1.公爵を籠絡せよ
ある日、お父様に呼び出されて突然命じられました。
「クロエ、儂はヴァシル様を婿養子にする。お前はヴァシル様と結婚するのだ」
「は?」
わたくしは貴族令嬢としてはあまりにはしたなく、口をあんぐり開けてしまいます。
「『は?』ではない。お前も十六だ。いつまでも剣を振り回したり、遠乗りばかりにうつつを抜かすものではない。結婚してもおかしくない年ではないか」
「……は?」
「だから、『は?』ではなく! 少しは家のことを考えよ、と言っておるのだ!」
未だに口を開けたまま、唖然としてお父様を見つめてしまいました。
◇◇◇
さて、驚愕のあまり失礼いたしました。
状況をご説明するためにも、わたくしの自己紹介から始めましょうか。
わたくしはファラゼイン伯爵の長女で、クロエ・サルマ・ファラゼインと申します。
父のファラゼイン伯爵はウィレンティアの東の国境近くにあるリゼインという領地を治めております。王都からは遠く離れ、辺境地域という意味合いもあって、父は「辺境伯」とも呼ばれております。
口さがない王都の令嬢方には「田舎者」と陰口を叩かれることもございますが、東に接する小国群や砂漠の民、遥か大国ソルパテリアに到るまで様々な国の商人が行き交い、城下はそれはそれは異国情緒溢れる活気のある街です。わたくしのことを田舎者と馬鹿にされる令嬢方が有り難がって身につけられている宝石は一体どこから来ていると思っておられるのでしょう。
まあ、城下街を抜け城壁を越えれば、すぐにでも広大な草原に出ますので、田舎というのもあながち間違いではないのですが。
さて、その辺境伯の娘であるわたくしに結婚話が持ち上がりました。まだ十六歳でございます。結婚など、考えてもおりませんでした。ウィレンティアの成人は十五歳。貴族女性ならば十六にもなれば結婚する者もちらほら出始める時期とはいえ、恋人も婚約者もいないわたくしにはまだ遠いお話だったのです。
――いえ、憧れた方はおりました。ほんの子ども時分はその方の妻になることを考えてみたこともございます。実際に「お嫁さんにしてください!」とお願いして、「嬉しいな」と微笑まれたので、了承していただけているものと愚かにも思っていました。
ところが、その方はわたくしの成長を待ってはくださいませんでした。子どもの言うことだから、と本気にされていなかったようです。わたくしの初恋は無残にも、たった八歳の時に儚く散ったのでございます。
かの方以上の殿方がそうそういらっしゃるはずもなく、十六のこの年まで浮いた話のひとつもございませんでした。兄も弟もいて、跡継ぎのことを真剣に考える必要もなく、家族の元で毎日楽しく暮らしていたのです。
それが一年ほど前、領主補佐を務めていた兄が亡くなり、弟はまだ年端もいかぬ幼児とあって、父は急に行く末に不安を覚えたようでした。漸く悲しみが癒えはじめ、兄の喪が明けた早々、なんだかとんでもないことを言い出したのです。
◇◇◇
「ほ、本気でおっしゃっているの、お父様?」
「本気に決まっておろう」
わたくしは開いた口がふさがらない、という状況を十六年生きてきてはじめて経験したのでございます。
「ヴァシル様と結婚ですって……? しかも、婿養子にする、とは……!?」
お父様は髭に埋もれた口でうむ、と呟き頷きます。
「エミエールがいるではございませんか。伯爵位を継ぐのは男子のエミエールでございましょう? わたくしが婿を取る必要がございませんわ」
「エミエールが成長する頃まで待っていたらお前は立派な行き遅れになるではないか。体の丈夫でないエミエールが無事に成人するかどうかも心許ない。家督についてはヴァシル様が欲しいと言えば最悪渡してもいいとも思っておる。そのあたりは話し合いによるがな」
お父様の中では自分の息子に家督を譲ることより、リゼインを任せられるような優秀な男性を婿に取って領地を守ることの方が重要なようでした。その方が望めば伯爵位を譲ることも辞さないというのです。
