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鳥かごの鳥が飛び立つとき

 ガタゴトと揺れる馬車と目の前には不機嫌顔の婚約者。豪華なだけで居心地の悪い馬車の中、レベッカは現実から目を逸らすかのように、暗闇に包まれた車窓へと視線を移した。


 なぜ、こんな不本意な状況に追い込まれてしまったのか?


 エリアスと別れバルコニーを後にしたレベッカは、己の婚約者様の機嫌をこれ以上損ねぬように、見送りだけはしようと後を追ったのだ。


 いつものように、セインが馬車へ乗り込むのを見送り、自分一人、エントランスに取り残される。そのルーティンだけこなせば、彼の自尊心も満たされる。面倒くさい事態になるよりは、嫌味の十や二十、受けた方がましだと思っていた。しかしレベッカへと落とされたのはセインからの予想外の言葉だった。


『早く、馬車へ乗れ!』と言われ、開け放たれた扉から見えるのは、セインの仏頂面だ。

 開け放たれた扉と、憮然とした態度で座面へと座るセインの顔を交互にみやっても、状況は変わらない。


 いっこうに出発しない馬車を見つめ諦めたレベッカは、しぶしぶ馬車へと乗った。


 レベッカがセインの対面へと座ると同時に動き出した馬車の中、時間だけが過ぎていく。


 仏頂面のまま座ったきり一言も発しないセインの態度に、レベッカもまた口をひらかない。


 馬車に同乗するように強要したのは、セインだ。無理やり乗せておいて、ダンマリを決め込むのは、紳士としても、人間としても、礼儀がなっていない。そんな相手の顔色を伺い、話題をふってやるなど、レベッカの矜持が許さない。


 沸々と湧きあがる怒りのまま、セインから視線を外し車窓へと目をやったレベッカの態度が気に入らなかったのか、セインが声を荒げた。


「おい! なんの言い訳もないのか!」


 セインの言葉にレベッカの目がすわる。

 今の言い方ではまるで、レベッカに非があるようではないか!?


「セイン様……、言い訳とは、何でしょうか? わたくしには、さっぱり」


「しらばっくれるつもりか!? あの男だ! お前と一緒にいた男、ウォール伯爵とは、どういう関係なんだ!?」


「あら? あの殿方がウォール伯爵様だと、やっとお気づきになりましたの。まぁ、いいわ。先ほども申し上げましたが、父の商談相手ですわね」


 暗に、『私が助け舟を出さなければ、気づきもしなかったでしょ』と含みをもたせた言い方をすれば、案の定セインの顔が怒りで赤く染まっていく。


「そ、そんな口からでまかせ、誰が信じるか! 僕の婚約者でありながら、他の男とダンスを躍るなど、とんだ阿婆擦れだな。これだから平民出の女は!!」


 セインの言葉の節々に散りばめられた悪意に堪忍袋の緒が切れた。


「宮廷貴族と新興貴族の架け橋になると豪語した御方の言葉とは思えませんわね。阿婆擦れと言うなら、婚約者がいる男性に群がるどこぞの宮廷貴族令嬢の方がよぽっど、その名にふさわしいのでは」


「なっ、なんだと。彼女たちと平民ごときを一緒にするな!!」


 あら? 周りに侍る令嬢が尻軽なんだと認識はあるのね。


 セインの怒りのボルテージが上がれば上がるほど、レベッカの頭は冷めていく。


 エリアスの話が本当であれば、いくらレベッカが悪女を演じようともセインの一存で婚約破棄は出来ないということだ。それなら、セインの前で嫉妬深い女を演じる必要もないし、理不尽な言動に我慢する必要もない。


「あら、ごめんなさい。言い方を間違えましたわ。股のゆるい殿方と尻軽令嬢、平民の方々より身分も地位もあるせいで、やりたい放題ですわね。さかりのついた獣同士、お似合いですこと。平民の方々の方がよっぽど理性がおありになる」


「き、貴様!? 言わせておけば!!」


 真っ赤な顔をさらに赤くして怒り狂うセインが立ち上がり、手を振り上げる。しかし、その暴挙にレベッカが動じることはない。

 持っていた扇子を突き出せば、目の前に迫った羽根に驚いたセインが尻もちをつく。その不様な姿を見て、溜飲が下がる。


「言葉では敵わないとみれば、今度は暴力ですか。紳士の風上にもおけませんわね!」


 扇子で口元を隠し、眼光鋭く睨みつければ、バツが悪そうに視線を逸らされた。


(この、弱虫野郎!!)


