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アイニイキタイ

作者: 累々

 いつからここに居るんだろう。

 

 青く澄み渡った空。遮蔽物は一切なく地平線まで見渡せる白っぽい砂の上。グレーのパーカーに赤いインナー。七分丈の深緑のカーゴパンツに学生じゃちょっと頑張らないと買えない黄土色のブーツ。先端がどこにも繋がっていないシルバーのラインが入った黒のヘッドホン。

 外出する時の一番お気に入りの組み合わせ。


 世界が無くなってしまったとか、どこか違う世界に来てしまったとか、そんなことは全く思わなくて。

 ここに居る疑問の後に頭をよぎったのが、いつから待たせているんだろう。

 でも誰を待たせているのか、そもそもどこで待たせているのか全く分からなくて。

 ただ当てもなく歩みを進めてみても、変わらない景色に、人一人見えてこない。 

 闇雲に歩いていたらあの子との距離が遠くなってしまうかもしれない。

 そう思い、ほんの数歩進んだ位置で膝を折る。

 

 顔を下に向けたら指が砂の上に絵を描いていた。

 女の子の顔。女の子と言っても少女じゃなく同い年くらい。それだけでこの子を待たせているのだと気づいた。

 気づいた瞬間その場に寝そべった。空を仰ぎつつ首を忙しなく動かし辺りを見回す。下を向いていたらあの子が通ってもわからないと思ったからだ。

 しかし、あの子は来るのだろうか。そもそも待たせているのは俺じゃないか。いや、あの子も待ちきれずに探しているに違いない。

 

 『なにしてるの?』


 ヘッドホンから聞こえてきた柔らかい音。上体を起こすと、目の前に腰を下ろした優しい笑顔の女の子が居た。


 お待たせ。


 声を出したつもりだったが、空気は振動しなかった。


 『うん、待った』


 笑顔の女の子の口は動かなかったが、またもヘッドホンから声が聞こえた。


 君は誰なの?


 知っている気もした。でも初対面だと思った。ならこの親近感はどうしてなのだろう。


 『私は私』


 そう言って腰まで伸びた艶やかな髪を振り上げながら彼女は立ち上がる。すらりと伸びた長い脚。乱れた髪を直す細い指。この世のものとは思えない透明感の肌。度が過ぎない小顔に端正な顔立ち。見るからに華奢なのだが抜群のスタイルが学生服の上からでもわかった。その左手にはヘッドホンから延びているコードの先端が握られていた。


 『君はどうして私のとこに来たの?』


 今度は彼女が質問をする。だけどその質問に答えられる気がしなかった。いや、答えたくないだけなのだろうか。


 どうしてだろうね。


 微笑みながら彼女に返すと、あからさまに不機嫌な表情へと変わる。


 『はっきりしないのね。まぁ、だからこそここに居るんだろうけど』


 何の事を言っているのだろう。理解したくなかった。

 彼女の表情は変わっても声色は変わらない。聞いているだけで癒されるような、聴いているだけで包み込まれるような声。


 『でも君は運が良かったよね。私に会えたんだから』


 嫌な汗が出て、くる事もなかった。むしろ胸が締め付けられるようで。無性に泣きたくなったが、必死で涙を堪えた。


 『泣いてもいいんだよ。ここはそうゆう場所なんだから』


 そう言われても女の子の前で涙を流すことに抵抗があった。すっと、頬に延びる彼女の右手。どうやら抵抗なんて端からなかったかのように溢れ出た涙を彼女の細い指が拭ったようだ。


 『なにがどうしてとか、そんな事聞かないよ』


 そう聞こえたと同時に彼女の腕によって華奢な体に引き寄せられ豊満な部位に顔を埋められた。


 『今、この瞬間、私は君だけを見て、君だけを愛してあげる』


 『無償の愛、って響きが良いよね。でも耳にするだけで気分を害する言葉かもね。口にするだけで現実を知ってしまう言葉かもね。それでもそれをあげることが、私が私で在る理由だから』


 彼女の腕の中は暖かくて、豊満なそれに火照っている訳ではなくて、言い知れぬ不安感が、言い寄れる安心感で覆い尽くされるような。

 さながら自分は母体の中の幼児になった気分で。人なら必ず経験する失われた記憶がそう思わせて、失われた記憶がそう信じ込んでしまって。

 産声の様な大声は上げず、嗚咽を押し殺しながら溢れ出る涙。見ずとも分かる表情の彼女に頭を撫でられながら、今まで生きてきた分の、これから生きていく分も、それこそ体中の水分が無くなるほどの涙が彼女の服へと吸い込まれていった。

 どれだけ泣いたかわからない。ようやく止まった涙に、ゆっくりと彼女から離れ、今度は自分の手で目を拭う。


 『もう大丈夫?』


 いつの間にか髪からつま先までずぶ濡れな彼女が、頭を撫で続けたまま聞いてきた。


 うん、大丈夫。


 なにが大丈夫とか、そんな事ではなく、訊かれたから答えた。反射のような返答だった。

 その答えに少し困ったような、それでも笑顔のままだから、なんだかはにかんだように見える彼女の表情に、こっちがはにかんでしまう。


 『いつでも来ていいよ。なんて言えないけど』


 突然寂しげな表情になった彼女に、もうお別れなのだと悟った。


 『愛してもらうこと、愛することは大切なことなんだって、覚えててくれるといいな』


 今度は彼女が今にも泣きだしてしまいそうで、とても愛おしく思えて、抱きしめたくなって。


 『もう行かなきゃだよ』


 腕の中で嫌がる素振りを見せない彼女がそんなことを言うから、ずっとこのままで居たいなんて思って、固く目を閉じた。

 次の瞬間。

 耳をつんざいたのは通過列車の轟音。いつの間にか閉じていた目を開けると、いつもの駅で、いつもは行かないホームの隅であと一歩前に居たら列車が生む気流に巻き込まれるほどの位置に立っていた。

 少し引っ張られるような風を感じ、その場で踏ん張ると嫌な汗が出た。

 家に帰るのだから今立っている一番線ではなく、背中側の二番線だ。そう思い踵を返すと、ヘッドホンのコードの先端がポケットから出て踊っていた。いつから外に出ていたのか気になって恥ずかしくなって、慌てて手で隠す。握ってみると違和感を覚えた。数秒前まで外気に触れていたコードの先端が、なぜか人肌程に暖かかった。だがそれよりも感じたのは、その暖かさの安心感だった。

勢いに任せて書いてみたもの。

自分にとっての二度目の執筆ブームの原点。

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