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良心の裏に隠された真実

 エリアスの発言に、レベッカは言葉が出ない。


(おじさまに限って、そんなはず……)


 栗色の髪に口髭を生やし、柔和な笑みを浮かべるニールズ伯爵の顔を思い浮かべ、心臓が嫌な音を立て走っていく。


 ニールズ伯爵家において、彼だけはレベッカに礼節を持って接してくれていた。それが、見せかけの嘘だったとでもいうのだろうか。


「信じられないわ……」


「確かに、温厚で諍いを好まないニールズ伯爵の人柄からは想像出来ないね。ただ、精果草の密売に関する情報は確かな筋からのものだ。ニールズ伯爵は限りなく黒に近い」


 今までのエリアスの発言を鑑みれば、彼が精果草中毒事件を調べているのは間違いない。もしかすると、捜査の陣頭指揮を取っている可能性もある。

 そうだとすれば、ニールズ伯爵が精果草密売に関与している可能性は高い。


 レベッカはエリアスが言う『婚約破棄方法』が何かに、気づいてしまった。


「エリアス様、理解出来ましたわ。セイン様との婚約を解消する方法――、それはニールズ伯爵家の取り潰しでございますね」


「……正解」


 壁に背をあずけ立つエリアスの目が、楽しげに笑う。


(悪趣味だこと……)


 セインの言動のせいで悪女と評判は地に落ちたが、ニールズ伯爵家が没落するような事態を望んでいたわけではない。


 レベッカの心の中に、なんとも後味の悪い思いが広がっていく。

 

「おや? 不本意な顔をしているね。レベッカはセインとの婚約破棄を望んでいたのではなかったの?」


「えぇ、もちろん。今すぐにでも破棄出来るものならそうしたい。ただ――」


「――ただ、ニールズ伯爵家が没落するのは後味が悪いと」


「はい……、ニールズ伯爵には、親切にしていただきましたから」


 ニールズ伯爵家を訪ねるたびに客間に放置され、お茶の一つも出て来ないレベッカに一番に気づき世話を焼いてくれたのがニールズ伯爵だった。


 当主自らお茶とお菓子を振る舞ってくれ、セインが来るまでの数時間、話し相手になってくれたこともあった。


 セインに恨みはあっても、ニールズ伯爵に恨みはない。だからこそ、胸が痛い。


「くくく、お優しいことで。そんなお子さまでは、セインと婚約破棄出来たとしても、他の貴族家に搾取され続ける人生を送るだろうね」


「なんですって!?」


「だって、そうだろう。君は、ニールズ伯爵が、ただの人の良いおじさんだと思うかい?」


「えっ?」


「考えてもみなよ。貴族社会は、『良心』だけで生きられる世界じゃない。柔和な笑みの裏に、ドス黒い感情を隠しているのではないかと、思ったことはないかい?」


 柔和な笑みで隠した裏の顔。レベッカの脳裏に、ニールズ伯爵家を訪ねるたびに感じていた違和感がよぎる。


 客間に通されたきり放置される時間。

 現れないメイド。

 お茶とお菓子を手に現れる当主。


 すべてセインの嫌がらせだと思っていた。しかし、その考えが間違っていたのだとしたら。


 思い至った答えに背筋が凍る。


「やっと、理解したみたいだね。レベッカ、君とセインとの婚約には、様々な思惑が絡んでいる。シャロン男爵家に首輪をつけておきたい王家の思惑、そして古参の宮廷貴族でありながら家計は火の車のニールズ伯爵家の思惑。どちらも、シャロン男爵家を手中におさめたい。両者の利害が一致して、君たちの婚約は成立した」


「つまりは、ニールズ伯爵にとってシャロン男爵家は金蔓ということですね」


「あぁ、だからレベッカ、君がいくら悪女を演じようともニールズ伯爵家からの婚約解消はありえない。そして、王命に逆らいシャロン男爵家から婚約解消を申し出れば、精果草の独占管理は出来なくなる。ニールズ伯爵家が没落する以外に、レベッカがセインから逃れる方法はない」


 エリアスの発言が正しいことは理解している。ただ、心が追いつかないのだ。

 ニールズ伯爵家で唯一の良心だと思っていた相手が、真っ黒な心を隠し持っていたなんて、もう何を信じていいのかもわからない。


 レベッカは項垂れ、その場へとへたりこむ。


「まぁ、貴族社会なんて汚いものさ。笑顔を貼りつけ、心では汚い感情を抱いているなんて、ざらにある。早めに気づいてよかったと思うべきじゃないかな」


 見上げた先のエリアスの顔は、優しげな色を浮かべていた。


(そうね……、早めに気づけて良かったのかもしれない)


「エリアス様、お気遣い感謝致します。では、わたくしはニールズ伯爵家の没落を待っているだけで、よいのですね」


 エリアスの口ぶりからも、ニールズ伯爵が捕まるのは時間の問題だろう。それなら、悪女を演じる必要もなく、病気療養中と偽って研究棟にこもればいい。

 

(大っ嫌いなセインにも会わずに済むし、研究三昧で幸せな日々の始まりではないの!)


