第21話 アプタイト
第21話 アプタイト
会社の設立で俺は工場の仕事を辞めた。
株式会社「ケミカルテイルズ」代表、道村マイケルの誕生だった。
代表とは言っても、事務員としての色が濃かった。
今までのアシスタント業務の他に、会社の事務が俺に任された。
電話を取るのはもちろん、あちこちに出す書類の作成、
来客の対応や外部との交渉も俺の仕事となった。
代わりに仕事場の隣の自宅は社宅となり、俺の家賃も割り引かれた。
一応法人化なので、俺たちには「給料」が支払われ、
毎月の家賃と共に、ジェラールさんの給料の一部も、
無理矢理作らせたあの銀行口座に貯金させている。
おかげでだいぶ貯まっては来たが…。
「あのさジェラールさん、ジェラールさんの財産はこれしかないんだよ?
もし働けなくなったら、これだけで食べて行くしかないんだよ」
ジェラールさんのムダ遣いはなかなか治らず、
今月もすごい高いフィギュアを通販で頼もうとしていたところを阻止し、
通帳を開いて言い聞かせた。
「むう〜」
「結婚でもするならともかく、一生結婚しないつもりなら貯めとかないと」
ジェラールさん自体はギャグ漫画家として、そこそこ売れていて、
「あの場違いな作品の作者」として笑われ、知名度もそこそこはある。
たとえ金目当てや、コネ目当ての男でもいいのなら、
彼女が結婚を望みさえすれば、相手はいくらでも見つかるだろう。
「家族なんか要らないってそういう事なんだよ」
そう言って、俺は今でも埼玉との県境近くに住む自分の家族を思った。
血はつながっていても、みんなばらばらだ。
俺は別の街へと離れて行ったし、弟は同じ街にいても自分の家庭がある。
父は役所勤め、母は飲食店経営と、別々に仕事をしている。
それは若かった頃も同じだった。
家族揃って食卓を囲む事もなければ、家族旅行もなかった。
台所のテーブルにただお金だけが置いてある事さえあった。
俺にとって家族はいないも同然だった。
「そやなあ、おかんも殺…死んでしもたしなあ。
いっちょ貯金してみるかあ、ちょっと欲しいもんあんねん」
ジェラールさんは通販サイトのページを閉じて、さわやかに笑った。
…だめだ、ちっともわかってない。
「今言ったばっかりだろ! ムダ遣いはだめだって!
わかってんのか、おお?」
俺は拳を固めて、彼女のこめかみを挟んでぐりぐりした。
ジェラールさんは眉間にこぶを作り、「ぎいい」と泣き声をあげた。
でも彼女が貯金を始めたのは本当だった。
まず、ネット通販でフィギュアをはじめ、くだらない物を買わなくなった。
自分へのごほうびとやらの、甘いお菓子も買わなくなった。
忙しい時以外は家で食事を作って食べるようにもなった。
着ない服やもう見ないDVDなど、不要品を売りに出した。
「まいけるん見ろ〜! うちかてやれば出来んねや」
冬が近づいたある晩、出かけていたジェラールさんは、
帰るなり俺に貯金通帳を超ドヤ顔で見せびらかした。
努力の甲斐あって、その額はとうとう100万を超えた。
もともとの収入は良いので、続ければ500万、1000万も難しくはないだろう。
何より彼女は漫画家だから定年なんてない。
すでに知名度もある、その気があれば死ぬまで働けるだろう。
「ああ…よくがんばったな、すごいよ」
太い腰に手を回して抱きしめ、頭を撫でてやる。
外出するのにきちんと整えたつもりでも、ぴょこんと飛び出した短い巻き毛が、
嬉しそうにくるんと踊って、俺の手の内から逃げて行った。
使わない物を売りに出した家は、ジェラールさんにとっても片付けやすくなった。
「ええ男が来た時のため」の頃に戻るには、まだまだ遠いけれど、
とりあえず物が海を作る事も、物の波頭に寝そべる事も沈む事もなくなった。
そうやって、君は少しずつ俺の手から離れて行くんだね…。
ジェラールさんが成長していく一方、俺にも特訓がなされた。
安田の兄さんの発案だった。
「これから毎週火曜日と木曜日の午後、特訓を始めるから会社に行く」
「会社?」
「やだなあ、そんなの決まってるじゃないか。
『アプタイト』、『戦国☆もえもえダンシング』の運営だよ」
「は? なんで俺だけ?」
「今から迎えに行くよ、待ってて」
有無を言わせず、俺は安田の兄さんの車に乗せられ、
ゲーム内やネットで何度も見た事のある住所へと連行された。
「…まいけるんは普段後衛に隠れていて、なかなか前衛としての練習が出来ない。
表に出ず練習を積むにはこれしかないと思うんだ」
通された会議室で、安田の兄さんはそう説明し、
俺に1台のスマホを差し出した。
「まいけるんのデータをコピーしてある、練習はこの端末を使って欲しい」
「サブか、なるほど…どうやって練習する?」
「この端末に入ってるアプリもアカウントも、チェック用の特別仕様。
会社では社員が二手に分かれて、動作チェックしながら、
会議するのための模擬戦が行われている。
それが毎週火曜日と木曜日の午後3時、そこに参加して欲しい」
つまり運営内だけの特殊戦で、運営社員たちと戦って来いって事。
敵は全員、カードも戦力もデッキ枠も何もかもが無限。
ただの廃課金どころか、サクラでも敵わない敵を相手にしろって事。
その中で、相当の得点をあげられなければ、
俺はいよいよ本当の弱者になるって事…!




