最初のいっぽ
ガタガタと振動しまくりな竜車の中、私は吐き気を堪えるように胸を押さえた。
はぁー、ふぅー、と何度か苦しそうに息を吐き出すと、周囲から心配そうな視線をいくつも感じる。
「窓、開けるわね。外の空気を浴びた方が楽でしょ?」
「は、はい……ご迷惑かけて、どうも、すみません……」
下手に声を出したら吐いてしまう。
でも、竜車という密閉空間の中で吐く訳にはいかない。
だから私は吐き気を堪えるよう、途切れ途切れに声を搾り出した。
きっと、今の私の顔は真っ青に違いない。
その様が周囲の人達の心配を、否が応にも増してしまうのだけれど、そこまで気にする余裕なんて今の私にはなく。
これが、悪阻か……
と、どこか呆然と自分の状況を考えながら、お腹をそっと撫でた。
未だ膨らんではいないけど、確かにこの中に、私の子供がいるんだ……
自分でも良く解らない感情が胸を襲う。
何て言うんだろうか?
こう、守ってあげなきゃって気持ち。
これが、母親としての自覚なんだろうか?
それとも、もしかして父親だったりして。
だって今の私は、紛れもなく女だというのにね。
自然と膨らみのないお腹を、いいこ、いいこ、と何度も撫でながら、私の頬が僅かに緩んだ。
そうやっていると、先程窓を開けてくれた親切なお婆さんが、私の膝に毛布を掛けてくれた。
ありがとうございます、と頭を下げようとすると、それを遮り、
「今、どれくらいなんだい?」
と私のお腹にチラリと視線をやりながら聞いてくる。
私は、「よく分かりません」と小首を傾げた。
自分で言うのも何だけど、その仕草が子リスみたいで可愛かったのだろう。
お婆さんは柔らかく笑みながら私のお腹にもう一度視線を送り、
「触ってもいいかしら?」
と、言ってきたので、特に断る理由もない私は、
「いいですよ」
と小さく頷いてみせた。
お婆さんは、
「失礼するわね」
と断りをいれながら、しわがれた手で優しく私のお腹を撫でる。
「悪阻の具合と、お腹の感じからみて、多分3ヶ月ちょいってとこかしらねぇ。出来ればお医者さまに見て貰うのが一番いいのだけれど……」
「そう、なんですよね……」
と少し困ったように答え、私は苦笑する。
そうしたいのは山々なんだけど、今はとにかくこの国を出たい。
たぶん……いや、間違いなく大丈夫だろうけど、万が一ってこともあるから。
私は、この『勇者国マクガイア』から、一刻も早く逃げ出したいのだ。
お腹の中の子の安全と、なにより私の自由ために。
なんて割と自分勝手な理由でお医者さんにかからない私なんだけど、周囲からは同情めいた視線がたっぷり。
竜車に乗ってすぐの頃、優しくどうしたのか聞かれた私は、悪阻で具合が悪かったせいもあって、ついつい身の上を話してしまったのだ。
簡単に言っちゃうと、お偉いさんに拉致られ、孕まされ、邪魔者扱いで追い出し喰らったと。
この話しをしてしまった瞬間、聞き耳立ててた同乗者の方々から義憤の声が上がり、そして今に至る。
なもんだから、何かの切欠させあれば、再びこうやって……
「これだから貴族ってヤツは……」
とか、
「クソ外道がっ! あいつらはいつもそうだ!!」
とか、
「自分でまいた種ぐらいキチンと面倒みやがれってんだ!」
とか、怒る怒る。
その上みなさん、貴族に対しての不満をここぞとばかりに口にしまくって、もうどうにもこうにも。
だけど、まあ、支配階級なんてもんは嫌われてなんぼだけど、こうやって目の前で嫌われる様を見たら……
と、私の苦笑も一層深くなった。
だって、私は勇者国マクガイアの貴族、マディレード子爵が次女、リフィルディードア・キアル・マディレード。
家族や親しい友人からは、フレア、という愛称で呼ばれた、歴とした貴族の子女である。
だから、どこか申し訳ない気持ちになる。
だって私も貴族だし。
……違うか。貴族の子女で『あった』が正しい。
