青い死痕
「こちらは……、王城ですわね」
見慣れた使用人専用の門扉を見つめ、レベッカは首をひねる。
エリアスに言われるがままに着いてきたが、まさか連れてこられた場所が王城だとは想像もしていなかった。勿体ぶって隠すような場所でもない所へ連れてきた意図がわからない。
「あのぉ、こちらへは何用で?」
「あぁ、レベッカはここで働いているんだったね。珍しくもなんともないか。まぁ、ここで話していても仕方がないし、ついてきて」
スタスタと歩き出したエリアスに続き、レベッカも小走りで門扉をくぐる。見知った顔の門番が、レベッカとエリアスの顔を交互に見て驚きの表情を浮かべているが無視だ。軽く会釈をして、エリアスの後を追う。
使用人通路を通り、入り組んだ廊下を右に、左に曲がりながら奥へ奥へと進んでいく。
(この区域は、来たことがなかったわね)
レベッカの馴染みがある王城の風景とは異なり、石造りの壁が剥き出しになっている狭い通路は暗く、所々に置かれているランプの火がなければ真っ暗で転んでいたことだろう。
人影もなく昼間でも薄暗い通路は、ある種の恐怖をレベッカへと与える。ブルっと震えたレベッカに気づいたエリアスが、からかい混りの言葉を続けた。
「さすがに、シャロン家のご令嬢でも、この場所は来たことがないようだね。ここは、王城の地下へと続く通路で、下には拷問部屋と囚人用の牢屋がある。そして――、死体安置所。夜な夜な、幽霊が出るって噂もあるから、興味本位で近づかないようにね」
悪戯な視線を投げ、揶揄いまじりの言葉を言うエリアスの態度に憮然とする。
(パーティーとお茶会に命をかけることしか能がない令嬢なら、怖がるでしょうけど、お生憎さま。そんな可愛い性格じゃないわ)
レベッカは心の中で悪態をつき、あえて棘のある言葉を選び言い返した。
「わたくし、自分の目で見たモノしか信じませんの。幽霊なんていませんわ。あら? エリアス様は、幽霊なんていう眉唾もの、信じていますの?」
「あぁ、信じているよ。見たこと、あるしね」
「はっ? ご冗談ですよね?」
「……どう思う?」
クスクスと笑うエリアスに揶揄われていたことを悟る。その事実が恥ずかし過ぎて、顔にたまった熱を誤魔化すようにレベッカは叫んだ。
「もう、結構よ!! 帰ります!」
踵を返し階段を上りかけた足が、エリアスの言葉に止まる。
「レベッカ……、セインと婚約破棄したいんじゃないの?」
振り向いた先に見たエリアスの真剣な眼差しに、レベッカの胸がドキリと鳴った。
「その方法を知りたいなら、一緒に来て」
ガチャリと開かれた扉の先は、闇。
レベッカは、エリアスの言葉に導かれるように、差し出された手に手を重ねる。
開け放たれた扉から漂う空気の冷たさと独特の匂いに身が震える。レベッカは闇に包まれた空間が何処なのか、本能的に察していた。
「死体安置所、違いますか?」
「ご明察。あまり驚いていないようだけど……、以前にも来たことが?」
「いいえ。ただ、同じような場所には、一度だけ」
「そう。シャロン男爵家の頭脳、前男爵のお孫さんなだけはあるね。初デートが、死体安置所なんて、素敵だろう」
「女性を口説くには、最低な場所ですけどね」
「はは、それもそうだね」
ニヤッと笑うエリアスを見て、この男の得体の知れなさに違う意味でレベッカの背に悪寒が走る。
(よっぽど、幽霊の方が怖くないわね)
レベッカは失礼なことを考えながら、エリアスの意図に考えをめぐらす。
祖父の名前が出てきたことに驚きはしたが、この場所に安置されている遺体が、『精果草』に関わっているのなら、彼が祖父の名前を出したのも頷ける。
「エリアス様、わたくしに見せたいのは『青の死痕』ではありませんか?」
