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帰ってくるって信じています

 ナイル川の流れが遠い南の地から運んでくる泥を、四角い木枠にギュッと詰めて固めて乾かして作る、日干しレンガ。

 その日干しレンガで造られた小さな民家は、日干しレンガそのもののように白く四角く飾り気がないが、それでもそれらが見渡す限りにズラリと並んでエジプト王国の首都たる大都市テーベを構成する光景は壮観である。


 町があり、農地があり、無限とも思える砂漠が広がる。

 家々の連なりの一番端っこ、それも隣家からわざとらしく距離を取ってたたずむ一軒家の戸口。

 日除けの布をくぐって出てきたカルブは、朝日のあまりの眩しさに、少年とも青年ともつかない寝ぼけた顔をしかめた。

 今日これから向かう先への緊張で、昨夜はほとんど眠れなかった。


 立ち話をしていた中年女性の集団が、チラリとカルブの方を見て、すぐに顔を背けてクスクスと笑った。

「……今の時期に笑い声なんて……」

 カルブは口の中でモゴモゴとつぶやいたが、自分の声が小さすぎて相手に聞こえていないと気づいて途中でやめた。


(不謹慎な奴らだ)

 声に出さずに胸中でごちる。

(王様が亡くなったばっかりで国中が喪に服しているっていうのに)

 イイ子ぶりつつ結局は自分がバカにされた八つ当たりで小石を蹴飛ばす。

(こんな町外れに住んでるような庶民には関係のない話か)

 しかしこの話は近所中で少なくともカルブにだけは無縁ではなかった。


 砂粒を巻き上げたカラカラに乾いた風が、カルブの素肌をたたきつける。

 カルブはおばさん集団の前を足早に通り過ぎて町に入った。

 道行く人々とすれ違う。

 灼熱の太陽の照りつけるこの国では、老いも若きも貴族も平民も、男の衣服は基本的には腰布一枚。

 女は筒状のワンピース一丁で、アクセサリーで差をつける。

 先ほどのおばさんも組紐の髪飾りやビーズのネックレスを身につけていたし、男でも金に余裕のある者は自分の姿を貴金属等で派手に飾る。


 カルブは決して貧しくはないし、首都テーベにおいては中の上ぐらいだろうと自分で考えているが、それでもカルブは飾り気の全くない格好をしていた。

 カルブの仕事は体が汚れるものだからだ。


 船着場に近づけば、風に湿り気がまじり始める。

 船頭にチケットとなる金属片を渡してナイル川を渡る。

 小船を降りた先には、東岸の賑やかな町並みや豊かな農地とは打って変わって、岩だらけの殺風景な景色が広がる。


 聖なるナイル川をはさんで、日の出の東岸は生ある人々が暮らす町。

 日の没する西岸は、死者の家である墓や、葬式専用の神殿などが集う場所である。

 エジプト王国は果てしなく広大な国土を持ちながらも、そのほとんどが砂に覆われ、人が住める場所は限られている。


 死者の岸辺の一角に、生きる者の住む集落がある。

 岩盤を削って墓所を作る作業員や、墓所に壁画を描く職人のための宿舎が集う場所である。

 その宿舎の入り口で、若い職人が親方の雷を食らっている。

 どうやら自分のギルドが王様ファラオの墓所の壁画を任されたのを、他のギルドの職人に自慢してしまったのらしい。


 神殿ではつい先日、神官同士の争いの果てにファラオの葬儀を巡る大役から外された神官が、役目を勝ち取った神官を貶めるために、神殿に安置されていたファラオの遺体を傷つけようとするといった事件が起きた。

