界に連れて行かれるようなうっすらとした心許なさを感じます。
――あなたは、誰? という問いをわたくしは呑み込みました。それを訊いてしまっていいのか、訊いてしまったらなにが起こるのか、わたくしがどう動くべきなのか、それを判断できる自信がございませんでした。
ヴァシル様とアーヴェル家が手を回したなら、この方は確かにファンダイク伯爵令嬢としてどこにも疵がないはずでございます。――そう思っていた方があなたのためだよ、というアートの声が聞こえるようでした。
「クロエは……ヴァシル様と結婚するつもりはある? つまり、ふたり目の妻として」
「公爵様が伯爵令嬢ばかりふたりも妻にしてどうするのです。それに、あなたと寵を競う気がいたしません」
貴族の正室はふたりまでと法律で決められています。側室にするには伯爵家は家格が高いし、ひとりならまだしも正室がふたりとも伯爵家というのは公爵家にしては妻の家格が低いように感じられます。
あえて階級で分けるとするならば中流貴族にあたる伯爵家というのは、どうも中途半端なのでございます。それだけでなく、わたくしもアートも領地までついてきてしまいます。どちらの実家に対しても、都合がよくありません。
「なら、どうしたらこちらの味方になってくれる? クロエと結婚しないで辺境伯を動かすにはどうしたらいい?」
わたくしは深く溜め息を吐きました。
――この方を可愛らしいと思ったのは間違いでした。確かに可愛らしく、繊細で可憐な外見ですが、中身はそうではないようです。
年下の妹のような、という表現は当てはまりません。
わたくしが守って差し上げたい、と思うような方ではございませんでした。
――ただ、こういう方はわたくし嫌いではないのです。お洒落や殿方のことしか頭にない、簡単に他者を貶めるようなご令嬢の方がわたくしにとってはつきあうことが難しいのです。ローラにしてもそうですが、領地の情勢について突っ込んだ話を対等にできる方が好ましいのです。
舞踏会に疲れた素振りも、わたくしを連れ出し、人に聞かれては困る交渉をするための演技だったのかもしれません。ヴァシル様にそれを任され、信用されているということです。
「――あなたがわたくしの真の友人になってくださるなら、わたくしは頻繁にメディシュラムの離宮に伺うことが可能でございます。いざとなればわたくしを盾に、父を使えばよろしいのです」
「クロエは……それでいいの?」
「わたくしは、既にお味方するつもりでございます。ファラゼイン家の者は代々大雑把で絆されやすく、深く物を考えない質でどちらかというと鈍感な方ですが、ここぞという時の勝負勘はなぜが強く、外したことがございません」
たぶん、今もまさに「ここぞという時」なのだと存じます。わたくしはアートに、にこりと笑いかけると宣言いたしました。
「――あとはただ父に命じればよろしいのです。ヴァシル様に勝機があれば、必ず従います」
「――つまり、辺境伯に味方してもらえなかった大公は初めから勝ち目がなかったということ?」
わたくしはそれには答えず、ただ微笑みました。
父がそれを選んだ時、わたくしはわずか八歳。父がなにを考えていたか明確には存じません。けれど、心情的には大公殿下――正確に言うと、そのご長男に心を寄せていたようでございます。今は亡き、ヴァシル様の同母の兄君様に。
ただその時点では、大公殿下に勝ち目は見出せず、かといって現王陛下に手放しで迎合するのも憚られ、結果どっちつかずの中立というお立場になったのでしょう。
ヴァシル様にお味方するというのが危うい立場なのは承知しております。しかし、お味方しないことで国自体がなくなっては元も子もございません。
戦がいつ起こるともわからない今、かつてお父様が中立を選ばれた時とはまた状況も変わっています。いつまでも中立とは言っていられないのです。
ファラゼインは、選ばなければなりません。
――そして、勝てない王につく愚は犯しません。
その時、アートがなにか言いかけてふ、と口を閉じました。つい、と会場に向けられた視線につられわたくしも露台から明るい会場に目を向けます。微かな違和感。
「――なんでしょう」
シャンデリアの明かりが僅かに瞬いたように感じました。
(陰口に対する内心の反論)
令嬢方 → 「なに、いい男とたくさん踊ってるのよ、羨ましい! 自重しなさいよ!」
クロエ → 「なにをおっしゃってるか意味わかりませんわね。わたくし、今日は自分が招待者ですし、特に決まった伴侶も恋人もいませんから、社交のためにいろいろな方と踊るのは当然でしょう? そちらも結婚相手探しに来てるのでしょう? たくさん踊ればいいじゃないですか。わたくしがとやかく言われる謂われはございませんけれど」
令嬢方 → 「んまあ、なんて言い草! 父君の権威を振りかざしてるだけでしょう!?」
クロエ → 「(困惑)心底なにをおっしゃってるか意味わかりませんわね。……伯爵家にそんな権威はございませんわよ? ご自分の家のことを考えればわかるでしょうに。しかも国王陛下に睨まれてさえいますのよ。そんなこと、見てればわかるでしょうに……ずいぶんと我が家を持ち上げてくださいますこと」
令嬢方 → 「(カチンッ!)キーッ! それ嫌みですの!?」
◇◇◇
喧嘩になるからやめた方がいいですね。