弟のエミエールが無事成長して伯爵位を望んだ時はどうなさるおつもりなのでしょうか。無用な争いの種にでもなりかねません。
「まあ、まだ儂も早々に引退するつもりはないから、領主補佐をしながらいずれエミエールが継いだ時に助力してくだされば、とは思うが……、そこまで儂も甘いことは言っておれん。それよりも確実にリゼインを守る方法を取りたい。ヴァシル様を取り込めれば、リゼインは必ず守れる」
「それにしたって、ヴァシル様を婿に取るなんて……」
――意味がわかりません。
まだ耄碌するような年ではないはずです。ですが、どうかしてしまったとしか思えません。
「家格が違いすぎます。こちらはたかだか伯爵家ですのよ。元王族の方と結婚など、まかり間違っても実現するはずがございませんでしょう!? しかも、わたくしが嫁ぐならまだしも、婿養子にするとは正気でございますか!?」
確かお年は二十一歳――アスカリッド公爵閣下、お名前をヴァシル・ロウ様とおっしゃるその方はただの公爵様ではございません。現国王陛下の弟君である大公殿下のご令息にして公爵位をお持ちになる元王族でございます。大公殿下が先の王位争いにお敗れになって親子で臣下に下られましたが、元王族というお血筋は変わりません。そんな方を婿養子に迎えられるはずがございません。
「ぬっ……!? 『たかだか』と申すが、曲がりなりにも辺境伯。爵位でいえば伯爵とは言え、侯爵家とも並び称されるのだ。元王族と言っても今は一代貴族の大公の子息、それも第二夫人の子で領地もない三男であれば、向こうから頼んできてもおかしくないのだぞ。大領地リゼインの、辺境伯の娘であることになんの恥じるところがある?」
「いえ、恥じるつもりはございませんが……、ん? 『向こうから頼んできても』とおっしゃいました? まさか、あちらから申し込まれてもいないのではございませんか!?」
「うむ。今交渉中だ」
――やっぱり耄碌なさってるのかしら?
「労せずして、リゼインの領地が手に入るというのに、あの方はうん、と言わんのだ」
「当たり前です。……それに、ヴァシル様といえば、よくアーヴェル卿のお屋敷に遊びにいらしてたあの方ですわよね? 女嫌いで有名ですし、魔法騎士団でも高位の騎士様ではございませんか。わざわざ面倒な領地経営などしに、こんな田舎にいらっしゃるはずがございません」
「先ほどから聞いておれば、『たかだか』だの『田舎』だの、ずいぶん卑下した物言いではないか」
「卑下しているつもりはございません。現実的にお考えあそばせ、と申し上げているのです。……なぜ、急にそんなことを思いつかれたのです?」
お父様は丸太のような腕を組み、難しい顔になりました。
「ふむ……。お前には話しておかねばならぬな。――ずいぶん前から東がきな臭いのはお前も存じておろう?」
「はい。小国との小競り合いでございますね。……でも、特に大事にも至っておりませんし、ウィレンティアの兵力を考えればそれほどの脅威でもございませんでしょう?」
「いや……、裏でソルパテリアが動いているようだ。イペール騎士団が東の砦を守っておるし、我がファラゼイン伯爵軍も簡単に負けはせんが……、ソルパテリア相手となれば大きな戦になる。儂になにかあった時、お前と幼いエミエールだけでは心許ないのだ。――それに、西のサクルマラピスも同時に仕掛けてくる可能性がある」
我がウィレンティア王国は大陸の西方に位置します。西側は大国サクルマラピスに接し、東側は三国の小国に接している、大国というには小さく、小国というには大きな、中程度の広さの国でございます。
東側はいくつかの小国群があり、さらに砂漠を越えると東の大国ソルパテリアに至ります。ソルパテリアはかつて騎馬の蛮族とも呼ばれていましたが、あっという間に東の国々を征服し、ウィレンティアと戦を構えたこともございます。
対して西隣の大国サクルマラピスともかつては大きな戦がございましたが、休戦協定を結んでよりほぼ八十年間の間、戦らしき戦はございません。
