断言できる、私です
自由都市国家宗主都市ミール
街の入口にある門を潜り抜けるなり目に飛び込んだ光景。
それは、人、人、人……人の、群れ。
「凄い、なんて活気のある街なの……」
リィアは茫然と呟いた。
彼女が知る一番の大きな都市、それはマクガイアの首都である。
リィアにとって、首都は世界の中心で。でも、ミールはそれに負けない……
「いいえ、人の熱気、希望の瞳、生きる意志。どれもマクガイアにはなかったもの……ここが、今日から私たちが生きる街」
リィアの、短い、けれど大変だった旅の終着点。
そして、これから彼女が20年以上の歳月を過ごしていく街だ。
「うん、いっしょに頑張りましょうね、私のあかちゃん」
この街で出会うたくさんの人達。
それは、聖母と勇者、双方にとって大切な盟友となる様々な人との出会いである。
巫女姫セルディアーネ
聖戦士ヴィンダー
大商人ケイン・バートリー
謀将ミモザ・ウェンズレイ
やがて、彼らを初めとする様々な星がこの自由を冠する都市に集い、その流れが大きなうねりとなって、世界に光を照らしていく。
世界は我ら。
光は勇者。
リィアの、聖母としての物語の出発点は、この聖地から……
神の祝福を受けしリィアの、世界を救う英雄を育てる使命が、この日、始まったのだ。
ASAHYSTERIA出版 聖母リィア伝 序の終 より
深眼の謀将と呼ばれ、諸外国から恐れられた私には、大切な人が3人いる。
幼い私を守ってくれた兄と、9才年下の愛する夫。
そして、たくさんの愛情で私を包んでくれた あのひと。
彼女は私の年上の親友であり、大切な姉であり、愛情をたっぷり与えてくれたおかあさんでもあったのだ。
ミモザ・ウェンズレイ 回顧録より
「このままじゃさ、お前を守れないそうにないんだ。だから、ここを出ようと思う」
荷物はショルダーバックが一つ。
港町エフェスの長老衆筆頭の息子にしては、なんともみすぼらしい。
兄が言うには、自分の力で手にした物だけを持って旅立つのが男の子なんだそうだ。
「ミモザ、5年、待っていておくれ。必ず迎えに来るよ。だからそれまでいい子にしているんだよ……」
少女と共に兄の旅立ちを見送る者は、その兄と親しい何人かの使用人だけ。
息子の旅立ちだというのに、父はいない。
……ついでに、当然といえば当然だけども、自由奔放な母も来てはいなかった。
どちらも色んな意味で忙しい人達ではあるけれど、それだけが理由でないのは、未だ幼い少女にも解っていた。
そのことが、少女はとても悲しいと思うのだけれど、兄はまったく気にしていないのだろう。
わはわはと笑いながら少女の頭を優しく撫でた。
少女は、兄にこうして撫でて貰うのが、とても好きだった。
大好きだった。
そんな大好きな兄の旅立ちである。
だからせめて私だけでもと、少女は可愛らしい小さな手を、モミジのようにいっぱい広げて、ばいばい、と左右に振り、
「いってらっしゃいませ、おにいさま」
と、出来る限りの笑顔で見送った。
兄はそんな妹の笑顔に心底嬉しそうに目を細め、
「いってきます」
妹以上の満面の笑顔で返し、元気よく宗主都市ミールへと向かう竜車に乗った。
竜車が走り出す。
少年の夢を乗せ……
少年の視線が外れた瞬間から、涙をぽろぽろこぼし始めた妹を置いて……
私が港町エフェスで最初にしたのは、待合集合駅にある時刻表を見に行くことでした。
この自由都市国家と呼ばれる国の宗主都市、ミール。
そこに行く竜車が出るのはいつかなぁ~。
小さな声で、そう呟き、3日ぶりの大地をゆっくりと歩く。
海から吹く潮風にゲーゲー吐いてた過去など忘れ、
「うみ~ うみ~ あ~おいうみ~♪
ゆうやけゆ~ゆ~まっかっか~♪
で~もぉよ~るはくろ~♪」
などとご機嫌に謎メロディーな歌を口ずさんだ。
どうせすぐにこの港町から出るんだし、すれ違う人達の微笑ましい視線など気にもしない。
旅の恥はかき捨てろ!
