15.稽古とお見舞い
「はい、そこまで」
息を切らさず踊り終えると、シュテンベルヘン伯爵夫人は手を打って曲を止めました。
「クロエ様、よく覚えておいででしたわね。ご領地に戻られてしばらくお会いできていなかったので、お忘れになっていらっしゃるかと心配していましたけれど、結構でございます」
柔和な物腰でにこりと微笑みます。
「ただ少し、足捌きが颯爽としすぎておりますわね。もっと優雅に、しなやかにお動きになって。――はい、ではもう一度頭から」
アンリエット・ファン・シュテンベルヘン様は、幼い頃から行儀作法全般を見てくださっている先生でございます。もともとは男爵家のご令嬢でしたが、その立ち居振る舞いが見初められ伯爵家の第一夫人となった方でございます。
通常貴族の結婚では同じ爵位かもしくはそれに近い爵位の家同士で結婚することが多いのです。シュテンベルヘン家は由緒ある古い家柄ですから、伯爵家の中でも上位に位置します。侯爵家の令嬢と結婚してもおかしくないところに男爵令嬢が――しかも第一夫人として――嫁がれたのですから、貴族の令嬢の間では尊敬され、また憧れの存在なのでございます。
ご夫君に先立たれ未亡人となっていらっしゃいますが、わたくしのお母様が仲良くしていただいていたご縁で、我が家へ先生としてお越しいただいていたのです。現在は王族の姫君方にもご指導をされていらっしゃるそうで、本来なら予約も取れないようなご多忙な方なのでございます。
今日は舞踏をおさらいしております。夫人のお連れになった楽師の奏でる曲に合わせ、お弟子さんがお相手を務めてくださいます。
体を動かすことは全般好きなので、舞踏も不得意ではございません。ただ、どうしても剣の足捌きが出てしまい、どうにも優雅にならないのです。
シュテンベルヘン夫人は物腰は柔和でにこやかなのですが、妥協というものをご存知ありません。夫人が納得されるまで何度もやり直しをして、正直息が切れてまいりました。
「はい、クロエ様、笑顔で! 息が切れておいでですよ。伯爵令嬢たるもの、どんな時でも優雅に!」
――なかなか厳しいお方なのでございます……。
剣の稽古より余程消耗して舞踏の稽古を終え、シュテンベルヘン夫人とお茶をします。夫人がお好きなお茶とお菓子を勧めますと、嬉しそうにしてくださいます。
「最近、ご活躍と伺っております。お忙しかったのではございませんか? 父が無理を申し上げたようで、申し訳ございません」
夫人はにこりと笑い、優雅に首を振ります。茶器に添えられた指先までもが美しく、それに対して粗雑な自分に溜め息が漏れました。
「いいえ、わたくしファラゼイン家のお召しとあらば、いつでも参上いたしますわよ。クロエ様には教え甲斐がございます」
「まあ……、覚えが悪い不肖の生徒にございましてよ? お恥ずかしいかぎりですわ」
「いいえ、飲み込みが早くていらっしゃいます。やはり動きの覚えの良さは群を抜いていらっしゃいますよ。教えれば教えるほど伸びますので、わたくしもつい熱が入ってしまいます。……これでもう少し、優雅さが加われば申し分ないのでございますけれど」
「……努力いたします」
うふふ、と微笑まれてお茶を飲みながら、夫人は少し目を伏せられました。
「あなたのお母様には結婚前も結婚後もよくしていただきましたし、主人に先立たれて途方に暮れていたわたくしを助けてくださったのもファラゼイン家でございましてよ。今のわたくしがあるのはあなたのご両親のおかげでございます。わたくし恩は一生かかっても返していくつもりですのよ。例え王族方のお約束があっても、いくらでも優先いたします。どうぞ、お気になさらず」
「いえ、王族とのお約束はどうぞ優先なさってください……」
心臓に悪いので、やめてくださいね。
「クロエ様が王都にご滞在の間はなるべく参りますので、しっかり復習いたしましょうね」
シュテンベルヘン夫人はお言葉通り、少しずつのお時間でも我が家にお寄りくださいます。舞踏だけでなく、王族方へのご挨拶や立ち居振る舞いなどご指導いただきます。領地に戻ってから羽を伸ばしすぎたこともあって、夫人の笑顔のご指導が続きました。詰め込み学習でございます。
その合間を縫って衣装店を呼び、王都に着いてすぐ発注してあった衣装の仮縫いやお直しなど進展具合を確認いたします。
また、領地に残っていらっしゃるお母様の代わりに、奥向きの細々した用向きなどをこなしていると、そこそこ忙しく日々過ごすことになります。
以前はお父様も剣のお稽古をつけてくださることがあったのですが、こちらに戻ってからは急に口煩く「伯爵令嬢らしく」とおっしゃるばかりで碌々お相手してくださらないことが、不満といえば不満でございます。
――リゼインにいれば気晴らしに遠乗りに出掛けたりできるのに……!