 神官の後ろには政治家や貴族がおり、その争いは激しく複雑で、墓造りにだってどんな妨害があるかわからない。


「大丈夫ッスよ! 悪いヤツをファラオのお墓に近づけたりなんかしないッスよ!」

「バカモン! 職人自身が襲われる危険だってあるじゃろうが! そもそもそんな嬉しそうに言いふらすなんて無作法じゃぞ!」

 カルブは自分には関係がないみたいな顔をしながら、内心ではドキドキしながらその横を通り抜けた。


 大きなギルドの大きな宿舎の前から離れ、町と隔てられたこの集落においてさえ孤立している自分の宿舎に、数日分の着替えと食料の入った袋を放り込む。

 作業に区切りがつくまではここに一人で寝泊りをする。

 もう一つ持ってきた袋を持ちやすいように担ぎ直す。

 こちらの中身は仕事で使う器具である。


 集落を出て山の方へと結構歩くと、谷の隅にカルブが働く工房が見えてくる。

 こんな物寂しい場所で、何もやましいことをしようとしているわけではない。

 むしろ尊ばれるべき仕事だ。

 それでも人はカルブを見ると鼻を摘まむ。


 文字通りの鼻摘まみ者として扱われてしまう理由は、仕事で使う薬品のニオイが体に滲みついているから。

 カルブの工房の周りには、ハーブやスパイス……といえば聞こえは良いが、単品でもニオイのきつい葉っぱや木の実をつぶして混ぜて煮詰めて作った強烈な虫除けのニオイがただよっていて、遠くからでもそれとわかる。

 工房で待つ存在をウジに食わせるわけにはいかない。

 それに加えて工房で待つ存在自体が放つニオイも強烈なのだが、だからといってニオイの主に非礼な態度をとるようでは、カルブの仕事は勤まらない。

 そしてそこにさらに強力な防腐剤のニオイが加わる。

 自宅近くでおばさん達に笑われたのもこれが理由だ。


 岩陰に隠れるように建てられた工房には、高価な器具や企業秘密の薬品が置かれているため、普段から見張りをつけている。

 しかしその見張りは少し前から、馴染みの地元の業者から、宮仕えの立派な兵士に交代していた。

 アスワドさんとアブヤドさん。

 どっちがどっちだったか忘れてしまったが、カルブは当たりさわりのないあいさつをして工房に入った。

 二人が不機嫌そうなのは、若き死者への悲しみか、工房から漏れ出るニオイのためか。


 工房の中では棚の上に壷が並び、作業場全体を見守る位置には、死者を守護するアヌビス神の等身大の像が飾られている。

 部屋の中央の机に乗せられた生乾きの遺体を、完全に乾燥させて防腐処置をして包帯でラッピングするのがカルブの仕事。

 神官の下請けであり、葬儀屋の一部門。

 彼はミイラ職人なのだ。


 カルブは遺体を前にハァっと息を吐いた。

 大変な仕事をおおせつかってしまった。

 このお方は本来ならばカルブの祖父が処置をするべきなのだ。

 あるいはせめて父が。


 カルブの祖父は、王の側近である大神官アイの親族の葬儀にたずさわったことでその腕を買われ、王宮を守るホレムヘブ将軍の親族からも依頼をたまわるようになり、ついには王室御用達となった。

 ここにあるのは我がエジプトの王のご遺体だ。


 しかし肝心の祖父は今は腰を痛めて入院中。

 だったらカルブのような若造ではなく別の業者に託すべきだと思うのだが、ファラオの遺言により、祖父でないなら祖父から直接手ほどきを受けた者にやらせよとのことである。

 ならば父にと言いたいが、父は祖父の仕事を“ある事情”により継げなくなって、今はテーベを離れている。


 カルブの心は憂鬱だった。

 一般的な業者ではご遺体一人に複数の職人がつくのだが、祖父の流儀ではご遺体と一対一。

 つまり全ての責任はカルブの肩にのしかかる。


 カルブは戸口の方をチラリと見た。

 処置の最中は、周囲に人はなるべく少なく、厳粛なる作業場に余計な話し声など立てないように。

 それが祖父のやり方だ。

 だからここにファラオのご遺体があるというのに、工房へ到る道の警備は別として、工房そのものへの警備はたった二人しかついていない。

(だからって逃げるわけにもいかないしなぁ)


