蒸機たらん
例えるなら自分は蒸気機関車だ。妙に蒸気が上がらない日がある。いつもできることが急に出来なくなる。いつもできないことがいきなりできることも在る。特に天気が悪い日に蒸気が上がらないのも、始動性が悪いのも自分にそっくりだ。熱効率が5%を切るところも空回りばかりの自分らしい。日本の蒸機は煤の多い国産石炭を前提として黒く塗られているのなど、この自分の雰囲気にぴったりだ。
自分を例えるなら、9600形あたりがふさわしいだろうか。馬力もそんなに大きくないし、古めかしさばかりが目立つ大正に生まれた機関車だ。特にこれといった華も無い。自分は平成の生まれだが不思議とこの機関車に惹かれるものがある。もちろん轢かれたことも牽かれたことも無い、ハズだ。前世とかがあるならそちらではあったのかもしれない。
蒸気機関車は石炭を焚いて蒸気を沸かし、それで走る。ごうごうと煤煙を吐きながら、無駄な熱を放出しながら。自分の場合この石炭に当るのは魂であろうか。これを燃やしながら、日々の活力という蒸気を沸かし、無駄な言葉や考えをまき散らしながら突っ走ってゆくのである。決して夢や希望、情熱を燃料とはしていない。夢や希望は時刻表。次の目的に何時に着けばよいか教えてくれる。情熱は時計だ。その為にどう走ればよいか考えさせてくれる。そうして日々生きているのだ。
君は一体何なのかい?自分と同じ蒸気機関車か?それとも電車?自動車?はたまた飛行機?