背徳感、そして誘拐。嗚呼、世界は甘くはないのね……?
――西暦2016年 8月――
その日、小学校の夏休みだった私は、田舎に住む従兄の家に泊まりに来ていた。
セミの鳴き声が、まるで山が鳴いているみたいだと思うほどに煩く、私はよく耳をふさいでいた。
すると、大きなお皿に大きく切り分けられたスイカを乗せて、お兄ちゃんが隣に腰を下ろした。
「そんなに耳塞いでたら、頭がえんどう豆みたいになるぞ」
「んなわけないじゃん」
私は子供扱いしてくる従兄に、頬を膨らませながらそう抗議する。
「そうだ、チヒロ。
これ食べたら、山に遊びに行こうか」
「えぇ〜?
暑いよ、こんなお外歩くなんて」
「大丈夫大丈夫。
お兄ちゃんがおまじないをかけてあげるから」
彼はそう嘯きながら、スイカにかぶりついた。
⚪⚫○●⚪⚫○●
スイカを食べ終わったお兄ちゃんは、屋根裏部屋から不思議な羽織を持ってきた。
「なぁに、それ?」
「これはね、魔法のマント。
着ると、暑さを感じなくなるんだ」
彼は自慢げにそう言いながら、扇風機の前で涼む私の肩に、サッとそのマントを羽織らせた。
お兄ちゃんの言葉に胡散臭さを感じながらも、されるがままになっていると、マントをかけられた瞬間。驚くことに、全く暑さを感じなくなった。それどころか、少し涼しくも感じる気がする。
幼い私はばっと振り返ると、キラキラした目で、お兄ちゃんを見つめた。
やっぱり、お兄ちゃんはちょっとスゴイ。
⚪⚫○●⚪⚫○●
山に入った私は、断然、魔法使いになった気分だった。
拾った木の枝を魔法の杖代わりにして、枝を振り回しながらずんずんと山道をすすむ。
その後ろから、お兄ちゃんがニコニコと笑いながらついてきた。
しばらくすると、川を見つけたので、そこで裸になって水遊びをすることにした。
お兄ちゃんはそんな私を見ながら、私が拾ってきた木の枝や石に、何やら白い絵筆で模様を描いていたけど、私にはそれが何かわからなかった。
しばらく夢中で遊んでいると、いつの間にかお兄ちゃんの姿が見えなくなっていた。
「お兄ちゃん……?」
声に出してみるが、大好きな従兄の声は聞こえてこない。
私は素っ裸のまま藪の中を歩きながら、お兄ちゃんと居た川を探して歩くことにした。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
かなり歩いたけれど、水の音すら聞こえてこない。
裸でいるからか、少しお股がムズムズしてきた。
(おしっこしたい……)
私は誰にも見られていないことを確認すると、その場にしゃがみこんで、用を足した。
もう高学年なのに、という恥ずかしさと、裸で外を動き回るという背徳感に襲われて、子供ながらにちょっと感じるものがあった。
そんな事をしていると、目の前に一軒の小屋を見つけた。
小屋の前には鳥居のようなものが立っていたので、小さな神社かなと思いながら、そこまで駆け寄った。
私は兎に角裸でいるのが恥ずかしかったので、中にこっそりと忍び込んで、身を隠した。
私は扉に背中を預けて、床にお尻をつける。
ちょっとひんやりした感触がお尻に伝わってくる。
「ふぅ……」
私は一つ息を吐くと、部屋の中を見回した。
するとそこには、ちょっと高くなったところに、巫女さんが着る緋袴のようなものがかけてあった。
私はそれを拝借して、着てみることにした。
緋袴を手に取ったとき、何かが床に落ちる音がした。
少し重い、金属みたいな音。
(これ……ちょっとまずかったかな?)
少し怖くなってきたので、私は急いでその場をあとにすることにした。
――西暦2020年 4月――
チュンチュン、と雀の鳴き声が耳に木霊する。
気持ちの良い目覚めは、ベッドに面したカーテンの隙間から漏れる柔らかな朝日と共に、私に訪れた。
「ん〜〜〜っ!……っはぁ……」
私――千羽千尋は、日本某所に住まう、平凡な女子高校生。
いわゆるJKだ。
というより今日からJKだ。
昨日、実家から一人暮らしをするため、格安のオンボロアパートへ引っ越してきたばかりなのだ。
そのため、部屋にはベッドと机、それから高校の制服や洋服箪笥の他は、まだ未開封な段ボール箱が積まれたままであったりする。
格安アパートの為か、お風呂はついていないし、洗面所も脱衣所も無いので、仕方なくシンクで顔を洗い、歯を磨き、身支度を整える。
「えーっと、ネクタイってどうやって締めるんだろう?」
念のために早く起きて正解だった。
ネクタイ、慣れないと意外と難しいわ……。
ま、これも慣れということで。
机に置かれた小さな鏡で、不格好なネクタイをなんとかそれっぽく締めると、鍵を持って急いで部屋を後にする。
ちなみに朝食は千尋流お手軽フレンチトーストである。
「行ってきますっと」
鍵を閉めて、爪先をトントンしながら腕時計で時刻を確認すると、ちょっとだけ余裕があった。
ただし、走ればの話ではあるが。
「拙っ」
アパートの二階の柵に足をかけると、そのまま向こうの塀に向けて思いっきりジャンプする。
イメージはベニテングタケ食って興奮する、ある意味変態なヒゲの配管工。
あのきのこって、絶対ベニテングタケだと思うんだよねぇ……。
そんなことを考えながら、アクロバティックに着地を決めると、そのまま軽くランニングしながら校門へと向けて走り出し――
「ふおうっ!?」
「きゃっ!?」
足を滑らせて、私はその場で転んでしまった。
「あ痛たたたたた……」
みっともない。
入学初日から、階段を降りることを面倒がってショートカットしようとしたら、まさか足を滑らせて転んでしまうだなんて……。
私はスカートについたホコリを払いながら立ち上がろうとして、ふと私の股間に、へんな違和感があることに気がついた。
「あの……そろそろ退いて頂けると助かるのですが」
尻の下に感じる振動を感じて、私がその下を見てみると、そこにはスライディングキャッチを少しばかりミスった体勢で、下敷きになっているエプロンドレス姿の女の子いた。
「うわっ!?