 口では威勢の良いことばかり言っても、いざ自分が不利になればダンマリを決め込む。戦う勇気も、覚悟もない口だけ男。こんな弱虫が自分の婚約者だと考えるだけで反吐が出る。


「何か反論なさったら如何です? それとも、図星過ぎて何も言えませんか」


 レベッカの挑発にもセインは言葉を発しない。


「はぁぁ、もうやめにしませんか。こんな不毛な関係……、私との婚約を解消してください」


 シャロン家のためと心を殺し我慢してきた言葉は、呆気なくレベッカの口からこぼれ落ちた。


 長年の枷から解放されたレベッカの心は凪いでいる。数年に渡り自分の婚約者であった男に想うことは何もない。今のレベッカにとってセインは、感情を乱されるだけの価値すらない男と化していた。


 無の境地に達したレベッカとは反対に、セインはレベッカの言葉にビクッと震えうつむく。


「婚約解消は……、絶対にしない。勝手なことを言うな!! レベッカ、お前に決定権などない!」


 怒鳴り散らすセインを前に、レベッカはあからさまなため息を吐く。


「それは、この婚約が王命だからですか?」


「あぁ、王命である以上、シャロン男爵家に拒否権はない」


「ふふふ、何か勘違いをしているようだけど、別にあなたが私の婚約者である必要はないのよ。陛下にとって、手に入れたいのはニールズ伯爵家ではなく、シャロン男爵家なのだから。セイン、あなたは、首を挿げ替えることの出来る駒でしかないの」


 目の前に座るセインの顔が青ざめ、身体がガタガタと震え出す。


(この様子じゃ、婚約の裏に隠された真の目的にも気づいていなかったようね。今やっと、理解したのかしら)


 馬鹿正直に、宮廷貴族と新興貴族の架け橋として悪女に捧げられた哀れな生贄とでも思っていたのだろう。


(自己愛が強く、悲劇のヒロイン気取りのセインなら気づかなくて当然ね)


 今だに俯き震えるセインを見つめ、失笑がこぼれる。『これでセインとの関係も終わりね』と一瞥し、車窓へと視線を外したレベッカの耳に予想外の笑い声が聴こえた。


 予想外の反応に視線を戻したレベッカは、幽鬼のように揺れ笑うセインの様子に得体の知れない恐怖が喉元を迫り上がる。


「なぁ……、レベッカ。婚約を解消するだと? そんな勝手、許されるはずがない。いつ、何時も、決定権は僕にある」


 醜悪な笑みを浮かべ紡がれる言葉に、レベッカの心に不安がともる。

 有利な立場に立っているはずなのに、諦める様子が見えないセインの態度がレベッカを不安にさせる。


 レベッカは心に宿る不安を隠すように叫んだ。


「悪あがきは、よしてちょうだい。あなたに勝ち目はないわ。別に、婚約者はあなたじゃなくたっていいんだから!」


「そうか……、じゃあ、婚約を解消してみればいい。その瞬間、レベッカお前の人生も終わるがな」


「はぁぁ!? 意味がわからないわ!」


「強がっていられるのも今のうちだ。僕は、お前の弱味を知っている。お前から婚約解消するなら、全て暴露してやる。シャロン男爵が、違法薬物の密売に関与していることをな!!」


「お父さまが……、密売に関わっているとでもいうの?」


 沸々と湧きあがる怒りを抑え、レベッカは冷静になれと自分に言い聞かせる。

 

(言うに事欠いて、お父さまが薬物の密売に関与しているですって!?)


 誰よりも、精果草を憎み、母であるリシャールのような被害者を出さないために尽力している人を何の根拠も、証拠もなく罪人に仕立てあげようとしている。


(許せない……)


 売り言葉に、買い言葉。レベッカは怒りのままセインの挑発にのってしまったのだった。


「レベッカ、お前の父親は重罪人だ。密売の事実が明るみに出れば、シャロン男爵家はおしまいさ。父親は処刑され、一家離散だな。そうなりたくなければ、刃向かわず大人しくしていることだ」


 勝ち誇ったように醜悪な笑みを浮かべるセインを見て、レベッカの良心が音を立てて崩れた。


(コイツだけは、絶対に許さない!!)