だって、私が楽しそうに歌うと、お腹の子も楽しそうにゴロゴロするのだ。
これはやめられない。むしろもっと歌うべきだろう。
私は母親としての最初の任務、
☆あかちゃんに歌を聞かせましょう☆
に、もう夢中。
「はにょー☆ はにょー☆ はにゃ~ん♪」
決して、恥を捨てて年相応に歌うのが楽しくなってきた訳ではないのだ。
ぶんぶん荷物振り回しながらノリノリなのも、ぜ~んぶ赤ちゃんのタメである。
ぽこん ぽこん ぐるぐる ごろろ
と、赤ちゃんもお腹の中でノリノリだしね。
即興で作った謎歌が4番に達した頃、船着き場から片道10分くらいの距離にあった集合駅に着いた。
早速とばかりに、私はミールへと向かう竜車の時刻を調べたのだけれど……
なんと、もうすぐ出発するではないか!
次の竜車は丸一日後の辺り、宿代浮かすためにもここは、この竜車に乗るべきだろう。
私はさっきまでのノリノリ状態なんて嘘のように、ミール行きへの乗り合い所を目指して走りだした。
まあ、妊婦ですし、おすし。
走ってる、というよりは、競歩と早歩きの中間くらいの速さだけどね?
それでも今の私には精一杯の速さで足を回転させ、
「はふー、ふはー、ひはー」
と息を切らせて必死である。
はにょー☆はにょー☆歌ってのがホントにウソですね。
で、ようやっとの思いで停留所に着いた私だったんですけど……
あと一歩遅かった。
私の目の前で走りゆく地竜という名のオオトカゲさんに曳かれる馬車……というか竜車。
それと、走りゆく竜車を見送りながら、ポロポロ涙をこぼす良いトコのお嬢さんと思しき8~9歳の少女。
少女を良いトコのお嬢さんだと判断した理由は、少女の周りに使用人っぽい大人が数人いるのと、そこそこ良さげな洋服。そして栗色の髪の手入れ具合と、なにより『お姫様カット』の愛らしさだ。
ま、流石に私みたいな貴族の出ではないみたいだけど、恐らくは商家の娘……といったところか。
とにかく、私には関係ない。
だからさっさと来た道を引き返して、今日泊まる宿でも探さなきゃ……
って思っているのに、何故か足は少女の方に向かって動き出す。
「おにいさまぁ……」
ひぃっく、ひぃっくと泣きながら、少女はおにいさまおにいさまと……
ああ、もうしょうがないなぁ。
赤ちゃんいるせいか、どうにも母性本能が強くなって困る。
……いや、これもしかして父性か?
まあ、どちらにしろ、メンドイことしたくないのに。
なんてちょっとツンデレて。
私は、少女の周囲にいる大人たちを押し退けると、すんすん、している少女の前に立った。
すると、少女は涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げ、
「あう……」
と相変わらず涙が止まらないまま、不思議そうに私を見る。
「どうしたの? なにを泣いてるんですか?」
「おにいさま、いっちゃったの……」
おにい『さま』かぁ……
どうも、私が思ってるよりも良いトコのお嬢さんみたい。
ただの商家の娘というより、大店クラスのお嬢様かもしれない。
自由都市国家においての大店といえば、都市の支配者といってもいいだろう。
マクガイアや他の国でいえば、領主クラス……というよりも貴族だ。
一応、何件かの有力商家が集まった長老衆と呼ばれる集団の中で、最も強大な力を持つ家がそれぞれの都市の代表となるらしい。
この目の前の少女の家は、少なくても長老衆以上はありそうだ。
だって、兄弟に様付けなんて普通しないよ?
私はしてるけどね、本物の貴族だったし。
「ほんとはいっちゃヤだったの……」
「だから泣いてたの?」
「……うん」
少女はコクンて頷くと、すんと大きく鼻をすすった。
そして下唇をかみ、必死に泣くのを止めようと顔を顰める。
こういう、頑張る健気な子を見ると、胸がきゅぅんってする。
私は感情が赴くままに手を伸ばし、
「いいこだね、いいこ、いいこ……」
優しく少女の頭を何度も撫でる。
少女は次第に涙が引っ込み、撫でられるのが気持ちいいのか、心地よさげにうっとりと私を見上げた。
とはいえ、涙あとが残ったままなのもなんなので、私は一旦撫でるのを止めると、ポケットからハンカチを取り出しふいていく。
すると少女は、少しむずがり、もっと撫でてと言外に訴えてくる。
私は苦い笑いを隠しながら、むしろ優しい笑みを顔に張り付け、ハンカチをポケットにしまうと、再び少女の頭を撫でてやった。
「うん、ミモザ、いいこだもん……」
この子、ミモザちゃんっていうんだ。
ミモザって花の名前だっけ?
