第9話 未練
私も部屋着に着替え、それぞれ自分の勉強机の椅子に腰かけた。
それからお互い向き直る形に椅子を回し、対面する。
「それで……これからどうするの?」
「これから~?」
能天気な口調で言うシロに、私は頷く。
私の返事に、シロは「恩返し!」と元気に返事をした。
「うん。それは分かってる。問題はその恩返しの内容なんだけど」
「ほえ?」
「えっと……私と黒田さんをくっ付けること……だっけ?」
「うんっ!」
笑顔で頷くシロに、私はため息をつくる。
私が呆れていると、シロは「美雪どうしたの~?」と相変わらず無邪気な感じで言いながら、私の顔を覗き込んで来た。
「あのさ、シロ」
「ん~?」
「そもそも、私黒田さんのこと、別に好きじゃないよ?」
「え~! 嘘だぁ!」
迷いなく即答するシロ。
なぜそこまで自信満々なんだと思っていると、彼女は続けた。
「だって美雪、あの人がお迎えに来たときも、授業中も、昼休憩も、ずーっとあの人のことジッと見ていたよ?」
「え、いや、そんなことは……」
否定しようとするが、確かにぼんやり黒田さんのことを見ている時間はある。
彼女の席が私の席の斜め前方向にあるので、見やすい場所にあるのも原因か。
「……まぁ、見てるけど」
「でしょ~?」
「でも、恋愛とかでの好き……ではないよ。多分……」
「じゃあなんで見てるの?」
無垢な瞳が私の目を捕らえる。
この瞳を目の前にして嘘をつく度胸など無い。
「えっと……ホラ、黒田さんって美人じゃない? 綺麗なものはつい見ちゃうっていうか……まぁ、憧れとかそんな感じ」
「よく分かんなーい」
首を傾げながら言われ、私は「あはは……」と苦笑いする。
シロに分かるようにはどうすればいいか……。
しばらく考えて、私は続けた。
「黒田さんはさ、私にとっては別の世界にいる人なんだよ」
「別の世界?」
「うん。高嶺の花っていうか。綺麗で、可憐で、清楚で……まるでガラス細工みたいに、少しでも触れたら壊れてしまいそうな儚さもあって……私なんかじゃ手が届かない場所にいるんだよ」
「難しいことよく分かんなーい」
シロがそう言って首を傾げる。
それにさらに説明しようとした時、シロが私の頬に手を当てた。
「でもさー、手は届くと思うよ?」
「へ?」
「だって、同じ星の、同じ国の、同じ町の、同じ学校に通ってるんだもん。触ろうと思えば、いくらでも触れるじゃん」
そう言うシロの手は、私の頬をなぞるようにして、後ろに回される。
両手でしっかり私を抱きしめ、私の肩に顎を乗せた。
「シロ?」
「……それにさ、こうして犬だった私が、美雪の部屋で一緒にいられるなんて、夢にも思わなかったもん。……だからさ、諦めなかったら、奇跡は起きるよ」
シロはそう言って、さらに私を強く抱きしめた。
確かにそうだ。人間ですらなかったシロが、こうして人間になって、触れるどころか当たり前のように私の膝に乗って抱きついているのだ。
「……そうだね」
私はそう言って、シロの髪を優しく撫でた。
白くてサラサラしたショートヘアを撫でると、石鹸のような良い匂いがした。
「えへへ……きもちぃ……」
嬉しそうなシロの声に私は笑い、何度か彼女の髪を撫でる。
すると、私の頭も撫でられる感触がした。
「シロ?」
「美雪にナデナデされるとね~、すっごく気持ち良かったんだぁ。だから、いつかこうして美雪の頭ナデナデしてあげたいなぁ~って、思ってたの」
「そっか……」
「えへへ」
お互いに頭を撫で合いながら、シロは嬉しそうに笑った。
そこで、少し考える。
もし、私の黒田さんへの憧れが、恋心だったとする。
そして、奇跡的に彼女と付き合えることになったとする。
もしそうなったら……シロはどうなるの?
未練が無くなったら、シロは……?
「美雪?」
頭を撫でる手が止まったからか、不思議そうな声で聞いてくる。
いつの間にか、彼女も私から少し体を離し、両手で私の肩を掴んで、真っ直ぐ私の目を見つめて来た。
「シロ……」
「美雪、大丈夫? なんか、元気ないよ?」
彼女の言葉に、私は慌てて首を振って「なんでもないよっ」と返した。
「ホントに?」
「うん。ホントに、なんでもない」
私の言葉に、シロは未だに不服そうな顔をした。
よく考えてみれば、シロはこの世界には、そもそもいるべき存在ではないのだ。
すでに死んだハズの命なのだ。
むしろ、今こうしてここにいることの方が、幸せなのだ。
だったら、せめてシロがいる間のこの時間を、楽しく過ごせばいい。
またシロがいなくなった時に……悔いが残らないように。