第9話 単純
あれから美雪に案内され、彼女の部屋の前に連れていかれた。
これから、初めて、美雪の部屋に入るんだ。
そう考えると緊張してしまい、私は畏まってしまう。
「ここが美雪の部屋~?」
しかし、緊張を悟られないようにと、私はあくまで子供っぽい演技を続ける。
私の言葉に、美雪は頷いた。
「うん。まぁ、今日からシロの部屋にもなるみたいだけど……」
そう言いながら美雪は扉を開ける。
私はそれに部屋に入り、そして……落胆した。
その部屋が、美雪“だけ”の部屋では無いことは明らかだった。
二つの並んだ机。無臭の部屋。
……違う。無臭なのではない。私にとってこれが、嗅ぎ慣れた匂いなのだ。
落胆を出来るだけ隠していた時、私はとあるものを見つけた。
……ベッドだ。
え? これ、美雪のベッドじゃん?
もしかしたら私のものかと思い、嗅覚に集中する。
……美雪の匂いだ。
美雪関連でだけなぜか発動する犬だった頃の嗅覚は、部屋の中で美雪の匂いを嗅ぎ分けるのに役に立ってくれた。
「美雪のベッドだ~」
感極まって、私はベッドに飛び込んだ。
美雪の良い匂いが鼻孔をくすぐり、私は高揚感に満たされる。
「ホラ、シロ。制服がしわくちゃになるから、先に着替えるよ」
すると、美雪が呆れたように笑いながらそう言った。
彼女の言葉に、私は「はぁーい」と答えて起き上がる。
二人部屋の上に、美雪の生活感が消されていたのは残念だが、美雪のベッドを残しておいてくれたのはありがたかった。
私は未だに残っている美雪の香りを楽しみながら、美雪の傍に近づく。
……彼女自身を抱いたら、どんなに良い匂いなんだろう……。
そんなことを考える。
クローゼットを覗き込んでいる美雪。
隙だらけの背中。
もし、今ここで、彼女を抱きしめたら……。
「……シロの服もあるんだ」
美雪の呟きに、私は我に返った。
何を考えているんだ。
そんな、美雪を、だ、抱きしめ……。
私はその思考を慌てて振り払い、クローゼットの中を見る。
犬だった頃、美雪が毎日散歩に連れ出してくれていたので、大体の私服は見覚えがある。
しかし、中に入っている服にはその見慣れた服の他にも、幾つか見慣れない服が入っている。
これは……私の服……?
「本当にシロの存在が組み込まれてる……全部神様の力?」
「シロ難しいこと分かんなーい」
美雪の質問に正確な答えが出せるわけではないので、私は相変わらず馬鹿を演じる。
それに美雪はため息をつくが、すぐに呆れたような笑みを浮かべた。
この演技は美雪に呆れられる回数が多くなってる気がする。
……辛い。
「まぁ、とりあえず着替えよう? 話はその後」
美雪はそう言って制服を脱ぎ始める。
それに私も脱ごうとして、手を止める。
……何を、考えているのだろう。
一瞬湧いた欲望に、私は口を噤む。
でも……もしこれが実現するとしたら、今しかない。
「シロ?」
不思議そうにこちらを見る美雪。
それに、私の口は勝手に開き、欲望のままに演技をした。
「美雪ぃ……服の着方とか分かんない……」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声をあげる美雪。
うん。同じ立場だったら多分私も同じ反応をしている。
服の着方が分からないということは、つまりこの場では、美雪が私を着替えさせるしかないというわけで。
そもそも、こんな嘘、すぐにバレる。
まぁ、その時は道化を演じて誤魔化せば良い。
そう思っていたのに……。
「分かった……着替えさせてあげるから、両手挙げて」
……なんで貴方は……断らないの?
私の嘘に気付いていない?
それとも……気付いていて、やっている?
正答なんて分からない。この人生に、模範解答なんて存在しない。
でも、もし許されるなら……。
「うぅ……美雪ごめんなさい」
私はそう呟いて、美雪に身を委ねた。
彼女の手が体に触れる度に、その部分が熱くなっていく。
もし出来るなら、私の嘘に……私の気持ちに、気付いていないでほしい。
でも、そんなわけないか。
彼女はきっと……気付いてる。
だって、考えてご覧?
今日、体育があったんだよ?
もし着替え方が分からないなら……私はどうやって着替えたんだよ?
もし気付いていないなら……美雪は馬鹿なんだろう。
でも、それならそれで良い。
例え美雪が馬鹿でも、私は美雪を愛しているから。
馬鹿で、騙されやすくて、単純で……。
そんな美雪でも、私はずっと大好きだよ。
だから美雪。
美雪も、私を見てよ。
あんな女を見ないで。
私には……美雪しかいないんだから。
そう思っていると、着替えが終わった。
「えへへ~。美雪ありがとう!」
私の声に美雪は笑い、私の頭を一度撫でた。
優しい手の感触に、私は嬉しさと同時に罪悪感に蝕まれた。
美雪が知っている私と、本来の私は……別物だ。
私は、美雪に嘘をついている。
けど、もしこの汚い部分を見せたら……美雪はきっと、軽蔑するだろう。
そう考えると、本来の自分を見せる勇気なんて無かった。