 カルブは覚悟を固めてファラオのお体を眺めた。

 まず目につくのが、いびつな形の頭蓋骨。

 次は内向きにゆがんだ細い足。

 しかし顔だけは整っていて美しい。

「……ツタンカーメン様……」

 祈りを込めてその名を唱える。

 享年十八歳。

 カルブと同い年だった。

 若くして死した王は、生まれながらにいくつもの障害を抱えており、杖なしでは歩くこともままならなかったと聞いている。


 数日前の祭りの日に民の前に現した姿を、群衆に混じってカルブも仰ぎ見ていた。

 白馬に引かれた豪勢な立ち乗り馬車(チャリオット)に乗って駆け抜ける姿。

 馬の足が早すぎたために、カルブは国王の頭の形にも足の細さにも気づけず、カルブの目にはツタンカーメンはただただ立派なチャリオットを操る立派なファラオとだけ映った。

 ファラオを死に追いやった事故は、カルブの目の前で起きた。

 日の光の眩しく照りつける下で、瞬きをした次の瞬間、群衆の歓声は悲鳴に変わっていた。


 カルブは目を閉じて深く息を吸い込んだ。

 薬品のニオイが肺を満たす。

 普通の人ならば臭い臭いと大声で叫び出すようなものではあるが、幼い頃から嗅ぎ慣れたカルブには心地良い。


「良くムセないな」

 誰のものとも知れない声に、カルブはハッと目を開けて当りを見回した。

 誰も居ない。

 アヌビス神の像があるだけだ。

 見張りの兵士は建物の外、それもニオイを嫌ってか戸口からずいぶんと離れている。

 先ほどの声はカルブのすぐ耳もとで聞こえた。

(今のはオレの心の声……? いや、あれはオレの友達に言われた言葉だ。しょっちゅうあんな風にからかわれてばっかいるからな。その記憶が、何てーか、夜に見る夢みたいに勝手に蘇ったんだ。きっとそうだ)


 宗教的な細工の施された黒曜石のナイフを手に取り、アヌビス神の像に一礼し、ファラオの遺体に視線を戻す。

 細い足にはめられているギプスをはずすと、足の皮を突き破るほどの骨折の跡が現れた。

 数日前の祭りのさなか、王はチャリオットから落ちた。

 生まれつき虚弱だったツタンカーメン王は、この傷口から感染症を起こし、事故からわずか数日でこの世を去った。


 王の胴体に視線を戻す。

 カルブ達エジプト人がミイラを作る理由は、死者が復活すると信じているから。

 死者の魂が現世に戻る時のために、肉体を保存しておく必要があるのだ。


 ミイラの作成に当たってもっとも時間がかかるのは遺体を乾燥させる作業で、灼熱のエジプトの気候でも一ヶ月以上かかり、それ以外にもさまざまな工程が待っている。

 それが終われば葬式、埋葬。

 それらは神々の暦にしたがって死から七十日以内に終わらせなければならない。


 皮膚に触れ、ナイフをどこまで深く入れるか、皮膚の下の臓器をイメージする。

「一人でやるのは初めてか?」

 心の声に耳を閉ざす。

(ここが胃、ここが肺……心臓は最後まで残す……)

 位置を確かめようとして、カルブの指が思いがけずファラオの乳首に触れた。

「なんかエロいな」

 確かに聞こえた!

 こんなの自分の声じゃない!

 振り返ってもアヌビス神の像があるだけ……?

 違う! 居た!

 神像の台座に腰かけて、いかにも幽霊といった半透明な姿の少年が、ニカッと笑って白い歯を見せて手を振った。


 その幽霊は、歪んだ頭蓋骨と細すぎる足をしていた。

 カルブは慌てて手もとと後ろを見比べた。

 その幽霊は、手もとの遺体と同じ顔をしていた。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)



挿絵一枚目はいただきもののファンアートです!

二枚目は私、ヤミヲミルメが描きました。

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