臣下や使用人、城下の領民に至るまでわたくしが馬に乗ることには慣れていて、寛容なのでごさいます。
――あぁ、リゼインに帰りたくなってきました。
「腐ってるわねぇ」
様子を見にきてくれたローラが苦笑しながら声をかけてくれます。
舞踏会に着ていく衣装についてローラにも相談しながら、一緒に装飾品を合わせたりします。大方の方向性を決めた後、茶会室へ案内して一息つきます。
円卓の向かいに腰掛けたローラが、わたくしの所作に目を止めました。
「……あなた、ずいぶん動きが洗練されたわね」
目を見張るようにし、ローラが感心したように頷きます。
「シュテンベルヘン伯爵夫人って、やはり一流の方なのねぇ」
そうなのです。粗野なわたくしが曲がりなりにも令嬢らしく見えるとしたなら、それはひとえに夫人のご指導のお陰でございます。……ただ、少しばかりわたくしの努力を褒めてくださってもよいのではなくて?
「そんなことより」
「そんなことって、ひどい!」
ローラはおざなりにわたくしを「よしよし」と撫でるとさっさと話題を変えます。
「あなたの部屋でも気になったのだけど……、あの一角、おかしくはない?」
ローラが指さすのは、お部屋の一角、花が咲き乱れた一帯のことです。不自然にこんもり様々な花が生けてあるので風情もなにもございません。
「三人から入れ替わり立ち替わりお花が届けられて困惑してるの」
「三人……って、まさかお見合い相手の?」
「そう。お見舞かしらね」
最初のひとつくらいは屋敷内に飾りましたが、元々出入りの生花店のものがございますのであまり大量にあっても困るのでございます。いくらかは使用人に下げ渡しましたが、本来花は貴族や富豪が有り難がるようなもので、食べ物ならまだしもお腹が膨れないようなものをもらっても迷惑になるようでした。
香りの強いものは乾燥させて、香り袋を作ったりもしましたが、そもそも細々したことが苦手なので、あとは仕方なくわたくしの私室や、ローラと会うくらいしかない茶会室に適当に生けさせているのでございます。
きちんとしたご令嬢なら香り袋に刺繍のひとつもして有効活用なさるのでしょうが、残念なことにわたくしはあまり上手とは言えないのです。大量の花がもったいないこと……。
「わたくし、今、これまでの人生で一番、有り得ないくらいもてているのよ」
ローラが疑わしいものを見るようにわたくしに視線をやり、改めてお花を唖然としたように眺めます。
「今までのお話を聞く限り、気に入られる要素が皆無のように思えるのだけれど」
「そうよね……、たぶん全員ご冗談だと思うわ。バリィをからかいたいだけなのよ。わたくしをどうにかしても、バリィが悔しがるはずがないのに」
「あの方達……っ! 子どもですか!」
ローラが舌打ちしたように聞こえましたけれど、きっと空耳でございます。伯爵令嬢たるもの、舌打ちなどなさるはずがございません。――そ、そうよね?
盛大に溜め息を吐いてから、ローラはわたくしを気の毒そうに見つめました。
……なぜ、残念な子を見るような目をしているのかしら?