私のリフィルディードアなんつー、言い辛く由来不明な名前の万倍いいよっ!
しっとー☆
な、嫉妬をやっぱ隠し、張り付けた笑顔のまんま、
「ほんとうに、ミモザはいい子だね」
出来るだけゆっくり、やさしい口調でそう言った。
少女、ミモザちゃんは、
「……うん」
と大きく頷くと、ぽふんと私に抱きつく。
……見掛け8歳程度の少女と、頭の位置が対して変わらない。
なんか 地味に ショック
「あ、あのね?」
「なんですか?」
「わたし、ミモザ・バートリー。8才ですっ。あなたのお名前聞いてもいいですか?」
やたらピシピシと自己紹介するミモザちゃん。
なんだかとってもぷりてぃーです。
心がぽわぽわしてきますね。
私はこの時、顔に貼り付けた作り笑顔が、本物の笑みに変わっていくのを感じていた。
だって仕方ないでしょ?
本当にほんわかするんだもん。
「私はリィア。11才よ」
「……としうえ?」
「そうだよ」
「じゃあ、ねーさまだねっ!」
お ね え さ ま だとっ!?
なんだろう? この百合百合しい響きは……
こう、前世の男だったころの憧れ、というか、女になって諦めた何かが込み上げ……る前に、あまりに純粋にキラキラしてるミモザちゃんの瞳に、私の邪な思いがあっさり四散。
「あの、ねーさま?」
「なあに?」
なんか混乱してると、ミモザちゃんは私のお腹を撫で撫でしていた。
あ、やば。このままじゃ、おデブさんだと思われる。
はっきり言って、それは女として屈辱だ。
と、さり気に『女』として自覚してる私は少し慌てる。
「そこね、赤ちゃんいるのよ?」
ふんわりと柔らかそうな栗毛の少女、ミモザは、可愛らしい顔を驚きの色に染め上げ。
その少女の関係者だろう使用人達も、驚きの声をあげていた。
見掛けは、ミモザと大差ない私だ。
それも、まあ、仕方ないのでしょう。
無遠慮にお腹を撫でていた手が、ビクッと離れる。
だけど私は、
「大丈夫だよ。ほら、優しくさわってみて?」
と言って、ミモザの手の甲に自分の手を重ね、ゆっくりお腹に押し当てた。
空気の読める私の赤ちゃんは、お腹に押し当てられたミモザちゃんの手の辺りを、ぽこん、とお腹の内側からけっとばす。
「ふわわわわわっ!? ぽこんいった! ぽこんてしたよっ、ねーさま!!」
「うん、赤ちゃんがね、こんにちわ、だって」
「こんにちわっ! わたし、ミモザっていうんだよ!」
うっはー☆
なにこの癒し空間?
使用人さんたちもきゅんきゅんしてますよ?
萌えですね、萌え。
きゃっきゃと私のお腹を撫でたり耳を当てたりするのを微笑ましく思いながらも、この時の私は、
あんま仲良くなったら、また泣かしちゃうよね……
と少し憂鬱な気持ちでした。
なんせ、明日には宗主都市ミールへと向かう竜車に乗って、この街を出ていってしまうのだ。
この子のお兄様と同じに、この子を置いて……
そう、思っていた時もありました。
私は自分の家から一番近い、街の西側の外れにある井戸から水を汲んだ。
桶一杯に水を満し、膨らんだお腹が邪魔しない様にしながら、両手で「よいしょ」と持ち上げる。
男だった頃なら平気で片手に一つづつ持てたのになぁ、と思いながら、えっちらおっちら、歩き出す。
前に居た街……勇者国マクガイアの玄関口である港町ソユーズなら、この時点で幾つもの助けが入っただろう。
でも、このエフェスでは、心配そうな視線は感じるものの、実際の手助けは滅多にない。
たぶんだけども国民の気性の違いだろう。
でも、まあ……
現代日本で生きた記憶がある私にとって、これくらいが丁度好い感じです。
本当に困っていたら、キチンと助けてくれるしね。
そんなこんなで、行きに5分。帰りに15分程度の時間をかけて、桶一つ分の水を確保した私は、自宅の裏口から中に入り、台所の横にある水瓶にじゃばー。
「はふぅ……」
と疲れで乱れた息を吐き出して、台所に置いてある丸椅子に腰をかけ、ちょっと休憩。
まだまだしなきゃいけない事は一杯ある。でも妊婦的な意味で、あんま無茶も出来ない私。
少し、もどかしいです。
に、しても……
「甘い物、食べたいなぁ……」
女の子は総じて甘い物が大好きだ。
でも、前世が男であった私は、実の所そんなに甘い物が好きではなかった。
なのに、だ。最近、どうも甘い物が食べたくなって仕方ない。
これって、もしかしすると、すっぱい物を欲しがったりする、妊婦特有のあれだろうか?