あ、えっと、ごめんなさい!」
急いでその場から離れると、そこには無表情な、まるでお人形のような顔の銀髪の女の子があった。
(キレイ……。
外国人かな?)
造形の整った顔立ちに見とれていると、その少女はため息をつきながら、ドレスのホコリを落とす。
「全く、ご主人様は隙きさえあればいつもいつも……。
本当に厭らしい」
「ごめんなさい、日向。
でも、これは本能だから仕方ないのです」
「ご主人様。
以降はケダモノと呼ばせていただいてもよろしいでしょうか?」
「辛辣ですね……」
そんな毒舌を吐く彼女に対して、ご主人様と呼ばれた少年は、丁寧な口調でそんな風に切り返した。
あ、ちょっと悲しそう。
(えっと……これ、どゆこと?)
あたりを見回してみると、床には白いチョークで何やら魔法陣のようなものが描かれていて、隣にはさっき下敷きにしてしまったメイドさん(?)が、少し離れたところに、腹部に手を当てながら微笑む少年が、その真向かいには小さなメガネをかけた女の子が立っていた。
あと、場所がアパート近くの路地じゃなかった。
さながら、噂に聞く異世界召喚のような、そんな光景である。
だが、魔法使いっぽい人はどこにもいなかった。
魔法要素は、下の円陣くらいだ。
「えっと……あの、ここは一体、どこなんですか?」
不安になって、丁度近くにいるまともそうなメイドさんに説明を請う。
「ここは、そちらで無様な醜態を晒しております、我らが主人、鹿島九十九様がお創りになられた娯楽施設――天空城アルドラ、その一室です」
天空城……アルドラ……?なにそれ、美味しいの?
一瞬、そんなパロディが頭に流れた。
ますます分からん……。
何?ていうことは私、今誘拐されてるってこと?
(……いや、そんなことより……!)
「驚いてしまうのも訳ありません。
どうか、ご容sy」
「あの、今すぐ返してもらえませんか!?
入学初日から遅刻とか、目立ちたくないんで!」
そうだ!
こんなところでのんびりしている暇はない!
高校初日から遅刻とか、どれだけ不良なんだよ!?
ほんと、こういうところで周りから目をつけられるのは避けたいんだよね。
もし初日から遅刻した日には、毎日不良に絡まれ、財布をせしめられ、使われなくなった倉庫で○○される毎日が訪れてしまう……!
ネットで見たから確かかはわからないけど!わからないけど!
とにかく、そんな事態は避けねばなるまい!
そんな風に焦っていると、鹿島九十九と紹介された人がつかつかとこちらへと歩み寄ってきた。
が、すかさずその間にメイドさんが体を割り込ませる。
「危険です、下がってください!
あのケダモノに触れられれば最期……孕ませられます!」
「酷っ!?」
鹿島さんはたじろぐと、まあいいです、とため息を吐く。
……何だろう。
凄く、嫌な予感がする……。
「えーっと、名前を教えてくれますか?」
「は、はい。
えと、千羽千尋です」
「千羽さんですね。
千羽さんの通っている学校を教えてくれますか?」
「えっと、私立秋空高校です……けど……」
あれ……?この展開って、まさかとは思うけど、そのまま目的地に転送させられたりするのかな?
(いや、ないない。
いくらなんでも、そんなことするわけ無いじゃん)
「ありがとうございます。
では、水無月さん、お願いしますね」
「あいわかった〜ぁ!」
鹿島さんは、向こうにいた幼女にそう告げると、ニコニコしながら床の陣から離れていく。
それと一緒に、メイドさんもその陣を後にした。
……ないよね?
そんなわけ、ないよね!?
「んじゃ、てんそーしま〜ぁす!」
幼女――水無月さんは、高らかにそう宣言すると、手元の怪しいボタンを勢い良く押し込んだ。
「ちょ、ちょっと待っ……!」
次の瞬間、目の前の空間が180度ぐるりと回転して、別の空間が視界に捉えられた。
「……て……」
あぁ……。
やっちゃったなぁ、目的地に直接転移。
それだけは、なんとか無いと思いたかったんだけどねぇ……。
世界はそんなに甘くはない、そういうことですか。
私は、周囲の刺さるような視線を受けながら、トホホと涙を流すのであった。
メモ:この日は2020年4月1日水曜日