「言いたい放題、言って!! でしたら、もちろん証拠はあるのでしょうね!?」


「しょ、証拠!? もちろん、あるさ」


「それなら、その証拠とやら見せてください!」


「はっ? 犯罪者の娘に、みすみす証拠を見せるわけないだろう。切り札は最後まで取っておくもんなんだよ。この馬鹿が! 」


「何ですって!? 証拠を見なければ、あなたの言い分が真実か判断なんて出来ない。やっぱり、口からデマカセなんでしょ!」


「なら、婚約破棄を申し出てみればいい。そうすれば、お前の父親が犯罪者だと明るみになるだろうさ」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべるセインに、証拠を見せろと言い続けても、絶対に承諾はしないだろう。


 父の無実はもちろん信じているが、セインの口から父の名前と違法薬物の密売なんていうキーワードが飛び出したことが、頭に引っかかって離れない。


 エリアスが捜査をしている精果草中毒事件と無関係と切り捨てるには、タイムリー過ぎる。


 レベッカは頭にこびりつく疑念を振り払うように、啖呵を切った。


「いいでしょう! 私は父の無実を信じます。証拠を集め無実だと証明出来た暁には、無条件で婚約破棄を叩きつけてあげますわ!!」





「ぶはっ!! くくく、あははは……」


 目の前で腹を抱えて笑う男を見つめレベッカは、沸々と湧きあがる怒りをどうにか抑えようと躍起になる。そんなレベッカの努力を知ってか知らずか、男は目の端に涙まで浮かべて笑っている。


(はぁぁ、このまま帰ろうかしら)


 先日、シャロン男爵家に届いたレベッカ宛ての手紙。『お約束の品がまだ届いておりません。早急に、持参くださいますよう』と、仰々しく書かれていても、言いたいことはあの夜会後の顛末を教えろと暗に言っているのと同じだ。


 エリアスの要望通り、こうしてウォール伯爵家へと赴き、セインとのやり取りの一部始終を話しているわけだが、なぜか目の前の男は笑い転げている。


(あの顛末のどこに笑い転げるような場面があったのよ!)


 こちとら真剣に話しているというのに聞き手の態度がそれでは腹も立つというものだ。


 レベッカは『ふんっ』とそっぽを向き、腕を組む。


「エリアス様、いい加減になさいませ! 失礼ですわよ」


「はは、ごめん、ごめん。まさか婚約者殿相手に啖呵を切るとは想像もしていなくて」


「そうは申されましても、我慢出来なかったのです。平民だからと馬鹿にした物言いも、女は黙って男に従うべきだと言わんばかりの物言いにも、腹が立って仕方なかったのです」


 言い訳めいた言葉を並べる自分が急に恥ずかしくなる。家のためなら嫌な男との結婚も致し方ないと豪語したくせに、いざ婚約破棄への道が見えた途端、先走って自ら婚約破棄を宣言していまうなんて、早計にもほどがある。


 自分のカッとなりやすい性格が恨めしい。


「わたくしだって、こんなに早く婚約破棄を宣言する羽目になろうとは、考えておりませんでしたわ。ちょっと口が滑ったというか、なんというか……」


「――でも、レベッカが選んだ道だろう。誰かのためとか、仕方なくとか、あきらめの言葉しか言っていなかったレベッカにしては、すごい進歩だと思うよ」


「えっ……」


 ソファに腰掛け、優しい目をして笑うエリアスの言葉は、青天の霹靂の如くレベッカの心に響いた。


 自分の夢をあきらめ、祖父のため、家族のためと耐えてきた想いまで報われたような気がして胸がいっぱいになる。


「レベッカ、後悔はしていないんだろ? セインを拒絶したこと」


 レベッカのことを理解しているかのようなエリアスの言葉を聞き、心が喜びで満たされていく。


「えぇ、後悔はしていないわ」


「なら、よかった」


 心地よい沈黙が支配する部屋の中、先に口を開いたのはエリアスだった。


「さて、当初の予定は大幅に狂ってしまったわけだけど、どうやって密売の証拠をつかもうか?」


 本来の目的を考えれば、セインに喧嘩を売ってしまったのは、かなり悪手だった。

 嫉妬深い女を演じ、セインに優越感を与え、油断させたところで密売の情報を探る。悦に浸っている時は、口が軽くなる奴の悪癖を利用した作戦は頓挫してしまったのだ。


 ニールズ伯爵家が精果草の密売に関与している決定的な証拠を見つけることは、極めて困難になったと言わざる負えない。


(どうすれば、いいのかしら……)