「――っ、すごいね。見せる前から推察するなんて、頭の良いお嬢さんは、話が早くていい。そうだよ、レベッカ。君に見せたかったのは、精果草による中毒死と思われる死体さ」
「しかし……、精果草は国で帳簿管理されています。死痕が現れるほどの量を摂取するとなると、口から体内に入れるしかありませんわ。ただ、精果草の経口摂取は認可されていなかったはず――、まさか!?」
横領の二文字が頭に浮かび、レベッカの顔が青ざめる。
「くくく、違うよ。横領ではないから安心して。精果草の出入帳簿と実在庫は厳密に管理されているし、現時点での差異はない。それに、ここに安置されている死体は、全て平民女性なんだ」
エリアスの言葉が俄には信じられない。
精果草の医療転用品は高額で、平民がおいそれと手には出来ない代物なのだ。しかも、医療用に使用されている精果草は中毒症状が出ない最小量のみ。死に至らしめるほどの精果草を平民女性が入手出来たとは考えにくい。
「エリアス様、揶揄うのはおやめください。死ぬほどの量の精果草なんて、手に入らない。その死痕も青アザか何かでは?」
「そう言うと思って、ここまでご足労願ったんだよ。レベッカ、死体を見る勇気はある?」
レベッカの喉がゴクリと鳴る。
幼い頃の記憶がよみがえり、レベッカの身体が小刻みに揺れ出した。
様々な経験をしてきたが、どうしても慣れないものもある。精果草の研究を手伝いたいと、祖父へ言ったレベッカへと架せられた試練。それは、精果草によって中毒死した者の死体を見ることだった。
祖父がまだ生きていた頃、精果草の管理は今よりも厳密には行われず、平民街の裏界隈では催淫効果を求め違法取引が行われていた。そのため、毎日のように中毒死した死体が、平民街の安置所に運ばれ祖父は検死をするために呼び出されていたのだ。
なぜ祖父が、まだ年端もいかない幼いレベッカに過酷な試練を与えたのか、いまだにわからない。しかし、祖父が残した一冊のノートに記されていたリシャールへと宛た手紙を見つけたとき、なんとなくその理由を理解した。
誰よりも愛していた『リシャール』が精果草の中毒で死んだ時、祖父の中で精果草は憎むべき相手となったのだろう。だからこそ、生半可な気持ちで精果草の研究に手を出して欲しくなかった。
ただ、祖父の本当の気持ちを悟るにはレベッカはまだ幼過ぎた。祖父の制止を振り切り、遺体安置所で見た死体の惨さに、レベッカはその場に倒れた。
あの日以来、レベッカが遺体安置所に近づくことはなかった。しかし、精果草の中毒死が疑われる事案から逃げ出すことは出来ない。
祖父から、精果草の研究を託されたときに誓ったのだ。
シャロン家の悲願。
精果草の解毒薬を必ずつくる、と。
中毒死した遺体を見る機会など、今の世ではほぼ出来ない。生の被検体を見るチャンスなど、もうないだろう。
頭の中を、あの日見た『青い花の死痕』がよぎる。忘れたくても、忘れられなかった光景が脳裏をくるくると回り吐き気すらする。
ただ、覚悟を決めたレベッカは逃げない。
「えぇ、もちろん。拝見させて頂きますわ」
*
「全ての遺体に、『青の死痕』が出ていますわ」
三体の遺体を前に、検死を終えたレベッカは丁寧に布をかぶせ、頭を下げる。
目の前に横たわる女性の遺体は、記憶に残るモノよりも格段に綺麗で、パッと見ただけでは眠っているようにしか見えなかった。しかし、数日も経てば状況は一変するだろう。
覚悟を決めて相対したレベッカは、ホッと胸を撫でおろした。
「青い花咲く遺体か……、本当に精果草による中毒死なんだな」
壁に背をつけ、レベッカの検死を何も言わず見ていたエリアスが感慨深気につぶやく。
「あら? 確信を持っていたのではありませんの?」
