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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

マリエッタの湯たんぽ

作者: 坂本瞳子

今年も冬が来た。

昨晩は足が冷えてよく眠れなかったマリエッタは、押入れの奥からブリキの湯たんぽを取り出した。

湯たんぽはずっしりと重く、中に入っている水が波の音を立てた。

去年、しまうときに水を入れたままにしてしまったか、そんなことはないはずだけれど。

マリエッタは流し台の前に立って、ブリキの湯たんぽの蓋を開けようとした。


湯たんぽのキャップをつまんで少し回すと、カサッと音がした。

消しゴムのカスのようなものが、右の手の平に落ちた。

なんだか血が固まったもののように思われた。


あまり気にせず、マリエッタはさらにキャップを回した。

キャップの周りには血が渇いた後にできる煤のようなものが見られた。


嫌な予感がした。

マリエッタはなにがどうなっているのか、訳が分からなかった。

湯たんぽを流しに傾けると、どろりと血が流れ出た。

赤い、どす黒い血が。


新しい血ではない。

搾り取られたばかりの泡立つ鮮血でないことは、マリエッタにも明らかだった。

冷え切った、古い血だった。


どうしたものかと考えたけれど、すぐに答えは見つからなかった。

キャップを閉じて、残りの血をそのまま納めておいた方がいいのか。

いやいや、こんな血をここに詰めておいてもなんにもならない。

かと言って流してしまっていいんだろうか。

なにかの証拠だったらどうする?

証拠?一体なにがあったというのか?

どうして湯たんぽに血が入れられているのか?

誰がどうやって、この湯たんぽに血を注いだのか?


この家にはもう長くマリエッタしか住んでいない。

訪ねてくる人もいない。


ああ、そうだ、夏に男が来た。

裏の森の中で道に迷い、熱にうなされていた。

そいつを家に引き入れ、看病をしてやった。

熱にうなされ、震えていたので、夏だというのに湯たんぽを引っ張り出してあてがってやった。

けれど三日も経つと姿が見えなくなった。

回復して、礼も言わずに出て行っちまったんだろう。

まあいいさ。

その後、確かに湯たんぽの中の水を捨てて、湯たんぽをきれいに洗って、押入れの奥にしまった。

ああ、この手が確かに覚えている。

あのとき、確かに湯たんぽの中を空にして乾かして、それから押入れにしまったんだった。


あれが夏。その後に誰か来たか?

ああ、町の人が来たかもしれない。

あれは確か男の子が秋の初めに来ていたか。妹を連れていたね。

裏の森の中で木の実を拾い集めるのに夢中になって、帰り道が分からなくなったんだった。

家に一晩泊めてやったんだったね。

次の日の朝早く、麓の方まで連れて行ってやった。

けれどこのときは湯たんぽは押入れにしまったままだったはずだ。

そういやあの子を麓近くまで連れて行ってやったとき、妹の方はどうしたんだったっけね。

とにかく湯たんぽは押入れに入れたままだった、そうだね。


お湯が沸いた。

湯たんぽを取り出す前に沸かし始めていたお湯が沸騰し、薬缶が汽笛のような音を立てた。

もう夜も遅い。

湯たんぽがなければ今夜も足が冷えて眠れない。


マリエッタは湯たんぽを傾け、中の血をすべて流した。

どろりどろどろと、赤黒い血が流れる様は不気味であった。

流し切ったと思ったところで、蛇口から湯たんぽの中へ冷たい水を注ぎこんだ。

しゃぼんも少し加えて、内側を濯いだ。

そして、湯たんぽに溜まった水を流した。

血にまみれた、汚れた水と泡とが出てきた。

その様子はやはり不気味だった。

そんなことを数回繰り返すと、血の色は徐々に消えて行った。


「もう大丈夫。」

マリエッタはひとりごちた。


そして、薬缶の中の熱湯をタオルで包んだ湯たんぽに注いだ。

マリエッタは湯たんぽ一杯に湯を注ぎ、キャップをした。

しっかりと、決して蓋が緩むことのないようにキャップを回した。

そしてタオルを巻き直し、湯たんぽを抱えてベッドへと向かった。


そこへ、ドアを強く叩く音が聞こえた。

それは町の保安官だった。

秋口に泊めてやった男の子が一緒だった。

「この婆さんで間違いないね?」

男の子はマリエッタを見て頷いた。

保安官は男の子を燈火を掲げた若い男に預け、マリエッタに詰め寄った。


「婆さん、あの男の子、知ってるだろう?」

マリエッタは秋頃に道に迷っていたあの子を家に泊めてやったと告げた。

「妹が一緒だったろう?」

確かに、あの子は妹を連れていたけれど、送って行ったときには見かけなかった。


保安官は家の中をひっくり返した。

夜中だというのに、隅から隅までひっくり返して、なにかを探しているようだった。

マリエッタは呆れたようにキッチンの椅子に座っていた。

もちろんなにも出てきやしないさ。女の子の洋服なんてあるもんか。


もしかしたら、夜が更けた後、あの男の子は妹を殺してしまったのか?

流れ出た血を湯たんぽに詰めた?

遺体はどこかへ捨てた?


血を湯たんぽに注いだ?なんでそんなことを?しかも、どうやって?


狭い狭い家の中を、保安官はすべて確認した。

そして、またもやマリエッタに詰め寄った。

「知りゃあしないよ、あの女の子がどうしたかなんて。」


若い男の制止を振り切って、男の子が入って来ようとした。

「あの湯たんぽ!」

熱湯が注がれたばかりの湯たんぽを男の子が指差した。

流し台の横に置かれた湯たんぽを保安官は取り上げ、玄関の外に立った。


外は雪で溢れていた。

若い男は右腕で男の子を抱え、左手に燈火を抱えていた。

保安官は湯たんぽのキャップを荒々しく開け、中の水を雪の上に流した。

何度も何度も濯いだのに、白い雪の上には、血が滲んだ。


保安官はマリエッタの腕を引っ掴み、山を下り始めた。そして呟くように囁いた。

「署でゆっくりと聞かせてもらうよ、女の子の首を掻っ切って、その血を湯たんぽに溜めたって理由をな。」


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