「……あなた、本当にバル兄様の気持ちに気づいてないの?」
「はい?」
「わたくしが、適当にバル兄様はどうか、なんて言ったと思っているの?」
「えぇと、どういう意味?」
わたくしが聞き返そうとしたところで、侍女が来客を告げます。
「……どういう意味かは本人に聞いたら? ちょうど今来たようだから」
執事に案内されていらっしゃったのは大きな花束を抱えたバリィと、イエーレ様でこざいました。
「ご機嫌よう。――またなにかの謝罪ですか?」
花束を見て先日の謝罪を思い出しました。単に不思議に思って聞いただけですが、貴族の令嬢らしく優雅に微笑んだわたくしの言葉を皮肉と取ったのか、バリィとイエーレ様は気まずそうな顔になります。
「馬鹿のひとつ覚えのように花束ばかり持ってくるものではございませんわよ、お兄様」
あちらをご覧なさいませ、と辛辣にローラが花の生けてある一角を差し示せば、イエーレ様は驚いたように目を見張り、バリィはちょっとむっとした表情になりました。
わたくしは花束を受け取り、お客様にお茶を勧めます。今日はイエーレ様がいらっしゃるので侍女がお茶を淹れてくれ、それをお出ししました。バリィが少しだけ残念そうな顔をするのにわたくしは内心で小さく笑ってしまいます。
口には出しませんが、わたくしの淹れるお茶を気に入ってくださっているようです。それを少しくすぐったく嬉しく感じます。
「――元気そうだな? 屋敷に籠もっているから流石に寝込んでいるかと思ったが」
「対外的にはそうですわ。口外なさいませんよう」
「寝込むくらいの可愛さがあってもいいのではないか?」
「わたくし、今ものすごく忙しいのです。寝込んでいる暇はございません」
憎まれ口を叩き合うわたくしとバリィをローラは呆れたように、イエーレ様は面白そうに見ています。
「クロエ嬢はお美しさが増したようだ。私達の誰かがそのお心を射止めたのでしょうか? 恋は女性を美しくしますから」
イエーレ様は歯の浮く台詞とともに魅惑的な瞳を向けるので、わたくし達は全員あっけに取られて見つめてしまいます。
「――やっとこちらを見てくださった」
ふっと微笑むと危険な甘やかさが無駄に漏れるのでやめてほしいです。
こちらを全く気にしない風情で、イエーレ様はお話を続けました。
「今日はファラゼイン卿は?」
「お城にご用で出ておりますけれど。父にご用でしたの?」
「……ああ、では入れ違いになってしまいましたね。先日の調べが一段落したのでご報告にきたのです」
人払いをお願いされ、わたくしは側仕え達を下がらせます。
「王都にいる侯爵家の一族と領地軍の軍人は拘束し、領地の方へも王立騎士団が向かい抑えました。王のお沙汰があるまで、領地は王立騎士団の預かりとなります」
「――王のお沙汰。ずいぶんと大事になってしまったのですね」
「王宮主催の槍試合であのような騒動を起こしたことは重罪ですし――これはいずれ沙汰が下る時に明らかにされる予定ですが、侯爵家は他国から違法薬物を入手し売買していた罪もあります。余罪もあるようですから、最悪侯爵は処刑、領地召し上げになるでしょう」
「まあ……」
ローラもバリィも驚いた風ではないので、既に知っていた情報なのでしょう。
領主処刑の上領地召し上げは、領地持ちの貴族にとってかなり重い処罰に当たります。わたくしはリゼインがもしそのようなことになったとしたら、と想像すると重苦しい気持ちになりました。
「わたくしが狙われたのでしょうか? それとも、イエーレ様が?」
「私達が一緒にいたから狙われたのかもしれないし、正直はっきりとはわかりません。――ただ、調べてみると行方がわからない者が数名あります。その内のひとりは先日死んだ者ですが、後はまだ王都に潜んでいるかもしれません。今後狙われる可能性がないとは言えません。……厄介なのが、その中にどうやら手飼いの魔法使いがいるようです」
「……魔法使い」
魔法使いは魔力を持ち、物理攻撃では歯が立たないことがございます。わたくしも、その辺りの破落戸ならば負ける気はしないのですが、相手が魔法使いとなると途端に自信がなくなります。
我が領リゼインのファラゼイン伯爵軍や、東の砦を守るイペール騎士団に派遣される魔法騎士はいくらかいて戦略の参考にさせていただくことはあるのですが、その機会はあまり多くはございません。対処法など詳しいことはわたくしも存じません。
「……まあ、恨まれるとしたら私の方ですから、それほど心配なさることはないかと思われますが、用心するに越したことはありません。残りの者の行方がわかるまではローラ嬢もクロエ嬢も外出される時は充分ご注意ください」
「……はい」
わたくしとローラはいくぶん青ざめて頷きました。イエーレ様は申し訳なさそうに目を伏せました。
「今日伺ったのも謝罪といってあながち間違いではないのです。……騎士団の計略に巻き込む形になってしまって申し訳ない」