このお腹の中の子供の父親でもあるマクガイアの王から見捨てられ、そしてこの国から自ら出ようとする私は、確かにもう貴族ではないのだから。
でも、貴族であったのは確かだし、やっぱり申し訳ないな~、なんて少しだけ気落ちしていると、さっきのお婆さんが、
「いい加減にせんかバカ共っ!」
と怒鳴り声を上げた。
お婆さんの怒声は、この乗合竜車の客席のみならず、馭者さんのとこまで響いたらしく、ビクンと身体を跳ねさせていた。
そのことに、私はちょっとだけ笑ってしまう。
だってビクンて……ぷぷっ。
「おや、ようやく笑えたんだねぇ。良かったよ」
「えっ?」
「ずっと青い顔して俯いてたろ?」
お婆さんはそう言うと、皺の刻まれた顔を一層クシャクシャにして笑った。
「気が紛れて悪阻が良くなったんじゃないかい?」
「あっ、本当です……」
言われてみたらそうだ。
ずっとあった吐き気も治まり、確かに随分と調子が好い。
開け放たれた窓から入る風も、ただ心地よく。
私は口元を綻ばせて目を細めた。
だって、こんなに気分が好いのは久しぶり。
「お母さんが笑ってるのが、お腹の子には一番いいんだよ」
そう言うと、まるで小さい子供をあやす様に、私の頭を、よしよし、と数回撫でてくれた。
周囲の人達も、撫でられて気持ち良さそうにする私に安堵する。
……まあ、そうだろうなとは思った。
だって、今の『私』は『11歳』だし。
前世の……29歳で死んだ俺も、11才の子供が悪阻で苦しんでいたら、そりゃあ心配するだろうさ。
ってか相手の男のピーをもぎ取って……いやさ、千切って踏みつけてやるね!
しかもだ、私ときたら見掛けよりも2才は幼く見える幼児体型。
11才-2才=9才。
そう、周囲の安堵している大人たちは、10才にも満たなそうな少女を孕ませた貴族とやらに、心の底から怒っているのだ。
実際は中の人が29才の男の経験有りなんで、そこまで怒らなくてもいいんだよ~って感じなんだけどね!
風邪引いて死んで、目が覚めたら赤ちゃんで、親が貴族で、でも11才の誕生日に王様に拉致られ、連日夜のご奉仕を強要されて、子供が出来たら面倒臭そうに、「妃がヤバいから城から出ていけ」なんて言われた波乱万丈ではあるけれど。
それでも30年近く生きた経験は、現在の見た目の幼女とはそぐわず強かだ。
私は、えへへ、と目一杯の満面の笑みを見せる。
お婆さんは毛布を私の肩までかけると、
「あまり身体を冷やすとよくないからねぇ」
と言って微笑み、他の方々も、毛布の代わりにブランケットをかけてくれたり、ビタミンCが豊富そうな柑橘系の果物をくれたり。
私はむいて貰ったその果物を、おいしそうに食べながら思うのだ。
さあ、これからが『私』の人生の始まりだ。
11才の子持ちだなんて、とても辛そうな人生の始まりではあるけれど、それでも私は……
どこまでも強く生き抜いて見せる。
「そう言えば、まだ名前聞いてなかったねぇ。お嬢ちゃん、お名前聞いてもいいかしら?」
「はい、私は……リ……ア。リィアです」
「そう、リィアちゃんていうの。いい名前ね」
「はいっ」
勇者の母……聖母リィアと詠われる永遠の少女の物語は、この日、こうして始まった。
貴族の名を捨て、自身の愛称であったフレアと言う名も捨て。
リフィルディードアだからリィアでいいや。
って割と適当に決めた名前で……
後の世で、絵本『聖母リィアと勇者さま』を読んで育った大人は、このことを知ったら泣くだろうし、
「リィアちゃんは何処まで行くつもりなんだい?」
「マクガイアの国境を出て、そう、自由都市国家までです」
「……随分とまあ、遠くまで行くつもりなんだねぇ。誰か頼れる人でもいるのかい?」
「いいえ、いません。でも……自由って響き、いいですよねぇ」
「あはははは、そうかもねぇ……」
特に、後世の自由都市国家では、聖母リィアと言えば国家の象徴である。
そんな彼女が、こんな適当なかる~い気持ちで来たなんて知ったら……やっぱり泣くだろう。
王様周辺のやり取りは、次回があればその時に……