「……サクルマラピスまで? ですが、今のサクルマラピスの王妃様は、元は我が国の姫君ではないですか? 休戦して八十年も経ってますし、さらに友好のために我が国の姫君も嫁がれたのですから、今更戦争になるはずが……」
「いや、その嫁がれたアレクシア様が問題なのだ。かの王妃は我が国の王位継承権を主張しておられる」
「!? ……意味がよくわかりません。既に嫁がれた方でしょう? 弟君――現王陛下が王位を継いでいらっしゃるではありませんか」
「――それが間違いで、先王陛下が退位された時点で王位はアレクシア様に移り、ウィレンティアは自分の息子が成長するまで弟君に代わりに統治させていたにすぎん、と宣言されたようだ。息子が成人したため、統治権を息子に渡せと言ってきておる」
「無茶苦茶な……。陛下はそれをお認めになられたわけではございませんよね?」
「当然だ。だが、向こうもアレクシア様に王位を譲るという先王陛下直筆の遺書を出してきてな。『現ウィレンティア王は病の床で判断力のない先王に証書を書かせ、王位を簒奪した』と言ってきておる。どうやらそれが本物らしく見えることが問題でな」
「まさか、そんな馬鹿げたことが……」
わたくしはすっかり困惑してしまいます。本当だとしても、他国の王妃が王を兼ねるとは理解し難いことでございます。
「まあ本物にしろ偽物にしろ、証明しようにも先の王は既に崩御されておる。確かめようもないことだ。向こうも要はこちらを攻める口実があればなんでもいいのだろう。いずれ攻めて奪う気なのだ」
「それでは、東と西、同時に戦になることもあり得ると? ……いくらなんでも大国相手に兵力が足りません」
「……先の大戦と同様だな。アウレア・ルプス王はそれでも負けなかった」
私は口を閉ざしました。
アウレア・ルプス王は先々代の王様で、ウィレンティア中興の祖とも呼ばれる英雄でございます。しかし、五十年も前に崩御された方で、わたくしにとってはおとぎ話の中のような人でもございます。その功績は伝説となり、あまりにも超人すぎる言い伝えが現実とも思えません。それを引き合いに出されても困惑するばかりです。
「……ここだけの話だがな」
お父様は急に声を落としました。
「儂はヴァシル様はアウレア・ルプス王の再来だと思っておる。あの方だけが今のウィレンティアを守れると」
現国王陛下でもなく、弟君の大公殿下でもなく、そのご子息の――それも第三子のあの方が?
「……どうしてそんな」
「ウィレンティアは魔力で守られてきた国だ。もちろん、武芸もひけはとらんがな、大国に対して兵力は足りておらん。しかもその兵力を統率するのに現王陛下や王子殿下では足りんと儂は思っておる」
「お父様……! 誰かに聞かれでもしたら首が飛びます」
「人払いはしておる。――だが、ヴァシル様には軍略だけでなく現王族を凌ぐ飛び抜けた魔力がある。さらに、使い魔にあのアウレア・ルプス王の狼が付いた」
「狼!? ……って、あの黄金狼ですか? アウレア・ルプス王が崩御される際、魔力を譲り受け生きたまま去ったという? まさか今も生きているわけがございません、そんなおとぎ話……」
「だが、間違いなく黄金の狼が側にいるのだ。この目で見たからな。……あの方は王になるやもしれん。ならずとも、必ずこの国の助けになる方だ。――お前はその方の妻になれ。まずはこのまま王都へ行き、なんとしてでもあの方の目に止まるのだ。その美貌を持って籠絡して来い」
――無茶言わないでくださいまし。
お父様は親馬鹿でそんなことをおっしゃいますが、王都の令嬢方には田舎者と言われるような芋娘ですのよ。決して目も当てられないような不細工というほどではないとは思いたいのですが、美貌というには足りないと流石にわかっています。
ただ、恐ろしいことに父は本気だったのです。わたくしは、兄のために戻ってきていたリゼインを発ち、長らく訪れていなかった王都に向かうことになったのでした。
伯爵令嬢クロエの語りで本編は進みます。
よろしければ、次話以降もお読みください。
なお、西洋風の世界を描いておりますが、現実世界のヨーロッパの文化や制度などとは違う箇所があります。ご了承ください。