「いいや、文献では知っていたが実物を見たのは初めてさ。遺体が三体、同時に運び込まれなければ、その死痕が精果草の中毒だとは気づかなかった。レベッカは、その死痕を見たことが?」
「はい、昔に……。その遺体の死因は、精果草による中毒で間違いありませんわ」
「やはり、そうか……」
そう言ったきり、顎に手をあて何かを考えこむエリアスを見つめ、レベッカもまた緊張をほぐすように息を吐き出した。
エリアスがここへ連れて来た真の目的は、安置されていた遺体が精果草による中毒死だと確信を得るため。レベッカはまんまとエリアスの思惑にのせられてしまったのだろう。
セインとの婚約破棄方法に関しても、レベッカを釣る餌に過ぎなかったと言うことだ。
なんとも釈然としないが、致し方ない。騙された自分が悪いのだから。
「エリアス様、目的は果たされましたか? では、わたくしはこれにて失礼致しますわ」
ドレスをつまみ、カーテシーをとり頭を下げる。そして、退室するため踵を返した瞬間、手をつかまれた。
「まだ、話は終わっていないよ。婚約破棄の方法を教えると言ったじゃないか」
「ふふふ、婚約破棄は、わたくしを釣る餌でございましょう? 目的が果たされた今、わたくしの役目は終わりましたわ。欲の代償に関しては、わたくしの『脚』でなくとも良いはずです。他をあたってくださいませ」
つかまれた手を振り払い、レベッカは扉へと向かう。しかし、扉が開くことはなかった。
扉を手で押さえたエリアスに、背後から胸へと抱きこまれたレベッカは、耳元で囁かれた言葉に身を震わす。
「レベッカ、逃げなくてもいいじゃないか。言ったよね? 君の脚じゃないと、俺の欲は満足出来ないって」
背後から腰を抱かれ、もう片方の手がレベッカのスカートをたくし上げる。徐々に顕になる自分の脚を見下ろし、レベッカの喉がゴクリと鳴った。
エリアスに請われるまま、脚を差し出すのは己の矜持に反する。
レベッカは、エリアスの死角を使い扇子を取ると、仕掛けボタンを押すと同時に覆い被さるエリアス目掛け突き刺した。
「おぉっ、と。そんな凶器を仕込んでいたなんて、想定外だ」
「あら? そうですか? 淑女の嗜みですわ」
凶器と化した扇子をバサっと開き、仰ぐ。
「あぁ、俺の負けだ。レベッカ嬢、建設的な話し合いをしようじゃないか」
「ふふふ、ご冗談を。何の話があると言うのです。わたくしには、ありませんわ」
「本当にそうかな? この三体の遺体は、娼婦、貧民街にある教会のシスター、そして物乞いと、平民女性という以外の共通項はない。あとは、居なくなっても誰も気に留めない者たちとも言える。そして、ここ数ヶ月を遡って調べたところ、青い死痕がある遺体はこの三体だけではなかった」
レベッカの頭に嫌な予感がよぎる。
「平民では手に入れることが出来ない精果草で死んだ平民女性が何人もいる。それも、ここ数ヶ月の間に。いったい何が起こっているんだろうね」
扉に背をつけ震えるレベッカとエリアスの視線が至近距離で交わる。
最悪な事態が脳裏をよぎり、胸が苦しくなった。
「平民女性に精果草を飲ませ、中毒にしている者がいる。そして、その犯人は貴族の可能性が高い」
「正解。精果草の闇取引が、どこかで行われている可能性が高い」
「その容疑者に、シャロン男爵家があがっている。違いますか?」
だから、エリアスはレベッカに近づいた。
急速に湧き上がった怒りに握りしめた拳が震える。しかし、次に続いたエリアスの言葉はレベッカの想像するものとは違っていた。
「――それは違う。いくら俺でも、精果草中毒撲滅に命を捧げた前シャロン男爵の子孫が、彼の意思を踏みにじるような行為をしたとは考えていないよ。疑っている貴族は別にいる」
「それは、誰ですの?」
「それはね――、君の義理の父になるかもしれない相手、ニールズ伯爵だよ」
「えっ……、うそ、よね」