 明るい展望に、レベッカの頬が喜びから緩んでいく。しかし、次に降ってきたエリアスの爆弾発言によって、レベッカの楽しい未来は木っ端微塵に弾け飛んだのだった。





 美しい夜空を切り取ったかのような深い藍色の生地に、縁を彩る銀糸の刺繍も華やかなドレスを身に纏った赤髪の女性が姿見に写る。女性なら誰しもが憧れるシチュエーションを前に、レベッカは盛大なため息をこぼした。


「あら? レベッカ、どうしたの。不貞腐れた顔しちゃって」


 鏡に写る母は、レベッカとは違い満面の笑みを浮かべている。


「本当、久々に見たわ〜、こんな高価な生地。最高級シルクだと手触りも違うのね」


 ドレスの表面をなぞる母の手つきもどこか弾んで見える。商家を営んできた母の目を唸らせるほどの生地だ。よっぽど高価な品なのだろう。


 レベッカの脳裏を、ドレスを贈りつけてきたであろう『男』の顔がよぎり、慌てて打ち消す。


「それにしても、セイン様からの初めてのプレゼントが、こんな高価なドレスと小物一式だなんて、やっぱりあなたは愛されているのよ」


 上機嫌で銀色の靴とブルーサファイアが連なるネックレスを撫でる母を見つめため息を吐き出した。


 確かに、悪女と罵られる女にプレゼントを贈ってくる男は、婚約者か物好きな変態くらいなものだろう。ただ、名前もなく、カードの一つもないプレゼントを婚約者からだと断定するのは、いささか早計ではないだろうか。


 しかも、セインと婚約してから五年、一度たりともプレゼントはおろか、恋文すら贈られて来たことがないのだ。


 しかし、喜んでいる母へと訂正を入れるほどレベッカは愚かではない。

 勘違いしているなら、その方が好都合だ。プレゼントの贈り主が、あの変態脚フェチ伯爵とバレた日には、どんな追求をされるかわからない。


 レベッカは、鏡に写る着飾った自分を見て、もう一度ため息をこぼす。


(ほんと、なんでこんなことに……)


 あの死体安置所でエリアスに騙されたとしか思えない。


 ニールズ伯爵家が勝手に没落していくのを待つばかりと、楽しい未来に思いを馳せ幸せに浸っていたレベッカに落とされた爆弾。それは、ニールズ伯爵の密売に関する決定的な証拠を集める手助けをして欲しいというものだった。


 エリアス曰く、状況証拠はそろっているが決定打に欠けると。このままでは、王家を味方につけているニールズ伯爵を捕らえ、罪に問うことは難しい。

 つまりは、今のままでは婚約破棄は難しいと、エリアスは言ったのだ。


 正直なところ、『そんなの勝手にそっちでやってくれ』と天を仰いだレベッカだったが、『このままセインと結婚する羽目になってもいいのか』と、エリアスに脅され、協力することになってしまった。しかも、気づいた時には契約書にサインまで書かされ、逃げるに逃げられない状況にまで追い込まれていた。


 それでも、『セインに嫌われている私ではお役に立てない』と、のらりくらりかわそうとしたレベッカだったが、エリアスの方が二枚も三枚も上手だった。


『奴を嫉妬させてやればいい』と言って、セインが参加する夜会の招待状をチラつかせた男に、まんまとひっかかった。


『レベッカが行くはずのない夜会に、他の男と現れたら、奴はどんな反応をするかな?』と言われ、興味本位で飛びついてしまったのだ。


 今考えてもエリアスの口車に乗せられたとしか思えない。

 

 逃げられないように手を打ってくるあたり、あの変態伯爵はセインよりもタチが悪い。


 レベッカはドレスを握りしめ、悪態をつく。


「本当、最悪だわ。あの変態め!!」


「えっ!? 変態?」


「あっ……、違うの母さん。変態じゃなくって、変な態度とっちゃったら、どうしようってね」


 鏡越しに怪訝な顔を向ける母へと、引き攣った笑いを返す。


(あぁ、まずい、まずい。思わず心の声がもれちゃった)


 レベッカは慌てて握っていたドレスを離し、誤魔化すようにシワを伸ばすふりをしてパンパンと叩く。しかし、最高級シルクの生地はシワにもならない。それがかえってレベッカを苛立たせた。


「あら、セイン様からの初めてのプレゼントに緊張しているの? レベッカも可愛いところがあるじゃない。これを期に、令嬢らしく、お裁縫とか……」


「あぁぁ、母さん。もう、行かなくちゃ!」


「やだわ、もうそんな時間? セイン様とは会場で待ち合わせ?」


「……うん」


 母に嘘をついている後ろめたさを隠し、曖昧に頷く。


「そう。今度は、迎えに来てくれるように頼んでみたら。プレゼントをくれたんですもの、きっと叶えてくださるわ」


 優しい目をしてレベッカを見つめる母と視線がかち合う。


 母は知らない。

 レベッカの心が、とうの昔に折れてしまっていることを。


「えぇ、そうね。セイン様に頼んでみるわ」


 レベッカは笑みを浮かべ、母へと嘘をつく。


 心を突き刺す罪悪感を隠し顔に笑みを貼りつけたレベッカは、母へとカーテシーをとる。


「レベッカ、とっても素敵よ。きっとセイン様も誉めてくれるから、自信をもってね」


 笑顔で勇気づけてくれる母に手を振りレベッカは貸し馬車へと乗る。そして、曇天の空の下、夜会会場へと出発した。

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