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さよならしたくありません 後編

 さらに次の日。


 ミイラの腹の縫い跡の上に、ホルス神の瞳を描いた治癒の護符を乗せる。

 指輪、腕輪、首飾りなどのつけ忘れがないか確認する。

 爪は剥がれないようにあらかじめ固定してある。


 神々への儀式を済ませたら、いよいよ包帯を巻く作業が始まる。

 まずは細い包帯で指を一本ずつ丁寧に巻いていく。

 選び抜かれた最高の亜麻で織られた包帯には、祈りの言葉がびっしりと書かれている。

 包帯と包帯の間にさまざまな護符を挟んで、樹脂で固める。

 護符は全身に使うために百個以上用意されている。


(この指に血が通っている頃に出逢えていたら……)

 そんな一介のミイラ職人にはありえない考えを、頭を振って追い払う。


 掌には指よりも太い包帯を巻く。

 手首にもまた別の包帯。

 この時代の布は伸縮性が乏しいので、布の幅を細かく変えることで体の線に合わせる。


 祈りの言葉を唱える。

 ミイラが腐りませんように。

 虫に食われませんように。

 濡れたり燃えたりしませんように。

 悪霊が寄ってきませんように。

 ずっとずっと未来まで、ミイラが守られますように。

 ミイラに支えられし魂が、冥界の最奥にある楽園で永遠に幸せに暮らせますように。


 一つ一つの作業を儀式を行いながら進めるのでとても時間がかかる。

 今日は珍しくツタンカーメンがそばに居ない。



 少し休憩し、額の汗をぬぐう。

 カルブは使う前の護符の山の中から、特に重要なスカラベの護符を掴み取った。

 太陽の化身と云われる聖なる甲虫は、ミイラの心臓の上に置く物なので、出番はまだまだ先である。


 護符をもてあそびながら、誰も居ないのならば良いかと、カルブは言うまいと決めていた言葉を口にした。

「……つーたん……」

「呼んだ?」

「おわっ!?」

 いったいいつからそこに居たのか、ツタンカーメンはカルブのすぐ後ろ、あごが肩に乗りそうな位置に浮かんでいた。


 驚いた弾みでスカラベが飛んでいってしまって、慌てて机の下にもぐって捜す。

「何だよ、そんなバケモノでも見たみたいに驚くなよ」

「いやいや、自覚は持ちましょうよ」

「それよりアテン神とアメン神の殴り合いの結果なんだがな」

「そうだ。どうなりました?」

「正義の女神マアトの采配で」

「うんうん」

「キスして仲直りしてた」

「マジっすかっ!?」

「異国のダチョウ神の儀式らしい。神々の崇高にして深遠なる思考は、我ら人間ごときのおよばぬところにあるものなのさ」

「はい。まったくもっておよばないです」

「で、おれの魂は、オシリス神の宮殿に住むことになった」

「なら安心ですね」

「うん。ありがとうな」


 冥界の王であるオシリス神のもとに居られるなら、冥界の楽園での生活は安泰だろう。

 王様がいっぱい居てややこしいが、神々の絶対的トップは太陽神のラー様。

 その下でホルス神は人の住む地上を、オシリス神は死者の住む地下を治め、アメン神は天空でラー神の補佐をしている。





 二週間後。


 包帯はほとんど巻き上がり、ミイラの一番上を覆う布も、それをまとめる紐もそろった。

 その日の朝、カルブの自宅に運送屋が荷物を届けに来た。

 カルブは包みの端っこを開けて中身を確認してから運送屋に受け取りの札を渡した。

 ファラオにふさわしい特上の布だった。

 ミイラの顔に巻くための包帯。

 これだけが足りなかったのだ。


 工房には無闇に人を近づけるなというのが祖父の教えなので、ここからはカルブが自分で荷物を持っていき、途中の道でファラオとだべる。

 こうして二人で歩くのはこれで最後。

 今日の午後にはツタンカーメンは棺に入れられ王宮へ運ばれる。


 工房の入り口でアスワドと、復帰の間に合ったアブヤドに声をかけ、中に入る。

 荷物を開いて顔用の包帯を広げると、その布地は真っ白で、依頼していた祈りの言葉は一文字も書かれていなかった。


「うそだろ……いったいどうして……」

 カルブは真っ青になった。