「いいえ、槍試合の時は助けていただいて、お礼を申し上げるのはこちらの方でございます。先日も、気にして観覧席まで来てくださったのでしょう?」
偶然を装ってくださったけれど、どこまで偶然かはわかりません。
図星だったようで、イエーレ様は苦笑なさいました。
「騎士団の方でも屋敷周辺の警備は重点的にあたる予定になっています」
「お心遣い、恐れ入ります。どうぞ、よろしく」
「逃げている魔法使いに関しては、エリスタル騎士団を通してヴァシル様にも相談している。……王立騎士団はヴァシル様とは折り合いが悪いからな。ローラも関わっているし、ディリエ兄上から話は通してもらっている」
ローラがほっとしたように表情を緩めました。
「……そう。なら安心ね」
ヴァシル様は魔法騎士団の副団長で、団長様はお飾りだとの噂もございますから、実質的に魔法騎士団の実力者はヴァシル様となります。そのヴァシル様は大公殿下の子息で、大公殿下は現王陛下の弟君でございます。大公殿下は王位争いに敗れて、今は王族ではなく臣下に下られていますが、王位を争われたこともあって、その子息が纏める魔法騎士団と、王の私的な持ち物でもある王立騎士団とは折り合いもお悪いのかと存じます。
有事とあらば王といえど、魔法騎士団に頼らざるを得ないのでしょうし、魔法騎士団も当然王に従うに違いはないのです。ただやはり、平時は他の独立騎士団と違って、王立騎士団から魔法騎士団に気軽には頼みごとをしづらいのでしょう。
「今度の王宮主催の舞踏会に行かれると伺いましたが……」
「ええ、陛下からの招待状にお断りをするわけにもいかなくて、わたくしも参ります」
「狙われるとしたら、そのような人が集まる席かもしれません。当日は私達も気をつけて、お守りします」
「ありがとう存じます」
そこで、ふと思い至ります。
「――あの、当日はむしろ目立った方が良いのではないでしょうか?」
「クロエ?」
驚いたようにローラが目を瞬きます。
「あなたは目立たないようにしていた方がよくてよ、ローラ。だいたい侯爵様を取り押さえたのはわたくしですし、恨みを買っているというならわたくしでしょう。今回もイエーレ様と目立って一緒にいれば敵をおびき出せるかもしれません。どうせ行かねばならないのなら、その状況を利用しましょう」
「クロエ! そんな危ない真似……!」
「いつまでも屋敷に閉じこもっているわけにはまいりませんでしょう? このままではずっと籠もっていないといけなくなります。わたくしも自由に出歩けない生活は少々飽きました」
ローラは真っ青になり、イエーレ様は困惑した表情で、バリィだけが考えこむように頷きました。
「当日はヴァシル様も会場にいらっしゃるし、俺も兄上もなるべく近くにいるようにする。守る面でも都合がいいだろうし、残党が炙り出せるなら一石二鳥ではないか? クロエは放っておいてもなにか騒動を起こすのだから、もういっそ始めからそのつもりになった方がいい」
「そう。それにわたくし、お父様からヴァシル様のお目に留まるよう言われているのです。騒動が起きれば嫌でも目に留まりますわ」
「そういう意味の目に留まるじゃないでしょう!?」
ローラはわたくしを叱った後、自分の兄へとさらに厳しい視線を向けます。
「バル兄様もバル兄様です! それでは前回と同じではないですか!? なんの反省もしていらっしゃらない! イエーレ様も黙っていないで止めてください。このふたりは昔からそうなのです。賢そうな顔をして突拍子もないことを言う、深く物を考えていないところがあるのです」
――結構ひどい言われようです。
イエーレ様はローラの剣幕に驚いて、困ったように微笑まれます。
「あなたに止められないなら無理ですよ。正直、こちらは助かりますしね。……さて、報告も終わりましたし、クロエ嬢もお元気そうですから私はそろそろお暇して――」
さっさと逃げ出そうと腰を浮かせかけたイエーレ様の動きを、ローラが急に静かな口調になって止めます。
「ちょうどよろしいわ。わたくしもお暇いたしますから、イエーレ様、我が家まで送ってくださいませんか? わたくしのお話はまだ終わっておりませんし」
氷点下の微笑みにイエーレ様の笑みも凍りつきます。さっと立ち上がったローラが怖い笑顔でバリィとイエーレ様を見つめます。
「……次、クロエになにかあったら今度こそわたくし、おふたりを許しませんよ。持てる知識と権力を総動員してできる限りのことをいたします」
――ローラ、怖い! なにをする気ですか!?
「バル兄様はもう少しクロエの話し相手をなさって。お時間はあるでしょう」
「あ、いや、俺は――」
「そうだわ、バリィ。お聞きしたいこともあるし、もう少しいらして」
お部屋から出ていくふたりを見送って、帰りたそうなバリィにわたくしはにこりと微笑みます。
「着替えて参りますからお待ちくださいね」
「――やっぱりそうか」
うんざりした顔でバリィは立ち上がりました。
「――先に庭で待ってる」