 自分に非があることゆえ、レベッカの心に申し訳なさが募る。


「まぁ、終わったことを気に病んでも仕方がない。それに有益な情報も得られたことだしね」


 パチンと一つ、ウィンクをするエリアスを見て首をかしげる。


「有益な情報なんてあったかしら?」


「ふふふ、セインはどこで密売の情報を得たんだろうね?」


「あつ……」


「現シャロン男爵が密売に関与している云々《うんぬん》の話の信憑性はないが、精果草の中毒死事件が起こっている今、セインの言う密売が精果草の可能性は高いと思わないかい?」


「そうですわね。タイムリーと言えば、タイムリー。全く無関係ということは、無いように思いますわ」


「そうだろう。しかも、密売の関与が疑われているのはニールズ伯爵だ。セインは、どこで密売の話を耳にしたんだろうか?」


「あくまで可能性ですが……、ニールズ伯爵家の中で得た可能性はあるかと思います」


「そこで、今後の作戦なんだけど……、レベッカ、メイドに化けてニールズ伯爵家に侵入してみない?」


「はっ? はぁぁぁ!? 無理です! 無理ですって。さすがに気づかれてしまいますわ!!」


「あぁ、その点は大丈夫だよ。ウォール伯爵家に、プロがいるから」


 ニコニコ顔でベルを鳴らすエリアスに嫌な予感しかしない。


 数分後、いいや数秒で現れた二人のメイドに頭を下げられる。


「この度、レベッカ様の変装をお手伝いすることになりましたメイドのリルと、リラと申します。以後、お見知りおきを」


 挨拶を終えたお下げ髪のメイド達を見つめ驚く。

 顔形、背格好から髪色までそっくりなのだ。何だか声まで似ているように感じる。


「あなた達……、双子なのね」


「はい、あまりに似ていますので、皆さま驚かれますわ。さて、わたくし達の腕を披露しろとのご命令ですので失礼致します」


 タタタと近づいて来た双子メイドに両手を引かれ、化粧台へと連れて来られて、数分。鏡には、見たこともない女が写っていた。


 目立つ赤髪はきっちりと焦茶色のカツラに隠され、目立つ緑色の瞳は便底メガネで覆われている。頬に描いた目立つそばかすと、赤くシャドウを入れた鼻は大きく、鏡には野暮ったい女が写っていた。


「すごいわねぇ……、不細工な女が写っているわ。これならバレないかもしれない」


「だろう。双子メイドの変装技術は、天下一品さ。親でも気づかない」


 自信満々な顔で鏡に写るエリアスを見つめ、口がへの字に曲がっていく。

 何かがつっかえたように胸がスッキリしない。しかし、心に巣食うモヤモヤの原因がわからない。


「はぁ、まぁ。誰もわたくしだとは気づかないでしようね。それで、メイドに変装してわたくしは何をすればよろしいのでしょうか?」


 スッキリしない気持ちを無視し、レベッカは話をそらす。


「レベッカには、ニールズ伯爵家のハウスメイドとして潜入して欲しい。ハウスメイドとして働き、何か密売に繋がる情報を探ってくれ」


 ハウスメイドであれば、仕事内容は下働きだろう。接客メイドや主人の身の回りの世話をするレディメイドとは違い、家人との接点は少ない。


 身バレの恐れは少ないが、完全に無いとはいえない。出来れば、エリアスの提案には乗りたくないが。


「エリアス様、ご協力したいのは山々ですが、わたくし王宮の中級侍女でございます。そちらの仕事を蔑ろには出来ませんわ。ですので……」


「あぁ、そちらは問題ないよ。すでに手は打ってある。王宮の侍女長とは顔見知りだから、こちらの仕事を優先することに同意は得ているよ」


「左様ですか……」


 これ以上、レベッカの口から拒否の言葉は続かなかった。

 用意周到なエリアスの策にはまり、ウォール伯爵家の門扉を出た頃には、ニールズ伯爵家への潜入の日取りまで決まっていた。


「わたくし……、完全にエリアス様の掌の上で転がされているわね」


 シャロン男爵家への帰路にたつウォール伯爵家家門入りの馬車内に、レベッカの呟きが虚しく響いた。

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