 ツタンカーメンが横から覗き込んで首をかしげる。

「自分で書いちゃダメなのか?」

「じーちゃんならできるけど、オレはそっちの免許はまだ取ってないんです」

「免許が要るのか?」

「流派によります」

「ごまかせごまかせ」

「無理です! インクを乾かす時間がありません! とても間に合いませんよ!」

「だったら何も書かなくっても、包帯の上から黄金のマスクをかぶせるんだからバレないだろ」

「そんな手抜きなんかしてちゃんと冥界に行けなくなったらどうするんですか!? あー、もう! どうすればいいんだ!?」

「おい、落ち着けよ」

「落ち着けるわけないでしょう!? ツタンカーメン様こそ少しは慌てたらどうなんですか!? アナタのお葬式はもうすぐなんですよ!? もうすぐミイラを引き取りに王宮の人が来てしまうんですよ!?」

「いや、でも……てゆっか、おれに怒られても……」

「そもそもこんな発注ミスが起きたのは、書類を書いてる時にツタンカーメン様がかまってかまってってしたからです!!」

「何だよ! おれのせいだってのかよ!?」


 お互いに掴みかかりそうな勢いで、だけど幽霊と生きている人間では触れられもせずに睨み合う。

「……よそうぜ。おれらがケンカしても意味ねーや」

「……そうですね。すみませんでした」

 二人して肩を落とす。


「……なあ、カルブ」

「……何です?」

「キスしていいぞ」

 ツタンカーメンは遺体の方の唇を指差した。

「それ神々の思考!! オレらがおよんじゃダメなヤツ!!」

 カルブはまっさらの包帯をまき散らして頭を抱えた。




「やれやれ、こんなこったろうと思ったわい」

 不意に戸口の方からしわがれた声が響き、振り返るとツルツルにハゲた頭の仙人めいた老人が立っていた。


「じーちゃん! 腰は!?」

「おお! この人が生ける伝説のミイラ職人!」

 カルブとツタンカーメンが駆け寄る。


「腰なぞ最初から痛めとらんわい」

 祖父にはファラオの姿は見えていないようで、カルブの方だけを向いて首を横に振った。

「こいつぁ同業者の妨害工作じゃ。しかしそれを防げんかったのはお前の未熟さのせいじゃぞい」

「……はい……」

 カルブが神妙にうつむく。


 ツタンカーメンは、わざとではないにせよ無視される格好になってしまったのが寂しかったらしく、老人の頭をペチペチとたたくようなしぐさを見せた。

 実際に触れられるわけではないので、掌は老人の頭にめり込んだり、手前過ぎる位置で止まったりしていた。


「こっちはわしがやっておく。お前は時間を稼げ」

 床に散らばった包帯を祖父が掴む。

「そんな……どうやって……そうだ! 丸太か何かを代わりに包んで……」

「それじゃあ後ですり替える際に運び出すのが面倒じゃろう。自分で歩くのが一番じゃ」


 祖父は包帯を書き物机の上に下ろすと、その脇に置いてあった、ミイラを一番上から包む予定の大きな布をむんずと掴み、バッと広げてカルブに頭から覆いかぶせた。

「!?」

 抵抗するいとまもなく布の上から縛られる。

「ミイラっちゅーもんは復活するってーのが大前提じゃ。バレそうになったらファラオが復活したということにしておけ」


 ツタンカーメンのミイラには同じ時代の他のミイラとは異なる処置がいくつもなされていたようなのですが、その目的は謎に包まれ、今後の研究が待たれています。

 本作品は、処置の理由をカルブが知っていないと成り立たないため、ツタンカーメンのミイラに対しても一般的と思われる資料をベースにした処置を行っております……が……

 この資料がまたクセモノで、一般的といいつつ研究者によって書いてることが違います。

 だって古代エジプトの三千年を超える歴史の中では時代によって技術は変わるし、庶民と王侯貴族ではミイラ作りにかけるお金も異なりますし……

 なので、いろんな資料をツギハギしています。

 カルブの台詞で「流派による」とあるのは、「ハッキリしないから作者の想像で補った」という意味です。うえーん。

 でも本当に、いろんな流派があったみたいなのですぅ。


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