などと思いながら、『妊娠8ヶ月目』に入ったお腹をさすった。
……さて、いつまでもノンビリしてはいられない。
まだ一日に使う水の量には達してないし、この街の責任者のご厚意で使わせて頂いている海・川・森。そこに仕掛けた罠に獲物がかかってないか見て回らないと……
「よっこらせ、っと」
掛け声を上げ、勢いよく立ち上がると、玄関の方から、
「おじゃましまーす。ねーさまぁ、おみやげだよぉー」
ミモザちゃんの声が聞こえてきた。
とたとた私の方へ駆け足で来るミモザちゃんの足音と、
「すみません、おじゃまします」
と申し訳なさそうにして入って来る、ミモザちゃんのお付きの人の声。
私は、
「いらっしゃい、ミモザ。今日も元気ですね」
そう言って、笑って出迎えた。
私は結局、宗主都市ミールには行かず、このエフェスに残ったのだ。
理由は、この街の長老衆の筆頭であるバートリー家の伝手が出来たのと、その伝手により、安く土地付き一戸建てを買えたからだ。
ついでに言えば、換金済みでない持ち運びに便利な貴金属の売り手としても、バートリー家の伝手はありがたい。
貴族の令嬢という印籠がない今の私では、どうしても安く買い叩かれてしまうから。
むろん、そうなる可能性も考えて、コレから先の予定を考えてはいた。
赤ちゃんを産み、その子が3才程度に育つまでは、財産を食い潰しながら育児に専念し、それから働き先を探そうと。
土地付き一戸建てを買ってもなお、その程度は残るだけの資産を持ってはいるし、今の11才の身体では雇ってくれずとも、14~15才になる頃には体も大きくなって、なんとか働き口も見つかるだろうという計算だ。
これが、バートリー家のお陰……というか、ミモザちゃんとその使用人さんのお陰で、むっちゃ楽になった。
資産的に考えれば、おおよそ倍近くは楽である。
これではこの街にも残るだろうというものだ。
働き口に関しても、ほんのわずかな収入ではあったが、刺繍の在宅仕事を紹介して貰えたし、なにより……
「ねーさまーっ!」
ミモザちゃんがいる。
ミモザちゃんは、この世界に転生して、初めてできた友達だ。
貴族であった頃の、口だけ友達なんかじゃなく、本当の……
……なんか妹って感じだけど、友達だ。
だからさ
友達ができたんだもん。
最初の予定と変わっても、仕方ないでしょ?
ここから、おおよそ5年ほどの歳月を、私はこの街で過ごすことになる。
出産と、育児。
最も大切で、最も大変だった時期を、この港町エフェスで。
後から思い起こせば、辛かったことが一杯だったこの街での生活だけれど、でも……
「ごめんね? まだ今日の用事が終わってないの」
「だいじょうぶっ! ミモザがいっぱい手伝うから、はやく終わらせていっしょにあそぼっ!」
嫌な思い出は、何一つない。
そう、断言できる、私です。
おまけ
ここまでの話の流れ
後世の逸話
・14才で王さまに一目惚れ、両思いになった後、後宮に入り側妃に
・16才で妊娠、涙ながらにマクガイア出奔
・港町ソユーズからケリーナ内海を海岸沿いに東へ進み自由都市国家へ
・途中に立ち寄った町や村で魔物と戦い伝説を残す
・宗主都市ミールに居を構え、街の熱気に感動 ←今ここ
現実
・11才で王さまに拉致され後宮に閉じこめられる
・数ヶ月後妊娠、王さまに「出てけ」
・港町ソユーズにて2ヶ月過ごした後、船を使って自由都市国家に入る
・港町エフェスで熱唱、街の住民に微笑ましい目で見られる
・自由都市国家の港町エフェスにて居を構えてミモザちゃんprpr ←今ここ